スマホ決済の動きに目が離せない
消費増税まで、あと1カ月強。食料品など、軽減税率の対象のものは、増税後も今と同じ8%の消費税なので買いだめは意味がない。買っておきたいのは、ビールなどの酒類、医薬品、トイレットペーパーなどの消耗品などかな。
中小企業でキャッシュレス決済を利用すると、期間限定で5%、フランチャイズ店では2%、ポイント還元される。つまり、増税分が相殺される(5%ならそれ以上)。
増税となるのは10月からだが、既にクレジットカード以外のスマホ決済などは熾烈なシェア争いが始まっている。9月に入ってからが本番だと思うが、大幅なポイント還元、キャッシュバックが始まっている。買いだめの大きなチャンスなのだ。


今日、キャンペーンの参加登録をしたのが、ApplePay。クイックペイで支払うと、12月15日まで20%がキャッシュバックされる。限度額は1万円なので、5万円分まで買える。クイックペイが使える店は、この辺でもコンビニ各社をはじめ、イオン、ウェルシア、蔦屋書店、文教堂、コメダ珈琲、はま寿司、すき家、ガスト、吉野家、マクドナルド、CoCO壱番屋などいっぱいある。実質2割引はありがたい。ウェルシアでビールでもまとめて買おうかな。
スマホ決済の動きは、さらに進んでいる。原信とナルスが9月1日からPayPayを導入するという。残念ながらバーコード決済ではなく、QRコードを自分で読み取る方式だ。ピアレマートでも9月11日から、PayPayを導入するようだ。PayPay支払いにすると、既に3%がポイント還元されるので、今なら消費税5%になる計算。9月以降も、消費税が7%となる計算だ。9月中は、10時から14時までなら5%還元される。
スマホ決済に慣れていない人は、早めに慣れたほうがいい。
今日の足跡
最低気温18.3度、最高気温29.4度。曇り。
○……昨夜は朝方まで眠れず、ランニングも中止。ときどき、こういう日がある。寝る前はパソコンやスマホを見ないようにしているのだけれど。
○……マジックナンバー20の巨人が広島に破れ、またもマジック減らせず。2位DeNAとのゲーム差は5.0。いやーな雰囲気。9月3日に新潟のエコスタで行われる「巨人対中日」までには、もっと減らしておかないと。

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観光動画が花盛り。妙高市の温泉動画が公開
別府市では300万回超え
最近は、観光を目的にしたPR動画が各地で誕生している。有名なところでは大分県別府市「湯~園地」計画だけど、YouTubeが目標の100万回突破をしたので本当にやるそうだ。
佐渡ではヘビメタで
最近では本県の佐渡のPRムービー、佐渡観光協会の「佐渡メタル」だ。ヘビメタの音楽にのせて、佐渡の魅力をPRしている。なかなかおもしろいと思う。
妙高高原温泉のPR動画完成
上越地域はというと、上越地域振興局が制作した妙高高原温泉郷の観光プロモーション映像が、YouTubeの上越地域振興局の公式チャンネルで公開されている。
妙高市にある7つの温泉をPRしたもので、7つの温泉地、5つの泉質、3つの湯色があることから、「七五三の湯」と名付けている。温泉ソムリエの遠間和広さんがその魅力を紹介している。
15分バージョンはやや長すぎる。ダイジェスト版は3分ちょっとなのでちょうどいい。
↓15分バージョン
↓ダイジェスト版
今日の足跡
最低気温1.1度、最高気温11.3度。快晴。

○……久しぶりの快晴なので、冬囲いを外したり、車のタイヤを交換したり、掃除をしたり、忙しい1日。クロッカスが咲き始めた。

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クスリのアオキ新井店、オープン間近

妙高市に初めて出店する「クスリのアオキ新井店」の新築工事が急ピッチで進んでいる。現場の許可票を見ると、工事期間は11月20日となっている。おそらく11月下旬にオープンするだろう。この写真は9月に撮影したものだが、現在は店名の看板もかかっている。
場所は新井駅裏から関川町へ抜ける諏訪町1丁目の道路沿いで、新井消防署の斜め向かい、田嶋屋の隣だ。新井駅から徒歩6分という場所に立地している。
クスリのアオキは本社が石川県にあり、北信越を中心に群馬、岐阜、滋賀、愛知、埼玉、三重へエリアを広げている。従来のドラッグストアの概念とは違い、日配品や惣菜、生鮮食品などの食品が充実していて、ちょっとしたスーパーのようになっている。
仕事帰りに立ち寄る上越市の鴨島店を見ると、弁当が税抜き300円以内で何種類もある。カツ丼だって、寿司だって298円である。うどん類は100円からあるのだ。
生鮮食品では、精肉がすごく安く、スーパーで売っている肉の2~3割ぐらいは安く、品物も悪くない。アオキが出店すると、周辺のスーパーやコンビニにけっこう影響が出るらしい。
新井店が出ると、近くのイチコ新井店、朝日町のサンライズは、大きな影響が出るだろうな。
最低気温17.3度、最高気温24.5度。曇り、ときどき小雨。
↓石焼ビビンバランチ

妙高市月岡2丁目にオープンしたばかりの焼肉店「真月」には何回か食べに行ったが、ランチが手頃の値段でうまい。
先日は「石焼ビビンバランチ」(850円)を食べた。ご覧の通り、サラダやスープも付き、かなりお得。味もいい。

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徳島市で痛ましい交通事故 盲導犬とユーザーが死亡
↓読売新聞

↓朝日新聞

山橋さんとは、7年前の2008年11月16日から19日までに台湾で行われた「第14回全国盲導犬使用者交流会」の台北大会で、同じグループになった。日本から盲導犬を連れた視覚障害者が20人とボランティアが参加したが、その中に山橋さんと、愛犬ヴァルデスがいた。
新聞記事を読むと、ヴァルデスはこの事故があった10月3日が10歳の誕生日で、11日に引退が決まっていたという。ということは、台湾に連れていったヴァルデスは3歳の若さだったことになる。黒くてかっこいいラブラドール・レトリバーだった。


山橋さんとは8人グループで、一緒に食事をしたり、パーティーに出たりした。写真を探してみたらパーティーで台湾の楽器に触らせてもらい、琴のような楽器を弾いている山橋さんがいた。ヴァルデスを連れている写真もあった。
山橋さんは交通安全運動のセレモニーに参加するなど、視覚障害者と盲導犬へ理解を呼びかける活動もしていたようだ。本当に痛ましい事故で、ダンプがバックの際、音を鳴らしていればこのようなことにならなかったと思うと、誠に残念だ。山橋さんのご冥福をお祈りいたします。
最低気温12.7度、最高気温18.3度。雨のち曇り。

昨日は朝日町通りで、「妙高あらい・うまいもんまつり」をやっていて、大勢の人で賑わっていた。かんずりカレーや、たちばなのとん汁、妙高の笹すしなどが出典したり、ヒカキンのライブもあったようだ。
残念ながら、高田世界館で映画を見たり、その後、仲町へ繰り出したりしたので、参加できなかった。

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村上春樹さんの受賞スピーチに感動!

尊敬する作家の一人、村上春樹さんが9日に、スペインのカタルーニャ国際賞を受賞し、その授賞式のスピーチが素晴らしかった。読んでいて涙が出てきた。
エルサレム賞のときのスピーチも素晴らしかったが、東日本大震災について作家としての考えをはっきり述べた今回は、特に感銘した。
これぞ日本の知性、日本の常識だと思った。
東日本大震災については、核に対して「ノーを貫くべきだった」と、はっきり述べた。震災の対応をおろそかにして政権をめぐってごたごたしている政治家どもは、えりを正してきくべきだ。
振り返ると1970年代は大江健三郎、高橋和巳、開高健、三島由紀夫など、多くの作家が政治などについて積極的に発言し、若者に支持された。また「知識人」がいて、竹内好、吉本隆明、小田実、福田恆存、林房雄、林健太郎など、左派や右派を問わず、発言していた。
いま、この国、日本について、鋭い警鐘を鳴らしている作家(評論家を除く)は井上ひさしさんら、わずかである。
今回の村上春樹さんのスピーチには心から拍手を送りたいと思う。
「日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです」
「我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です」
「核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです」
村上春樹さんの心からの叫びを、しっかり聞いて受け止めさせてもらった。
あまり、すばらしかったので、共同ニュースから転載した。村上春樹さんの本はほとんど読んで(買って)いるので、許してもらえると思う。何回も読み直したいと思う。(ニュースサイトはすぐに削除されるため)。
「非現実的な夢想家として」
僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それで手間取ってしまった。
僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、もう一度戻ってくることができて、とても幸福に思います。
でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。
ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1.8秒短くなるほどの規模の地震でした。
地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲になり、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。
日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。
台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。
にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。
なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。
日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。
「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。
自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。
どうしてか?
桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。
そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。
今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。
でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。
結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。
ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。
僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。
みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。
十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。
なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。
また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。
我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。
日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。
しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。
ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。
僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。
戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。
広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。
そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。
何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?
理由は簡単です。「効率」です。
原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。
そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。
そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。
そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。
原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。
それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。
ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。
「大統領、私の両手は血にまみれています」
トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」
しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。
我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。
我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。
それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。
前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。
壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。
その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。
最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。
僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。
カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。
日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。
最後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、深い哀悼の意を表したいと思います。(バルセロナ共同)
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◇村上春樹さんの本(お薦め)
1Q84 BOOK 1
1Q84 BOOK 2
1Q84 BOOK 3
ノルウェイの森 上 (講談社文庫)
ノルウェイの森 下 (講談社文庫)
海辺のカフカ (上) (新潮文庫)
海辺のカフカ (下) (新潮文庫)
ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)
ねじまき鳥クロニクル〈第2部〉予言する鳥編 (新潮文庫)
羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)
羊をめぐる冒険(下) (講談社文庫)
1973年のピンボール (講談社文庫)
最低気温17.0度、最高気温28.3度。曇り。
日本マクドナルドでは、炭酸飲料のすべてのサイズを6月24日から8月中旬まで100円にするそうだ。
Lサイズって何CC入っているかと調べてみたら、660ccであった。Sサイズは300mlなので、倍以上入っている。ビールの500ml缶よりも入っているわけだ。
とにかく、230~240円のLサイズも、100円均一になる。
セットなどは対象外だという。
まあ、ありがたい話であるが、私は清涼飲料は1か月に1~2本しか飲まないので、恩恵はなさそう。
ビールもこの値段なら、うれしいのだけれど(笑)。

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政治が不安定なときに天変地異は起きる?
1995年の阪神淡路大震災のときは社会党の村山富市が総理の連立政権だった。危機管理意識がまるでなく、自衛隊をうまく動かせなかったため、初動の遅れが犠牲者を増やした。
中国は王朝の交代期に天変地異が多発したようだが、もしかしたら天変地異が起きたので、政権が崩壊したのかもしれない。日本ではどうなのか。
誰か暇な人は、歴史上の地震と政権の関連を調べてほしい。
とにかく、大昔は地震があると、その原因は神や悪魔のなせる技だと思っただろう。
日本ではナマズだが、北欧では地下の洞窟にいる神が毒虫に目を刺され、痛みでもがくために起こると信じられていたようだ。
たぶん、古代では地震が起きると、人々は恐怖に震え、占いなどの呪術的なものや、宗教を信じてしまっただろう。
映画「ミスト」では、恐ろしい生物にスーパーマーケットが取り囲まれてしまう場面で、人々の心理がおもしろかった。客の中に宗教の狂信者がいて、「こんなことが起きるのはおろかな人間が今まで行ってきた行為の報い」などとうそぶくが、ほとんどの人は感化されてしまう。
呪術的自然観の下で生活していた古代人なら、信じないわけはない。
たぶん、政権が不安定だったり、社会が大きく変革するときは、新興宗教ができたり、既存の宗教も急激に伸びるのだと思う。
関連記事へのリンク→今までなぜミストを観なかったのか」
最低気温1.4度、最高気温13.4度。曇り。
今日、高田公園のソメイヨシノが開花した。満開は来週初めになるそうだ。
16、17日が一番の人出になりそうだ。
夜桜のぼんぼりも経済対策で平日も復活するという。
【雑感】
◆4選を果たした石原慎太郎東京都知事が、自販機とパチンコをやめてしまえ、と言ったのが反響を呼んでいる。このブログでは自販機をやめたらどうか、と提言したのだが、パチンコは気が付かなかった。
自販機は世界をみても日本ほどたくさんある国はないそうだ。だいたい、治安が悪い国では無理なのだ。
この自販機と同じく、パチンコも日本特有だ。以前は韓国にもたくさんあったのだが、この国はなくすことに成功したという。レジャーなのでやめろとまではいわないが、使っていない台までピカピカ光っているのはどうかな。使いたい台だけ、電源を入れてもらうというのはどうか。
◆高田の桜に開花宣言が出たが、長野県千曲市森のアンズの開花宣言が11日に出た。
だいたい高田の開花とほぼ同じなのだ。だから高田で咲いていれば、まずは外れることはない。
ずいぶん、アンズの花見には行っていない気がする。

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地震のニュースを見て一日が終わった
何かしたいと考えていたら、Yahoo!JAPANの「被災地支援のための緊急災害募金」というのがあって、サイトから募金ができるという。ささやかな金額だが、募金した。
午後11時45分現在で292,540人から465,390,734 円の募金があったようだ。
http://www.yahoo.co.jp/
ほかにTUTAYAでもたまったTポイントで募金できるというので、たまっていたポイントをすべて募金した。
募金件数は99,387件で、43,543,226ポイントが募金されたようだ。
http://shop.tsutaya.co.jp/
ところで、次のようなチェーンメールが来た。
■お願い■
関西電力で働いている友達からのお願いなのですが、本日18時以降関東の電気の備蓄が底をつくらしく、中部電力や関西電力からも送電を行うらしいです。一人が炊飯器や電子レンジなど、さしっぱなしのコンセントを抜いたり少しの節電をするだけで、関東の方の携帯が充電を出来て情報を得たり、病院にいる方が医療機器 を使えるようになり救われます!
こんなことくらいしか私達には、祈る以外の行動として出来ないです!
このメールをできるだけ多くの方に送信をお願い致します!
良いことなので問題はないが、「電気の備蓄が底をつく」などと誤った情報が混じっている。誤ったチェーンメールに気をつけるよう呼びかけも行われているし、管首相もメッセージを出していることだし、無視することにした。
原発に関してはTwitterで、憶測を含む間違った情報も飛び交っているようだ。個人が発信する情報には気をつけたほうがいいと思う。
ところで今日はどのチャンネルも地震関連のニュースの特番ばかり。新聞の番組表が真っ白なのにはびっくりした。
フジテレビが夜にやった特番の中で、外国のメディアが報じたニュースを紹介していた。たいへんな災害に遭った日本人が秩序を乱さず、助けあっている様子を評価したり、地震の大きさに比べて亡くなった方が少ないのは厳しい耐震構造や、日頃の訓練などの成果などと評価するメディアがあったようだ。
外国のテレビニュースをYouTubeで見つけた。削除されないようにFC2動画に移植した。
[高画質で再生(有料)]
東北地方太平洋地震ニュース(1)
最低気温、最低気温0.2度、最高気温15.2度。
嫌だなー、いまほど(11時30分)に、弱い余震が。まだまだ続くのか。

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高田本町の雪燈籠
仕事帰りに上越市の本町通りを通ったら、明日から始まるレルヒ祭用に作った雪燈籠が並んでいた。
例年、この雪灯篭は心ない人に壊され、新聞ネタになっている。
雪で作ったのだから、壊れやすいことは確かだ。だから、いたずら半分で壊す人が毎年いる。
そこで考えたのが、雪をカチカチに硬くすることだ。
雪に硫酸アンモニウムを混ぜると固くなるという。化学肥料(窒素肥料)の硫安である。
ウィキペディアを見たら、「硫安は、スキー場などでスノーセメントとしてシャーベット状の雪を固めるために使われることもある」と書いてあった。春のぐじゃぐじゃになってきたゲレンデの雪を固めるのに使うらしい。
硫安は水分に溶け、周囲の熱を奪って凍結させるという。
肥料として生産されているため安価に入手できるようだ。
雪をカチカチにすれば、壊れにくくなるのは間違いない。
車を下りて触ってみたら、氷のように固かった。
これなら、足で蹴ったぐらいでは壊れない。反対に足を骨折したりして(笑)。
最低気温、氷点下0.9度、最高気温2.9度。曇り。
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妙高市総合体育館の着工はまだかな
昨年11月7日の妙高市の市長選挙で、争点のひとつだった「妙高市総合体育館」の建設が楽しみである。
現在の市民体育館、児童体育館の老朽化だけではなく、災害の際の避難所とするため耐震性を備えた施設が必要なのだという。
災害に備えるため、非常用の発電設備、備蓄庫も備えられる。
市の中心部にはいろいろな公共施設があるのだが、いまは避難所として機能する施設はあまりないそうだ。
新体育館には固定観覧席522席のほか、アリーナに500席のいすを設置すると、約1000席確保できるという。建設費は21億円だそうだ。
ところで、一番期待しているのは、積雪期でもランニングができる屋内コース。さらに、トレーニングマシンも備えられるそうなので、完成が待ち遠しい。
平成24年度までの2年間で建設工事を行い、25年春に完成するそうだ。
なお、妙高市には米島新田(旧妙高村)に妙高ふれあいパークというのがある(写真上)。ここは個人使用の場合は無料で利用できる立派な屋内ランニングコース(1周200m)とトレーニングルームがある。今は20分かけてここまで行かなくてはいけない。
最低気温、氷点下0.4度、最高気温1.6度。雪。降雪10センチ、積雪155センチ。
昨日朝のワイドショーの「ここ調」コーナーで、胸がキュンとなる彼氏の行動は?というのをやっていて、1位は彼女が落ち込んでいるときや、励ますときに「頭をポンポンと叩く」というもの。
98%のギャルが胸キュンになったそうだ。なんだか、不思議。
ほかに「ネクタイを緩める」などが上位にあがっていた。
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見るまえに跳べ
「見るまえに跳べ」……??
何だか、懐かしい言葉の響き。はるか昔の1970年代、当時の若者の心をとらえた言葉である。
県議選出馬のため、24日に辞職した上越市議が臨時議会で行ったあいさつの中にあった言葉だ。この「見るまえに跳べ」というフレーズに衝き動かされるように生きてきた気がする、と話している。
いったい、誰が言った言葉なのか。動きが悪くなった頭の中をスキャンするが、検索エンジンにひっかからない。
結局、ネットのお世話になるのだが、大江健三郎と岡林信康であった。
大江健三郎の「見るまえに跳べ」は、押入れの奥のダンボールの中に入っているはずである。新潮社から1958年に出版されている短篇集だ。今は新潮文庫でも読める。
本の中身はまったく覚えていないが、当時の閉塞感みたいなものが表現されていたと思う。
この本のタイトルは、イギリス生まれのアメリカの詩人、W.H.オーデン(Wystan Hugh Auden,1907-1973)の詩の引用である。原詩は"Look if you like, but you will have to leap,"である。
当時の若者は大江健三郎の本のタイトルから、オーデンを知った。
さらにフォークの神様、岡林信康の第2弾のアルバムのタイトルも「見るまえに跳べ」(1970年)である。「自由への長い旅」「私たちの望むものは」「今日をこえて」などが入っている代表作である。
大江健三郎の小説の表紙には、歪んだ人の顔の絵があり、岡林のアルバムも自信の顔のアップである。
さらに、両者とも本やアルバムのタイトルにしているが、小説のタイトルや音楽のタイトルにはなっていない。岡林のアルバムタイトルは大江の書名から付けたのだ。その証拠に「見る前に跳べ」ではなく、両者とも「見るまえに跳べ」となっている。
岡林のアルバムは1970年で、大江の小説は1958年ということから考えれば、1970年代に青春時代を迎えた私から見ると、まずは岡林のアルバムで「見るまえに跳べ」を知り、それに影響されて大江健三郎を読み、さらにはオーデンの詩を知った……という、逆の接し方をしたのではないかと思う。
最低気温、氷点下0.4度、最高気温3.7度。曇りときどき雪。
今日、泉田知事と新潟市の篠田新潟市長が、合併して「新潟州」とする構想を発表したそうだ。「県と政令市との二重行政を解消し、行政の効率化を図って市など基礎自治体の権限強化を目指す」のが目的だそうな。
何だか良く分からないが、こんなことになれば、ますます上越地方は辺境になってしまう。蒲原政治どころではない。
それなら、上越地方と長野市が合併するしかない。
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