妙高山の「はね馬」は、牛だった?
妙高山に雪形の「はね馬」が良く見えるようになった。
妙高市や上越市から見える「はね馬」は、妙高山のど真ん中に位置する。
正確に言うと、妙高山の外輪山である神奈山(かんなさん)の北東側中腹に現れる。ちょうど、妙高山と重なって見えるので、ど真ん中の感じがするだけだ。
最近ははね馬が妙高市を代表するシンボルになっていて、「はねうまの里」とか、けいなん総合病院の壁にデザイン(写真)されていたり、妙高市出身の霜鳳関の化粧回しにつかわれたり、ずいぶん意匠として人気である。なんと言っても、造形がすばらしい。これが自然にできた形とは思えない。
雪形に興味を持って15年ほどたつ。
そのきっかけは、長野県の松川渓谷を上った一番上の、信州高山温泉郷・奥山田温泉に行ったときのことである。
そこの旅館の「満山荘」に泊まった。ここの温泉宿は標高1530mにあり、「日本秘湯を守る会」の会員だ。手作りの浴場と湯はすばらしい。さらに1000ミリの望遠鏡が備えてあり、遠い山々を見ることができるのである。
ここから見た70キロも離れた北アルプスの雪形を見たのがきっかけだった。
一番印象的だったのが武田菱で、自然が作り出したすばらしい造形が忘れられない。
その後、上越地域の雪形を写真に撮ったり、文献を調べたり、休みの日に聞き取り調査をしたりするようになった。
ところで、「はね馬」という呼称は、高田に住む児童文学者、杉みき子さんが自身の童話やエッセイを通じて広めたのだと思う。
実際、地域に入って高齢者の話を聞いてみると、呼称は「はね馬」だけではない。「春駒」「馬形(まがた)」「馬形(うまがた)」「跳ね駒(こんま)」「跳ね駒(こま)」などいろいろある。
だが、「はね馬」という呼称は躍動感があり、詩的でもある。
杉さんが作品などに使用すると、マスメディアでも紹介され、一気に「はね馬」の呼称が広まったのだと思う。
近年は馬の形に見られるようだが、明治時代は馬ではなく、牛だったようだ。
旧高田藩士が編集した「越後頸城郡誌稿」(明治34年刊)に「牛形残雪」のことが出てくる。「山腹ニ例年牛ノ走ル形顕ス。明光山(妙高山のこと)ノ牛形トテ当郡七不思議ノ一タリ」とある。
これがはね馬のことだと思われる。
その証拠に、以前十二の木に住む古老から「昔ははね馬のことを、牛と呼んでいた」との証言を得た。
はね馬を良く見れば、ゴールデンウイークごろになると、頭にはっきり角が見えるようになる。さらに背中は牛のように高く盛り上がっている。
たしかに、馬というより牛に近い感じもする。農耕用に馬を使っていたか、牛を使っていたかにも関係するだろう。
今日は最低気温9.3度、最高気温27.2度。
最高気温が25度以上の日を「夏日」と呼ぶが、今日はまさに夏日。かなり暑かったな。
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スミレは「控えめ」か?
いつも走っている6キロのランニングコースに、スミレの小規模な群落がある。
新井総合公園野球場から松山水辺ふれあい公園の入り口を上がり、国道18号バイパスのガードをくぐった右手の、のり面がちょっとしたスミレのお花畑になっている。
はじめはオオタチツボスミレかとも思ったが、葉っぱの形がハート型ではない。ハート型でなければスミレだと思っていい。それに花が2センチ以上もあり、大きい。
スミレの仲間はいろいろあるが、私が大好きなのはスミレと、テングスミレ(ナガハシスミレ)である。いずれも多年草であるので、しばらく同じ場所で楽しめる。
濃い紫色でけっこう目立つのであるが、この道は車で通る人ばかりなので、気が付く人は少ないと思う。だって、スミレの花言葉は「誠実」、「控えめ」だもの。
ところで上越市には全身紫色の服を着て、髪の毛を紫色に染め、紫色の車に乗って、紫色の家と紫色の家具に囲まれているおばさんがいる(別名紫おばさん)。けっこう目立ちたがりの人であり、控えめではないと思う。
最低気温3.1度、最高気温24.2度。
通りで朝は寒かったわけだ。走っていて、風がすごく冷たかった。手袋をしないと、手が冷たかった。それにしても、3.1度とは。
日中は、きれいに晴れ上がったので、放射冷却現象なのであろう。
今日は、妻が旅行中。母は入院中。次男は飲み会。というわけで、さびしく一人で夕食であった。
今日は午後8時に帰宅して、食事と入浴を終えて、まだ8時40分。こんなに自分の時間がある日は久しぶりである。寝るまで十分に時間があるので、本を1冊読むか、映画を1本観るか。実に迷う選択である。
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焼けたおにぎりの謎
いま、妙高市役所で、鮫ケ尾城跡で出土した炭化したおにぎりを展示している。
今朝、市役所に霊園の使用料を支払いに立ち寄った際、ついでに見てきた。新しくなった市役所に入るのは初めて。話題のおにぎりは1階の展示コーナーにあった。
このおにぎりは、戦国武将、上杉謙信の後継者をめぐる「御館の乱」の舞台となった鮫ケ尾城跡で出土したもので、戦火で焼かれて炭化している。
おにぎりは2006年度の調査の際に、城内の「三の丸」付近で陶片とともに見つかった。握りこぶしほどの大きさで、一番大きなものの重さは約68グラム。4個が発見された。新聞報道によると、市が国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)に鑑定を依頼したところ、手で握ったり、葉でくるんだりした痕跡が見つかり、おにぎりと判明したという。炭素測定で戦国時代のものであることも分かった。
今年1月26日から3月9日まで県立歴史博物館で展示され、その後、新しくなった妙高市役所で市民に公開されているのだ。上越市の市埋蔵文化財センターでも11月30日まで展示されている。こちらは有料(高校生以上200円)なので、ただでおにぎりを見たいなら妙高市役所がいい。
一番気になったのは、どんなおにぎりかということ。玄米なのか、白米なのか、雑穀なのか、具は入っているのか・・・である。
新聞報道を総合すると、100%白米らしい。表面の飯粒は握ったためにつぶれているが、中はつぶれていない。すしの握りのような、理想的な握り方である。布や笹の葉のようなもので包んである痕跡も見える。具は入っていないらしい。
白米とは意外だったな。玄米かと思ったのに。どうやって精米していたのだろう。
最低気温6.8度、最高気温17.6度。
今日もなんだか、肌寒い一日。雨は降らなかったが、すっきりしない天気だ。
昨日は仕事で夜遅く、3時間ほどしか寝ていないので、突発性難聴の後遺症である耳鳴りがひどい。今朝はランニングもできず、ストレスもたまっている。
「良く毎日ブログ書いてるね」などと友人から言われるが、ブログは、好き勝手なことを書いているのでストレスにならない。
たまに長い文章も書くが、それは例外で、だいたい15分から30分で仕上げている。ワープロ検定の日商2級なのでタイピングはすごく早く、しゃべる速さで書けるので、読んでいる人が思うほど、時間をかけているわけじゃない。
この文章も、ここまで書いた時間を計ったら11分である。このあと、文章と写真をアップロードして完成だ。
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ほろ苦い春の味
アケビの若芽をいただいた。
一般には流通していないので、珍しい春の山菜になるだろうか。
キノメともいうが、一般的にはキノメというとサンショウの若芽を指すが、東北信越地方ではアケビの芽のほうを指すことが多い。
さっそく、さっと湯がいて、おひたしにしていただいた。
私が初めてアケビの若芽を食べたのは、20年ほど前だろうか。松之山町(現在十日町市)の旅館に5月ごろに泊まったとき、夕食の膳に出た。
小鉢にアケビの芽が少し入っており、上にウズラ卵の黄身が乗っていた(これを巣ごもりというらしい)。
ほろ苦く、なんとも言えない春の味で、感動した覚えがある。
若芽は4月~6月ごろに摘む。
食べやすい長さに切ってから、塩を入れた熱湯に入れ、混ぜたらすぐに取り出す。そして冷水にかけ流すだけである。
塩を振り冷凍しておけば、いつでも食べられるので便利である。
そのまましょうゆをかけて食べるのもうまい。しゃきしゃきした歯ざわり、ほろ苦さがなんともいえない。くるみ和えや酢の物にしたり、ご飯に炊き込んで食べる人もいる。
料亭などに出ると、高級料理になるそうだ。
最高気温11.0度、最高気温18.9度。
曇りで日中晴れ間もあった。夕方に雨も少し降った。
早朝から町内の一斉清掃。大量の土砂や木の枝が流雪溝などにつまっていて、たいへんだった。仕事はしばらく休みなし。
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ハナミズキの季節
「ハナミズキ」
空を押し上げて
手を伸ばす君 五月のこと
どうか来てほしい
水際まで来てほしい
つぼみをあげよう
庭のハナミズキ
薄紅色の可愛い君のね
果てない夢がちゃんと
終わりますように
君と好きな人が
百年続きますように
一青窈の「ハナミズキ」という歌が好きだ。
2004年の紅白歌合戦での歌唱が忘れられない。
この曲は2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件に触発されて生まれた歌だという。「君」は恋人のことではない。愛と祈りの歌なのである。そのことを知ってからは、この歌を聴くと、胸が痛む。
花色は白からピンク、赤に近いものまでさまざまで、桜が終わって、春から初夏への季節の移り変わりを感じさせてくれる花だ。
上越市のナルス鴨島店がある通りに、ハナミズキが両側に植えられていて、いま花盛りである。かまだ菓子店からセブンイレブンまで数百メートル続いている。まだ若い木なので、花の付きかたは少ないが、あと何年かたてば素晴らしい景観になるだろう。
妙高市でも学校町の新井中学校前の通りに、濃いピンクのハナミズキが満開である。もう少し薄いピンクの方が好きなのだが・・・・
最近はハナミズキが街路樹に使われることが多いという。
花は可憐で美しいだけではなく、秋には紅葉し、赤い実も付く。何よりも落ち葉が少ないのがいい。枝が横に広がり過ぎないので管理が楽なことも特筆される。寒さにも強いので雪国でも大丈夫だ。
ゴールデンウイークごろ、長野市に行くと、あちこちに素晴らしいハナミズキの街路樹が見られる。並木になって何キロも続いていて見事である。
SBC通りと若槻大通りなど大変見事である。2003年5月だっただろうか、あまりの見事さに見とれてしまったことがある。
ハナミズキにはこんな歴史がある。明治42年から数年にわたって、当時東京市長であった尾崎行雄がアメリカ(ワシントンDC.)に桜(ソメイヨシノ)の苗木を贈った。その返礼として大正4年に同国から東京市に贈られたのが日本でのハナミズキの始まりという有名な話がある。そのときの原木は今も残っているとか。アメリカではポピュラーな花木の一つで、バージニア州の州花にもなっている。
100年も前に贈られた桜とハナミズキが、いまも日本とアメリカの友好のシンボルになっているのである。
最低気温2.6度。ずいぶん冷え込んだ。今朝は早朝出勤で、それも外での仕事だったので、すごく寒かった。昼間は気温が20.2度まで上がった。夕方から雨。ゴールデンウイークは当分休みなし。
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クリームソーダ色の桜
御衣黄(ギョイコウ)というめずらしい種類の桜が満開を迎えている。場所は妙高市街地のふれあい会館と勤労者研修センターの間の駐車場の片隅で、1本だけいまの季節に花を咲かせている。
毎朝、犬の散歩に出るのだが、必ずこの木の近くを通るので毎年、花を見ている。
ぜんぜん目立たない桜である。淡いグリーンで、ちょうどクリームソーダのクリームとソーダをかき混ぜたときの色である。緑色の桜というのはこの品種だけらしく、かなり珍しい桜のようだ。ちょうどこの時期に花を咲かせるハナミズキと間違える人もいるかもしれない。
ソメイヨシノが散った1週間後ぐらいに毎年花を付けている。だんだん花の中心から赤みが増してきて、散るころにはかなり赤くなる移り変わりが特徴だ。やがて花ごとポトリと落ちる。
名前は、昔の貴人が好んで着たウグイス色の気品のある衣の色に似ていたことから御衣黄と命名された。突然変異で生まれたであろう品種。江戸時代に京都の仁和寺で栽培されたのが始まりだという。古くは「黄桜」「浅葱桜(浅黄桜)」などとも呼ばれていたといい、漱石の『虞美人草』にも出てくるらしい。
昨日の新聞によると、新潟市江南区の北山公園にもあるらしいし、上越市板倉区曾根田にもあるらしい。
最低気温8.8度、最高気温12.0度。朝方は雨、昼から曇りで寒い一日だった。
今朝は妻が出張で、朝食と弁当2人分を作らなくてはならず、ランニングは中止。明日も早朝からの出勤のため、ランニングはできない。日曜は休みなので、LSD(ロング・スロー・ディスタンスのこと)でもするか。
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「ご当地回文」は楽しい
先日、生協のトラックが止まっていた。
「たがいに」という文字が目に飛び込んでくる。
良くみたら、運転席側の文字は左から右へ書いてあり、このため「にいがた」が「たがいに」に読めたわけだ。
こういうのは回文(前から読んでも後ろからよんでも同じ言葉)のヒントになる。
たちまち「互いに色白い新潟」(たがいにいろしろいにいがた)という回文が完成する。
という具合に、回文を作って楽しんでいるのだが、私の作る回文は、「ご当地回文」というものである。もう15年以上前から提唱(?)しているのだが、自分の住んでいる地域の回文を作って郷土に愛着を持とうというものである。
たとえば、上越地域に糸魚川市というのがあるが「わが糸魚川」(わがいといがわ)というのはどうだろうか。糸魚川市が観光用のキャッチフレーズに採用してくれないかな。
上越市にナルスというスーパーマーケットがあるけれど、「ナルスでするな」というのもある。何をするな、というのかは想像にお任せするが、なかなかの傑作だと自負している。
誰の作かは知らないが、有名なのに「雅子さま」(まさこさま)というのがある。これも新潟県にゆかりがあるので、ご当地回文の範疇に入る。
高田の町には雁木(がんぎ)という雪国独特の昔からのアーケードがある。これを読み込んで「雁木で銀河(がんぎでぎんが)」というロマンチックな回文ができた。
今回は短い回文を紹介したが、大作を作るのも楽しい。
こんな楽しい言葉遊びをする人でサークルでも作りたいなと思う。もちろん、新潟県内もしくは、上越地域の在住者、出身者限定である。
最低気温16.6度、最高気温21.4度。道理で夜中、暑かったわけだ。布団から足を出して寝た。逆に午後から夜にかけては寒いぐらいだった。ほぼ1日雨。朝方は強い風が吹いた。
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みょうこう安全・安心メール
妙高市には「みょうこう安全・安心メール」というのがあって、登録しておくと火災、災害情報や不審者情報、行方不明者情報などの緊急連絡を電子メールや携帯メールで知らせてくれる。
不審者情報などはすごくいいし、今日は午後2時ごろに関山であった建物火災の発生と、鎮火がメールで入ってきた。
でも、これまでで一番多かったのがクマ出没の情報(笑)。
日曜でも、深夜でも配信されるので、隣の市で働いていても非常に安心だ。
それから、旅行など遠くに行っているときでも分かるので助かる。
このほか、生活情報を配信する「みょうこうメールマガジン」というのもあって、お知らせ版情報、イベント情報、子育て情報、観光情報、降積雪情報、農業情報、健康情報、ごみ収集情報、スポーツ情報、市内の話題、観光名所紹介、歴史紹介などの情報が寄せられる。
それも事前に登録したジャンルの情報だけなので、情報が多すぎるということはない。中でもイベント情報は役に立つ。
役所の広報と言えば、以前は広報紙が主だったが、いまはホームページもあるし、このようなメールマガジンもあり、すごく手段が広がったと思う。
最低気温6.7度、最高気温24.8度。昼間は気温が上がり、車は一時クーラーを入れたほど。室内では上着がまったくいらなかった。
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五智国分寺に日本古来のタンポポ「エゾタンポポ」が自生
今、花盛りのタンポポには日本古来のエゾタンポポと、西洋タンポポの2種類がある。
上越地方は西洋タンポポが非常に多い地域らしい。近年はセイヨウタンポポに駆逐され、エゾタンポポは極端に数が少なくなっている。
エゾタンポポは郷津の海岸や、春日山付近で見かけることがある。なんとか種を守っているようだ。
五智3丁目の五智国分寺の境内(本堂近く)にエゾタンポポが以前たくさん自生していた。
数年前までは一面絨毯のようだったのだが、今年行ってみたら、ほんの少しに減ってしまっていた。このまま絶滅してしまわないといいのだけれど。
花を見ても分かりづらいけれど、日本タンポポの花はやや厚ぼったい感じだ。はっきり分かるには、花を裏返してみればいい。花のつけねのガクの部分が反り返っているのが、セイヨウタンポポ。葉はのこぎり状なのが特徴だ。以前、撮った写真で比べてみる。
↓セイヨウタンポポ・・・・ガクが反り返っている
↓日本タンポポ(エゾタンポポ)・・・・・ガクの部分が丸くなっている
「上越市の自然シリーズ1 山野草」(平成6年上越市発行)の説明では、西洋タンポポは「花の基部を包む外側のほうが反り返っている」と書いてあるが、上記の説明のほうが分かりやすいと思う。
ところで、今日富岡線を車で走っていたら、大日のヱスビーガーリックの横の空き地にすごい数のタンポポが咲いていた。これだけあるとお花畑のようである。もちろん、セイヨウタンポポである。
最低気温6.2度、最高気温20.0度。晴れときどき曇り。
きょう午後、寺町で火事があったようだ。高田公園を通ったら黒い煙が見えた。
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高橋惠子さん、素敵でした
「高橋惠子さん、素敵でした。デビューから35年以上たっても、容姿は衰えていません。デビューのころはかわいくてぽっちゃりしていましたが、いまは落ち着きが加わり、美しさが増しています」。こんなラブレターを冒頭に書きたくなった。
さて、今日は上越映画鑑賞会主催の「ふみ子の海」受賞記念上映会の日である。師匠役として凄みのある演技で、毎日映画コンクールと、日本映画批評家大賞で助演女優賞を受賞した高橋惠子さんと、近藤明男監督を迎えて映画会とトークショーが、リージョンプラザ上越で行われたのである。夜には割烹やすねに会場を移し、レセプションが行われた。
もちろん、高橋さんとのツーショットは撮ったし、2人のサインもいただいた。それにしても女優って、大変である。夜のレセプションでは、サイン会、撮影会みたいになってしまった。お酒も、食べ物ものどを通らなかったのではないか。ずーっと人に見られていて大変だなあ。
上映会は月曜の午後4時からということで、入場者はかなり少なかったのが残念であるが、まずはこんなうれしいイベントができたことを喜びたい。
映画は高橋惠子さんのデビュー2年目にしてすでに6本目の作品となる「遊び」 (1971年大映)。「卍」「刺青」 「大地の子守歌」「曽根崎心中」などの作品で知られる増村保造(ますむら・やすぞう)監督の作品である。
「ふみ子の海」の近藤監督は、増村監督の下で助監督としてデビュー、7本の作品をともに作っている。こんな点と点が結びついて、「ふみ子の海」が出来上がったのは感慨深いものがある。
上映した「遊び」は、増村保造監督が大映で撮った最後の作品。原作は野坂昭如の「心中弁天島」である。郷里に病気の姉と母がいて母からの金の無心に嫌気がさしている女工と、だらしないチンピラの男というそれぞれ2人が出会って恋に落ち、大人の世界に翻弄され2人でそこから抜け出そうとして、追い詰められていくという物語。増村監督にしては素直なラブストーリーとも言えるが、現在に過去をフラッシュバックさせていく手法や、服を脱ぎ捨てて海へ小船を出すラストシーンが今から見ても新鮮だ。
増村監督は東京大学文学部哲学科卒業で、1952年いイタリアへ留学しているので、当然ネオリアリズムの影響を受けている。この映画でも2人は貧しさから抜け出そうと、もがいている。たしかにこの時代は暗くて貧しかったのだ。
少女役が関根恵子(現在の高橋惠子)、少女の父が内田朝雄、チンピラの少年が大門正明、その兄貴が蟹江敬三である。そして、ちょい役だが、ゴーゴークラブで少女にからんでくるフーテン娘が松坂慶子である。松坂慶子がどこに出たか全然分からなくて、レセプションのときに高橋惠子さんに聞いて教えてもらった。そういえば、すごくかわいい娘だった。
トークショーは映画鑑賞会の増村俊一会長が案内役。大映時代のことや、「ふみ子の海」についていろいろ聞いて盛り上げていた。
久しぶりに自身の昔の映画を見て、高橋さんが「こんなに泣ける映画とは思わなかった」と言ったのが面白かった。
そして「この作品と出会っていなかったら今の私はない」と言い切り、それはあまりの忙しさで人間的にだめになってしまうと思い、女優を辞めたいと大映の所長に話したのだという。この作品が最後になる予定だったが、「女優のおもしろさというものを初めて知った」のであった。
「ふみ子の海」は、「2~3年前だったら引き受けていなかった」という。それは舞台の「天保十二年のシェイクスピア」(2005年)で、「初めて悪女役をやり、こういう役もおもしろいと思ったから」で、それが非情な師匠役として実ったのだ。
写真は、会場をやすねに移して行われたレセプションでのひとこま。
とにかく受賞おめでとうございます。「ふみ子の海」がいま、東北地方ですごくヒットしているとか。そして、こんな機会を与えてもらった上越映画鑑賞会ありがとう。
最低気温6.2度、最高気温21.4度。晴れ。まだ体が出来上がっていないので、6キロ走っただけで疲れた。
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