06日09時15分=2019年=
「妙高市小出雲」と出雲国(島根県)のつながり②
新潟日報の2016年5月13日に掲載された「出雲文化の分岐点―越佐から内陸へ」が、ネットの「八雲の空 岡本雅享の出雲学」(http://izumo-studies.info/essay/etsusa_and_izumo/7_izumobunka)に転載されている。

「越佐は日本海沿岸を北上してきた出雲文化が、内陸に折れて信濃や会津へ向かう分岐点でもある。その一つ、居多神社が鎮座する直江津から関川水系を遡ると、信濃へ向かう川・道筋に出雲町―大己貴社―斐太(ひだ)神社―小出雲(おいづも)など、出雲地名と出雲大神を祭る古社が連なる」と紹介している。
高田に「出雲町」があるとは知らなかった。今の上越市南本町1丁目で、その小字「出雲」として残っている。南本町1丁目には「出雲町」の標柱があるそうだ。
「正徳年間(1711~16年)の高田町各町記録には、出雲町の地名由来は不明とあるが、出雲や伊勢が地名となる場合、産土神に由来するのが一般的だ」と由来を書いている。
高田から北国街道を進むと、石沢に出る。昔の街道の雰囲気が残っている集落だ。石沢には出雲大社がある。「初代祭主の宮崎沢七は明治13年、徒歩で出雲大社まで参詣して分社を発願、御札と龍蛇神を授かって帰郷した」という。
↓出雲大社の全面改築の記事(上越よみうりより)

その大社が2015年8月、建立130年を迎えて全面改築された。
さて、小出雲の産土神である加茂神社は、斐太神社の末社で、「加茂神社は出雲の賀茂、出雲から来て創建した社」だという。
↓妙高市の小出雲坂

さて、小出雲には、北国街道の小出雲坂がある(今は上越市中郷区)。かつて『越後見納め小出雲坂よ。ほろと泣いたをなんじ忘られよ』と里歌にも歌われたように、この場所が高田平野を一望できる最後の場所だった。狭くて急な坂だが、旧街道の雰囲気が残っている。現在の展望は良くない。
↓飯山市の「小出雲バス停」

さらに「信越国境の関田(大明神)峠に至る。そこから約8㎞先の旧温井(ぬくい)村(現飯山市一山(いちやま))にも小出雲がある。近世は温井村の枝村で、明治半ば頃まで地元では小出雲村と呼び続けた」という。
↓出雲市にある古志大橋

古志から出雲に行って住み着いた人々が、出雲に「古志」の地名を付けたというなら、今も残っている「小出雲」は、出雲から来た人々が住み着いた証かもしれない。
【ブログ内記事】
◇「小出雲坂」ってどこにあるの?(2014年7月23日)
http://8446.blog79.fc2.com/blog-entry-2470.html
今日の足跡
最低気温2.1度、最高気温16.8度。曇り。

〇……「特ダネ!」を見ていたら、日本男性最高齢で、上越市在住の渡邉智哲さんが、生出演していた。ちゃんと質問に対して答えていたのがすごい。前のオリンピックについても、覚えていた。女性の最高齢の福岡県の田中カ子さんは116歳だから、4歳の差がある。

〇……キーマカレーを作った。ひき肉と野菜がたくさん入っている。かなりおいしくできた。先般、ぶらんカフェで食べたグリーンカレーの盛り付けを参考にしてみた。

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05日22時10分=2019年=
「妙高市小出雲」と出雲国(島根県)のつながり①
先般、NSTのNST開局50周年記念特別番組で「越後と出雲〜太古のロマン 時を超えて〜」というのをやった。見逃していた番組だったが、ようやく再放送(1月20日)で見ることができた。
というのも、私が住んでいる妙高市田町は、もともと小出雲村であり、昔の本籍でもあった。「小出雲」を「おいづも」と読む難読地名であり、歴史を感じる地名だと思っていた。だが、出雲大社の「出雲」と関連があるとは知らなかった。
平成18年に発行された『小出雲今昔』という郷土史誌には、出雲との関連については書かれていない。
『新潟県の地名』を見ると、天正6年(1578年)の『景勝一代略記』に「頸城郡大出雲原」と記されているのが初出。その前、寛治3年(1089年)のものを書き写したとされる『往昔越後国之図』には「小出嶋」とあるが、これが「小出雲」と考える説もあるという。
ともあれ、旧小出雲村は、現在の田町1~3丁目、小出雲1~3丁目、広田町、学校町、経塚町、渋江町、末広町である。
まずは、テレビ番組の内容を紹介したい。番組では出雲や糸魚川、三条などのロケを通じ、壮大な歴史を解き明かしていく。越後国(新潟)と出雲国(島根)は直線で600m離れているが、太古の時代に深い関係があったとは驚きだ。
↓案内役は北原里英さんと、佐野史郎さん

ナビゲーターは北原里英さん(NGT48の元キャプテン)と、佐野史郎さん(島根県出身)。
↓出雲で出土した糸魚川産のヒスイ

↓出雲風土記に「古志国の人が来て堤防を築いた」と書かれている



出雲大社は国造りをした大国主神がまつられている。大国主神は、古志国の奴奈川姫の元へはるばる求婚に来たと「古事記」に書かれている。その出雲大社の近くから、糸魚川産のヒスイの勾玉が出土している。両者の交流があった証である。そのような、つながりの痕跡がたくさん残されているという。
↓古志大橋

出雲国には、「古志」と言う地名がある。古文書には「堤防を作って住み着き、古志という地名を付けた」と残されている。
↓たたら製鉄を再現した施設

このように、古志国からは稲作や酒造りの技術が出雲に伝えられ、出雲からは最先端の科学技術である「製鉄」が伝えられた。
出雲の製鉄は「たたら製鉄」という日本古来の製鉄技術である。その製鉄法が刃物や銀食器など金属加工で知られる三条に伝えられた。製鉄する際に空気を送るふいごの吹き出し口の形状が出雲と同じだという。三条・燕では、いまも鉄を島根県の製鉄所から買っているというから驚きだ。
出雲大社の拝殿では「二礼四拍手」で参拝するが、新潟にある弥彦神社も同じ「二礼四拍手」というのは何かのつながりを感じる。
出雲とのつながりは「出雲崎」という地名にもありそうだ。
↓出雲大社に上越市の川崎日香里さんの作品が奉納された


今日の足跡
最低気温4.0度、最高気温11.6度。曇り。

〇……朝ドラの影響で、チキンラーメンが人気。先般、買ってきたので、何十年ぶりかでチキンラーメンを食べてみた。
卵ポケットがついていて、生卵を入れてお湯をかけるようになっている。熱湯を白身に少しずつかけるのがコツらしい。やってみたら、きれいにできた。久しぶりに食べたら、とてもおいしかった。

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05日22時16分=2018年=
火打山の「種まき爺さん」


妙高三山の一つ、火打山。標高2462mで、日本百名山の一つ。『越後土産(二編)』の越後の山の番付で、下位の前頭三段目に入っている。
越後三山の中では、最も最後まで雪が残っている。だから、その山頂近くに出る雪形「種まき爺さん」も、上越地方の雪形の中では最も遅く出現する。
爺さんは編み笠をかぶり、着物を着ている。横を向き、両手で種まきをしている。妙高市の広い範囲で伝承がある。
1週間ほど前に撮影した写真で、今は体が太目になってきた。今年は1週間以上、出現が早いだろうか。
火打山の名前の由来は江戸時代の『越後野志』にあるという。「難波山の南、妙高山の北にて両山の中間に在り、数峰の嶮厳並び列れり、宛も燧石を並べ立つるが如し、故に名付くと云う」。なるほどね。山が尖っているもの。
今日の足跡
最低気温14.7度、最高気温29.2度。晴れのち曇り。ランニング7.1km。

○……テレビでやっていた問題。馬は「さくら」、イノシシは「ぼたん」、鶏は「かしわ」、鹿は「もみじ」という別名があったのに、豚や牛はないのはなぜか。
豚や牛は江戸時代、食用ではなかったという。この4つの肉だけ食べられていたという。
ではなぜ、別名ができたのか。これは分かったね。江戸幕府五代将軍、綱吉の「生類憐みの令」である。
公に肉が食べられなくなって、肉を出していた店は薬屋に商売替えする。肉を薬として食べるのは良かったのだ。
それで肉の暗号として、さくらやぼたんなどが生まれたという。もみじは花札が起源らしい。

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19日16時58分=2018年=
妙高の雪形「跳ね馬」の見ごろ
↓はね馬大橋から見た妙高山。跳ね馬は妙高のど真ん中に見える

上越市、妙高市の市街地から妙高山のど真ん中に見える雪形「跳ね馬」の形が整い、見ごろを迎えている。
例年は、跳ね馬の胴体部分の雪が消え、角(耳)がはっきり出るのはゴールデンウイークの少し前。今年は雪消えが早めで、例年よりも跳ね馬の出る時期が早かったような気がする。
跳ね馬は、その名が付いた「はね馬大橋」から見るのが定番。矢代川の流れとのコントラストが美しい。



跳ね馬が妙高のど真ん中に見え、かつ、一番大きく見えるのは中郷区岡沢周辺。跳ね馬大橋から見た写真と比べると、ずいぶん大きいことが分かる。

ちょうど農作業をしていた方がいたので、声をかけて写真を撮らせてもらった。跳ね馬は昔、春耕の目安だったので、農作業と跳ね馬の組み合わせを狙った。耕運機じゃなくて、鍬だったら最高だったのだが。
今日の足跡
最低気温6.6度、最高気温20.0度。晴れ。

○……週刊文春は首都圏では今日発売だが、新潟県は明日。でも「dマガジン」では読めてしまう。これだもの、売れなくなるわけだな。米山県知事がエリートの道から転落した。「政治家」というより「性事家」だったかな。「公職」につくよりも「好色」についた方が良かったかも。人間なにがあるか、分からない。

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14日22時34分=2017年=
信濃町の方言菓子「こずくまんじゅう」
信濃の方言に「ずく」というのがある。「根気」とか「やる気」「気力」の意味で、長野県を代表する方言と言われている。長野から近い上越地方でも使われていて、“ずく”がない人のことを“ずくなし”なんて言う。
“根気”やら“やる気”では表現できない微妙なニュアンスがあるので、現代まで生き残ってきたのかもしれない。
↓こずくまんじゅう


先般、小林一茶の故郷、長野県信濃町へ行った折、古間にある「菓子庵まつりや」に立ち寄って、「こずくまんじゅう」を買った。茶色の皮はもちもちしてやわらかく、黒糖の香りが何とも言えない。中身は甘さすっきりのこし餡。12個入り1250円。1個100円でばら売りもしている。
それで、この「こずく」だけれど、上越では聞いたことがない。ずくにも大小があるのだろうか。「こ」は「小さい」という意味じゃなくて、接頭辞なのじゃないかな。「こ憎たらしい」「こぎれい」「こむずかしい」「こうるさい」「こぎたない」の「こ」のような気がする。

以前は「おおさわ製菓」だったが、いつの間にか「まつりや」に店名が代わっていた。今年4月からのようだ。店は国道18号沿いで、しまむら信濃町店の南東側にある。駐車場も広い。
◇電話:026-255-2115
◇長野県上水内郡信濃町古間825
◇9時~19時30分
◇無休
今日の足跡
最低気温0.3度、最高気温3.0度。高田の積雪29cm。新井消防署32cn。

○……フィギュアスケートの浅田真央さんが10日に行われたホノルルマラソンを完走したという。初めてのフルマラソンだったが、4時間34分13秒だったという。さすがだと思う。麻央さんが完走メダルを手に微笑んでいる写真がネットに出ていたけれど、いまの完走メダルはすごく豪華になっていた!
ブログでホノルルマラソンに出ることを宣言していたんだね。大会の様子は2018年1月13日の午後4時からTBS系列で放送されるそうだ。新潟県ではBSNだ。今からじゃ、番組予約はできないな。

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06日13時23分=2017年=
残しておきたい新潟県の方言「しかも」と「くどく」

4日夜に放送されたテレビ番組「日本語学者・金田一が選んだ“絶対に残したい方言”ベスト25」はおもしろかった。
“残したい方言”だけれども、“おもしろい方言”でもある。
その25の中で、新潟県が2つあった。


一つは、新潟市の方言で13位。万葉集にも出てくる古い方言だという。「いっぱい」のことを「しかも」という。魚釣りに行ってきて「たまたましかも釣っちゃった」と言われ、「鹿も釣ってきたの?」と勘違いされる話だ。


もう一つは十日町で、第8位だった。「愚痴る」ことを「くどく」という方言だった。鎌倉時代に使われていた古語が元の方言だという。女性が「くどいちゃって(愚痴っちって)いいですか」と言うと、いろいろ誤解されるようだ。
上越の方言がなかったのは残念。これは高田の方言てぬぐい。「バラコクタイ」「ジョンノビ」あたりが入れば良かったかな。
↓高田の方言てぬぐい

それから、群馬県片品村では、「かき回す」ことを「かんまーす」と言うと紹介された。上越地域では「かんもす」。似ている方言もあるものだ。

今日の足跡
最低気温10.1度、最高気温21.9度。快晴のち曇り。ランニング、6.8 km。
↓ブタナ

○……いま関川の河川敷に咲いているこの花はブタナという。ブタとはひどいと思う。こんなきれいな花なのに。

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12日22時45分=2017年=
角出せ、槍出せカタツムリ

梅雨入りが間近いのだろうか。家の近くでコンクリート舗装の道路を横断するカタツムリがいた。
朝、ランニングのために家を出たが、カタツムリを写真に撮ろうと家に戻ってスマホで撮影した。道路やブロック塀など、コンクリートの上にいることが多いのは、殻を維持するためのカルシウムを摂取するためのようだ。
新潟県はカタツムリ圏

真田信治著の「方言の日本地図」によると、カタツムリは柳田国男が「蝸牛考」で唱えた方言集圏論に基づく方言分布は上の図の通りである。京から言葉が輪のように広がっていく。ナメクジが一番古い呼び方だ。
これによると、新潟県の大部分は「カタツムリ」で、下越が一部で「ツブリ」となっている。しかし、カタツムリは県内の多くで「ダイロ」と呼ばれていた。
岩室甚句では「蝸牛(だいろ)ヤァー/蝸牛/蝸牛/角出せ蝸牛/角を出さぬと/曽根の代官所へ/申し上げるが/いか蝸牛」とうたっている。
私が子供の頃、カタツムリと呼んでいたが、古老などはダイロとも言っていたことを思い出す。
ダイロの語源は「出ろ」だろうな。「角出せ、槍出せ」の「出ろ」である。
今日の足跡
最低気温15.2度、最高気温24.2度。曇り、日中は晴れ。

○……ローソンの「玉子かけ風ごはん」(120円)。なんとおにぎりである。まさにごはんの中に、とろりとした卵が入っていた。海苔は味付け海苔になっていた。おいしいことはおいしいが。

○……今年の初ワラビ。とても柔らかくておいしかった。

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24日20時34分=2015年=
「跳ね馬」をデザインしたマンホールの蓋

今日は平日休みだったので、中郷区の二本木駅までランニングしてきた。小出雲坂を駆け上がったとき、足元のマンホールに気がついた。なんと、中郷区のマンホールのデザインは桜の花と、妙高山の跳ね馬がデザインされていたのだった。

中郷区では関山の歩道橋に跳ね馬がデザインされているが、マンホールまでは気が付かなかった。

ちなみに、跳ね馬の雪形が一番美しく見えるのは、中郷区岡沢だと思う。跳ね馬が妙高山の中央に出現し、その形が大きくて美しいのだ。
最低気温8.1度、最高気温16.9度。晴れのち雨。
今日は休みだったので一日、読書の日。積ん読になっていた3冊を読破できた。夜は1本、映画を見ようかな。

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18日16時57分=2015年=
「山」の雪形入りの「阿弥陀如来三尊像」版画
今日、明日は妙高山にまつわる密教とも深いつながりがある関山神社の祭礼の日。台風が近づいているので、小雨が降る天候だたが、休みと重なったので1200年以上の伝統がある祭りにでかけてきた。
↓関山神社の神事

でも今回は「仮山伏の棒使い」が主眼ではなく、このほど関山の民家から発見された「阿弥陀如来三尊像」の版画を見るのが主目的である。
江戸時代の妙高登山は、毎年旧暦の6月23日早朝と決まっていて、これ以外の登山は宝蔵院(明治時代に神仏分離で廃絶)で原則禁止されていた。登山する場合は事前に宝蔵院から許可が必要で、それには先達(各集団のリーダー)が宝蔵院に挨拶に行き、神前に初穂料や供物を献上すれば、守札・阿弥陀如来御影を渡し許可したという。
昔、妙高山の山頂には阿弥陀堂があり、そこに阿弥陀三尊像が安置されていた。明治元年(1868年)から始まる神仏分離政策により、三尊像は山頂から下ろされ、関山神社近くに建立された妙高堂に安置された。阿弥陀如来御影というのはこの三尊像である。
注目すべきは、妙高登山の許可証でもあるこの版画は、妙高山の代表的な雪形「山」の上に阿弥陀三尊像が鎮座するというデザインである。「山」の雪形は山頂付近にあり、その上に三尊像があるということは、山頂に三尊像があった証でもある。絵の下方には「寛保3年(1743年)・最鎮刻之」と書かれている。最鎮は宝蔵院の10世院主だという。つまり、江戸時代中期に刷られた版画である。
↓発見された「阿弥陀如来三尊像」と「山の雪形」が描かれた版画

この版画は、最初に神事が行われた関山神社に、解説付きで展示されていた。歴史的資料としても貴重だが、江戸時代中期の雪形資料としても、「山」の雪形が信仰と関係していたことが分かる一級品である。
↓仮山伏の棒使い


最低気温23.2度、最高気温28.7度。曇り時々雨。
台風11号は熱帯低気圧になったようだ。北陸地方が大した影響がなかったが、今後吹き返しの風があるのだろうか。
次には12号台風も近づいていて、油断できない。

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↓関山神社の神事

でも今回は「仮山伏の棒使い」が主眼ではなく、このほど関山の民家から発見された「阿弥陀如来三尊像」の版画を見るのが主目的である。
江戸時代の妙高登山は、毎年旧暦の6月23日早朝と決まっていて、これ以外の登山は宝蔵院(明治時代に神仏分離で廃絶)で原則禁止されていた。登山する場合は事前に宝蔵院から許可が必要で、それには先達(各集団のリーダー)が宝蔵院に挨拶に行き、神前に初穂料や供物を献上すれば、守札・阿弥陀如来御影を渡し許可したという。
昔、妙高山の山頂には阿弥陀堂があり、そこに阿弥陀三尊像が安置されていた。明治元年(1868年)から始まる神仏分離政策により、三尊像は山頂から下ろされ、関山神社近くに建立された妙高堂に安置された。阿弥陀如来御影というのはこの三尊像である。
注目すべきは、妙高登山の許可証でもあるこの版画は、妙高山の代表的な雪形「山」の上に阿弥陀三尊像が鎮座するというデザインである。「山」の雪形は山頂付近にあり、その上に三尊像があるということは、山頂に三尊像があった証でもある。絵の下方には「寛保3年(1743年)・最鎮刻之」と書かれている。最鎮は宝蔵院の10世院主だという。つまり、江戸時代中期に刷られた版画である。
↓発見された「阿弥陀如来三尊像」と「山の雪形」が描かれた版画

この版画は、最初に神事が行われた関山神社に、解説付きで展示されていた。歴史的資料としても貴重だが、江戸時代中期の雪形資料としても、「山」の雪形が信仰と関係していたことが分かる一級品である。
↓仮山伏の棒使い


最低気温23.2度、最高気温28.7度。曇り時々雨。
台風11号は熱帯低気圧になったようだ。北陸地方が大した影響がなかったが、今後吹き返しの風があるのだろうか。
次には12号台風も近づいていて、油断できない。

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18日22時05分=2015年=
新潟県内の方言の本 2冊

新潟県内で昨年から今年にかけて2冊の方言の本が自費出版された。2冊ともA4判360ページ前後の大冊である。
「ふるさとことば事典 改訂版」は、村上市上海府築の方言3500語を集めた事典。著者は元教員の本間陽一さんで、20年以上かけて調べたという。見出し語の下に品詞が入り、豊富な用例のほか、同義語、反対語なども収録されている。「参考事項」として、文化的背景やニュアンス、説明などが書かれている。付録として山菜や動物、魚の呼び名などがまとめられている。平成20年に初版を発行し、今回出版した本は60ページほどを加えて改訂版としたという。
「保倉の言葉」は、上越市の旧大島村保倉地区に生まれた中村三郎さんが、故郷の方言をまとめた。20年も前に書き上げ校正を重ねている最中、印刷会社が倒産し原稿が行方不明になっていたという。中村さんは、本を見ることなしに平成7年11月に亡くなった。方言集は、長男の中村正紀さんと、五女の小宮絹江さんが、復刻し出版したものだ。方言集だけではなく、挨拶言葉、会話例が豊富に収録されているのに価値がある。付録として盆踊り唄、保倉甚句、子供の遊び唄なども収録されている。
最近は方言のLINEスタンプが出るなど、方言は古臭いというより、一種の個性として認められてきていると思う。そのような風潮の中、方言辞典が出版されるのは、とても大事なことだと思う。
最低気温20.1度、最高気温30.4度。曇り。

先ほどテレビ番組「プレバト!」に、63歳のあべ静江が出ていた。昔の「抱きしめると折れてしまいそうな」イメージとまったくかけ離れた彼女がそこにいた。顔も体も別人だ。青春の思い出を壊してほしくない。
あべ静江は以前、食事制限なし、運動なし、リバウンドなしの「あべ流ダイエット」をやって、「あら、やせちゃった」という本を出したのは、うそだったのか。
↓若いころのあべ静江

↓「コーヒーショップで」

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