春日山の自然満喫 晴天に城址を歩く
↓春日山からの展望

↓監物堀のカキツバタ



↓ヤマデマリ

↓ミズキの大木

↓春日山神社北側斜面に咲くシャガ

今日の足跡
最低気温5.4度、最高気温18.8度。晴れ。
○……テレビ漫画「サザエさん」のオープニングに、新潟県内の観光地などが出てくるという。7日はテレビを付けたのが午後6時10分。残念ながらちょっと遅かった。
次の日曜の放送はしっかり録画予約してある。
○……巨人は3連敗中の5位とチームが低迷する中、戸郷がDeNA戦でサイ・ヤング賞右腕のバウアーと投げ合う新潟での対戦。巨人が好調ならば見に行ったのだが、勝てる確率は低かった。
だが、野球はやってみなけりゃ分からない。戸郷が完投で連敗を脱出。岡本にもホームランがでるなど、素晴らしい試合だった。終わってから後悔しても始まらない。
10歳若返る? ウオーキング講習会
講師は上越教育大学大学院、健康教育研究センターの池川茂樹准教授。池川准教授は「運動による生活習慣病予防」を研究し、その研究成果として「インターバル速歩」を提唱している。
最初は3階で30分ほどの講義である。タブレット端末を操作しながら、プロジェクターを使って説明した。難しい言葉を使わず、すごくわかりやすかった。
【要点】
・体力は20歳代をピークに下がり始める。1年ごとに約1%低下していく。ピークの30%を切ると要介護ラインとなる。
・熱中症のリスクも下がる。実証されてはいないが、コロナ感染症の重症化リスクも低下するのではないか。
・3週間まったく運動しないと、30歳分体力が低下する。
・「1日1万歩」はほとんど効果がない。
・ウオーキングは量ではなく質。最大体力の60~70%の強度の高い運動が必要。個人ごとに異なるが、目安は息が上がるぐらい。
・「インターバル速歩」は速歩きとゆっくり歩きを3分ずつ繰り返すウオーキング。5か月間で約10%の体力アップが図れる。何もしないと1%ずつ低下していくので、10歳の若返りが図れることになる。
・「インターバル速歩」で18分の速歩は、1日24時間の1%に相当する。つまり「1日1%の時間投資で10歳若返る?!」。
・息が上がる運動ならスロージョギングやスクワットでも良い。


後半はアリーナで「インターバル速歩」の実技。速歩きとゆっくり歩きを3分ずつやるのを1セットとし、3セットをやった。
「負けないで」「林檎殺人事件」などの曲に合わせ、アリーナを歩いた。速歩と言っても、息が上がる速度で歩くので汗を書いた。マスクをしているのでなおさらだ。想像以上に運動強度はある。
陸上競技でもスピードアップのためのインターバルトレーニングというのがある。「インターバル速歩」は少し違うが、心肺機能、筋力を高める効果がありそうだ。
「インターバル速歩」はとても効果的なトレーニングだと思う。もっと普及してほしい。
今日の足跡
最低気温24.2度、最高気温36.5度。晴れ。



○……「八千代コースター」というテレビ番組で、魚沼市名物のモツ焼きの名店が紹介されていた。
「やまに」が紹介されていた。一番人気の店らしい。シロが一番人気で、なんと380円の安さ。ほかにもハツ、コブクロ、ハラミがおいしいそうだ。
すぐにでも行きたいところだが、昼間の時間帯はどこも営業していない。電車で行くか、泊まるかだ。
日本一の山、富士山登頂記(2)
だが、ご来光目指して一斉に頂上を目指す登山者の数が半端ではない。足を一歩踏み出したまま、しばらく待つ状態も多かった。
人間の渋滞がいやなら、ご来光はあきらめて、昼間登るのもいいかと思う。
下山途中の昼間、外国人の姿を多く見かけたが、これはキリスト教との関係もあると思う。太陽をありがたがって拝むのは、神が自然の中にいるという神教のものである。一神教たるキリスト教は、キリストが天地を創造したわけで、信者は太陽に手を合わせたりしない。
八合目になると山小屋が連続して建っている。標高3300m地点で下山道との分岐があり、もうひと登りすると、須走ルートと合流する標高3400mの本八合目となる。本八合目と言うのは、昔から八合目と呼ばれた場所だからである。ここには江戸屋という山小屋がある。
このあたりが「胸突き八丁」の語源となった一番の難所で、斜度がきつい。その上に、道幅がせまく、渋滞もひどくなる。自分のペースで登れないイライラがつのる。上を見上げると、ライトの明かりが見え、すぐそこに頂上があるようだが、なかなか近づかない。
頂上に近づくにつれ、急な岩場となり、足を滑らさないように慎重になる。下を見ると明かりの帯がたくさん見える。昼間だったら、下を見るとかなり怖いかもしれない。
九合目を過ぎたあたりだろうか。登山のガイドさんが、もう一枚着こむように言う。下着、アンダーウエアー、シャツの上にダウンジャケットを着込んだ。その上は防水のレインウエア(カッパ)である。ご来光を待つ間が一番冷え込むのだ。
気温は標高が100m上がるごとに0.6度ずつ下がる。夏でも富士山の頂上は平均5度前後なので、冬と同じ支度が必要だ。
高山病にかかった若い女性はなんとかついてきている。20代前半の4人グループだが、初めての登山が富士山というのは少々無謀だ。今は山ガールブームなので仕方ないけれど。4人の中で一番がっちりした体格の子が高山病になったのだから分からないもの。
標高3000mの山小屋を出発してから6時間弱の午前4時10分。ようやく頂上に着いた。
富士山の頂上は3776mなのであるが、吉田口の頂上は3710mである。どういうことかというと、富士山の最高峰はちょうど反対側にあるので、いわゆる「お鉢巡り」をしないとそこには到達しない。富士山の火口を一周するのが「お鉢巡り」で、約1時間半かかる。ツアーではちょっと無理なので、今回は断念した。

頂上には多くの人がご来光を待っていて、驚いた。すれ違うのもたいへんなほどの人がいて、みんなカメラを持っていて、待ち構えている。

まだ少々時間があるため、ツアー客に用意してあった店に入り、温かいものでも食べることにした。インスタントラーメンであるが、1杯900円。これを食べて体を温めながら、山小屋でもらった朝食のいなりずしを食べる。

頂上にはこのような店が数軒立ち並び、食べ物や飲み物、記念のバッジなどを売っている。
午前4時35分ごろ、ご来光がもうすぐのようなので、店を出た。黒い雲海が広がり、その下から太陽が上りつつあった。そして雲海の切れ目から太陽が顔をのぞかせるという少々珍しいご来光となった。

まるでシンフォニーが響きわたるような荘厳さ、スケールの大きさ、美しさに心を奪われた。そして、雲海も素晴らしかった。
五合目から計9時間歩き続けた結果が、このご来光に集結したのだ。
ガイドさんが、下山道が混み合うため早めの下山を促すので、頂上は1時間ほどの滞在になった。

頂上のがけを見ると、つららが何本も下がっていた。明け方は氷点下まで冷え込んだらしい。そのつららが日の出と同時に解け始めている。
太陽がずいぶん上空に上った午前5時半、全員で万歳をして下山開始。道を間違えやすい分岐点のある富士山ホテルまでは団体行動で来て、そこから五号目までは各自で向かうことになった。下山では健脚の人が脚の遅い人に合わせると、ひざを痛めることがあるという。つまり各自のペースで下山しなさいということだ。
下山道は砂利と砂が混じっていて、後ろに重心をかけ、すこし靴を滑らすようにして歩くのがコツ。バランスを崩さないように歩くのに慣れが必要だ。30分ほど歩くとコツがつかめる。
同じ新井営業所から乗ったOさんと一緒にピッチを上げて歩いたので、分岐点から五合目まで約1時間25分で到着した。一番乗りである。遅い人は3時間かかったようだ。
早速五合目で生ビールで乾杯。気温も上がってきたので、ビールがうまい。
ところで、下山途中、ツアー客の男の人が足を滑らせて骨折した。ガイドさんが背負って途中まで運び、その後は馬に乗って下山したという。馬は3万円かかるらしい。馬は高山病の人の下山用にも使われるが、足の不自由な人や、ご来光を見たい人などが利用するようだ。
五合目から救急車で病院へ行き、その後、バスが病院に迎えにいって合流した。せっかく富士山に登頂したのに、残念な結果になってしまった。
今回のガイドさんは、12人いる専属のガイドの一人で、65歳ぐらいだろうか。毎日のように富士山に登っているわけで、富士山の怖さや楽しさを知り尽くしている人だ。気温に合わせて服を一枚着たり、カッパを着たりするタイミングを教えてくれる。その指示は大変みごとなもので、最後まで寒さに震えることはなかった。
途中で高山病の人が出たのだが、顔色や症状を見て、戻るか、強行するかの判断をする。今回は頂上を目指す判断だったが、これも的確だったと思う。最後はけが人を背負って下山。頑強な体を持っていないと、ガイドは務まらないのだ。
五合目を出発したバスは河口湖に向かい、そこで入浴と昼食。温かいおかず、ふんわり炊き上がったご飯がおいしい。一日ぶりにようやくおいしい食事にありつけた。
帰りのバスの中は爆睡タイム。1日半ぶりに睡眠にありつけた。
午後6時半ごろ家に着いたのだが、今回の富士山登頂は天候に恵まれ、ご来光も見られた。3回登っても雨、という知人もいるのに、超ラッキーだったと思う。
今年の大きな目標(やりたいこと)を一つ達成したので、うれしい。
最低気温22.2度、最高気温32.1度。曇りときどき晴れ、夜一時雨。
200人の死傷者が出た中国の高速鉄道事故への対応は、怒りとか驚くというより笑ってしまう。
なにしろ高架橋から落下した先頭車両を土中に埋め、事故からわずか1日半で運転を再開というのだから。
特に、事故原因が分からないうちに証拠隠滅はあり得ないことだ。
これでは外国人は絶対に高速鉄道は乗らないだろうな。外国への売り込みも絶望的だ。

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高岡のまちを散歩
もし君が北陸の方へ旅することがあったら
土曜日の夜ちょっと高岡に寄ってみるといいよ
“日本のボブ・ディラン”こと友部正人の代表作「にんじん」のLPに収録されている「トーキング自動車レースブルース」である。高岡での暴走族の様子を描いた歌だ。
たぶん、この時代のフォークソングを聴いていた高校生は、高岡といえば、この曲を思い浮かべると思う。
ところで、母を高岡市の病院に連れていった待ち時間に高岡の町を散歩してきた。もうこのまちは4回目。高田と同じような城下町で、雰囲気は似ている。古い歴史と文化が香る落ち着いたまちだ。土曜の夜でもなかったし、暴走族はいなかった。路面電車は走っていたけど。
一番気に入ったのが、高岡城址公園である。市街地のほぼ中心部にあるのが高田公園に似ている。堀(総面積の3分の1を占める)があったり、ブロンズ像があったり、桜の名所(2700本)であるのも、そっくりだ。
この公園は加賀藩二代目藩主、前田利長が築いた高岡城の城址を、明治以来公園として開放したものだという。あまり手が加えられていないのがいい。ただ、堀の水が緑色によどんでいて、きたないのが難点だ。
総面積は、看板によると7万1261坪。公式には21万平方mとなっている。金沢の兼六園は約3万坪(11.4ha)だから、その2倍である。一方、高田公園は50ヘクタールだから、高岡の2倍の広さになる。
公園の中は、ウオーキングコースのようになっており、石畳のところもあるし、土のままのところ、舗装してある道などさまざまだ。平日の午前だというのに、ウオーキングや散歩する市民がたくさんいる。
最高にいい施設が動物園である。総面積4,700?あり、小動物を主として約50種160点がいる。フラミンゴ、フンボルトペンギン、チンパンジー、エミュー、ウサギ、リスザル、ワニガメなど、特にめずらしい動物はいないが、小さな子どもが喜ぶ、基本的な動物がそろっている。まさにファミリー動物園という感じだ。それも無料というのがいい。
高田公園にも昔、トラやサル、クジャクなどの動物がいた。でも、雪が多いし、ちょっと無理だったかな。
それから、ついでに見に行った高岡の大仏は修理中だった。
塩の道を歩く
長野県小谷村のイベント、「第27回塩の道祭り」に参加した。
小谷村、白馬村、大町市の3自治体が連携し3日間にわたり、塩の道を歩くというイベントだ。塩の道は越後から信州に塩を運ぶ生命の道。越後の上杉謙信が敵である甲斐の武田信玄に塩を送った故事は有名だ。昔は塩のほか、麻などが運ばれ、明治20年ごろまで重要な役割を果たしていたという。
小谷村はその1日目。下理瀬(くだりせ)から栂池高原まで、千国街道を8キロ歩くものだ。この街道は豪雪地帯、地すべり地帯であり、険しい道が多い。当時は物資の輸送に難渋を極めたことだろう。実際に道を歩いてみて、それを実感できた。
午前6時に自宅を出発。視覚障害者のYさん、サポーターのKさんとの3人である。午前7時30分ごろに現地に到着。駐車場に車を置いて、シャトルバスでスタート地点の下理瀬に戻る。早く着いたので、やや早く出発した。
出発時の気温は5度という寒さ。1枚余計に来て、出発した。道は昨夜の雨でぬかるみ、歩きにくい。目が不自由な人にとってはかなりつらい。Kさんと交代でサポートして歩いた。途中、並んで歩けない場所もあり、苦労した。
道のりは8キロと短いが、山道なのでけっこうきつい。途中雪もかなりあった。だが、桜や水仙、水芭蕉、タンポポ、タチツボスミレなどさまざまな花が楽しませてくれた。
また、1キロおきぐらいにテントがあり、地元の人がお茶や漬物をサービスしてくれた。漬物の種類が多く、どれもおいしい。漬物文化の深さを感じられた。甘酒もおいしかった。
ほとんどお金を使うことなしに、いろいろサービスを受けることができ、恐縮してしまう。露店もいろいろ出ていて、けっこう売れていたが。それにしても、参加者は3000人。すごかった。
帰りには姫川温泉のホテル白馬荘で露天風呂と内風呂に入ってきた。ナトリウム・カルシウムー炭酸水素塩・塩化物泉の温泉で、かけ流しのいい温泉だった。これで500円は安かった。
当初は妻も行く予定だったが、先日の旅行疲れのため断念した。腰痛の持病があるので、これだけ険しい道ではきつかっただろう。行かなくて正解だったと思う。