秋の京都⑤ 比叡山延暦寺と石山寺
比叡山延暦寺は、平安時代初期、最澄が開いた天台宗の本山寺院。ユネスコ世界文化遺産である。
↓除夜の鐘のテレビ中継でおなじみの「開運の鐘」

↓開運の鐘

入り口を入っていくと、大きな鐘があった。「ゆく年くる年」の中継に出てくる除夜の鐘で有名だ。「開運の鐘(世界平和の鐘)」である。願い事をしながら力いっぱい叩くといいそうだ。大きな音で鐘をつくには強い力が必要で、なかなか難しかった。
↓改修工事中の「根本中堂」

続いて総本堂である「根本中堂」へ。外側はパネルで覆われていて、大改修工事中。本堂の銅板葺き、廻廊のとち葺きを葺き直し、全体の塗装彩色の修理をしているという。工事中も参拝ができるようになっていた。平成28年から約10年かけて完成させるそうだ。浄財は50億円だという。堂内は撮影禁止なので、紹介することができないのが残念。
ここで15分間ほど、僧による法話を聞くことができた。法話はだいだい次のような内容で、資料と照らし合わせてまとめてみた。
この場所「根本中堂」は、天台宗の一番重要な中央のお堂という意味。国宝に指定されている。1642年に徳川家光公の命により、全国の大名に寄進を命じ、9年がかりの工事を経て再興した。太い柱は、大名が寄進したので「大名柱」と呼ばれ、76本ある。
今の「平成の大改修」は10年がかりで、屋根の葺き替えや回廊や中堂の塗り直しをしている。現代の技術をもってしても、10年かかる。江戸時代の改修にはドライブウェイもケーブルも重機もないが9年で完成した。国家の一大事業としてとてつもない人員が動員された。
天井は別名「花天井」といい、230ほどある。全国の大名がお抱えの絵師に、藩を代表する花を描かせたものだ。なぜ、花の絵かというと、根本中堂は2月頃になると氷点下10度ほどに冷え込む。花を花瓶に活けても凍ってしまうからだ。
お堂の主役は御本尊で、秘仏といって直接見ることはできない。御本尊は薬師如来で、左手に薬壺を持ち、右手の4番目の指を曲げている。この指を薬指という。無病息災を司る現世利益のお薬師さまと言われる。いま生きている者にしか薬は効かない。今生きている物だから薬は効く。だから現世利益である。
薬師如来の前には、開創以来1200年、消えることのない「不滅の法灯」がある。入り口の左右にそのミニチュア版があったはず。ミニチュア版の中は蝋燭だったが、本物は中には直径30cmほどの鉄の皿があり、菜種油が入っている。植物性の芯が油を吸って燃えている。アルコールランプと同じ原理だ。
「不滅の法灯」は延暦7年(788年)に伝教大師(最澄)が国のために祈願をする修行に入った。そのときに建てた小さなお堂が、根本中堂の元となった。そのときの簡単な灯明が基である。
新古今和歌集に「明らけく後の仏の御世までも 光りつたへよ法(のり)のともしび」という歌がある。後世に仏法を伝えていこうという深い志を示している。
天台宗では3つの時間軸を大事にする。現在、未来、過去である。なぜ、過去が大事かというと、先祖をたどって一代でも抜けていたら現在の自分はないからである。
また、仏法では輪廻転生の概念がある。人間の身に生まれるのは、とても幸運なことであるという例えが法華経にある。大海原に穴の空いた木の板が漂っている。100年に一度、呼吸のために上がってきた亀が、たまたまその木の板に偶然、頭がはまってしまう確率のことで、それほど人間に生まれるのは難しい。人類は70億(2023年の世界人口は80億4500万人である)を超えているが、虫、微生物、雑草などを考えると、人間の身に生まれるのはいかに幸運なのか。だから、天台宗では過去も重要視する。
未来はなぜ重要かというと、伝教大師が仏教の教えを後世に伝えていけと言っている。現在を生きるわれわれは、未来の方に対し、伝えていく義務がある。
伝教大師は滅するときに「わがために仏を作るなかれ。わがために経を写すなかれ。ただわが志を述べよ」と言っている。その言葉をうけて、天台宗は1200年間、「不滅の法灯」を受け継いできている。
↓石山寺の東大門

↓石山寺の多宝塔

↓石山寺の紅葉


次に石山寺(いしやまでら)へ向かった。今回のツアーでは最後の場所となる。伝承では、寛弘元年(1004年)、紫式部が当寺に参篭した際、8月15夜の名月の晩に、「須磨」「明石」の巻の発想を得たとされ、石山寺本堂には「紫式部の間」があった。ほかに、年代の明らかなものとしては日本最古だという多宝塔を見てきた。
↓源氏の間

石山寺は、滋賀県大津市石山寺にある東寺真言宗の大本山の寺院。『蜻蛉日記』『更級日記』『枕草子』などの文学作品にも登場する。
石山寺の紅葉が、今回一番きれいだった。
今日の足跡
最低気温6.1度、最高気温14.7度。曇のち雨。
○……日本テレビ系列の日本海テレビジョン放送(鳥取市)の経営戦略局長が「24時間テレビ」の寄付金などを着服していたというニュースに驚いた。
「24時間テレビ」の寄付金が264万6020円、会社の資金が853万6555円で、7年間に着服した金額は、合計約1118万円にのぼる。懲戒解雇処分にしただけでは済まないだろう。1000万円を超える不正に気付けなかった会社の責任も大きいだろう。
秋の京都④ 清水寺は外国人だらけ
初日の歩数は約2万3000歩、2日目は2万7000歩を超えたので、やや疲れた。60代前半の頃なら遠くのマラソン大会まで車を運転して行って、走ってから泊まらずに帰ってきても平気だったのに。体力は1年ごとに落ちていくのが実感できる。今回のように寺や神社を巡るツアーは、体力が必要だ。駐車場から20分以上歩いてたどり着く所もあるし、そこから石段をいくつも上る必要がある。京都巡りは1歳でも若いうちに行ったほうがいいと思う。ツアー客の中には寺巡りや紅葉見物を簡単に済ませ、甘味の店で休んでいる人もいた。
さて、清水寺は平安京遷都以前からの歴史をもつ京都では数少ない寺院の一つである。嵐山、金閣寺と並ぶ京都市内でも有数な観光地だ。古都京都の文化財としてユネスコ世界遺産に登録されているためか、修学旅行の中学生や高校生が目立つ。
しかし、それ以上に多いのが外国人観光客。7割近くが外国人だろうか。英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語だけではなく、東南アジアなどの聞いたことのない言葉が飛び交う。いったい、どこの国にいるのかと思ってしまう。
↓外国人の参詣客

↓レンタル着物のお店が多い

清水寺の混雑ぶりはものすごい。自家用車の駐車場は午前8時30分前に満車になっていた。バスは駐車場で客を下ろしたらすぐに回送され、観光が終わる時間にならないと再び入れない。乗り降り時間が細かく決められており、時間厳守しないとバスが発車してしまう。。
京都の道路は狭い。そこに観光客がぞろぞろと歩き、すれすれにタクシーが走るという状況だ。レンタルきものを着た外国人もそこかしこにいる。
↓三重塔。着物姿の人が目立った(着物の女性は日本人。スニーカーを履いていないので分かる)

明応9年(1500年)に再建された三重塔は、高さ15m。重要文化財である。
↓大仏足石

本堂近くに大きな仏足石があった。釈迦の足裏の形を刻んだもので、足腰が健全で過ごせるようにとなでると功徳があるらしい。
↓清水寺の紅葉(動画)
↓清水寺(清水の舞台)京都の町が一望

↓下から見た清水の舞台

↓紅葉の清水寺

清水寺の本堂は「清水の舞台」として有名だ。舞台は最長約12mの巨大な欅の柱を139本使い、「懸造り」という手法で、釘を一本も使わずに組み上げた木造建築の舞台である。この舞台はもともと、御本尊である観音さまに芸能を奉納する場所で、平安時代から雅楽や能、狂言、歌舞伎、相撲など、さまざまな芸能が奉納され、現在でも重要な法会には、舞台奉納が行われる。400年に1度、本堂を建て替えるので、そのために植林しているという。
本堂にある本尊の千住観音像は、33年に1度、開扉される秘仏で、写真も公開されていない。本堂をお参りしてから清水の舞台へ行くルートになっている。
清水の舞台から見下ろす四季の光景や京都の街並みはまさに世界遺産の名に恥じない美しさがある。舞台は本堂から突き出た形になっており、下を見ると目がくらむ。4階建てのビルの高さに相当するという。思い切って物事を決断することを「清水の舞台から飛び降りるつもりで」という言葉の元になっている。
↓音羽の滝

清水寺にある「音羽の滝」は人気の観光スポット。清水寺の寺名の由来となった清水である。3本に分かれた水流が人目を引き、観光客の長い行列ができる。柄の長い柄杓で清水をすくって飲み干すことで願いが叶うとされる。右側の水は学問、真ん中は長生き、左側がロマンスが叶うという。欲張って全部飲むとだめらしい。
私は迷わず、真ん中の清水を飲んだ。これで100歳まで長生きするかな。この種のものは、まったく信じていないけれど。
今日の足跡
最低気温5.7度、最高気温16.7度。晴れ。

○……今日は高田駅前で仕事関係の飲み会。電車で高田駅の改札口を出たら、駅前のロータリーにイルミネーションが輝いていた。最近、取り付けられたものだろうか。初めて見た。LEDの数も多く、上越妙高駅のイルミネーションよりきれいだ。
秋の京都③ 嵐山から北野天満宮へ
↓落柿舎

↓残り柿が茅葺き屋根に映える

↓去来の句碑

↓芭蕉の句碑

芭蕉の句碑には〈五月雨や色紙へぎたる壁の跡〉とあった。芭蕉が「嵯峨日記」の最後にしるした句だという。去来の句碑には〈柿主や梢はちかきあらし山〉とあった。
↓西行の井戸

↓西行の歌

また、落柿舎を出たところに「西行井戸」というのがあった。そこが西行庵の跡であったことを示す唯一のものだという。〈牡鹿なく小倉の山のすそ近みただ独りすむわが心かな〉の歌が刻まれた碑があった。
↓竹林

↓縁結びの「野宮神社」

↓野宮神社の黒木鳥居

帰り道は集合時間を気にしながら、早足で巡った。トロッコ嵐山駅を過ぎて、天龍寺の方に行かず、線路沿いの竹林を歩き、縁結びや子宝、安産の神様「野宮(ののみや)神社」に立ち寄った。縁結びの用はないが、この神社の鳥居は「黒木鳥居」といって、樹皮が付いたままの鳥居で、鳥居の形式としては原始的で、日本最古のものだという。
↓渡月橋から見た小倉山

↓渡月橋と嵐山(紅葉していないのが残念)

↓琴きき橋跡

まだ時間に余裕があったので、渡月橋へ行った。橋の中央部から西を眺めると、左に嵐山、右に丸い山容の小倉山が見えた。紅葉がきれいなら素晴らしい眺めだと思うけれど、全然色づいていなかった。渡月橋はコンクリート柱の橋だが、江戸時代の木製の橋の面影を残している。橋の北詰めには、「琴きき橋跡」の石碑がある。藤原成範の娘、小督局(こごうのつぼね)にまつわる美しくも切ない恋物語があるという。
↓京懐石風の昼食。湯豆腐がおいしかった

↓おばんざいもいろいろ

時間が迫ったので、駆け足で集合場所に戻った。昼食は「レストラン嵐山」。京懐石風のもので、湯豆腐も付いていた。
↓北野天満宮の楼門

昼食後は再びバスに乗って、菅原道真をまつった北野天満宮へ向かった。太宰府天満宮とともに天神信仰の中心である。近年は学問の神として多くの受験生から信仰されている。名高い「もみじ苑」だが、肝心の紅葉がイマイチ。夏の猛暑の影響で、枯れたような葉が目立つ。
↓史跡御土居もみじ苑

↓きれいな紅葉も…

↓マンリョウの赤い実

もみじ苑は紅葉に早かったが、あちこちに紅葉している木々もあった。マンリョウの赤い実もきれいだった。
↓赤目の撫牛

参道にはいくつもの「撫牛(なでうし)」があった。全部で13頭もいるという。横たわった牛の像で、天神さまのお使いである。なでると、学問成就や合格祈願、健康増進、災禍除けなどの御利益があるという。楼門をくぐってすぐの場所には赤目の牛がいた。
↓東福寺

↓東福寺の紅葉

↓東福寺天徳院の紅葉

つづいて、バスは東福寺へ。
東福寺の天徳院は開創以来650年以上もの歴史のあるお寺で、中でも、豊臣秀吉・豊臣秀頼、また荻原井泉水・種田山頭火・尾崎放哉などのゆかりの寺院。天徳院では、桔梗や紅葉の季節に特別拝観を実施している。午後4時過ぎからライトアップが始まった。夜はまた格別の美しさがあるのだろう。
↓国宝・龍吟庵の特別公開

ほかに東福寺では国宝龍吟庵の特別公開もしていたが、時間がなくて入り口の紅葉を見ただけでパスした。
↓清楚な白バラ「モルガンお雪」

壁沿いに白バラが咲いていた。今頃咲くのは珍しく、最初はサザンカかと思っていたら、「タキサン」という品種だという。世界一の大財閥、モルガン一族に嫁いだ祇園の芸妓、モルガンお雪の名を冠した白バラだという。モルガンお雪の三回忌にフランスから献花されたものだと説明板があった。
今日の足跡
最低気温4.4度、最高気温6.4度。雨。
○……コジマ電機の株が100株で6万円台で買えたとき、100株を買っておいた。今は20%ほど株価が上がっている。
配当金の通知が来て、今季は1株14円の配当があった。まあまあである。だが、今季はその上に、株主優待を充実させるというお知らせが来た。これまで8月末時点で100株を持っている人に1000円分の商品券を送ってきた。だが、今回は2月末日の締め切りでさらに1000円の商品券がもらえる。つまり、年2回、計2000円分もらえるわけだ。
加えて、これまでは100株以上を1年保有していると、1000円券1枚がさらにもらえ、2年保有していると2枚もらえた。この有効期限を1年から6か月に短縮した。株主優待制度を、年2回に増やしたことで、有効期限を同じにしたものだろう。
最近は、株主優待を廃止する企業が相次ぐなか、逆に充実させるとは驚いた。株価が上がることを期待したい。
来年1月から新NISA制度が始まり、個人の投資活動の促進策が想定されるためだろう。
秋の京都② 嵐電に乗り嵐山へ。「寂庵」も見てきた
↓嵐電


嵐山一帯は道路が渋滞する上、駐車場が少ない。そこで京福嵐山本線の四条大宮町から嵐山まで、路面電車「嵐電(らんでん)」を利用するというグッドアイデアだった。おかげで、雷電に乗ることができた。これもうれしかった。嵐電は、2020年に上越映画鑑賞会の例会上映「嵐電」(当該記事)で知った。3組のカップルのストーリーが交錯しながら、現在と過去が入り交じる群像劇だが、電車愛に満ちた映画だった。
さて、京都2日目は、ホテルを午前8時30分にバスで出発。四条大宮駅の近くでバスを降り、嵐山駅で嵐電を降りたのが9時30分頃。そこから天龍寺、竹林、常寂光寺などを散策し、午後1時から「レストラン嵐山」で昼食をとるというスケジュール。
↓天龍寺

↓天龍寺の紅葉

↓曹源池庭園の紅葉

↓拝すると書画が上達するという硯石

まずは天龍寺へ。このお寺は足利尊氏が1339年に建立した。曹源池庭園の美しさでも知られる。世界遺産寺院だけに、天龍寺はじっくり見た。
竹林もすっと伸びていて美しい。竹林の中に人力車専用の道があった。
↓美しい竹林


そして、百人一首で知られる小倉山の中腹にある常寂光寺へ。だが、常寂光寺の見学もそこそこに、瀬戸内寂聴が開いた寺院「曼陀羅山 寂庵」を見てくることにした。この旅の隠れた目的である。
場所はGoogle Mapsで特定できたが、常寂光寺の仁王門から徒歩で片道19分かかることが分かった。時間的にかなり厳しいが、早歩でだめなら、走るという手もある。たどり着くまでに何回も曲がるので、Google Mapsで下調べをし、曲がり角に矢印を入れたスクリーンショットを印刷したものを用意した。帰りは何とか集合時間に間に合ったので、良かった。
↓寂聴さんの自宅

↓寂庵

地元の人に場所を尋ねたら、すぐ近くが寂聴さんの自宅だった(ラッキー!)。生前に寂聴さんが開いた寺院「曼陀羅山 寂庵」はすぐ近くにあった。表札を確認し、玄関門の写真を撮ってきた。敷地に侵入しない限り、問題ない。寂聴さんが亡くなって今年で三回忌を迎え、11月9日に寂庵を開門したという。
寂聴さんの言葉「この世は一度、やりたいことは全てやろう」という言葉が頭に浮かんだ。寂聴さんから「悔いなく生きる」ことの大切さを教えてもらった。
今日の足跡
最低気温5.0度、最高気温20.9度。曇りときどき晴れ。
○……今日の昼間は暖かかったので、庭の雪囲いをした。狭い庭なので、雪囲いより、草取りの方が時間がかかったほど。今年は暖冬予報だが、暖冬の年でも、必ず何回かドカ雪がある。いや、暖冬ほど日本海上で水蒸気が大量に発生し、シベリアからの寒波が入るとドカ雪が起きる可能性が高くなる。
秋の京都① ブラタモリの足跡たどって大原三千院へ
↓今年は紅葉が遅い上、夏の猛暑で色づきが悪い。でも、所々で美しい紅葉が見られた

京都は初の旅行だったので、バスツアーはとてもありがたい。大原三千院、寂光院、嵐山、天龍寺、北野天満宮、東福寺、清水寺、比叡山延暦寺、石山寺といった、有名な寺社を巡ることができた。例年なら、紅葉シーズンまっさかりなのだが、今年の夏の猛暑で、紅葉せずに葉が茶色になっていた紅葉の名所もあったのが残念だった。標高にもよるが、標高848mにある比叡山延暦寺や石山寺の紅葉はきれいだった。
初日は、大原三千院と寂光院を巡ってきた。
ちょうど、「ブラタモリ」で昨年6月25日に放送した「京都・大原」の再放送が11月9日にあったので、ずいぶん参考になった。番組の流れに合わせて、巡ってみた。
↓ブラタモリより

↓「女ひとり」の歌碑

番組ではタモリさんと、新潟県出身の野口葵衣アナウンサーが、参道を歩き紫蘇畑を過ぎた付近にある「大原女の小径」の入り口付近にある「女ひとり」の歌碑の場面から始まる。『女ひとり』は、「京都大原三千院、恋につかれた女がひとり…」で始まる昭和40年代のデューク・エイセスのヒット曲である。タモリさんが、歌碑に書かれた歌詞を見て歌い、「聴いたことない?」と野口アナに問いかけるが、まだ28歳の野口アナが生まれる前なので、知っているわけがない(笑)。
タモリさんは「今日と明日で三千円…」という当時はやった替え歌を披露した。嘉門達夫が「はーらたいらに3000点」と歌っていたのも思い出した。
この歌碑はずんずん歩いていくと確実に見逃す。番組のおかげで場所を確認していたので、発見することができた。それにしても、ブラタモリは雨の日のロケが多い。いつも透明のビニール傘をさして撮影している。
それにしても、この歌『女ひとり』が大原三千院の名を全国に広めたことは間違いない。
さて、ブラタモリのテーマは「なぜ大原は“癒やしの里”になった?」である。たしかに、大原は京都の町から北に離れた田舎であり、農業が盛んな所である。たしかに畑が多く、都会の人の心をいやす風景が広がっている。こ進むとちらでは当たり前の農村風景が至る所にあるけれどね。
今回のテーマは「癒やし」。永六輔作詞の『女ひとり』の一番が歌碑にあるが、「恋につかれた女がひとり」とある。「疲れた」ではない。もしかしたら「憑かれた」かもしれない。だとしたら、大原は“癒やしの里”ではなく、何か恐ろしい場所になってしまう。
↓ブラタモリより

野口アナが「でも、恋はつかれますよね」と言ったのがウケた。番組の最後でも「私も疲れたら大原に来たいと思いました。疲れるほどまず、恋をしないといけないけれど」と言っていた。「した」のか「したい」のかどっちなのだろう。同じ新潟県人としては気になる。
↓三千院の入り口の門

↓三千院門跡

↓三千院門跡の紅葉

まず、大原は京都駅から18kmの南北に細長い小さな盆地で、高野川の侵食でできたという。2000人ほどが暮らす、小さな里である。タモリさんと同じ幅広い石段や苔むした石垣を見ながら進むと、三千院の門があった。
↓ブラタモリより

↓わらべ地蔵

門をくぐるとそこは「有清園(ゆうせいえん)」である。タモリさんや野口アナがさわった苔をさわってみた。ふかふかして気持ちが良かった。番組で紹介した「わらべ地蔵」が灯籠の近くに何体かあった。これも、番組で知らなければ通り過ぎるところだった。
↓阿弥陀三尊坐像(ブラタモリより)

↓往生極楽院(中は撮影禁止)

続いて、極楽往生院へ。ここには国宝の阿弥陀三尊坐像がまつられている。阿弥陀如来の両隣に従者の菩薩がいる。前かがみで正座した「大和座り」という。
番組は新緑の頃で、苔も美しい。秋には苔も茶色っぽくなり、木々の紅葉も進んできた。
↓ブラタモリより

↓紅葉が美しい場所もあった


番組では、小浜と京都を結ぶ街道はいくつもあったが、大原を通る若狭街道が最も重宝されたという。それは断層があったため、一直線で高低差がなく、京都から大原へ半日で行けたからだという。
そして、大原には一人の女性がキーパーソンだったという。それは平清盛の娘、平徳子(たいらのとくこ)、別名は建礼門院(けんれいもんいん)。壇ノ浦の戦いで安徳天皇のほか、息子や兄弟、財産など一切を失い、大原に身を寄せたという。
建礼門院は、この地にあったナスと青じそを使って発酵させた漬物を「柴葉漬け」と名付けたという。以来、800年の間、赤紫蘇の種の原種を保存し、同じ製法を守り続けたという。
↓志ば久

↓志ば久の店頭に飾られていたブラタモリのロケ写真

タモリさんが番組で立ち寄った柴漬けの店「志ば久(しばきゅう)」にも立ち寄った。テレビに出ていた久保勝店主も店に立っていたので「ブラタモリで見ました」と声をかけた。番組収録の際、植えたばかりの紫蘇畑で撮影した写真が飾ってあった。
↓建礼門院の「御庵室遺蹟」

↓建礼門院が使った清水

その建礼門院が身を寄せた寂光院まで足を進めた。住んでいた跡の石碑「御庵室遺蹟」があった。広さは5畳半ほど。この狭い土地に建てた庵で生涯を過ごしたのだ。
その句は次の通り。
おもひきや
深山の奥にすまひして
雲井の月をよそに見んとは
↓聖徳太子が建立したとされる寂光院

今日の足跡
最低気温3.8度、最高気温18.5度。晴れ。
○……今日は朝方は寒かったが、快晴で青空が広がり、日中は気温が上がった。この晴天を利用して、冬タイヤへの組み換えをやった。2台を組み替えた後に冬囲いをやろうと思ったが、疲れてしまった。大原に行って、癒やされたのに、もう疲れるとは。
戸隠の鬼女“紅葉”伝説
↓「戸隠譚」

その中でも面白いのが「鬼女“紅葉(もみじ)”伝説」。1000年ほど前の話で、具体的な人名や、今も残っている墓や地名などが出てくる。
鬼女が住んでいた「鬼の岩屋」、鬼に転じた紅葉が出入りした「屏風岩」、紅葉が化粧に使った「紅葉の化粧水」、維茂が紅葉に毒酒を飲まそうとした「毒の平」、維茂軍と紅葉軍が戦った「竜虎ヶ原」、維茂軍が紅葉の残党を打ち滅ぼした場所「安堵が峰」、紅葉の副将おまんの墓がある「足神社」、紅葉ゆかりの寺「大昌寺」、鬼女紅葉の墓「鬼の塚」など、多くの場所がある。
まずは、「戸隠譚」で紹介されている「鬼女紅葉の伝説」を紹介したい。長い話なので3分の1程度に短くしてある。時間のある方は、ぜひ読んでほしい。
↓和綴じ本「信濃奇勝録」(天保5年=1834年刊)にも掲載されている伝説の地面

↓鬼女紅葉(鬼無里)

◇「鬼女紅葉の伝説」
約1000年ほど前のこと。奥州の会津に笹丸と妻の菊世がわびしく暮らしていた。子供が欲しくて第六天の魔王に祈願したら、承年7年11月、女の子、呉葉(くれは)が生まれた。呉葉は美しく聡明だけではなく、和歌や琴、三味線も上手だった。
近くの安賀寿村の川瀬源右衛門という豪農に源吉という一人息子があって、秋祭りに呉葉を見て一目惚れした。しかし、呉葉は貧しい農家の娘。両親にも打ち明けられず、やせ細っていった。
息子が呉葉に恋していることを知った両親は釣り合わない縁だとは思ったが、かわいい一人息子のためだと思い、呉葉を源吉の嫁に貰おうと、二人は持参金を持って呉葉の家に行った。
しかし、笹丸は絶世の美女である呉葉を連れて京に上り、高官に嫁入りさせれば、家は再興できると考えた。そのため、大金を用意していっても話は一向に進まなかった。
笹丸と菊世、呉葉が相談したところ、呉葉は「第六天の魔王さまにお願いし、力を借りたらどうか」と祈りながら呪文を唱えると、家の中が揺れ動き、一人の美しい娘が現れた。それは呉葉と瓜二つだった。
呉葉は第六天の魔王に祈って生まれた娘であり、その後も魔王の加護を受けて「一人両身」の妖術を体得していたのだ。呉葉は「身代わりの呉葉を嫁にやってお金をたくさんもって、京都へ参りましょう」と行った。
急に縁談が進み、大金と引き換えに、身代わりの呉葉は源吉の元へ嫁にいった。すると、源吉は元通り元気になった。
しかし、ある日、源吉と呉葉が庭を眺めていると、呉葉が呪文を唱え、降りてきた雲に乗って空高く舞い上がって、二度と帰ってこなかった。驚いて笹丸の家に行くと、すでに空き家だった。笹丸親子3人は大金を受け取ると、その夜のうちに京都へ旅立っていったのだ。
京都では四条通りに店を借り、化粧品や髪飾りを売る店を出した。笹丸は伍助、菊世は花田、呉葉は紅葉(もみじ)と名を改めた。紅葉は多くの弟子をとって、琴を教えると、その妙なる琴の音とともに、紅葉の美しさは京都で評判になった。
天暦七年の夏の夕方、源経基(みなもとのつねもと)の夫人が腰元5人を連れて通りかかった。すると、行き交う人を立ち止まらせるほどの妙なる琴の音が聞こえてきた。
経基夫人は、紅葉に琴の演奏を所望した。紅葉は魔王の助けを念じて一曲を演奏すると、人の業とは思われない琴の音が響いた。
これがきっかけになり、紅葉は経基公の館に出入りするようになり、ついに夫人の腰元として仕えるようになった。ある日、経基公の宴席に招かれ、琴の演奏を求められた。すると、経基は演奏だけではなく、紅葉の美しさに心を奪われてしまった。そして、紅葉は子を宿した。
経基公は紅葉に夢中になる一方、紅葉は陰に隠れた悪性を見せてきた。夫人が亡くなれば、自分は夫人になれると、毎晩祈り続けた。そのため、夫人の健康が優れなくなった。
比叡山の大祈祷を依頼すると、祈祷はすぐに行われた。「この護符(お守り)を襟にかけると悪魔は退散する。この護符を襟にかけるのを拒む者あれば、怪しいものである。特に紅葉に注意せよ」という。
この話を聞いた経基公は最初、不機嫌だったが、試しに紅葉の襟に護符をかけさせようとすると、強固に拒んだ。紅葉を取り押さえようとしたら、煙のように消え失せ、本物の紅葉も召し捕られた。
紅葉は死罪に匹敵するものであったが、懐妊していることもあり、天暦10年9月、信濃国の戸隠に親子共々流された。
戸隠山は天台宗が盛んで、「戸隠三千坊」と言われ栄えていた。罪を犯した人も、戸隠山に上り、髪を剃って出家すれば、その罪は抹消されると言われていた。
戸隠の荒倉山の岩屋に住むようになったが、「紅葉は経基公の妬みによる無実の罪である。腹の子が生まれたら都に帰る」と、周囲に言いふらし、里人の信用を得るように努めた。
また、紅葉が扇を頭に頂き、呪文を唱えれば病気が治ると宣伝し、そのとおりになったので、紅葉は生き神様のように思われるようになった。だが、紅葉は人肉を食い、人の生き血を飲む鬼女だった。父が岩屋で死ぬと、紅葉の乱行はひどくなり、毎晩のように物を奪ったり、娘を奪ったりした。
安和2年7月、六十三代冷泉帝は、平維茂(たいらのこれもち)に戸隠の鬼女退治を命じた。
維茂は多くの武将を呼び集めて、戸隠の地形を調べさせ、自らも紅葉の顔を見届けようと、黒い墨染めの衣に身を包んで雲水に姿を変えて荒倉山へ登ってきた。
紅葉は妖術を心得ているので、明日は不可解な者が山中に来ることを悟っていた。宴会を催していたところ、雲水がやってきた。毒酒を飲まそうとしたが、「出家の身ゆえ、酒は禁じられている」と断った。
先発軍は岩窟を攻めたが、蔦に触れると大岩石が崩れ落ちるなどの仕掛けがしてあり、紅葉の妖術で大風や洪水が起きて惨敗した。第2陣も退却した。維茂は背後から攻めるが、紅葉は岩石を積み上げて一夜にして小高い山を築いて防いだ。これが荒倉山の北にある「一夜山」(1562m)である。
維茂は天台宗の信者であるから、北向観音に17日間詣でたところ、満願の暁に不思議な夢を見た。白髪の老僧が、懐から五寸ほどの剣を取り出し、「この剣で鬼女を討つべし」と言った。維茂が起きると、枕元に夢に見た剣が置いてあった。維茂は北向観音と戸隠大権現のご利益と思い、荒倉山へ進軍を開始した。
紅葉は妖術を使おうとするが、この日は妖術が効かない。維茂が剣を投げつけると、紅葉の右肩に当たった。紅葉はよろめいて、鬼女となって空中に舞い上り、維茂めがけて火を吹きかけたが、突如、戸隠奥の院の上空から金色の光が鬼女の両目を射抜いた。紅葉は地上に落ち、維茂の剣で討たれてしまった。維茂が大任を果たして安堵した見晴らしの良い場所を「安堵ヶ峰」と呼ぶ。
岩屋の残兵もことごとく討ち取ったが、官軍も大きな損害があった。その死体を埋葬し、石塔を建てた。これが中社西方の小高い傾斜地で、「石塔蔓根(せきとうつるね)」と呼んでいる。
鬼女がいなくなったため、この里を「鬼無里(きなさ)」と呼ぶようになった。
紅葉の第一の子分、おまんは35人力の怪力を持っており、健脚だった。寄せてくる官軍をバッタバッタとなぎ倒し、中社の西に来て手足の血を洗ったのが「硯石」である。おまんは自害し、本坊近くの「足神社」(足神さま)が墓だと言われる。足というのはおまんが健脚であったことからで、祈ると足が強くなるとされる。
維茂は紅葉の死体を焼き、志垣の五輪坂に埋め、五輪の塔を建てたという。この地を「鬼の塚」と言っている。(長野市戸隠栃原)
*荒倉山
長野県長野市の西側、鬼無里の近くの山。砂鉢山、新倉山、霧見岳、竜光山などの山塊の総称で最高峰は砂鉢山。標高は1432m。竜虎トンネル駐車場から登るコースからは、鬼女紅葉が隠れ住んだと言われる「鬼の岩屋」、「釜背負い岩」の奇岩や「紅葉の化粧水」などが点在している。
今日の足跡
最低気温5.9度、最高気温12.8度。雨。

○……長野県内に多い「双体道祖神」。戸隠にもあった。縁結び、夫婦和合、子宝授けの神さまである。長野、山梨、静岡、神奈川、群馬の5県にしかないという。
男像の右手が女像の肩にかけられ、その手を女像の右手が握っている。双方の左手は1本の杖を仲よく握っているようだ。
もしかしたら、長野県に近い上越地方にもあるかもしれない。
アパリゾート上越妙高のイルミネーション
↓アパリゾート上越妙高のイルミネーション




イルミネーションは今年で10周年になるという。当初は160万球を使ったLEDによる龍の壮大な造形や、ウォータープロジェクションマッピング、有機ELを使った龍など、とにかく規模が大きかった。しかし、ゴルフ場の旧コースを歩くので体力的にきつい面もあった。
今は規模が10分の1ほどになったが、それでも十分楽しめる。
↓プロジェクションマッピング

特に水を霧状に噴射して、そこに映像を投影するプロジェクションマッピングは楽しい。LEDが敷き詰められている場所から写真を撮るのがベストポジション。
滞在中に会場にいた人は15人程度。寒くなってきたので、入場者が少ないのだろうか。これでは採算が合わないだろう。
入場料は大人(中学生以上)1000円、小学生は500円。アパリゾート上越妙高の標高は600mほどあるので、夜は冷え込む。コートなどをお忘れなく。火曜は休園。最終入場は21時30分。
↓2016年のイルミネーション。龍の造形が素晴らしい

↓ウォータープロジェクションマッピング(2016年)

今日の足跡
最低気温7.7度、最高気温10.4度。雨。
○……10日に7回目のワクチン注射をしてきた。夜になって注射をした左腕がかゆくなった程度で、副反応はなかった。今回からオミクロン対応ワクチンに変わった。ファイザー社のワクチンだったので、市の集団接種で受けた。
○……先日、ある店で妙高市の「みんなの応援券」を使った際、残額分は「電子マネーが使えません」と言われたことを書いた。「みんなの応援券」は1枚500円なので、ぴったりになることはまれだ。1円以上、499円以下の半端は必ず出る。
コンビニに勤めている友人が、「電子マネーで支払えますよ」と教えてくれた。今日、セブンイレブンで昼食を買った際、残額はPayPayで支払えた。原信はいつの間にかタッチ決済対応レジになっていて、PayPayカードで残額を支払えた。
市のホームページにも、「みんなの応援券」にも、「残額分は電子マネーが使えません」とは書いてない。もし、「残額分は現金で」と言われたら、「現金は持っていない」と言ってみようかな。
正善寺で花火上がる 谷間に音響がこだま
今日の天気は夕方から雨の予報が出ていたので、行く予定はなかったが、友人から電話があり急遽、行くことになった。早めに夕食を食べ、午後6時ごろに家を出た。正善寺までは25分ほどだ。
指定駐車場のガス水道局正善寺浄水場に車を止め、上信越道の高架橋下をくぐった所が観覧会場。正善寺ダムに向かう上正善寺高田線の南側の歩道付近に多くの人が集まっていた。



花火は正善寺川に面した谷間から打ち上がった。上正善寺高田線は交通量が意外に多く、目の前を車が次々と行き交う中、見るしかなかった。動画を撮影していると、ライトがまぶしい上、車が前を横切るのには参った。もっと良い場所はなかったのか。それと、道路の中央にコーンを置き、北側車線に観客を入れて、片側交互通行にするなどの方法はできなかったものか。
それでも花火は25分間にわたって打ち上がり、最後を素晴らしいスターマインで締めくくった。花火の音が谷間に反響して、音が素晴らしかった。
↓竹灯籠

歩道沿いや田んぼには竹灯篭が並び、幻想的な風景だった。
今日の足跡
最低気温13.9度、最高気温23.4度。晴れときどき曇り。暖かい一日だった。
↓7割がトンネルという条件を利用した


○……10月21日放送の「突撃!カネオ君」に、ほくほく線の「ゆめぞら」が紹介された。かなり古いネタで、鉄道ファンはもちろん、沿線市民は良く知っているはずだ。でも、こうやって紹介され、乗客が増えればいいな。


○……今年の阪神は強かった。日本シリーズは7戦までもつれ込む大熱戦となったが、38年ぶりに阪神が日本一に輝いた。
今日は7-1で阪神が圧勝。投手力も、打線もずば抜けていた。また、逆転が多い粘り強い試合が多かった。その結果の堂々たる優勝だ。「前回は27歳のときで、長かったですね。選手と監督で日本一になれてよかった」と岡田監督はインタビューに応えていた。
清里区「星のふるさと館」で、土星の輪や木星の縞模様など見る
↓坊ヶ池のほとりにある星のふるさと館

↓天体写真展もやっていた

その初日の11月3日は、木星が衝(しょう)という一番明るく見える日だ。月に例えると、満月に相当する。さらには土星も見えるし、恒星ではアルクトゥールス、ベガ、カペラが観測できる。すばる(プレアデス星団)も見たい。
3日は朝から雲ひとつない快晴で、夜になっても雲はなく、観測には最適な日となった。星空観察会の前に、プラネタリウムで秋から冬にかけての星座の勉強もしておきたかったので、最後の上映時間の午後3時に間に合うにでかけた。
【プラネタリウムで星空の予習】
プラネタリウムは貸切状態で申し訳ないほど。まずは、現在の星空を投影しながら、ライブ解説してくれた。今は秋の星座に加え、冬の星座も見ることができる季節だという。
秋の星座を代表するみずがめ座の下に、「秋の一番星」と呼ばれるフォーマルハウトがある。「みなみのうお座」の口の部分にあたる。周りに明るい星がないので、南の空を見ればすぐに分かるという。
東の方を見ると、フォーマルハウトより少し暗いが、4つの星の並びを見つけることができる。これは「秋の四辺形」という。
アンドロメダの腰のあたりにある有名な天体が、アンドロメダ銀河。私達の天の川銀河の隣の銀河で、地球から230万光年の遠い距離にある。
時間を進めると、星座は地球の自転に伴い東から西に動いていく。日付の変わる頃、南の高い所に見える明るい星が縞模様がある惑星の木星。木星はおひつじ座にいる。近くには、すばる(プレアデス星団)がある。その後、東の空にはオリオン座が現れる。
天の川はずっとアーチを描いているように見える。今日の月の出は22時近く。それまでは月明かりがないので、天の川は良く見える。今日はとてもラッキーだ。
夏の天の川は知っているが、オリオン座の東方向にも天の川が流れている。
日付が変わると、星は西に動き、冬の星空に変わる。東の方から惑星の金星が昇ってくる。その後、太陽が昇って夜明けになる。今は早い時間帯に秋の星空、遅い時間帯に冬の星空が見える。両方の星座が見えるのもラッキーだ。
星座の生解説の後、「くしりんと銀河鉄道の旅」という番組や、火星への宇宙旅行を体験できる「MARS」を上映した。これもおもしろかった。
【櫛池の隕石】
星のふるさと館1階の展示室には、実物の櫛池隕石がある。
↓櫛池隕石(本物)

隕石は大正9年9月16日 夕刻6時過ぎ、清里区上中条の水田に落下した。南南西の方向から約60度の角度で落下し、約1mの深さの穴を開けた。落下時は水煙が9mの高さまで上ったという。
重さは約4.4kg、比重3.6、大きさは18cm×12cmの石質隕石だという。
星空観察会は午後6時なので、それまで時間がある。夕食を食べに一番近い「津久志食堂」に行く途中、隕石が落ちた場所が公園になっているので立ち寄った。
隕石が落ちた角度で金属板が立っていて、隕石が落ちて穴があいた状態が分かるようになっている。
所在地は、清里区上中條581-4。
↓隕石落下地点に造られた公園

↓説明看板

【星空観察会】
食事を済ませ午後6時半ごろ、再び星のふるさと館へ戻った。昼間の半券を見せると料金はかからない。
まずは屋上に上がると、高田の夜景が目に飛び込んできた。そして、上を見上げると、満天の星だ。目が慣れてくるにしたがい、見える星が増える。用意されている双眼鏡で、星空を見た。首がつかれるので、シートに寝転んで見るのが楽だ。
まずは東の空の天頂近くにあるアンドロメダ銀河を見た。カシオペア座の近くだ。肉眼でもぼやっと見えるが、銀河なので双眼鏡で見てもぼやっとしている。
アンドロメダ銀河(M31)は、地球から250万光年という距離があり、M33とともに、肉眼で見える最も遠い天体だという。今見ているアンドロメダ銀河は、250万年前の光なのだ。無数の恒星からなる渦巻き型の銀河である。
そして東の空の低い所(30度ぐらい)におうし座とともに昇ってきたのは、「すばる」。日本名で、自動車メーカーの社名、車種名に使われている。正式にはプレアデス星団という。つまり、星の集まりだ。昔の人は肉眼でも6つの星を確認できたという。県内ではロクタイボシ(六体星)、モツラサマ(六連様)という方言名がある。
10月に死去した谷村新司さんが歌った「昴(すばる)」がその星である。望遠鏡で見ると、5つの星が確認できた。クエスチョンマークのような形をしていた。比較的新しい星で、寿命が短いという。そういう星は青白い色をしているという。青白い色も確認できた。
また、ぎょしゃ座の首星である1等星のカペラも良く見えた。マツダの自動車「カペラ」も、この星名から取っている。
西の空の天頂付近には、はくちょう座があった。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」では列車が、はくちょう座の北十字を出て、蠍座の赤い火を見ながら南十字に行く。はくちょう座が出発点だった。
↓口径65cmの反射望遠鏡

木星、土星の惑星の位置を確認し、続いては65cmという県内で最も大きな反射望遠鏡がある4階へ。ここで、木星と土星を見た。木星には4つの衛星があるが、そのうち3つが見えた。二重の縞模様もはっきり確認できた。土星もリングが良く見えた。
約2時間であったが、天候に恵まれ、月明かりがない素晴らしい条件下、星空の観察ができた。スタッフによる解説も楽しく、ますます星や宇宙に興味が湧いてきた。
◇料金 大人620円(プラネタリウム+入館料)*入館料のみは460円
◇休館日 火曜
◇住所:上越市清里区青柳3438
◇電話:025-528-7227
今日の足跡
最低気温10.3度、最高気温23.4度。曇り。
↓かつ定食

○……星のふるさと館の近くに「ビュー京ヶ岳」とおいう食事ができる施設があるが、午後4時で営業が終わる。そのため、清里区総合事務所の近くにある食堂「津久志食堂」(清里区荒牧33)まで行かないといけない。
車で20分ほど走り、ようやく到着。かつ定食(1050円)を注文した。この店は何を頼んでもボリュームがすごい。全部食べきれなかった。
↓ビュー京ヶ岳からの夕焼け


○……夕暮れがきれいだったので、午後4時40分すぎ、ビュー京ヶ岳の近くに行ったら、とても美しい夕焼けが見えた。妙高や火打山などがシルエットになり、幻想的だった。
花巻市の高村光太郎記念館と高村山荘へ
↓高村光太郎記念館(館内は撮影禁止)

↓光太郎詩碑

『智恵子抄』で知られる高村光太郎(1883~1956年)は、詩人だけではなく、彫刻でも有名だ。1914年(大正3年)から長沼智恵子と死別するまで一緒に暮らした住居兼アトリエは1945年(昭和20年)4月の戦災で焼け、何も残っていない。「智恵子抄」はその4年前の昭和16年に刊行された。今は東京都文京区千駄木の跡地に記念の説明プレートがあるだけ。
戦後、62歳の時に太田村山口(現花巻市)へ移住し、約7年間の独居自炊の生活を送った。高村光太郎記念館には、光太郎の代表作である「手」や「乙女の像・中型試作」など彫刻のほか、花巻での7年間に遺した書や直筆原稿が展示されていた。書も素晴らしいものだ。
↓高村山荘



↓山荘内のトイレ(「光」と彫ってある)

一番の見どころは記念館の隣に保存されている高村山荘。1952年にこの山荘を離れるまでもっぱら詩作と書に専心した。建物はわずか7.5坪だが、光太郎の没後、敬慕する地元の村人たちにより保存するための套屋(とうおく)が建てられ、後に套屋の外側にさらに鉄骨造りの第2套屋が建てられ、山荘が雨風から守られている。山荘の内部はガラス越しに見ることができるが、中には入れない。
障子に書かれた日時計、厠の「光」という文字の明かり取り、般若心経の文字など、光太郎が生活していた時のまま残っているが、粗末で不便なあばら屋である。孤独で厳しい生活を過ごしたのは、戦争中に戦意高揚のために多くの詩を作ったことへの贖罪の意味があったという。詩作は続けたが、彫刻を封印したのも、贖罪だった。
戦時中、高村は詩の部会長に就き、戦争を賛美する作品を、次々に発表した。日本が真珠湾攻撃を行った昭和16年12月8日に執筆した詩では、国民が一丸となって戦うことを呼びかけた。国民の戦意高揚を図る歌謡曲も作詞した。持ち寄られた日章旗などに激励のことばを記し、若者を戦地に送り出した。
「われら自ら養いてひとたび起つ 老若男女みな兵なり 大敵非をさとるに至るまでわれらは戦う 世界の歴史を両断する 十二月八日を記憶せよ」。
高村は1952年(昭和27年)、智恵子をイメージした「乙女の像」の制作のため、東京都内にアトリエを借り、封印していた彫刻制作を再開。肺結核を患っていた高村は、血を吐きながら制作に打ち込み、約1年かけて翌秋に完成させた。平和を祈る「乙女の像」は十和田湖畔に立っている。
高村は昭和37年、中野区桃園町のアトリエに仮寓。1956年(昭和31年)に73歳で没。「乙女の像」は遺作となった。
◇高村光太郎記念館・高村山荘
所在地:岩手県花巻市花城町9番30号
入館料:350円
電話:0198-28-3012
◇高村光太郎住居跡
所在地:東京都文京区千駄木5-22-8
東京メトロ「千駄木」駅から徒歩で7分
今日の足跡
最低気温9.1度、最高気21.1度。晴れ。最低気温が10度以下になると朝方は寒い。
○……人間ドックの結果が届いた。経過観察となるC判定が視力、聴力、前立腺マーカーなど計4つあった。あとはA判定だったので、ホッとした。これで1年間は安心していられる。お金はかかるが、安心料と思えば安いものだ。

○……新花巻駅で弁当を買った。「イーハトーヴ 五目おこわ弁当」(1400円)。開けてみたら普通の弁当のようだけど、宮沢賢治にこだわっている。
「イーハトーヴの畑 五目おこわ」「どっどどどどうど 豚肉玉ねぎ生姜焼き」「銀河鉄道厚焼き玉子」「風の又三郎 すり身海苔巻き 紅生姜天ぷら」「山猫軒の旨煮」。味は普通。