小田実死す
小田実(まこと)が7月30日に亡くなった。75歳というまだ活躍できる年齢だったのが惜しい。半世紀にわたって日本共産党を指導した元議長の宮本顕治が7月18日に98歳でなくなったが、2人の死で、一つの時代が終わったという感じがする。
小田実と言えば、べ平連創設者、平和活動家として知られているが、自分としては「何でも見てやろう」の作者としてのイメージが強い。当時は海外旅行は一般的でなく、彼の行動力と前向きな考え方、彼が見てきた世界の状況などに驚いた。当時の若者のバイブルだったと思う。
この本は自宅のどこかにあるはず。いまも講談社文庫で読むことができる。
彼のホームページ、 http://www.odamakoto.com/jp/ を見ると、「タイム誌の特集「Asian Heroes」(アジアの英雄)の中で、日本の顔5人の1人に選ばれました」とある。25人に日本から、中田英寿、イチロー、北野武と共に小田実が選ばれたのである。選定理由は、「自らに対する疑いを克服し、ほとんど見込みのない中で目標を確実にやり遂げようとしており、多くの人がその未開発の潜在能力の高さを証明している」という。
そのホームページを読んでいたら、「安倍首相は辞任せよ」(2007.02.07)という文が書いてある。「私は安倍首相は即刻辞任すべきだと考えている」という書き出しで、その理由を述べている。 首相として「改憲」をやることに反対であり、つまり、「本来、憲法尊重、擁護の先頭に立つべき人物が、その重要な位置を使って、逆にこの憲法はろくでもない憲法だ、変えろと主張して「改憲」めざして動くことは許していいことではない。彼の言動は明白に憲法に違反している」という理屈である。
小田さんは1960年から1975年まで続いたベトナム戦争の際、先頭に立って反戦運動を指揮した。作家の大江健三郎さんらと、憲法を守る「九条の会」を呼びかけたり、その精力的な活動は驚異的であった。
もう一つ、面白い文章があった。 『福祉のひろば』2004年10月号 掲載に掲載された「サラダ社会をつくろう」である。
アメリカは人種のルツボ社会であり、いろいろな人種をこねくり回して「アメリカ人」に仕上げる。「ルツボ社会では力の強い者がルツボを回し、弱い者ははじき飛ばされる。戦争になったら殺し合いに役立たない人間は真っ先に切り捨てられるのだ」と言う。
一方でサラダ社会という考え方がある。「レタスにはレタスの個性があり、トマトにはトマトの価値がある。ハムにもタマゴにもそれぞれのうまさがあり、それぞれの持ち味があり、それらが互いに認め合い、全体が集まってサラダを構成している」のだ。そして「サラダ社会の根本原則は平和主義だ。何よりもまず戦争・殺し合いをしないこと。それから、武器を持たない。問題の解決を非暴力、非武力でやることだ」とし、民主主義が不可欠だとする。 障害のある人々や高齢者はこのサラダ社会でなければ生きていけないのである。
最後に「私たちはこうしたサラダ社会をつくり、サラダ日本、サラダフランスやサラダアメリカが共存しあう、「サラダ世界」をめざすべきではないのか?」とまとめている。いかにも小田実らしさが現れている文章だと思う。
- 関連記事
-
- 気温38度! (2007/08/02)
- クリスタルレッドシュリンプ (2007/08/01)
- 小田実死す (2007/07/31)
- お餞米奉納 (2007/07/29)
- グローバル化 (2007/07/26)
ハスを見ながら走る
29日の早朝、上越市の高田公園で、上越はすまつりの関連イベントとして「はすを見ながら走ろう会」が行われた。当日の参加者は70人ほど。当日は直江津の祇園祭と重なったためだろうか、2年前に参加したときより少ないように感じた。若い人よりも年配の人が目立つ。走るだけでなく、歩いてもいいそうで、ランニング姿でない人もいる。
赤い西堀橋の北側と、北堀ではちょうどハスが見ごろだ。白やピンクの花が一面に咲き誇っている。
先日観た映画「ふみ子の海」では、この西堀橋を渡って花街へふみ子が向かうのである。バックには南葉山がぼんやりと写っていたことを思い出す。
集合の少し前に雨がぽつぽつ降ってきて、天候が心配されたが、走り出すころには上がった。
コースは1.5キロ、3キロ、4キロの3種類。西堀、南堀、北堀のハスを見ながらをぐるっと回って走る。
4キロコースをゆっくり走った。舗装された周遊コースなので快適だ。この近くの人は、走ったり、歩いたりするのに最高だと思う。走るには、ややコースの幅が狭いが。
南堀のハスはほとんど咲いていない。同じハスでも、こんなに咲く時期が違うのだろうか。
- 関連記事
-
- ラン学事始 (2007/09/09)
- 欽ちゃんゴール (2007/08/19)
- ハスを見ながら走る (2007/07/30)
- 梅雨の晴れ間 (2007/07/06)
- スポーツは体に悪い (2007/06/19)
お餞米奉納
参議院選挙なんて、どこ吹く風。上越市の直江津地区は、上越まつりのフィナーレ、祇園祭のお餞米奉納で燃えていた。
この祇園祭は昔、北前船が日本海沿岸を巡る交易に活躍していたころ、京都の祇園祭が伝えられたものである。だから、屋台は北前船をかたどっている。また、京都と同じく神輿の渡御と巡行、山車の引き回しが行われている。
若衆はみんな仕事を休んで、祭りに燃えている。お餞米奉納のこの活気はどこから来ているのだろう。
直江津は昔、福島城があってにぎわっていたが、慶長19年(1614年)に福島城主であった城主の松平忠輝が高田に城を移した。ほとんどの寺や神社が高田に移る中、直江津は漁師の町でもあったので、心のよりどころであった八坂神社だけは残った。朱印地100石を辞退する代わりに、神輿を高田まで出張し、さらに高田から直江津に還御し祇園祭をする許可を得たものだという。いわば、直江津の人の団結力が祭りのパワーを生んでいるのだ。
今年は屋台を新調した東雲町を先頭に、次々と各町内の屋台が長蛇の列を作り、お餞米を神社に奉納してゆく。屋台ちょうちんが赤々と夜空を染め、太鼓と鉦の音が響き、わっしょい、わっしょいの威勢の良い声が響く。鏡割りの酒の香が漂い、枡酒をあおったいなせな若衆が米俵を背負って参道をひた走る。
得体の知れない祭りのパワーが、見るものの心を揺さぶる。
さて、先陣をつとめた東雲町の若衆の先頭に、ひときわ目立つスレンダーでかわいい女性がいた。青年会のちょうちんをもって、静かに微笑む姿は初々しい。詰め掛けたカメラマンのフラッシュを浴びていた。
- 関連記事
-
- クリスタルレッドシュリンプ (2007/08/01)
- 小田実死す (2007/07/31)
- お餞米奉納 (2007/07/29)
- グローバル化 (2007/07/26)
- コウモリ騒動 (2007/07/22)
グローバル化
上越市内の、とある板金店の社長と話をしていて、一地方での商売が世界の動きに激しく左右されているということを感じた。
中国での金属需要拡大や資源枯渇問題などの影響から、ここ数年、銅やアルミニウム、ニッケル、ステンレスなどの金属材料の価格高騰が続いている。
だから、板金店が見積もりを出しても、すぐ注文をもらわないと、赤字が出るおそれがある。
「見積もりの有効期限は、月初めなら2週間、月末なら即決」でないと、商売にならぬという。あっという間に価格が上がるので、見積もり期限をシビアにしないと、大変なことになるのだ。
だから、社長は午前3時ごろの讀賣新聞がくるのを待ちかまえて、金属材料の相場を調べる。そのほか、工業新聞まで読んでいるという。
また、世界のニュースは相場に大きく関連するので、ていねいに読むという。
ところで、中越沖地震であるが、英国BBC放送は、地震のことよりも柏崎刈羽原子力発電所に強い関心を持って報道している。テレビ番組を中断して速報し、原発の火災などの映像を流したという。
グローバルな見方をすると、今回の地震が原発のすぐ近くで発生したということがショッキングだったと思う。そして火災が発生し、放射能汚染水漏れ事故が発生した。こんなに大変なことになるのに、日本政府はなぜ原子力発電に執着しているのか、ということなのである。
たしかに、柏崎の原発は世界最大規模の一つであるのは大きな関心を寄せる一つの理由である。そして、世界で唯一の原爆被爆国である日本が現在、米国とフランスに続き世界で3位の原子力発電国である点も不思議なのだろう。
日本は資源がないことから、原子力を選択したのだが、今回の事故をみても、耐震性など安全基準が低すぎる。BBCにとっては、地震の巣の下に住んでいる日本人の安全意識の低さが信じられないのだろう。
- 関連記事
-
- 小田実死す (2007/07/31)
- お餞米奉納 (2007/07/29)
- グローバル化 (2007/07/26)
- コウモリ騒動 (2007/07/22)
- 英語劇どうなるか (2007/07/17)
ガイ・ヴァン・デューサーについて
前身のブログで、ストライドギターの名手、ガイ・ヴァン・デューサーについて書いたが、それを見た人からメールが来た。ファンらしく、どうしてもCD付きの楽譜「Stride Guitar」(1983)がほしいという。廃盤で手に入らないので、譲って欲しいという。
残念ながら、この貴重な楽譜は譲るわけにはいかない。どうにも弾けないが、この演奏を聴くだけで価値がある。
下の写真左側がその楽譜で、右側が現在も手に入るCDである。
だが、この楽譜集はつい最近まで手に入ったと思う。最高に貴重なのは、デビュー時のアナログレコードである。それが下の写真。これは何万円積まれても売れない。
当時買って、びっくりして、腰を抜かしたほどの衝撃。中でもジャズをギター1本で、ウオーキングベースを駆使しながらやる曲がすごくて、何度もコピーに挑戦してくじけた。テクニックだけでなく、音楽性もすばらしい。
1年半前のブログから全文を引用しておく。
2006-03-16
ガイ・ヴァン・デューサーについて
映画「スティング」によりブームとなったラグタイム・ピアノというジャンルがある。左手はズンチャ、ズンチャという規則正しいベース音(オルタネイティング・ベース)を刻み、右手はシンコペーションをきかせたリズミカルなメロディを奏でる。それが発展して、左手はウオーキング・ベースを取り入れ、右手はブルーノートとアドリブをいれたのが「ストライド・ラグ」、そしていつしか「ストライド・ピアノ」と呼ばれるようになった。いわばジャズと融合したラグタイムである。
ラグタイム・ピアノをギターに移し替えたのが、ラグタイム・ギター。日本へは中川イサトが輸入(?)した。メロディーと伴奏ベース音を1つのギターで弾くので、ギターを弾かない人は、2人で演奏していると思うだろう。ストライド・ギターはそれよりももっと複雑な奏法だ。ラグタイムだけでも大変なのだから、相当のギター・テクニックがないと演奏は不可能だと思う。自ら「ストライド・ギター」というアルバムを発表し、名付け親になったのがGuy Van Duser(ガイ・ヴァン・デューサー)である。ジャズの有名曲も次々とギターに移してしまうのだからすごい。
彼のスタイルをみると、6弦をEからDに1音下げるドロップDチューニングは多用するが、変則チューニングを好まないようだ。たぶん、アレンジするときに楽譜にしているので、変則チューニングだと演奏に困るからだと思う。
ギターはクラシック・ギターを使用し、ナイロン弦を張っている。キーの調整にカポタストも使う。右手親指にはサムピックを付けている。たぶん、クラシック・ギターだと低音が不足であることと、コードストロークを歯切れ良くするためだろう。ベースはチェット・アトキンスに影響されたギャロッピング・ベースを基本に、ウオーキング・ベースをふんだんに取り入れている。演奏に変化を付けるため、チェットが良く使った開放弦とハイポジションの音を組み合わせて、早引きする奏法もふんだんに使う。
「星条旗よ永遠なれ」をギター1本で、オーケストラと同じようにやってしまうのだからすごい。楽器のニュアンスまで演奏で表現している。CD付きの楽譜「Stride Guitar」(1983)も発売されているが、到底演奏は不可能。丸一日挑戦してギブアップした。
最近、2003年録音の一人ライブ「LIVE FROM BOULEVARD MUSIC」を買ったのだが、デビュー版からは想像もできないオジサンになったジャケットを見て愕然。演奏はあいかわらずすごいが、少々粗っぽくなったかなという感じがする。あの「星条旗よ永遠なれ」は手抜きをしている感じ。
入門編として、1987年の「AMERICAN FINGER STYLE GUITAR(アメリカンフィンガースタイルギター)」をお薦めしたい。ギター1本のストライド・ギターを堪能できる。「星条旗よ永遠なれ」(Starts and Stripes Forever)も入っている。
- 関連記事
-
- ジャズ・ウクレレって知ってる? (2008/06/11)
- ウクレレマガジン (2007/08/08)
- ガイ・ヴァン・デューサーについて (2007/07/25)
- ハワイアン聴いてねる犬 (2007/07/05)
- James Hillのウクレレははすごい (2007/07/03)
ディスコでフィーバー
22日夜、上越市のホテルハイマートで「ダンス・ダンス・ダンス」というイベントがあった。
通常はビアホールなのだが、この日は、生バンドを呼んでディスコ会場と化した。
舘恭介とザ・サイボーズという新潟県内を中心に活躍しているバンドで、7人組。ボーカルの舘さんは上越市に10年住んでいたことがあるという。
テーマは80年代で、全10曲新規で仕込んだナンバーというから力が入っている。当然、客はオーバー・ザ・フォーティである。50代もけっこういたが、30代ぐらいの人も多かった。
最初はプリンスとか、スティービーワンダーとかをやっていて、客は見ているだけだったが、そのうち、リズムを取るようになった。
盛り上がったのは、ケニー・ロギンスの「フットルース」からだろうか。周りで見ていた人も次第に加わって、だんだん多くなってきた。そして、マイケル・ジャクソンの「ビート・イット」、ヴァン・ヘイレンの「ジャンプ」と大ヒットナンバーが続き、すごい盛り上がりになった。舘さんの歌もいいし、演奏も安定している。女性コーラスの2人もいけてる。
アンコール1曲目はスティービーワンダー、2曲目は再び「ジャンプ」をやって、興奮さめやらぬまま終了した。
まるで80年代のディスコの再現である。ダンスホールが中央にでき、お立ち台まで設けてあった。
途中にチークダンスがあれば、参加したんだけどな(笑)
- 関連記事
-
- TOKI弦楽四重奏団 (2007/08/05)
- 名曲の夕べ (2007/08/04)
- ディスコでフィーバー (2007/07/24)
- 荘村清志と武満徹 (2007/06/27)
- 舘野泉リサイタル (2007/06/16)
料理は化学
ヤマハの会員に送られてくる隔月刊の音楽雑誌「音遊人(みゅーじん)」がおもしろい。世界中の音楽には壁がないということが良く分かる。音楽の楽しさが伝わってくる雑誌だ。企画が秀逸だし、写真がいい。
その6月号に加藤和彦のインタビューが載っていた。
仕事と遊び、オンとオフの使い分けについて大変おもしろく読んだ。精神的にも非常にリッチな生活をしていて、うらやましい。
加藤和彦というと、料理がうまいことでも知られ、フランス料理も本格的に習っている。その彼が「料理はいわば化学。鍋の中で何が起きているかを理解することが重要なんです」と話していた。
17日にNHKの「プロフェッショナル」で放送していたが、老舗ホテル総料理長の田中健一郎さんが、メニューにはないオマール海老のスープを急遽、作る場面があった。
鮮度のいい、オマール海老が手に入ったので、それを使って料理を作る決断をするのだ。オマール海老の殻を炒めて味を引き出し、トマトペーストを加え、クリームで煮込む。一日かけて濃厚なオマール海老のクリームスープを作り上げた。これこそ、化学反応を頭の中で描いて、まず頭の中で味を作り上げたのだ。
ただ単にレシピどおりに作る料理人では、こんな芸当はできない。創作料理と称しながらも、ただ既成のものを組み合わせただけの料理とは違う。
それから味の基本は、材料を均一に作ることから始まるというのも、納得。たまねぎのみじん切りの見事さ。包丁の先を目にもとまらぬ速さで動かし、あっというまに出来上がり。どれも同じ大きさに切らないと、煮ても均一に仕上がらないのだ。
- 関連記事
-
- エゴとおきうと (2007/08/16)
- ブルーベリー狩り (2007/08/06)
- 料理は化学 (2007/07/23)
- 食べ放題、飲み放題 (2007/07/14)
- 心からの客の迎え方 (2007/07/10)
コウモリ騒動
今朝、午前3時前、突如2階のトイレで物音が。
「もしかして」「やっぱり」
真夜中の訪問者は、コウモリであった。
これで3回目である。
トイレの換気扇のわずかな隙間から、入り込んできた。
それから大騒ぎ。ほうきで叩き潰すのも気持ち悪いし、以前は追い回しているうちに部屋の中に入り込んでしまい、どこに隠れ込んでいるのかも分からなくなり、大変だった。
今回はトイレから出さないようにした。
トイレの窓を開け、戸の隙間から殺虫剤をまいて様子をみた。
苦しそうにもがいて飛び回っていたが、そのうち音がしなくなった。朝方、中をのぞいてみると、陰も形もなかった。窓から飛び出して逃げて行ったようだ。
換気扇からコウモリが入らないように、換気扇に網をかけた。
コウモリといえば、まず思い出すのがバットマンと黄金バット。それにタバコのゴールデンバット、仮面ライダーに出てくる怪人だ。まあ、タバコを除き、いいキャラクターではない。気持ち悪いからだろう。
コウモリは空を飛べる唯一の哺乳類だという。空を飛ぶのでエネルギーも必要なのだろう。蚊を好物とし、1日に500匹も食べるので、ずいぶん人間の役に立っているのだ。
昔、米国の西部開拓時代は、土地を切り開く前にコウモリ塔を建ててコウモリのすみかを作り、蚊を減らしてから開拓を始めたらしい。
コウモリについて調べたら、家に飛び込んできたのはアブラコウモリ(イエコウモリ)らしい。森に住まず、家屋に住むのだという。都市部の住宅密集地でも数多く生息しているようだ。
- 関連記事
-
- お餞米奉納 (2007/07/29)
- グローバル化 (2007/07/26)
- コウモリ騒動 (2007/07/22)
- 英語劇どうなるか (2007/07/17)
- 新潟県中越沖地震レポート (2007/07/16)
異本病草紙
上越市の小林古径記念美術館で始まった常設展を見てきた。この美術館はちょっと貧乏で、古径の本画がほとんどなく、初期の秀作ばかり。だが、古径ファンにとっては、初期の古径を知るなかなか興味深い素描がたくさんある。一方、古径の名前が付いた美術館としては、本画が少なく、県外から来たファンにとって物足りないようだ。
一番論議を呼んでいるのが、デジックアートと称している原寸大の複製画である。教育的意味はあるのだろうが、複製画をいくら作っても、感動には結びつかない。ただし、古径の作品を知るという意味では、年代順に並べることにより、理解を助けることはあるだろう。今回の展覧会で古径作品に見る「女性の美」と題した展示室では、それが顕著に感じられた。古径の進化がはっきりと分かった。1点だけ本画の「丘」が飾ってあったが、やはり本物の線の美しさは違う。いくらデジタル処理をしたところで、古径の繊細な線は再現できるわけもなく、本物のすごさを改めて感じた。
複製画だって悪いわけではない。ただ、複製画だと思ってみると、感動が少ないのは事実。たとえ、複製画であっても、本物だと信じて見れば感動すると思う。これは心の問題。絵は心で見るのだ。だが、20センチより近づくと、複製画だとはっきり分かる。とたんに、感動が薄れるのは仕方がない。案内してもらった女性の学芸員によると、色も違うようだ。
今回の展示会で非常に面白かったのが、平安時代にいろいろな難病、奇病を絵巻物にした「異本病草紙(やまいぞうし)」を、古径が模写したもの。なんでも古径がこの絵を模写して勉強したという。
病草紙とは、初めて聞いた。平安時代にさまざまな難病、奇病を集めて絵巻物にしたてたものだそうで、展覧会には古径が模写して勉強した50点ほどが出品されていた。眼病をなやみ、祈祷師におはらいをしてもらっていたり、金玉が腫れてでっかくなっていたり、これがおもしろいんだな。
いったい何の役にたったのか。いろいろな病気の症状を集めて、その恐ろしさを知らしめたのか。奇病のおそろしさを呼びかけるものだったのか。今でいう「家庭の医学」のようなものなのだろうか。
ともかく、当時は一般の人は医学的な知識はなく、もちろん予防法もなかったのだから、このような方法でしか、情報収集の方法はなかったのだろう。
それにしても、死人を食う女の図とか、睾丸の腫れたる僧の図とか、女陰門に骨を挿入する図とか、市立の施設が展示していいものか、と思うような絵がずらり。見ていると気持ち悪くなる人もいると思う。
さらに、解説として医者が「これは今の○○病」と解説を付けているのがおもしろい。医者が見ると、絶対おもしろい展示物だと思う。
もう一度、作品をじっくり見てみたいと思う。
- 関連記事
インド式計算法
いま、15×19など2けた以上のかけ算が簡単に解けるとして「インド式計算術」とか「インド式計算ドリル」の本が、書店に山積になっている。NHKで「インドの衝撃(だったっけ)」が放送され、高い数学能力を持つインド人の世界での活躍が紹介されてから、一段とブームに火がついたようだ。
まあ、どれが本家だか、ものまねだか分からぬが、ニュースなどによると、今年3月に晋遊舎が出版した「インド式計算ドリル」中村亨著、加々美勝久監修)が、20万部を売ってベストセラーになり本家のようだ。この会社が2けたの掛け算方法を「インド式計算」と独自に命名したという。ところが類似本が20冊もでて、販売中止を求める訴えをしたという。
インド式などとうたわなくても、手元にある本を調べたら、同様の内容で「計算力を強くする」(健本聡著)、「大人のための暗算力」(同)、「頭がいい人のカンタン計算術」(夢文庫)があった。理屈もほとんど同じだ。
インド式の本を読んでみると、理屈では分かるが、ぱっと答えがすぐに出るかというとNOである。日ごろ訓練をしていないと、だめだ。連立方程式を例にとると、やり方はわかっていても、日ごろやっていないと、ひらめきが出ない。それと同じだ。
ブームはもうすぐ沈静化すると思うが、12×○の2けた×1けたの方法はマスターしておいたほうが、いいと思う。なぜかというと、1ダース単位は非常に使われるからだ。自分の場合は、語呂合わせで暗記している。
12はイブと語呂合わせできるので、
12×2=24 イブに西(クリスマスイブに西の方角を見るイメージ)
12×3=36 イブさ見ろ(クリスマスイブのツリーを見ろのイメージ)
12×4=48 イブ夜シバ(イブの夜にほえるシバ犬を想像する)
12×5=60 イブ後群れ(イブのパーティが終わったあとも人が群れている)
12×6=72 イブ録何?(イブの番組を録画したが、何だっけ?)
12×7=84 イブな橋(イルミネーションで飾られた橋」
12×8=96 イブや苦労(イブには贈り物などで苦労する)
12×9=108 イブ急に入れ歯(イブの夜、急に入れ歯が取れた)
12×10=120 イブと逸話(イブには逸話が付き物)
12×11=132 イブいい意味に(イブに言われた言葉はいい意味に取りましょう)
12×12=144 イブイブイッシッシ(イブには、可愛い子に声をかけて、楽しみましょう。イッシッシ)
こんな調子である。19×19まで作ってあるが、興味のある方はメールで問い合わせを。
この掛け算は語呂合わせであり、市販の本でも数種類出ているが、出来がよくない。私の語呂合わせは良くできていると自負している。
2けた暗算はもういいが、これから開発しようと考えているのが、時間の暗算法である。
マラソンで走っていて、時計とにらめっこしながら、暗算しているが、すっと出てこない。
例えば、キロ6分で走っている場合、ゴールタイムはどのくらいになるか、とか。ハーフマラソンで2時間を切るには、残りの距離をどのくらいの速さで走らなければならないのか、という計算である。走っているので、計算機や筆記用具は使えない。簡便な方法はないものか。上り坂、下り坂が多いと、修正もしなくてはならないので、一筋縄にはいかないのである。
さて、先般、将棋の大会を見てきたが、将棋は紀元前2000年ごろにインドで発祥した「チャトランガ」が起源だという。碁の発祥もインドだという説がある。さすがゼロを発見した国だけのことはある。
だが、日本の将棋は、取ったこまを再び自分のこまとして使えるのがすごい。こういう改良が日本人の得意とするところだ。だから、今でも将棋のトッププロにコンピューターソフトが勝てないのだ。
将棋は何手も先を読み、頭の中でこまを動かすので、記憶力や判断力、大局観などが養われる。将棋を極めると、画像で記憶ができるようになる。つまり、頭の中に本を置いて、ページをめくって読むということだ。ピアニストが頭にある楽譜を見てピアノを弾くようなことが可能になる。
インド式もいいが、遊んでいるうちに脳トレを自然にできるような昔からの伝統は凄いと思う。百人一首なんかも、同様である。
- 関連記事