18日16時38分=2023年=
江戸時代の道標
◇宇賀魂神社の道標

友人から江戸時代の道標がある場所を教えてほしいとメールを送ってきたので、確認のため現地へ行ってみた。上越市本町7丁目にある「宇賀魂神社(うがのみたまじんじゃ)」である。イチコスーパーとセブンイレブンの間の道路を隔てて反対側にある。本町通りの外れにあるこの神社には、江戸時代に造られた道標があるのだ。上越市佐内町の旧街道脇には、「左 さいみち 右 おう志う道」と書かれた道標がある。「おう志う」とは奥州のこと。道標は、江戸時代に街道を往来する旅人のために建てられた。
説明板を読むと「江戸時代、幕藩体制の整備がすすみ、高田城下を往来する旅人も多くなると、加賀街道(五智、糸魚川方面)と奥州街道(稲田、柏崎方面)の交差点。現本町七丁目の角に、「右おゝしう道 左かゝみち」の道標が建てられた。これは福島城の石垣の石を用いて彫り刻んだものである。しかし、交通の障害となったので、昭和十年ころ、現在地に移された」(昭和五十八年 上越市)と書いてあった。「おゝしう道」は奥州道で、「かゝみち」は北国街道(加賀街道)のことだ。
元々は、本町7にある変形の鍵型交差点の場所に道標はあった。長野方面から北国街道で高田城下に入った旅人は商人町(現本町通り)の賑わいの中を北へ進む。そして鍵型の交差点が街道の分かれ道で、右(西)へ行けば北国街道、左(東)へ行けば新潟・会津に通じる奥州街道だった。
明治以降、道路の拡幅などのため、昭和10年頃に石の道標は近くの宇賀魂神社に移された。
◇左内町の道標
↓左内町の道標

上越市佐内町の旧街道脇には、「左 さいみち 右 おう志う道」と書かれた道標がある。「おう志う」とは奥州のことである。
この道標は、江戸時代に街道を往来する旅人のために建てられた。
「奥の細道」で松尾芭蕉は曾良とともに今町で過ごし、翌7日から奥州街道を通り稲田から高田に入り細川昌庵宅で滞在した。11日に出立し巳の下刻に加賀街道を通って居多神社や国分寺に参拝し、名立へ向った。必ず、この分岐を通っていったはずだ。
◇戸隠の道標
↓戸隠の道標

先日、戸隠に行ったとき、長野市商工会戸隠支所の駐車場に道標があった。道標は「右宝光院御宮 左鬼無里」と読める。かつては戸隠往来と呼ばれた大望峠に続く鬼無里への道しるべである。
◇宇賀魂神社
上越市本町7−3
◇追分地蔵
上越市木田新田1丁目1
◇戸隠
長野市戸隠1484-2
今日の
最低気温4.8度、最高気温12.1度。晴れ。日中一時小雨。
○……明日から3日間、旅行に出かけるので、ブログは21日(火)までお休みします。

友人から江戸時代の道標がある場所を教えてほしいとメールを送ってきたので、確認のため現地へ行ってみた。上越市本町7丁目にある「宇賀魂神社(うがのみたまじんじゃ)」である。イチコスーパーとセブンイレブンの間の道路を隔てて反対側にある。本町通りの外れにあるこの神社には、江戸時代に造られた道標があるのだ。上越市佐内町の旧街道脇には、「左 さいみち 右 おう志う道」と書かれた道標がある。「おう志う」とは奥州のこと。道標は、江戸時代に街道を往来する旅人のために建てられた。
説明板を読むと「江戸時代、幕藩体制の整備がすすみ、高田城下を往来する旅人も多くなると、加賀街道(五智、糸魚川方面)と奥州街道(稲田、柏崎方面)の交差点。現本町七丁目の角に、「右おゝしう道 左かゝみち」の道標が建てられた。これは福島城の石垣の石を用いて彫り刻んだものである。しかし、交通の障害となったので、昭和十年ころ、現在地に移された」(昭和五十八年 上越市)と書いてあった。「おゝしう道」は奥州道で、「かゝみち」は北国街道(加賀街道)のことだ。
元々は、本町7にある変形の鍵型交差点の場所に道標はあった。長野方面から北国街道で高田城下に入った旅人は商人町(現本町通り)の賑わいの中を北へ進む。そして鍵型の交差点が街道の分かれ道で、右(西)へ行けば北国街道、左(東)へ行けば新潟・会津に通じる奥州街道だった。
明治以降、道路の拡幅などのため、昭和10年頃に石の道標は近くの宇賀魂神社に移された。
◇左内町の道標
↓左内町の道標

上越市佐内町の旧街道脇には、「左 さいみち 右 おう志う道」と書かれた道標がある。「おう志う」とは奥州のことである。
この道標は、江戸時代に街道を往来する旅人のために建てられた。
「奥の細道」で松尾芭蕉は曾良とともに今町で過ごし、翌7日から奥州街道を通り稲田から高田に入り細川昌庵宅で滞在した。11日に出立し巳の下刻に加賀街道を通って居多神社や国分寺に参拝し、名立へ向った。必ず、この分岐を通っていったはずだ。
◇戸隠の道標
↓戸隠の道標

先日、戸隠に行ったとき、長野市商工会戸隠支所の駐車場に道標があった。道標は「右宝光院御宮 左鬼無里」と読める。かつては戸隠往来と呼ばれた大望峠に続く鬼無里への道しるべである。
◇宇賀魂神社
上越市本町7−3
◇追分地蔵
上越市木田新田1丁目1
◇戸隠
長野市戸隠1484-2
今日の足跡
最低気温4.8度、最高気温12.1度。晴れ。日中一時小雨。
○……明日から3日間、旅行に出かけるので、ブログは21日(火)までお休みします。
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15日22時26分=2023年=
戸隠の鬼女伝説にちなむ社寺や塔
戸隠の鬼女伝説にちなむ遺跡や石碑などを巡ってきた。半日で見られる所は限られたが、いくつかを紹介したい。カーナビには表示されない所が多かったので、たどり着くまでかなり苦労した。戸隠へ行って、こんな場所を巡る人は少ないだろうな。
◇足神神社・おまんの墓
おまんは鬼女紅葉の副将だった女傑の名。官軍の追い打ちからこの地に逃れ、僧になって罪業を懺悔したが、ついに自害して果てた。そのなきがらを弔ったのが「足神社(あしがみしゃ)」。
おまんは、身の丈が8尺(2m40cm)、35人力という力自慢の大女で、一夜のうちに数十里(1里は4km)も歩く健脚だったので、足の神様とされる。マラソンランナーは功徳があるかも。場所は戸隠中社のはずれ。
↓足神社

↓解説板

◇権現山大昌寺
↓大昌寺

↓鎮守の熊杉

↓解説板

曹洞宗の名刹で、地元の人に場所を聞いたら「大昌寺(だいしょうじ)さん」と呼んでいた。鬼女紅葉ゆかりの菩提寺として知られている。表参道には樹齢450年の巨木「鎮守の熊杉」(長野市指定記念物)がある。
だが、本来は敵同士の紅葉と、平維茂(たいらのこれもち)を合祀した位牌があるのが不思議。そのときの大昌寺の住職が、恩讐をこえてまつったとされる。
↓合祀した位牌

↓紅葉狩りの掛け軸

↓掛け軸の拡大 平維茂が紅葉を討伐する場面

この寺には、合祀した位牌や、紅葉狩の掛け軸がある。声をかけたら、見せていただけた。掛け軸は松代藩の絵師であった三村養益(みむらようえき)の描いたという。鬼女紅葉を追う平維茂が紅葉を討伐するまでの物語が一枚の絵に描かれている。江戸末期のころの作品だという。
掛け軸のそばには、位牌があった。貴重なものを見せていただいた。最後にはお守りまで頂戴した。もっと賽銭をあげればよかったかな。場所は、荒倉キャンプ場から車で10分ほどの場所にある。
◇鬼の塚
↓鬼の塚解説板

↓鬼女の墓

↓部下の五輪塔

鬼女紅葉の墓といわれる。平維茂は討ち取った紅葉の遺骸を矢先八幡わきの小高い丘に埋葬し、五輪の塔を建てて、後日のたたりのないようにまつったとされる。鎌倉末期のものだという。近くには部下のものとされる小さな五輪の塔がいくつもあった。
今日の
最低気温5.7度、最高気温16.0度。晴れ。
○……今、スーパーの原信で大創業祭を行っていて、レシートを1万円分集めると、200円の商品券がもらえる。
11月30日までの1か月間に、どのぐらい集まるだろう。コツは締め切り直前まで台紙に貼らないことだ。つまり、台紙1枚に付き、レシートの合計が1万円を少し超えるぐらいが理想。いきなり貼ってしまわずに、ちゃんと計算してから貼った方がいい。
期間中のレシートはピンクなので、わかりやすい。
台紙には住所、氏名を書くようになっているので、集客範囲を把握するために利用するのだろうか。下部に個人情報を第三者に提供しないなどの指針が書かれていた。
◇足神神社・おまんの墓
おまんは鬼女紅葉の副将だった女傑の名。官軍の追い打ちからこの地に逃れ、僧になって罪業を懺悔したが、ついに自害して果てた。そのなきがらを弔ったのが「足神社(あしがみしゃ)」。
おまんは、身の丈が8尺(2m40cm)、35人力という力自慢の大女で、一夜のうちに数十里(1里は4km)も歩く健脚だったので、足の神様とされる。マラソンランナーは功徳があるかも。場所は戸隠中社のはずれ。
↓足神社

↓解説板

◇権現山大昌寺
↓大昌寺

↓鎮守の熊杉

↓解説板

曹洞宗の名刹で、地元の人に場所を聞いたら「大昌寺(だいしょうじ)さん」と呼んでいた。鬼女紅葉ゆかりの菩提寺として知られている。表参道には樹齢450年の巨木「鎮守の熊杉」(長野市指定記念物)がある。
だが、本来は敵同士の紅葉と、平維茂(たいらのこれもち)を合祀した位牌があるのが不思議。そのときの大昌寺の住職が、恩讐をこえてまつったとされる。
↓合祀した位牌

↓紅葉狩りの掛け軸

↓掛け軸の拡大 平維茂が紅葉を討伐する場面

この寺には、合祀した位牌や、紅葉狩の掛け軸がある。声をかけたら、見せていただけた。掛け軸は松代藩の絵師であった三村養益(みむらようえき)の描いたという。鬼女紅葉を追う平維茂が紅葉を討伐するまでの物語が一枚の絵に描かれている。江戸末期のころの作品だという。
掛け軸のそばには、位牌があった。貴重なものを見せていただいた。最後にはお守りまで頂戴した。もっと賽銭をあげればよかったかな。場所は、荒倉キャンプ場から車で10分ほどの場所にある。
◇鬼の塚
↓鬼の塚解説板

↓鬼女の墓

↓部下の五輪塔

鬼女紅葉の墓といわれる。平維茂は討ち取った紅葉の遺骸を矢先八幡わきの小高い丘に埋葬し、五輪の塔を建てて、後日のたたりのないようにまつったとされる。鎌倉末期のものだという。近くには部下のものとされる小さな五輪の塔がいくつもあった。
今日の足跡
最低気温5.7度、最高気温16.0度。晴れ。
○……今、スーパーの原信で大創業祭を行っていて、レシートを1万円分集めると、200円の商品券がもらえる。
11月30日までの1か月間に、どのぐらい集まるだろう。コツは締め切り直前まで台紙に貼らないことだ。つまり、台紙1枚に付き、レシートの合計が1万円を少し超えるぐらいが理想。いきなり貼ってしまわずに、ちゃんと計算してから貼った方がいい。
期間中のレシートはピンクなので、わかりやすい。
台紙には住所、氏名を書くようになっているので、集客範囲を把握するために利用するのだろうか。下部に個人情報を第三者に提供しないなどの指針が書かれていた。
16日23時20分=2023年=
柳田國男の『遠野物語』の世界へ⑥ 〈昔話ライブを聴く〉
昔話を映像や音声で楽しむことができる「昔話蔵」や、語り部による昔話を聞くことができる劇場「遠野座」などがある『とおの物語の館』は、誰が見てもわかりやすい現代的な施設だ。語り部による昔話のライブは、4~11月の期間は1日3回だけなので、事前に調べておく必要がある。
時間を遡るが、初日に釜石線で遠野駅に着いたのが13:04分。『とおの物語の館』の昔話は14時が最後なので約1時間の余裕がある。ちょうど「遠野市産業まつり」というイベントを行っていて、食べ物の屋台がたくさん出ていた。ここでひっつみ汁や、焼きそばなどを食べて昼食にした。
↓柳田國男像

↓とおの物語の館



↓高善旅館(以下)






早めに『とおの物語の館』に着き、まだ開演までに時間があったので、館内に展示されていたパネルなどを見学した。柳田國男の胸像もあった。
「とおの物語の館」には、民話のライブが聞ける「昔話蔵」や、柳田國男が滞在し、「遠野物語」草創期に関わった「旧高善旅館」、旧柳田國男隠居所が移築されており、内部などを見ることができる。隠居所は昭和31年1月16日から、昭和37年8月8日に88歳で永眠するまで妻とともに過ごした場所である。「遠野物語」の初版なども見ることができる。
↓佐々木喜善と宮沢賢治の関係

↓佐々木喜善の年譜

↓肩車考原稿

「遠野物語」の話者である佐々木喜善の略年譜、佐々木喜善と宮沢賢治の関係などは参考になった。また、柳田國男が滞在した宿「高善旅館」と、晩年を過ごした「旧柳田國男穏居所」があり、その生涯と功績を紹介していた。
「遠野城下町資料館」には戦国時代から続く遠野南部家の装束や武具が展示されていた。
午後2時になった。遠野座には20人ほどが集まっていた。語り部は高橋ノブさんという上品なおばあちゃんだ。語り口も優しく、話がスムーズでつっかえることがない。非常に上手なベテラン話者だと思う。
↓語り部の高橋ノブさん

遠野の昔話ので代表的な「座敷わらし」の話から始まった。遠野では話の終わりに「どんどはれ」という。「どんど」は夜なべ仕事で膝の上などに落ちる藁くず、仕事が終わったときに衣類に着いた払う藁くずを払っておしまいにすることを「はれ」という。「はれ」は「払え」が訛ったものだ。「どんど」は上越でも「どんど焼き」(さいの神)を指すので、説明を聞いてなるほどと思った。
「昔あったともな。山口の孫左衛門という長者どんとして栄えた家があったんだと」で始まったが、だいたいの話の流れは分かったものの、単語が分からない。でも、発音のリズムが楽しく、聞き入ってしまった。
「座敷わらし」は、むかし旅をしている六部が裕福なお屋敷に立ち寄った。そこにはやさしい孫左衛門がいて、六部を泊まらせてくれた。六部は夜中、お屋敷のなかで不思議な子供と出会った。実はその子たちは座敷わらし。六部が数年後にまたお屋敷を訪れると、いじわるな新しい主を置いて座敷わらしは出ていき、屋敷は貧しくなったという話である。
次の話は「くるみ餅と甚兵衛」は仲の良い夫婦があった。妻が亡くなる際、亭主が「後妻を絶対に貰わない」と約束したが、3年後に後妻をもらった。そしたら仏壇の中から死んだかか様の唇が飛んできて、男の額にくっついてしまって、どうしても取れなくなった。男は死んだかか様はくるみ餅が好きだったな、と思って、くるみを一生懸命すったと、そしたら「うまそなくるみ餅ができたな」と思って、男の額から唇がクルミの中に落ちて助かったんだと。どんとはれ」というストーリー。「めい落とす=命落とす(死ぬ)」「おしょすい=恥ずかしい」など、上越と同じ方言もあって、面白かった。12:30
3話目は、一番長い話、「蜂のおかげ」。「昔あったともな。あるところに長者どんがいたったど。長者どんに年頃の娘がいたったともな」で始まった。長者どんは娘の婿を探していて立て札を出していたっと。何人も応募に来たって。ある男は藁1本もたされて「これを千両」にしてこいと言われた。藁1本を朴の葉、3年味噌と交換して宿に泊まった。宿屋の主人は病気にかかっていた。「3年味噌を食べると治る」といわれたが、その味噌を食べたら治って、お礼に千両もらったと。長者どんは「うらにある竹林には何本の竹があるか。数えてこい」と言われた。そこに蜂が飛んできて、羽音が「3万3333本」と聞こえた。長者どんに報告すると、本当だった。そして、最後の問題として「ここに3人の娘がいるが、お前が嫁にもらうのはどれだ」と聞いた。そしたら又、蜂が飛んできて「中そだ、中そだ」と聞こえた。「いかにもそうだ」と長者どんは言って、男は婿になったんだと。どんとはれ」。
最後は「豆腐とコンニャク」だった。あるところに豆腐とコンニャクがいた。ある時、豆腐が棚から落ちて大怪我をしてしたど。コンニャクが見舞いに言ったら、豆腐殿は「お前はいくら棚から落ちたって怪我をすることはなえもの」と羨ましがった。そしたらコンニャクは「いや、俺だって毎日生きた心地がしない」と言ったど。「何でか」と豆腐が聞くと、コンニャクは「毎日、今夜食う(コンニャク)、今夜食うっていわれるもの、生きた気がしない」と言ったんだと。どんとはれ」。
今日の
最低気温14.2度、最高気温24.3度。早朝雨、のち晴れのち曇り。

○……わが家の庭でキンモクセイの花が咲き始めた。春に枝を大量に剪定したのに、すごくたくさんの花が付いたのは不思議。今朝は雨が降ったためか、全然香りがしない。
時間を遡るが、初日に釜石線で遠野駅に着いたのが13:04分。『とおの物語の館』の昔話は14時が最後なので約1時間の余裕がある。ちょうど「遠野市産業まつり」というイベントを行っていて、食べ物の屋台がたくさん出ていた。ここでひっつみ汁や、焼きそばなどを食べて昼食にした。
↓柳田國男像

↓とおの物語の館



↓高善旅館(以下)






早めに『とおの物語の館』に着き、まだ開演までに時間があったので、館内に展示されていたパネルなどを見学した。柳田國男の胸像もあった。
「とおの物語の館」には、民話のライブが聞ける「昔話蔵」や、柳田國男が滞在し、「遠野物語」草創期に関わった「旧高善旅館」、旧柳田國男隠居所が移築されており、内部などを見ることができる。隠居所は昭和31年1月16日から、昭和37年8月8日に88歳で永眠するまで妻とともに過ごした場所である。「遠野物語」の初版なども見ることができる。
↓佐々木喜善と宮沢賢治の関係

↓佐々木喜善の年譜

↓肩車考原稿

「遠野物語」の話者である佐々木喜善の略年譜、佐々木喜善と宮沢賢治の関係などは参考になった。また、柳田國男が滞在した宿「高善旅館」と、晩年を過ごした「旧柳田國男穏居所」があり、その生涯と功績を紹介していた。
「遠野城下町資料館」には戦国時代から続く遠野南部家の装束や武具が展示されていた。
午後2時になった。遠野座には20人ほどが集まっていた。語り部は高橋ノブさんという上品なおばあちゃんだ。語り口も優しく、話がスムーズでつっかえることがない。非常に上手なベテラン話者だと思う。
↓語り部の高橋ノブさん

遠野の昔話ので代表的な「座敷わらし」の話から始まった。遠野では話の終わりに「どんどはれ」という。「どんど」は夜なべ仕事で膝の上などに落ちる藁くず、仕事が終わったときに衣類に着いた払う藁くずを払っておしまいにすることを「はれ」という。「はれ」は「払え」が訛ったものだ。「どんど」は上越でも「どんど焼き」(さいの神)を指すので、説明を聞いてなるほどと思った。
「昔あったともな。山口の孫左衛門という長者どんとして栄えた家があったんだと」で始まったが、だいたいの話の流れは分かったものの、単語が分からない。でも、発音のリズムが楽しく、聞き入ってしまった。
「座敷わらし」は、むかし旅をしている六部が裕福なお屋敷に立ち寄った。そこにはやさしい孫左衛門がいて、六部を泊まらせてくれた。六部は夜中、お屋敷のなかで不思議な子供と出会った。実はその子たちは座敷わらし。六部が数年後にまたお屋敷を訪れると、いじわるな新しい主を置いて座敷わらしは出ていき、屋敷は貧しくなったという話である。
次の話は「くるみ餅と甚兵衛」は仲の良い夫婦があった。妻が亡くなる際、亭主が「後妻を絶対に貰わない」と約束したが、3年後に後妻をもらった。そしたら仏壇の中から死んだかか様の唇が飛んできて、男の額にくっついてしまって、どうしても取れなくなった。男は死んだかか様はくるみ餅が好きだったな、と思って、くるみを一生懸命すったと、そしたら「うまそなくるみ餅ができたな」と思って、男の額から唇がクルミの中に落ちて助かったんだと。どんとはれ」というストーリー。「めい落とす=命落とす(死ぬ)」「おしょすい=恥ずかしい」など、上越と同じ方言もあって、面白かった。12:30
3話目は、一番長い話、「蜂のおかげ」。「昔あったともな。あるところに長者どんがいたったど。長者どんに年頃の娘がいたったともな」で始まった。長者どんは娘の婿を探していて立て札を出していたっと。何人も応募に来たって。ある男は藁1本もたされて「これを千両」にしてこいと言われた。藁1本を朴の葉、3年味噌と交換して宿に泊まった。宿屋の主人は病気にかかっていた。「3年味噌を食べると治る」といわれたが、その味噌を食べたら治って、お礼に千両もらったと。長者どんは「うらにある竹林には何本の竹があるか。数えてこい」と言われた。そこに蜂が飛んできて、羽音が「3万3333本」と聞こえた。長者どんに報告すると、本当だった。そして、最後の問題として「ここに3人の娘がいるが、お前が嫁にもらうのはどれだ」と聞いた。そしたら又、蜂が飛んできて「中そだ、中そだ」と聞こえた。「いかにもそうだ」と長者どんは言って、男は婿になったんだと。どんとはれ」。
最後は「豆腐とコンニャク」だった。あるところに豆腐とコンニャクがいた。ある時、豆腐が棚から落ちて大怪我をしてしたど。コンニャクが見舞いに言ったら、豆腐殿は「お前はいくら棚から落ちたって怪我をすることはなえもの」と羨ましがった。そしたらコンニャクは「いや、俺だって毎日生きた心地がしない」と言ったど。「何でか」と豆腐が聞くと、コンニャクは「毎日、今夜食う(コンニャク)、今夜食うっていわれるもの、生きた気がしない」と言ったんだと。どんとはれ」。
今日の足跡
最低気温14.2度、最高気温24.3度。早朝雨、のち晴れのち曇り。

○……わが家の庭でキンモクセイの花が咲き始めた。春に枝を大量に剪定したのに、すごくたくさんの花が付いたのは不思議。今朝は雨が降ったためか、全然香りがしない。
19日21時17分=2023年=
姥捨の棚田散策②
姥捨の棚田散策は観光案内所がある「千曲市日本遺産センター」に車を止めて、午前10時に出発した。まずは長楽寺からだ。
↓姥捨周辺「田毎の月」案内図

↓長楽寺山門

↓長楽寺境内の巨大な姥石(おばいし)

↓長楽寺境内の芭蕉翁面影塚

松尾芭蕉は長楽寺に4回訪れたそうで、「俤(おもかげ)や姨(おば)ひとりなく月の友」と詠んでいる。
境内の姥石は高さ15m、幅25m、奥行き25mもある。
長楽寺から少し下ると、棚田の中に大きな石があり、しめ縄で飾られている。これが姪石(めいし)である。
↓姪石

↓姪石付近の棚田(このあたりの棚田が一番美しい)


↓東屋付近の棚田

↓四十八枚田(田毎観音が見える)

再び姪石苑に戻り、今度は棚田の斜面を5分ほど上った。そこには東屋があり、棚田を眺めながら休憩できるようになっている。その後は車で四十八枚田を見た。棚田はすごく広かったが、主な所は回ることができた。ちょうど、草刈りの時期で、草刈り機の音が響いていた。
「姥捨の棚田」は2010年に国の重要文化的景観に選定されているだけあって、棚田一枚一枚がきれいに整備されていた。それぞれの棚田に耕作者と番号が付いていて、農道が整備され、観光者向けの看板も各地にあった。
2000枚もの棚田にどうやって水を供給しているかというと、棚田の上部に大池というため池があり、その水源は湧き水だという。
姥捨山は棚田の上部に行かないと見られない!
なお、冠着山(姥捨山)は棚田の上部に行かないと見ることができない。日本遺跡センターで聞いて再び、棚田の上部まで歩いたので疲れた。
↓棄老伝説で知られる冠着山(姥捨山)

姪石苑からさらに進んであたりで少し頂上が見え、さらに東屋付近か、その少し上に行かないと見えない。長野自動車道の姥捨SA付近の方が良く見えるかもしれない。
今日の
最低気温17.7度、最高気温24.4度。晴れ。
↓ニリンソウ

↓ヤマホタルブクロ

○……長楽寺にニリンソウとヤマホタルブクロの花が咲いていて、とてもきれいだった。
↓これがルパン三世「カリオストロの城」に出てくるスパゲティ(「パスタジャパン」サイトよりお借りしました)

◯……17日のブログで、「ひき肉団子のポルペッティーニとリコッタチーズのトマトソース」というスパゲティに「ルパン三世」という名が付いていたことについて、「なぜルパン三世なのかを聞くのを忘れた」と書いたところ、HAL9000さんが調べて教えてくださった。
映画「ルパン三世・カリオストロの城」に登場するスパゲティで、ルパン三世と仲間の次元大介が、イタリアのトスカーナ地方でミートボールの入ったスパゲッティを食べたという。この料理は、日本でも有名になり、多くのレストランで提供されるようになったという(知らなかった…)。
コメント欄にも書いたけれど、ここにも再掲した。
↓姥捨周辺「田毎の月」案内図

↓長楽寺山門

↓長楽寺境内の巨大な姥石(おばいし)

↓長楽寺境内の芭蕉翁面影塚

松尾芭蕉は長楽寺に4回訪れたそうで、「俤(おもかげ)や姨(おば)ひとりなく月の友」と詠んでいる。
境内の姥石は高さ15m、幅25m、奥行き25mもある。
長楽寺から少し下ると、棚田の中に大きな石があり、しめ縄で飾られている。これが姪石(めいし)である。
↓姪石

↓姪石付近の棚田(このあたりの棚田が一番美しい)


↓東屋付近の棚田

↓四十八枚田(田毎観音が見える)

再び姪石苑に戻り、今度は棚田の斜面を5分ほど上った。そこには東屋があり、棚田を眺めながら休憩できるようになっている。その後は車で四十八枚田を見た。棚田はすごく広かったが、主な所は回ることができた。ちょうど、草刈りの時期で、草刈り機の音が響いていた。
「姥捨の棚田」は2010年に国の重要文化的景観に選定されているだけあって、棚田一枚一枚がきれいに整備されていた。それぞれの棚田に耕作者と番号が付いていて、農道が整備され、観光者向けの看板も各地にあった。
2000枚もの棚田にどうやって水を供給しているかというと、棚田の上部に大池というため池があり、その水源は湧き水だという。
姥捨山は棚田の上部に行かないと見られない!
なお、冠着山(姥捨山)は棚田の上部に行かないと見ることができない。日本遺跡センターで聞いて再び、棚田の上部まで歩いたので疲れた。
↓棄老伝説で知られる冠着山(姥捨山)

姪石苑からさらに進んであたりで少し頂上が見え、さらに東屋付近か、その少し上に行かないと見えない。長野自動車道の姥捨SA付近の方が良く見えるかもしれない。
今日の足跡
最低気温17.7度、最高気温24.4度。晴れ。
↓ニリンソウ

↓ヤマホタルブクロ

○……長楽寺にニリンソウとヤマホタルブクロの花が咲いていて、とてもきれいだった。
↓これがルパン三世「カリオストロの城」に出てくるスパゲティ(「パスタジャパン」サイトよりお借りしました)

◯……17日のブログで、「ひき肉団子のポルペッティーニとリコッタチーズのトマトソース」というスパゲティに「ルパン三世」という名が付いていたことについて、「なぜルパン三世なのかを聞くのを忘れた」と書いたところ、HAL9000さんが調べて教えてくださった。
映画「ルパン三世・カリオストロの城」に登場するスパゲティで、ルパン三世と仲間の次元大介が、イタリアのトスカーナ地方でミートボールの入ったスパゲッティを食べたという。この料理は、日本でも有名になり、多くのレストランで提供されるようになったという(知らなかった…)。
コメント欄にも書いたけれど、ここにも再掲した。
07日21時57分=2023年=
上越の棚田巡り⑨ 大島上達の棚田
大島区上達(かみたて)は区の中央にあり、東は鍋立山を堺に十日町市松代に接し、西は上越市安塚区に接する。中央の低地には保倉川が流れている。

約100枚の棚田があり、どの田も比較的大きく、機械化に対応している。
↓棚田の位置
棚田巡りも後半に入った。旧上越市の正善寺と中ノ俣、安塚区のおぐろと樽田、名立区の中部地区と瀬戸・東飛田が残っている。
上越地区にも素晴らしい棚田があることがわかったが、やっぱり有名な棚田も見てみたい。石川県輪島市の「白米(しらよね)千枚田」や、千曲市姥捨の「田毎の月」も見てみたい。「田毎の月」が書物に現れるのは、戦国時代に越後の武将上杉謙信が川中島合戦の戦勝を祈願した願文が最初だという。
今日の
最低気温16.9度、最高気温25.7度。晴れ。
○……娘が数日前から帰省していて、久しぶりに居酒屋へ行ったり、すしを食べたり、買い物に行ったりした。
今日は妙高市雪森の「蔵人」ですしランチを食べ、上越市上中田の「パティスリーオラランティ」でケーキを買ってきて食べた。やっぱりおいしい店はなにを食べてもおいしい。料理人のセンスなのだろう。
↓蔵人のすしランチ

最初にお茶を持ってきたが、特徴的な柄のイギリスの「ウェッジウッド」のカップだった。1個2500円ほどするはずだ。一段とお茶の味がおいしく感じた。テーブルや椅子もしっかりした造りの高級なものだ。味もさることながら、店の雰囲気で美味しさが左右されるのは間違いない。

約100枚の棚田があり、どの田も比較的大きく、機械化に対応している。
↓棚田の位置
棚田巡りも後半に入った。旧上越市の正善寺と中ノ俣、安塚区のおぐろと樽田、名立区の中部地区と瀬戸・東飛田が残っている。
上越地区にも素晴らしい棚田があることがわかったが、やっぱり有名な棚田も見てみたい。石川県輪島市の「白米(しらよね)千枚田」や、千曲市姥捨の「田毎の月」も見てみたい。「田毎の月」が書物に現れるのは、戦国時代に越後の武将上杉謙信が川中島合戦の戦勝を祈願した願文が最初だという。
今日の足跡
最低気温16.9度、最高気温25.7度。晴れ。
○……娘が数日前から帰省していて、久しぶりに居酒屋へ行ったり、すしを食べたり、買い物に行ったりした。
今日は妙高市雪森の「蔵人」ですしランチを食べ、上越市上中田の「パティスリーオラランティ」でケーキを買ってきて食べた。やっぱりおいしい店はなにを食べてもおいしい。料理人のセンスなのだろう。
↓蔵人のすしランチ

最初にお茶を持ってきたが、特徴的な柄のイギリスの「ウェッジウッド」のカップだった。1個2500円ほどするはずだ。一段とお茶の味がおいしく感じた。テーブルや椅子もしっかりした造りの高級なものだ。味もさることながら、店の雰囲気で美味しさが左右されるのは間違いない。
05日22時32分=2023年=
800点の凧が展示されていた「しろね大凧と歴史の館」
6月3日に見に行った「白根大凧合戦」は、結局北風が吹かず、東西で揚げた凧をからませる合戦はできなかったそうだ。1日の初日は合戦ができたそうだが、4日もだめだったという。要するに単なる凧揚げになってしまったのは残念。今日5日は最終日だ。
凧揚げを見ているのに飽きてきたので、シャトルバスで「しろね大凧と歴史の館」の駐車場へ戻り、展示を見ることにした。ところが、この施設がなかなか素晴らしかった。大凧合戦で使った凧の実物展示や、江戸中期から300年も続く歴史を振り返る展示のほか、日本各地や世界の凧の数々の展示が素晴らしい。その数、なんと800点。


↓優勝旗と凧

合戦用の凧は、1階の大凧ホールに展示されており、川中島の戦いの上杉謙信を描いたものや、江戸の役者絵など図柄が素晴らしい。24畳の大きさの凧の迫力には圧倒される。
↓各地の凧

↓楽しい明石凧

↓川中島合戦の謙信描いた甲府の凧

↓上杉謙信三条凧

↓見附の謙信凧

大凧は縦7m、横5mで、広さは24畳相当という巨大なものだ。和紙324枚を使って作るという。重さは50kgもあり、30mの縄を42本付けて、総勢30~40人で引っ張るのだ。合戦会場ではじっくり凧を見ることができないので、こういった施設は大凧の素晴らしさを再認識させてくれる。
新潟市に来たら、ぜひ見てもらいたい施設だ。
◇所在地:新潟市南区上下諏訪木1770-1
◇電話:025-372-0314
◇入場料:一般400円、高校生以下200円
◇定休:第2、第4水曜休館
今日の
最低気温13.2度、最高気温27.9度。晴れ。

○……土産に買ってきた新潟名物「横綱」の鶏の半身揚げ。冷凍してあって、電子レンジで簡単に調理ができる。皮はカリッとしていて、肉はジューシー。カレーの風味もいい。保冷剤が入っていて、5時間は大丈夫だと言われた。お土産に最適な一品だ。
食べる前に写真を撮るのを忘れた。
凧揚げを見ているのに飽きてきたので、シャトルバスで「しろね大凧と歴史の館」の駐車場へ戻り、展示を見ることにした。ところが、この施設がなかなか素晴らしかった。大凧合戦で使った凧の実物展示や、江戸中期から300年も続く歴史を振り返る展示のほか、日本各地や世界の凧の数々の展示が素晴らしい。その数、なんと800点。


↓優勝旗と凧

合戦用の凧は、1階の大凧ホールに展示されており、川中島の戦いの上杉謙信を描いたものや、江戸の役者絵など図柄が素晴らしい。24畳の大きさの凧の迫力には圧倒される。
↓各地の凧

↓楽しい明石凧

↓川中島合戦の謙信描いた甲府の凧

↓上杉謙信三条凧

↓見附の謙信凧

大凧は縦7m、横5mで、広さは24畳相当という巨大なものだ。和紙324枚を使って作るという。重さは50kgもあり、30mの縄を42本付けて、総勢30~40人で引っ張るのだ。合戦会場ではじっくり凧を見ることができないので、こういった施設は大凧の素晴らしさを再認識させてくれる。
新潟市に来たら、ぜひ見てもらいたい施設だ。
◇所在地:新潟市南区上下諏訪木1770-1
◇電話:025-372-0314
◇入場料:一般400円、高校生以下200円
◇定休:第2、第4水曜休館
今日の足跡
最低気温13.2度、最高気温27.9度。晴れ。

○……土産に買ってきた新潟名物「横綱」の鶏の半身揚げ。冷凍してあって、電子レンジで簡単に調理ができる。皮はカリッとしていて、肉はジューシー。カレーの風味もいい。保冷剤が入っていて、5時間は大丈夫だと言われた。お土産に最適な一品だ。
食べる前に写真を撮るのを忘れた。
03日23時03分=2023年=
初めて見る白根大凧合戦 西風のため合戦にはならず
江戸時代中期に起源を持つ「白根大凧合戦」を見てきた。凧は1枚が24畳という大きさ。会期中に300枚の大凧が揚がる。味方側と白根側の双方から凧を揚げ、空中でからませて相手の凧糸が切れるまで引っ張る迫力のある合戦だ。

1~5日までの5日間行われ、昨日2日は雨のため中止になった。今日はすっきり晴れ上がり、盛大に大凧合戦が行われると思っていた……。開戦時間は午後1時からだ。
駐車場はあちこちにあるが、最低10分ほど歩く必要がある。今回は「しろね大凧と歴史の館」の駐車場に止めた。ここから無料シャトルバスが出ているからだ。
会場に到着したら、どこで見たらいいのだろう。凧合戦は信濃川の支流である中ノ口川の左岸と右岸で行われる。両岸から凧を揚げ、空中でからませて合戦を行う。
観戦する場所はいろいろチョイスできる。白根側には有料観覧席(180席)がある。無料で観覧できるのは白根橋や凧見橋の上、白根橋近くの観覧席、堤防両側にある無料観覧席、堤防脇にも無料立見席もある。そのほか、観覧船というのがあって、200円を払うと川に浮かぶ船の上から見ることができる。
初めてで分からないので、地元のおばちゃんに聞いたら「観覧船が一番」という。たしかに、両岸から揚がる凧を川の真ん中から見ることができる。料金も200円と安い。
↓観覧船

それで観覧船に陣取ったわけだが、凧合戦は北風が吹かないとできないそうだ。中ノ口川は南北に流れているので、当然だろう。
今日は西風だという。そのため、凧合戦にはならず、凧は西側に集まって揚げるしかない。凧合戦というより、単なる凧揚げだ。
そうなると、観覧船からは凧の裏側しか見られない。せっかく200円払ったのに船からの鑑賞は諦め、白根橋を渡って西側(味方側)の立見席に陣取ってみることにした。
↓動画1
↓動画2
24畳の大凧の迫力をすぐ眼の前で見られたし、凧を若衆が引っ張って揚げる様子も見られた。


高田にスキーを伝えたレルヒ少佐(そのときは中佐)も、この大凧合戦を見て感動し、優勝旗を寄贈したという。合戦は見られなかったが、とても楽しかった。
今夜は花火大会があったが、夜の運転は苦手のため、明るいうちに白根を後にした。
今日の
最低気温16.4度、最高気温20.9度。晴れ。

○……和田寺町の「たこ焼きショップ」のお気に入りは、「ネギだしじょう油たこ焼き」。だしじょう油が別添えになっていて、ネギもたっぷり入っている。
これからは「冷やしたこ焼き」もおいしい。

1~5日までの5日間行われ、昨日2日は雨のため中止になった。今日はすっきり晴れ上がり、盛大に大凧合戦が行われると思っていた……。開戦時間は午後1時からだ。
駐車場はあちこちにあるが、最低10分ほど歩く必要がある。今回は「しろね大凧と歴史の館」の駐車場に止めた。ここから無料シャトルバスが出ているからだ。
会場に到着したら、どこで見たらいいのだろう。凧合戦は信濃川の支流である中ノ口川の左岸と右岸で行われる。両岸から凧を揚げ、空中でからませて合戦を行う。
観戦する場所はいろいろチョイスできる。白根側には有料観覧席(180席)がある。無料で観覧できるのは白根橋や凧見橋の上、白根橋近くの観覧席、堤防両側にある無料観覧席、堤防脇にも無料立見席もある。そのほか、観覧船というのがあって、200円を払うと川に浮かぶ船の上から見ることができる。
初めてで分からないので、地元のおばちゃんに聞いたら「観覧船が一番」という。たしかに、両岸から揚がる凧を川の真ん中から見ることができる。料金も200円と安い。
↓観覧船

それで観覧船に陣取ったわけだが、凧合戦は北風が吹かないとできないそうだ。中ノ口川は南北に流れているので、当然だろう。
今日は西風だという。そのため、凧合戦にはならず、凧は西側に集まって揚げるしかない。凧合戦というより、単なる凧揚げだ。
そうなると、観覧船からは凧の裏側しか見られない。せっかく200円払ったのに船からの鑑賞は諦め、白根橋を渡って西側(味方側)の立見席に陣取ってみることにした。
↓動画1
↓動画2
24畳の大凧の迫力をすぐ眼の前で見られたし、凧を若衆が引っ張って揚げる様子も見られた。


高田にスキーを伝えたレルヒ少佐(そのときは中佐)も、この大凧合戦を見て感動し、優勝旗を寄贈したという。合戦は見られなかったが、とても楽しかった。
今夜は花火大会があったが、夜の運転は苦手のため、明るいうちに白根を後にした。
今日の足跡
最低気温16.4度、最高気温20.9度。晴れ。

○……和田寺町の「たこ焼きショップ」のお気に入りは、「ネギだしじょう油たこ焼き」。だしじょう油が別添えになっていて、ネギもたっぷり入っている。
これからは「冷やしたこ焼き」もおいしい。
02日22時09分=2023年=
棚田巡り⑧ 大島菖蒲東の棚田
菖蒲高原の近くだが、比較的平らな部分に広がる棚田。142枚の棚田があり、田んぼはけっこう大きなものが多い。トラクターを入れるには便利だろう。

この場所は保倉川の源流で、水は豊富だという。
ここから菖蒲高原へ向かって進むと見晴台があり、蓮野の棚田を展望できる。蓮野の棚田は大島菖蒲東の棚田の下方にある。
棚田カードは大島区総合事務所に行くと、区内の3か所のカードが貰え、一気にカードが増える。
これで16か所ある上越市の棚田の半分を回ったことになる。
今日の
最低気温17.0度、最高気温21.2度。雨。

○……カップヌードルのシーフードパエリア。パッケージデザインは素晴らしいんだけれど、味にパエリアらしさは何もない。
HIKAKINがプロデュースしたカップ麺「みそきん」は、発売初日の5月9日に売り切れてしまった。いつ、再販するかと思っていたら、8月半ばだという。「濃厚味噌メシ」はまだ食べていないので、ぜひ食べたい。
カップヌードルのパエリアも、ご飯タイプにしたらいいと思う。

この場所は保倉川の源流で、水は豊富だという。
ここから菖蒲高原へ向かって進むと見晴台があり、蓮野の棚田を展望できる。蓮野の棚田は大島菖蒲東の棚田の下方にある。
棚田カードは大島区総合事務所に行くと、区内の3か所のカードが貰え、一気にカードが増える。
これで16か所ある上越市の棚田の半分を回ったことになる。
今日の足跡
最低気温17.0度、最高気温21.2度。雨。

○……カップヌードルのシーフードパエリア。パッケージデザインは素晴らしいんだけれど、味にパエリアらしさは何もない。
HIKAKINがプロデュースしたカップ麺「みそきん」は、発売初日の5月9日に売り切れてしまった。いつ、再販するかと思っていたら、8月半ばだという。「濃厚味噌メシ」はまだ食べていないので、ぜひ食べたい。
カップヌードルのパエリアも、ご飯タイプにしたらいいと思う。
31日16時09分=2023年=
棚田巡り⑦ 吉川区「川谷もよりの棚田」
朝から吉川区へ棚田巡りに出た。だが、なかなか棚田の場所が分からず、昼食を食べたスカイトピア遊ランドで地図をもらって、なんとかたどり着いた。もう1か所、「大賀の棚田」は、途中で工事中のため通行止めで断念した(反対側から回れば行けそうだけれど)。がけ崩れなのだろうか。
正式な棚田の呼称は「川谷もより棚田群」という。QRコードで読み取ったGoogle Mapの案内で車を進めてみたが、どうしてもたどり着かない。スカイトピア遊ランドに戻って、昼食を食べ、地図をもらった。遊ランドで棚田カードをもらう予定だったが、品切れだという。この分だと総合事務所へ行ってもなさそうだ。


なんとかなるだろうと思って車を走らせたが、所々で電波が弱く、スマホのGoogle Mapが機能しない。何回も同じ場所を通って、なんとかそれらしき場所に到着した。棚田があるのは上川谷、下川谷、石谷で、棚田の面積は34.7haある。
↓すごい段差の棚田

ここの棚田はずいぶん急な斜面に作られている。畦の段差が3m以上ある場所もある。どうやって水漏れがしないように手入れをしているのだろう。
今日の
最低気温14.6度、最高気温22.4度。曇りときどき晴れ。

○……スカイトピア遊ランドで食べた天ぷらそば(1200円)はおいしかった。そばは黒っぽくて風味があり、腰が強い。つなぎは何を使っているのだろう。この日はパラグライダーも飛んでいた。飛ぶところを見ようと行ってみたが、既に誰もいなかった。
正式な棚田の呼称は「川谷もより棚田群」という。QRコードで読み取ったGoogle Mapの案内で車を進めてみたが、どうしてもたどり着かない。スカイトピア遊ランドに戻って、昼食を食べ、地図をもらった。遊ランドで棚田カードをもらう予定だったが、品切れだという。この分だと総合事務所へ行ってもなさそうだ。


なんとかなるだろうと思って車を走らせたが、所々で電波が弱く、スマホのGoogle Mapが機能しない。何回も同じ場所を通って、なんとかそれらしき場所に到着した。棚田があるのは上川谷、下川谷、石谷で、棚田の面積は34.7haある。
↓すごい段差の棚田

ここの棚田はずいぶん急な斜面に作られている。畦の段差が3m以上ある場所もある。どうやって水漏れがしないように手入れをしているのだろう。
今日の足跡
最低気温14.6度、最高気温22.4度。曇りときどき晴れ。

○……スカイトピア遊ランドで食べた天ぷらそば(1200円)はおいしかった。そばは黒っぽくて風味があり、腰が強い。つなぎは何を使っているのだろう。この日はパラグライダーも飛んでいた。飛ぶところを見ようと行ってみたが、既に誰もいなかった。
24日21時01分=2023年=
棚田巡り⑥ 菖蒲高原から見下ろす大島区「蓮野の棚田」
棚田は見下さなければ美しくない。棚田の下の方から上を見上げると、畦は見えるが水面が見えない。棚田は見下ろすに限る。「蓮野の棚田」は、まさに見下ろす棚田。水を張った棚田が美しい。
↓「蓮野の棚田」

「蓮野の棚田」は、堀切川に添って県道348号を菖蒲高原に向かって車を走らせると、菖蒲高原の手前に見晴台がある。菖蒲高原ベルハウスの約500m手前だ。
棚田を見下ろす方向は北で、ちょうど米山が遠くに見える。約70枚の棚田には水が張られ、反射して美しい。まさに棚田の美である。ここも夕日が美しいと思う。
棚田カードは「菖蒲東の棚田」「上達の棚田」とともに、3種類を大島区総合事務所でもらえる。
途中で飯田邸に立ち寄ったが、普段は開いていない。
↓棚田の場所(見る場所ではない)
今日の
最低気温11.1度、最高気温18.9度。晴れ。
○……今日は妙高山に雪が降った。富士見平より上が白くなったという。「山の字」の雪形が出ていたはずだが、雪で形が崩れているだろう。
富士山も雪で中腹まで雪化粧をしたという。今日はきれいだろうな。
↓「蓮野の棚田」

「蓮野の棚田」は、堀切川に添って県道348号を菖蒲高原に向かって車を走らせると、菖蒲高原の手前に見晴台がある。菖蒲高原ベルハウスの約500m手前だ。
棚田を見下ろす方向は北で、ちょうど米山が遠くに見える。約70枚の棚田には水が張られ、反射して美しい。まさに棚田の美である。ここも夕日が美しいと思う。
棚田カードは「菖蒲東の棚田」「上達の棚田」とともに、3種類を大島区総合事務所でもらえる。
途中で飯田邸に立ち寄ったが、普段は開いていない。
↓棚田の場所(見る場所ではない)
今日の足跡
最低気温11.1度、最高気温18.9度。晴れ。
○……今日は妙高山に雪が降った。富士見平より上が白くなったという。「山の字」の雪形が出ていたはずだが、雪で形が崩れているだろう。
富士山も雪で中腹まで雪化粧をしたという。今日はきれいだろうな。