31日21時38分=2023年=
今日は「スーパーブルームーン」
今日8月31日は、1年で月が最も地球に接近し、普段より明るく輝いて見える「スーパームーン」と、ひと月に2回目の満月となる「ブルームーン」が重なった「スーパーブルームーン」となった。
↓自宅2階から撮影した「スーパーブルームーン」(午後9時10分)

今日は厚い雲に覆われて月は良く見えなかったが、午後9時過ぎ、雲から月が顔を出した。
「スーパーブルームーン」は2010年1月以来、13年ぶりだという。今日は北陸、関東、東北で良く見えたようだ。
普段の月よりも明るく見えた。ずいぶん明るいので写真撮影は最初、露出オーバーになってしまった。ISO感度を400まで落とし、撮影することができた。
今日の
最低気温25.4度、最高気温36.2度。曇り。
○……記録的猛暑の8月だった。最高気温が35度以上の「猛暑日」が、連続11日を含む、計24日もあった。つまり、猛暑日じゃなかったのはわずか7日だけ。
もちろん、8月はすべて最高気温が30度以上の真夏日である。こんな年ってあったかな。
一番暑かったのは、8月14日の39.5度だった。
↓自宅2階から撮影した「スーパーブルームーン」(午後9時10分)

今日は厚い雲に覆われて月は良く見えなかったが、午後9時過ぎ、雲から月が顔を出した。
「スーパーブルームーン」は2010年1月以来、13年ぶりだという。今日は北陸、関東、東北で良く見えたようだ。
普段の月よりも明るく見えた。ずいぶん明るいので写真撮影は最初、露出オーバーになってしまった。ISO感度を400まで落とし、撮影することができた。
今日の足跡
最低気温25.4度、最高気温36.2度。曇り。
○……記録的猛暑の8月だった。最高気温が35度以上の「猛暑日」が、連続11日を含む、計24日もあった。つまり、猛暑日じゃなかったのはわずか7日だけ。
もちろん、8月はすべて最高気温が30度以上の真夏日である。こんな年ってあったかな。
一番暑かったのは、8月14日の39.5度だった。
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30日20時35分=2023年=
溝口健二監督の名作映画「祇園囃子」
溝口健二監督の名作映画 『祇園囃子(ぎおんばやし)』をAmazon primeで見た。1953年公開だから私が生まれた年の作品である。なぜ、この映画を見返したかというと、先月、徳島の阿波おどりを見に行き、女性のうなじの美しさを再認識したからだ。
↓ポスター

新潟県の佐渡おけさは、編み笠は水平に着ける。阿波おどりは、前方に45度ほど低く傾けて被るので、顔が半分ほど隠れる。反対に目立つのがうなじ。暑い中、汗で濡れたうなじが艶っぽい。アマチュアカメラマンも、顔は良く見えないので、うなじを狙っている人が多い。まさに、阿波おどりはうなじで色っぽさを演出する踊りなのだ。
まずは、阿波おどりのうなじの写真を何枚か並べてみる。


これを見た上で、『祇園囃子』を見ると、主人公の栄子を演じる若尾文子のうなじは白く艷やかで、美しい曲線を描いている。肌も玉のように白い。そして、うなじがきれいに見えるには、首はある程度長くないとだめだ。このとき、若尾文子は20歳。色っぽいけれど可愛らしい。
↓20歳の若尾文子。とても可愛らしい

↓美しい若尾文子のうなじ

この映画は祇園の芸妓の話。祇園の芸妓・美代春(木暮実千代)の屋形に、芸妓をしていた母を亡くした少女・栄子(若尾文子)が舞妓志願に訪れる。栄子の父は美代春の昔からの馴染み客だったが、商売が零落し、細々と暮らしており、栄子の保証人にもならないと言う。しかし、栄子の熱意に負けた美代春は彼女を仕込む決心をした。
祇園の芸妓・美代春(木暮実千代)の屋形に、上七軒で芸妓をしていた母を亡くしたばかりの少女・栄子(若尾文子)が舞妓志願に訪れる。栄子の父は美代春の昔からの馴染み客だったが、メリヤス問屋の商売が零落し、体調もすぐれずに細々とした日々を過ごしている。美代春の使いとして訪れた男衆に向かって、栄子の保証人にはならないと言う。
1年間の舞妓修行を経た栄子は美代栄として見世出しし、車両会社の専務・楠田に見初められる。美代春も楠田の取引先である役所の課長・神崎に好意を抱かれる。だが、美代栄(若尾文子)は強引に迫る楠田を拒んで大けがを負わせてしまい、美代春と美代栄はお茶屋への出入りを止められてしまう。
美代春と美代栄を連れて上京した楠田は、美代春たちには内緒で神崎も呼び寄せていた。宿泊先の旅館で神崎の相手をするように頼まれた美代春は困惑しながらも神崎と対面する。いっぽう、美代栄(若尾文子)は強引に迫る楠田を拒みながら大怪我を負わせてしまう。この事件で美代春と美代栄はお茶屋への出入りを止められ、屋形で侘びしい日々を送っている。
我々には縁のない世界の話だが、役所の課長クラスでも、芸者遊びができる時代だったのだ。
次は川島雄三監督の「女は二度生まれる」(61年)も見てみたい。「祗園囃子」から8年経っているので、若尾文子は28歳である。若尾文子は川島監督から徹底的に磨きあげられたという。艶っぽさと同時に演技にも注目してみたい。
今日の
最低気温23.1度、最高気温35.4度。晴れのち曇り。
↓3色のだんごが串刺しになっている「坊っちゃんだんご」

○……道後温泉で買ってきた土産「坊っちゃんだんご」を賞味期限になる前に食べてみた。老舗「白鷺堂」のものが有名だが、売っていなかった。別の菓子店のものである。味の比較はできないが、とてもおいしかった。
「坊っちゃん」の中に「二皿食べて七銭払った」と登場するつぼや菓子舗の「湯晒(ゆざらし)団子も欲しかったが、朝早くでかけたため、土産店が開いておらず、手に入らなかった。
↓ポスター

新潟県の佐渡おけさは、編み笠は水平に着ける。阿波おどりは、前方に45度ほど低く傾けて被るので、顔が半分ほど隠れる。反対に目立つのがうなじ。暑い中、汗で濡れたうなじが艶っぽい。アマチュアカメラマンも、顔は良く見えないので、うなじを狙っている人が多い。まさに、阿波おどりはうなじで色っぽさを演出する踊りなのだ。
まずは、阿波おどりのうなじの写真を何枚か並べてみる。


これを見た上で、『祇園囃子』を見ると、主人公の栄子を演じる若尾文子のうなじは白く艷やかで、美しい曲線を描いている。肌も玉のように白い。そして、うなじがきれいに見えるには、首はある程度長くないとだめだ。このとき、若尾文子は20歳。色っぽいけれど可愛らしい。
↓20歳の若尾文子。とても可愛らしい

↓美しい若尾文子のうなじ

この映画は祇園の芸妓の話。祇園の芸妓・美代春(木暮実千代)の屋形に、芸妓をしていた母を亡くした少女・栄子(若尾文子)が舞妓志願に訪れる。栄子の父は美代春の昔からの馴染み客だったが、商売が零落し、細々と暮らしており、栄子の保証人にもならないと言う。しかし、栄子の熱意に負けた美代春は彼女を仕込む決心をした。
祇園の芸妓・美代春(木暮実千代)の屋形に、上七軒で芸妓をしていた母を亡くしたばかりの少女・栄子(若尾文子)が舞妓志願に訪れる。栄子の父は美代春の昔からの馴染み客だったが、メリヤス問屋の商売が零落し、体調もすぐれずに細々とした日々を過ごしている。美代春の使いとして訪れた男衆に向かって、栄子の保証人にはならないと言う。
1年間の舞妓修行を経た栄子は美代栄として見世出しし、車両会社の専務・楠田に見初められる。美代春も楠田の取引先である役所の課長・神崎に好意を抱かれる。だが、美代栄(若尾文子)は強引に迫る楠田を拒んで大けがを負わせてしまい、美代春と美代栄はお茶屋への出入りを止められてしまう。
美代春と美代栄を連れて上京した楠田は、美代春たちには内緒で神崎も呼び寄せていた。宿泊先の旅館で神崎の相手をするように頼まれた美代春は困惑しながらも神崎と対面する。いっぽう、美代栄(若尾文子)は強引に迫る楠田を拒みながら大怪我を負わせてしまう。この事件で美代春と美代栄はお茶屋への出入りを止められ、屋形で侘びしい日々を送っている。
我々には縁のない世界の話だが、役所の課長クラスでも、芸者遊びができる時代だったのだ。
次は川島雄三監督の「女は二度生まれる」(61年)も見てみたい。「祗園囃子」から8年経っているので、若尾文子は28歳である。若尾文子は川島監督から徹底的に磨きあげられたという。艶っぽさと同時に演技にも注目してみたい。
今日の足跡
最低気温23.1度、最高気温35.4度。晴れのち曇り。
↓3色のだんごが串刺しになっている「坊っちゃんだんご」

○……道後温泉で買ってきた土産「坊っちゃんだんご」を賞味期限になる前に食べてみた。老舗「白鷺堂」のものが有名だが、売っていなかった。別の菓子店のものである。味の比較はできないが、とてもおいしかった。
「坊っちゃん」の中に「二皿食べて七銭払った」と登場するつぼや菓子舗の「湯晒(ゆざらし)団子も欲しかったが、朝早くでかけたため、土産店が開いておらず、手に入らなかった。
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29日21時15分=2023年=
海を眺めながらランチやドリンクが楽しめる「THE BEACH BUM」
まるで海辺に別荘を持ったような気分。上越市五智6に今年6月にオープンしたカフェ「THE BEACH BUM(ザ ビーチバム)」にようやく行くことができた。
↓小高い場所に店がある

↓店の入口

↓ハンモックもある

郷津海岸の南側の崖の中間に建物がある。広いテラス席があり、今日のように晴れていれば気分爽快。海風に吹かれながら、海を眺めてランチやドリンクが味わえる。席は1人用から、5、6人のグループが使えるような広い席もある。テラス席には日除けのタープがかけられているので、日差しを直接受けることはない。今は暑い日が続いているので、テラス席に扇風機が何台も設置されている。
↓ランチメニュー

↓ドリンクメニュー

さて、メニューは次の通り。食べ物もドリンクも充実している。今回はランチプレート(1480円)のチーズバーガーにした。ドリンクはノンアルビールにした。
↓テラス席

↓テラス席からの日本海の展望

まずは席に座るとメニューを持ってくるので、食べ物などが決まったら、レジカウンターで注文し、お金を払ってくる方式だ。
↓チーズバーガー

運ばれてきたチーズバーガーには分厚いビーフ100%のパテがドンと入っていて、チーズ、トマト、タマネギなどが入っている。ソースはオーロラ風で、いい味だ。
天気が良い日に、また来たい。秋の海もいいだろうな。
◇所在地:上越市五智6-899-3
◇電話:025-546-7796
◇営業時間:11時~日没
◇定休日:水・木曜
今日の
最低気温23.2度、最高気温35.2度。晴れ(猛暑日)。夜一時雨。

○……セブンイレブンで売っていた「麺屋あごすけ 冷しごまから麺」(605円)を食べてみた。ひき肉の量がすごい。ほかにも具がたくさんのっていたし、香味ラー油も付いていて、なかなかの豪華版。でも麺がおいしくない。
↓小高い場所に店がある

↓店の入口

↓ハンモックもある

郷津海岸の南側の崖の中間に建物がある。広いテラス席があり、今日のように晴れていれば気分爽快。海風に吹かれながら、海を眺めてランチやドリンクが味わえる。席は1人用から、5、6人のグループが使えるような広い席もある。テラス席には日除けのタープがかけられているので、日差しを直接受けることはない。今は暑い日が続いているので、テラス席に扇風機が何台も設置されている。
↓ランチメニュー

↓ドリンクメニュー

さて、メニューは次の通り。食べ物もドリンクも充実している。今回はランチプレート(1480円)のチーズバーガーにした。ドリンクはノンアルビールにした。
↓テラス席

↓テラス席からの日本海の展望

まずは席に座るとメニューを持ってくるので、食べ物などが決まったら、レジカウンターで注文し、お金を払ってくる方式だ。
↓チーズバーガー

運ばれてきたチーズバーガーには分厚いビーフ100%のパテがドンと入っていて、チーズ、トマト、タマネギなどが入っている。ソースはオーロラ風で、いい味だ。
天気が良い日に、また来たい。秋の海もいいだろうな。
◇所在地:上越市五智6-899-3
◇電話:025-546-7796
◇営業時間:11時~日没
◇定休日:水・木曜
今日の足跡
最低気温23.2度、最高気温35.2度。晴れ(猛暑日)。夜一時雨。

○……セブンイレブンで売っていた「麺屋あごすけ 冷しごまから麺」(605円)を食べてみた。ひき肉の量がすごい。ほかにも具がたくさんのっていたし、香味ラー油も付いていて、なかなかの豪華版。でも麺がおいしくない。
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28日22時51分=2023年=
読書喫茶「ヒミツヤサン」
上越市西城町2の青田川沿いに今月オープンした読書喫茶「ヒミツヤサン」に入ってみた。店の入口に「当店はゆったりした時間をお過ごしいただけるよう会話をお控えいただいております」との案内が出ていた。おしゃべり厳禁で、静かな環境で読書ができるようにしている。


この場所には昔、大貫に移転した「びんのかけら」があり、その次は「たびのそらや」、「かわのほとり」があった。どれも懐かしい店だ。「ヒミツヤサン」も長く続いてほしい。
内装は、特徴的なアーチ形の窓など、「かわのほとり」とあまり変わっていない。ただ、一人席がたくさんあり、一人で静かに読書する人をターゲットにしているようだ。
注文の際は、オーダー票に記入し、カウンターに提出する方式。セルフではなく、飲み物や食べ物は運んできてくれる。あくまでも、静かさを壊さないための方式だ。

初来店のため、アイスコーヒー(450円)と、この店のイチオシの「ヒミツのプリン」(450円)を頼んだ。アイスコーヒーは店のロゴが入ったもので、量がたっぷり入っていてうれしい。「プリン」は、プリンとカステラの中間?のような食感。卵と牛乳の味がする素朴な味だ。

本を読んでいるうちに、客が次々と入ってきて、午後3時半ごろにはほぼ満席に。静かな環境だったので、単行本を半分も読むことができた。ただ、1人用の椅子は木製でクッションがない。1時間を過ぎたら尻が痛くなった。座布団かクッションを備えてもらえるとうれしい。
なお、第2、第4土曜は「おしゃべり解禁日」だという。
◇上越市西城町2-3-1
◇営業時間:11時~18時
◇定休:水・木曜
今日の
最低気温24.0度、最高気温33.9度。曇りときどき晴れ。今日は幾分涼しい。
○……処理水放出で、中国から日本へ迷惑電話、いやがらせが相次いでいる。中国政府はこれを容認し、処理水放出を可とする書き込みは即、削除している。日本政府がどんなデータを出しても、認めるわけがない。水産物の全面輸入禁止は日本の水産業にすごい打撃だが、力で押す中国らしいやり方で、予想の範囲内といえる。国民の中国政府へ向かう批判のガス抜きでもある。独裁政治というのはこういうことなのだ。
放射性物質のトリチウムは、処分する前に海水で十分にうすめ、基準値以下にするという。子供がプールでおしっこしてしまったとき、衛生基準をクリアしていても、そのプールの水を飲む気分になれるか。処理水放出は、気分の問題なのだ。中国では今、塩の買い占め、買いだめが行われているという。塩を作る過程で、放射性物質が凝縮されるのではないかということだろう。風評被害というのは科学的な説明で納得できるものではない。


この場所には昔、大貫に移転した「びんのかけら」があり、その次は「たびのそらや」、「かわのほとり」があった。どれも懐かしい店だ。「ヒミツヤサン」も長く続いてほしい。
内装は、特徴的なアーチ形の窓など、「かわのほとり」とあまり変わっていない。ただ、一人席がたくさんあり、一人で静かに読書する人をターゲットにしているようだ。
注文の際は、オーダー票に記入し、カウンターに提出する方式。セルフではなく、飲み物や食べ物は運んできてくれる。あくまでも、静かさを壊さないための方式だ。

初来店のため、アイスコーヒー(450円)と、この店のイチオシの「ヒミツのプリン」(450円)を頼んだ。アイスコーヒーは店のロゴが入ったもので、量がたっぷり入っていてうれしい。「プリン」は、プリンとカステラの中間?のような食感。卵と牛乳の味がする素朴な味だ。

本を読んでいるうちに、客が次々と入ってきて、午後3時半ごろにはほぼ満席に。静かな環境だったので、単行本を半分も読むことができた。ただ、1人用の椅子は木製でクッションがない。1時間を過ぎたら尻が痛くなった。座布団かクッションを備えてもらえるとうれしい。
なお、第2、第4土曜は「おしゃべり解禁日」だという。
◇上越市西城町2-3-1
◇営業時間:11時~18時
◇定休:水・木曜
今日の足跡
最低気温24.0度、最高気温33.9度。曇りときどき晴れ。今日は幾分涼しい。
○……処理水放出で、中国から日本へ迷惑電話、いやがらせが相次いでいる。中国政府はこれを容認し、処理水放出を可とする書き込みは即、削除している。日本政府がどんなデータを出しても、認めるわけがない。水産物の全面輸入禁止は日本の水産業にすごい打撃だが、力で押す中国らしいやり方で、予想の範囲内といえる。国民の中国政府へ向かう批判のガス抜きでもある。独裁政治というのはこういうことなのだ。
放射性物質のトリチウムは、処分する前に海水で十分にうすめ、基準値以下にするという。子供がプールでおしっこしてしまったとき、衛生基準をクリアしていても、そのプールの水を飲む気分になれるか。処理水放出は、気分の問題なのだ。中国では今、塩の買い占め、買いだめが行われているという。塩を作る過程で、放射性物質が凝縮されるのではないかということだろう。風評被害というのは科学的な説明で納得できるものではない。
27日15時33分=2023年=
今日は「男はつらいよの日」。第1作を改めて鑑賞
1969年(昭和44年)のこの日、監督・山田洋次、主演・渥美清の映画『男はつらいよ』シリーズの第1作が公開された。これを記念して今日は「男はつらいよの日」である。最も長いシリーズの映画としてギネスブックにも載っている。映画シリーズ全48作の配給収入は464億3,000万円、観客動員数は7,957万3,000人を記録した日本を代表する映画だ。

TVシリーズから始まった「男はつらいよ」は、映画として第1作が作られ、それが26年にわたる映画シリーズとして続くことになる。この1作には、「男はつらいよ」のすべてがあり、山田洋次監督の人情喜劇映画への思いがすべて詰まっている。これまで3回ほど見たが、やっぱり第1作はすばらしい。シリーズのすべての要素がそろっている。
↓矢切の渡し

↓江戸川沿いの柴又公園

↓帝釈天参道


冒頭に寅さん(渥美清)の長い一人語りがある。14歳の時に今は亡き父と大ゲンカして家出した経緯などが語られる。そして、寅さんが矢切の渡しに乗って20年ぶりに、懐かしい故郷柴又の「とらや」に帰ってくる。その日は、ちょうど柴又帝釈天の庚申の祭りだった。歓迎ムードも束の間、寅は妹さくらの縁談に親代わりに出席し、スープをズルズル飲んだり、酔っ払って下品な話を連発してぶちこわしてしまう。おいちゃん(森川信)やおばちゃん(三崎千恵子)たちと大喧嘩し、柴又を去る。
倍賞千恵子が可愛らしい。倍賞千恵子はこのとき、28歳。結婚前に務めていた会社の仕事はコンピューターのキーパンチャー。これが最前線の仕事だった。時代を感じる。
寅さんは、奈良で旅行中の御前様(笠智衆)とその娘・坪内冬子(光本幸子)と再会。幼なじみゆえ、気さくな冬子に恋をした寅さんは、帰郷してからも冬子のもとへ日参する。このときの光本幸子は26歳。美しい(46作にも出演した)。
一方、裏の印刷工場につとめる諏訪博(前田吟)は、さくらへ想いを寄せていた。初めは「さくらは大学出のサラリーマンと結婚させるんだい」といっていた寅次郎も、博のさくらへの思いを知り、恋愛指南をするほどに。博に頼まれて、さくらの想いをきくという役目に失敗し、失望した博は印刷工場をやめ、出て行ってしまう。だが、博がさくらへの心からの想いを直接伝えたことで、もともと博に想いを寄せていたさくらが博を追いかけていって、無事二人は結婚する。
最後は冬子の結婚が決まり、寅次郎の失恋で終わる。このパターンはシリーズを通じて、同じである。
とらやを出て行った寅次郎は、上野駅まで追いかけて来た舎弟の登(津坂匡章)に郷里の八戸までの乗車券を渡し、歳を考えて堅気になれと突き放した寅次郎は、一人寂しくラーメンをかきこみ、嗚咽する場面が秀逸だ。寅さんが泣く場面って他にあったかな。
山田監督はこの作品について「悲しい出来事を涙ながらに訴えること、また生真面目な顔で物語ることは易しい。しかし悲しいことを笑いながら語るのはとても困難なこと。この住み辛い世の中には、笑い話の形を借りてしか伝えられない真実がある」と語っている。それを「男はつらいよ」の中で具現化している。特にこの第1作は記念碑的作品であり、監督の思いを渥美清という名優を通じて語っている。
葛飾柴又へは学生の頃に行ったことがあるが、あれからずいぶん変わっただろう。その後、「葛飾柴又寅さん記念館」や「山田洋次ミュージアム」「フーテンの寅像&さくら像」「寅さんの碑」もできた。また、訪ねて行ってみたいなぁ。
今日の
最低気温23.9度、最高気温33.4度。晴れ。幾分涼しいかな。
↓ダブルベリーヨーグルトスムージー

○……セブンイレブンのスムージーは、冷凍の野菜や果物などを使って店頭で自分で作る。今日、「ダブルベリーヨーグルトスムージー」を飲み、4種類全部を制覇した。各300円。
「ダブルベリーヨーグルトスムージー」はストロベリーとブルーベリーの2種類が入っていて、ヨーグルトとミックスすることで爽やかな酸っぱさが際立つ。どれがおいしいか選ぼうと思ったけれど、どれも優劣つけがたい。それぞれおいしい。
全店に導入が進んでおり、上越市内では7月28日に13店だったが、現在は35店に増えた。妙高市内は4店で変わらず。


TVシリーズから始まった「男はつらいよ」は、映画として第1作が作られ、それが26年にわたる映画シリーズとして続くことになる。この1作には、「男はつらいよ」のすべてがあり、山田洋次監督の人情喜劇映画への思いがすべて詰まっている。これまで3回ほど見たが、やっぱり第1作はすばらしい。シリーズのすべての要素がそろっている。
↓矢切の渡し

↓江戸川沿いの柴又公園

↓帝釈天参道


冒頭に寅さん(渥美清)の長い一人語りがある。14歳の時に今は亡き父と大ゲンカして家出した経緯などが語られる。そして、寅さんが矢切の渡しに乗って20年ぶりに、懐かしい故郷柴又の「とらや」に帰ってくる。その日は、ちょうど柴又帝釈天の庚申の祭りだった。歓迎ムードも束の間、寅は妹さくらの縁談に親代わりに出席し、スープをズルズル飲んだり、酔っ払って下品な話を連発してぶちこわしてしまう。おいちゃん(森川信)やおばちゃん(三崎千恵子)たちと大喧嘩し、柴又を去る。
倍賞千恵子が可愛らしい。倍賞千恵子はこのとき、28歳。結婚前に務めていた会社の仕事はコンピューターのキーパンチャー。これが最前線の仕事だった。時代を感じる。
寅さんは、奈良で旅行中の御前様(笠智衆)とその娘・坪内冬子(光本幸子)と再会。幼なじみゆえ、気さくな冬子に恋をした寅さんは、帰郷してからも冬子のもとへ日参する。このときの光本幸子は26歳。美しい(46作にも出演した)。
一方、裏の印刷工場につとめる諏訪博(前田吟)は、さくらへ想いを寄せていた。初めは「さくらは大学出のサラリーマンと結婚させるんだい」といっていた寅次郎も、博のさくらへの思いを知り、恋愛指南をするほどに。博に頼まれて、さくらの想いをきくという役目に失敗し、失望した博は印刷工場をやめ、出て行ってしまう。だが、博がさくらへの心からの想いを直接伝えたことで、もともと博に想いを寄せていたさくらが博を追いかけていって、無事二人は結婚する。
最後は冬子の結婚が決まり、寅次郎の失恋で終わる。このパターンはシリーズを通じて、同じである。
とらやを出て行った寅次郎は、上野駅まで追いかけて来た舎弟の登(津坂匡章)に郷里の八戸までの乗車券を渡し、歳を考えて堅気になれと突き放した寅次郎は、一人寂しくラーメンをかきこみ、嗚咽する場面が秀逸だ。寅さんが泣く場面って他にあったかな。
山田監督はこの作品について「悲しい出来事を涙ながらに訴えること、また生真面目な顔で物語ることは易しい。しかし悲しいことを笑いながら語るのはとても困難なこと。この住み辛い世の中には、笑い話の形を借りてしか伝えられない真実がある」と語っている。それを「男はつらいよ」の中で具現化している。特にこの第1作は記念碑的作品であり、監督の思いを渥美清という名優を通じて語っている。
葛飾柴又へは学生の頃に行ったことがあるが、あれからずいぶん変わっただろう。その後、「葛飾柴又寅さん記念館」や「山田洋次ミュージアム」「フーテンの寅像&さくら像」「寅さんの碑」もできた。また、訪ねて行ってみたいなぁ。
今日の足跡
最低気温23.9度、最高気温33.4度。晴れ。幾分涼しいかな。
↓ダブルベリーヨーグルトスムージー

○……セブンイレブンのスムージーは、冷凍の野菜や果物などを使って店頭で自分で作る。今日、「ダブルベリーヨーグルトスムージー」を飲み、4種類全部を制覇した。各300円。
「ダブルベリーヨーグルトスムージー」はストロベリーとブルーベリーの2種類が入っていて、ヨーグルトとミックスすることで爽やかな酸っぱさが際立つ。どれがおいしいか選ぼうと思ったけれど、どれも優劣つけがたい。それぞれおいしい。
全店に導入が進んでおり、上越市内では7月28日に13店だったが、現在は35店に増えた。妙高市内は4店で変わらず。

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26日15時52分=2023年=
「四国・山陽の旅」⑪ ~円通寺、大原美術館~
3泊4日(8月12~15日)の四国・山陽の旅のレポートも、今回が4日目の最終日となる。朝からポツポツ雨が降り出した。もう少し天気が続いてほしいと願った。
↓アイビーも雨でしっとり濡れた

↓朝6時のニュース

朝6時のニュースでは、和歌山県潮岬付近に上陸したという。中心から半径130キロ以内では、風速25m以上の暴風という予報だ。どのルートを選ぼうが、帰りは台風第7号のど真ん中を突っ切って帰らなければならない。ならば、日没前に家に着きたい。
朝食は6時30分から食べられるということなので、早めに食堂に行った。ビュッフェ方式は好きではないけれど、ここの料理はおいしかった。
ホテルを午前7時過ぎに出発。朝一番に行くにはふさわしい円通寺に向かった。円通寺は越後の良寛が若い頃、修行をした寺として知られる。
↓円通寺

↓円通寺からの眺望

↓円通寺の庭

円通寺の歴史は古く約1200年前まで遡る。現在の倉敷市玉島の地に行基菩薩によって星浦観音の霊場が開創され、 その後、元禄11年(1698年)徳翁良高禅師によって曹同宗寺院として開山された。越後の出雲崎で生まれた良寛は若い頃、越後で国仙(こくせん)と出会い、国仙が住職を務めていた備中国の円通寺に修行に来て、国仙に師事した。円通寺は良寛が22歳から12年間、修行した禅寺として知られている。
↓円通寺本堂

円通寺本堂は茅葺きで歴史を感じる風格が漂っている。倉敷市指定重要文化財である。
↓良寛像

良寛像があったほか、山頭火と良寛の句碑があった。
↓山頭火の句碑

山頭火は句は円通寺に足を運んで良寛について詠んだ一句。「岩のよろしさも良寛さまのおもいで」
↓良寛の句碑

良寛は「うらを見せ おもてを見せて 散るもみじ」
◇円通寺
・岡山県倉敷市玉島柏島451
・086ー522ー2444
↓大原美術館


いよいよ最後の観光地訪問である。最後にふさわしい「大原美術館」を訪ねた。雨が少し降ってきたが、室内なので問題なし。大原美術館は、日本初の私立西洋美術館として知られる。倉敷の実業家大原孫三郎が援助していた洋画家児島虎次郎に託して収集した美術品を展示している。
ルノワールの「泉による女」、児島虎次郎の「朝顔」、モディリアーニの「ジャンヌ・エビュテルヌの肖像」、そしてモネの「睡蓮」が印象に残った。
今回の旅では、大原美術館以外にも、いくつかの「睡蓮」との出会いがあった。
初日に行った大塚美術館には、モネの「睡蓮:バラ色のハーモニー」が展示されていた。2日目は高知県北川村の「モネの庭」マルモッタン。フランス・ジヴェルニーにある「モネの庭」から睡蓮を譲り受けた。絵ではなく本物の睡蓮だ。同じ日、高知県の牧野富太郎植物園では、食中植物ムジナモが展示してあった場所に、日本古来の睡蓮であるヒツジグサが生育していた。
↓大塚国際美術館で展示されていたモネの「睡蓮:バラ色のハーモニー」

◇大原美術館
・所在地:岡山県倉敷市中央1-1-15
・電話: 086-422-0005
・公式サイト:https://www.ohara.or.jp/
今日の
最低気温24.8度、最高気温35.3度。晴れ。
○……臀部に擦過傷ができ、椅子に座るだけで痛い。四国・山陽の旅で、長時間助手席に座っていたため、皮膚が擦れたのだと思う。10日経っても治らないので、皮膚科へ行って治療してもらった。治るまで2~3週間かかるという。
↓尾道ラーメン

○……尾道では至るところに「尾道ラーメン」の店が出ていて、どこも大行列ができていた。食べたくもあったが、35度を超える灼熱地獄の中、長時間並んだ上、熱いラーメンを食べる気にはなれなかった。
↓アイビーも雨でしっとり濡れた

↓朝6時のニュース

朝6時のニュースでは、和歌山県潮岬付近に上陸したという。中心から半径130キロ以内では、風速25m以上の暴風という予報だ。どのルートを選ぼうが、帰りは台風第7号のど真ん中を突っ切って帰らなければならない。ならば、日没前に家に着きたい。
朝食は6時30分から食べられるということなので、早めに食堂に行った。ビュッフェ方式は好きではないけれど、ここの料理はおいしかった。
ホテルを午前7時過ぎに出発。朝一番に行くにはふさわしい円通寺に向かった。円通寺は越後の良寛が若い頃、修行をした寺として知られる。
↓円通寺

↓円通寺からの眺望

↓円通寺の庭

円通寺の歴史は古く約1200年前まで遡る。現在の倉敷市玉島の地に行基菩薩によって星浦観音の霊場が開創され、 その後、元禄11年(1698年)徳翁良高禅師によって曹同宗寺院として開山された。越後の出雲崎で生まれた良寛は若い頃、越後で国仙(こくせん)と出会い、国仙が住職を務めていた備中国の円通寺に修行に来て、国仙に師事した。円通寺は良寛が22歳から12年間、修行した禅寺として知られている。
↓円通寺本堂

円通寺本堂は茅葺きで歴史を感じる風格が漂っている。倉敷市指定重要文化財である。
↓良寛像

良寛像があったほか、山頭火と良寛の句碑があった。
↓山頭火の句碑

山頭火は句は円通寺に足を運んで良寛について詠んだ一句。「岩のよろしさも良寛さまのおもいで」
↓良寛の句碑

良寛は「うらを見せ おもてを見せて 散るもみじ」
◇円通寺
・岡山県倉敷市玉島柏島451
・086ー522ー2444
↓大原美術館


いよいよ最後の観光地訪問である。最後にふさわしい「大原美術館」を訪ねた。雨が少し降ってきたが、室内なので問題なし。大原美術館は、日本初の私立西洋美術館として知られる。倉敷の実業家大原孫三郎が援助していた洋画家児島虎次郎に託して収集した美術品を展示している。
ルノワールの「泉による女」、児島虎次郎の「朝顔」、モディリアーニの「ジャンヌ・エビュテルヌの肖像」、そしてモネの「睡蓮」が印象に残った。
今回の旅では、大原美術館以外にも、いくつかの「睡蓮」との出会いがあった。
初日に行った大塚美術館には、モネの「睡蓮:バラ色のハーモニー」が展示されていた。2日目は高知県北川村の「モネの庭」マルモッタン。フランス・ジヴェルニーにある「モネの庭」から睡蓮を譲り受けた。絵ではなく本物の睡蓮だ。同じ日、高知県の牧野富太郎植物園では、食中植物ムジナモが展示してあった場所に、日本古来の睡蓮であるヒツジグサが生育していた。
↓大塚国際美術館で展示されていたモネの「睡蓮:バラ色のハーモニー」

◇大原美術館
・所在地:岡山県倉敷市中央1-1-15
・電話: 086-422-0005
・公式サイト:https://www.ohara.or.jp/
今日の足跡
最低気温24.8度、最高気温35.3度。晴れ。
○……臀部に擦過傷ができ、椅子に座るだけで痛い。四国・山陽の旅で、長時間助手席に座っていたため、皮膚が擦れたのだと思う。10日経っても治らないので、皮膚科へ行って治療してもらった。治るまで2~3週間かかるという。
↓尾道ラーメン

○……尾道では至るところに「尾道ラーメン」の店が出ていて、どこも大行列ができていた。食べたくもあったが、35度を超える灼熱地獄の中、長時間並んだ上、熱いラーメンを食べる気にはなれなかった。
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25日17時11分=2023年=
「四国・山陽の旅」⑩ ~尾道と林芙美子、倉敷~
フェリーで尾道に渡り、にぎやかな商店街「おのみち芙美子通り」を眺めながら、「林芙美子記念館」に入った。狭いが施設はまだ新しく、おしゃれな雰囲気の記念館である。
↓おのみち芙美子通り

↓林芙美子記念館


館内では、芙美子の愛用した服や遺品、写真、原稿などが展示されていた。遺品では木製のペーパーナイフ、ペン皿、ペン軸、懐中時計、吸取器、タバコ入れ、コンパクト、印章箱、インク壺、メガネ、万年筆、手鏡などがあった。
↓芙美子の遺品



↓芙美子ゆかりの家


裏口から出ると、そこが「林芙美子ゆかりの家」。大正6年14歳の時、公営渡船付近からこの家の2階に移住した。翌年3月に市立第2尋常小学校を卒業し、同年4月、尾道市立高等女学校に入学。9月に転居するまでここで過ごした。2階には当時を再現した部屋があった。
↓「放浪記」の単行本

↓芙美子の原稿

林芙美子の代表作「放浪記」で、直江津駅に降り立った芙美子が、駅前の団子屋で「継続団子」という名の団子を買う際のやり取りがでてくる。死のうと思って旅に出て、甘い団子を食べていたら、「生きて働かなくていけない」との思いが湧いてきたのである。この他、単行本では出ていないが、「夕焼」という小説にも直江津が出てくる。
↓林芙美子像

記念館のすぐそばには、林芙美子像がある。トランクと傘を持って旅に出る支度をしている。若い人のグループが記念撮影をしていたが、「放浪記」は読んでいないだろうな。森光子主演の舞台で名前だけ知っているのだと思う。像の近くには「海が見えた 海が見える 五年振りに見る 尾道の海は なつかしい」という「放浪記」の一節が刻まれている。
◇林芙美子記念館
・広島県尾道市土堂1-11-2
↓倉敷のアイビースクエア

3日目の宿泊は倉敷市のアイビースクエアが予約してある。だが、到着したのは午後4時頃になってしまった。チェック・インの際、中庭でビアガーデンが行われることを知った。だが、広いビアガーデンも既に予約で埋まっていた。もう少し早く来れば、ビアガーデンを楽しめたのに残念だった。
ツタのからまる赤いレンガが目をひく建物は、倉敷紡績所(現クラボウ)の本社工場をホテルなどの複合施設として改修したもので、とてもおしゃれ。開業したのは1974年だという。陶芸が体験できる工房もあるそうだ。客の大半は若い人で、カップルが多い。おそらく、我々2人は最高齢者だろうな。
↓倉敷の町



ビアガーデンがだめだったので、町に繰り出してみた。白壁の蔵屋敷、なまこ壁、柳並木など、趣ある景観が楽しめる倉敷美観地区である。 伝統的な建物が作り出す町並みや、倉敷川沿いのレトロモダンな風景は日本でないような素晴らしさ。ここでビールを飲みながら、夕食にした。「極上海鮮丼」(1800円)はおいしかった。
↓極上海鮮丼

今日の
最低気温24.5度、最高気温36.5度。晴れ。

○……林芙美子記念館に「尾道文学サイダー 林芙美子編」というのが売っていた。当時の味を再現した味だという。土産に買ってきたが、林芙美子編があるということは、他にもあるのではないか。1本380円。
確かに尾道は林芙美子のほかに、ゆかりの文学者が多い。徳冨蘇峯、十辺舎一九、金田一京助、江見水蔭、志賀直哉(「暗夜行路」の舞台)などもあるのかな。
尾道は大林宣彦監督をはじめ、映画やドラマの舞台に多く登場している。「おのみち映画資料館」「おのみち文学の館」「おのみち歴史博物館」などがあるし、「平山郁夫美術館 」など美術館も多い。改めて訪れてみたい町だ。

○……骨董屋の屋根に、ビクターの犬「ニッパー」がずらりと並んでいた。異様な光景に驚いた。
↓おのみち芙美子通り

↓林芙美子記念館


館内では、芙美子の愛用した服や遺品、写真、原稿などが展示されていた。遺品では木製のペーパーナイフ、ペン皿、ペン軸、懐中時計、吸取器、タバコ入れ、コンパクト、印章箱、インク壺、メガネ、万年筆、手鏡などがあった。
↓芙美子の遺品



↓芙美子ゆかりの家


裏口から出ると、そこが「林芙美子ゆかりの家」。大正6年14歳の時、公営渡船付近からこの家の2階に移住した。翌年3月に市立第2尋常小学校を卒業し、同年4月、尾道市立高等女学校に入学。9月に転居するまでここで過ごした。2階には当時を再現した部屋があった。
↓「放浪記」の単行本

↓芙美子の原稿

林芙美子の代表作「放浪記」で、直江津駅に降り立った芙美子が、駅前の団子屋で「継続団子」という名の団子を買う際のやり取りがでてくる。死のうと思って旅に出て、甘い団子を食べていたら、「生きて働かなくていけない」との思いが湧いてきたのである。この他、単行本では出ていないが、「夕焼」という小説にも直江津が出てくる。
↓林芙美子像

記念館のすぐそばには、林芙美子像がある。トランクと傘を持って旅に出る支度をしている。若い人のグループが記念撮影をしていたが、「放浪記」は読んでいないだろうな。森光子主演の舞台で名前だけ知っているのだと思う。像の近くには「海が見えた 海が見える 五年振りに見る 尾道の海は なつかしい」という「放浪記」の一節が刻まれている。
◇林芙美子記念館
・広島県尾道市土堂1-11-2
↓倉敷のアイビースクエア

3日目の宿泊は倉敷市のアイビースクエアが予約してある。だが、到着したのは午後4時頃になってしまった。チェック・インの際、中庭でビアガーデンが行われることを知った。だが、広いビアガーデンも既に予約で埋まっていた。もう少し早く来れば、ビアガーデンを楽しめたのに残念だった。
ツタのからまる赤いレンガが目をひく建物は、倉敷紡績所(現クラボウ)の本社工場をホテルなどの複合施設として改修したもので、とてもおしゃれ。開業したのは1974年だという。陶芸が体験できる工房もあるそうだ。客の大半は若い人で、カップルが多い。おそらく、我々2人は最高齢者だろうな。
↓倉敷の町



ビアガーデンがだめだったので、町に繰り出してみた。白壁の蔵屋敷、なまこ壁、柳並木など、趣ある景観が楽しめる倉敷美観地区である。 伝統的な建物が作り出す町並みや、倉敷川沿いのレトロモダンな風景は日本でないような素晴らしさ。ここでビールを飲みながら、夕食にした。「極上海鮮丼」(1800円)はおいしかった。
↓極上海鮮丼

今日の足跡
最低気温24.5度、最高気温36.5度。晴れ。

○……林芙美子記念館に「尾道文学サイダー 林芙美子編」というのが売っていた。当時の味を再現した味だという。土産に買ってきたが、林芙美子編があるということは、他にもあるのではないか。1本380円。
確かに尾道は林芙美子のほかに、ゆかりの文学者が多い。徳冨蘇峯、十辺舎一九、金田一京助、江見水蔭、志賀直哉(「暗夜行路」の舞台)などもあるのかな。
尾道は大林宣彦監督をはじめ、映画やドラマの舞台に多く登場している。「おのみち映画資料館」「おのみち文学の館」「おのみち歴史博物館」などがあるし、「平山郁夫美術館 」など美術館も多い。改めて訪れてみたい町だ。

○……骨董屋の屋根に、ビクターの犬「ニッパー」がずらりと並んでいた。異様な光景に驚いた。
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24日21時33分=2023年=
「四国・山陽の旅」⑨ ~子規博物館、瀬戸内海しまなみ海道~
俳人正岡子規は愛媛県松山市で、松山藩市の長男として生まれた。結核菌が脊椎を冒す脊椎カリエスのため、34歳で亡くなるが、生涯に2万4000句を残した。ちなみに俳聖松尾芭蕉は1000句、多作で知られた小林一茶は65歳の生涯で2万1000句である。非常に濃い人生を歩んだ子規博物館に入った。
↓子規博物館

↓子規の句碑「松山や秋より高き天主閣」

↓子規の歌碑「足なへの病いゆとふ伊豫の湯に飛びても行かな鷺にあらませば」


俳句だけではなく、短歌、新体詩、小説、評論、随筆など多方面にわたり創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした。俳句分類や与謝蕪村などの研究もあり、俳句の世界に大きく貢献した。
↓松岡子規像

芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」について、「静けさということを言わずに(静けさを)表現した」と評した。これだけ簡潔に、この句を正確に評価したのは見事である。
その上で、昔の俳句は徒弟制度により無個性となり、使い古された単語が多く、パターン化されていると批判し、絵画の技法である「写生」を重んじた。
芭蕉の「五月雨をあつめて早し最上川」と蕪村の「五月雨や大河を前に家二軒」を比べ、「写生では蕪村のほうが優れていると評した。蕪村の句はまるで動画を見ているようだ。大きなものと小さなものを対比させながら、大雨の恐怖を表現している。
確かに蕪村の句は絵画的だし、動画的だ。「菜の花や月は東に日は西に」は超ワイドの広角レンズで180度の大パノラマを描いているようだ。いや、ワイドレンズでは表現が不可能かもしれない。
正岡子規の蕪村評価は「俳人蕪村」にまとめられ、芭蕉と並び立つべき偉大な俳人として位置づけ直したのである。蕪村の句の「客観的美」についての評価は素晴らしいものだった。
子規博物館内は一部を除いて写真撮影不可なので、紹介することはできないのが残念。
↓愚陀佛庵の20分の1の復元模型


↓濡れ縁に腰掛け、文学論を交わす正岡子規(右)と夏目漱石
写真撮影ができたのは、愚陀佛庵の20分の1の復元模型。この模型は夏目漱石が英語教師として愛媛県尋常中学校に赴任した際の下宿(愚陀佛庵)を復元したもの。子規はこの家の中で夏目漱石と52日間共に過ごし、俳句づくりや俳句の指導に没頭したという。「愚陀佛庵」という名称は漱石の俳号「愚陀佛」にちなんだという。この建物は戦災で1945年に焼失したという。
↓松岡子規の臨終前日に「絶筆三句」を書く模型

もう一つは、正岡子規の臨終場面の模型。子規は亡くなる前日、母の八重や妹の律、門人の河東碧悟桐(かわひがし・へきごとう)らに見守られながら、辞世の句「絶筆三句」をしたためたという。
「をとといの へちまの水も 取らざりき」
「糸瓜咲きて痰のつまりし仏かな」
「痰一寸糸瓜の水にも間に合はず」
病床で書かれた日記『仰臥漫録』の原本はこの博物館が所蔵しているという。
↓今治市から「しまなみ海道」へ

↓瀬戸内海の島々が見えるしまなみ海道。自転車道なども見える


子規博物館を最後に四国からお別れ。愛媛県今治市から「瀬戸内しまなみ海道」を通って、広島県尾道市までの全長約60kmの自動車専用道路である。瀬戸内海に浮かぶ芸予諸島の島々を橋で結び、原動機付き自転車道や自転車・歩行者専用の道路が整備されている。サイクリングをしている人も多かった。
尾道で林芙美子記念館へ向かったが、カーナビでうまく表示されない。道を訪ねながら行ったら、連絡船乗り場に行ってしまった。近所の人に場所を聞くと対岸に記念館があり、向こう岸には駐車場がないので、船で行った方がいいという。
↓しまなみ海道のフェリー


船のことを「連絡船」と言ったら、「懐かしい言葉を聴いた。一応、ここではフェリーと呼んでいるんだが」という。たしかに、車を積んで走っていた。フェリーは向こう岸と頻繁に往復していて、人間は1人100円だという。思いがけず、フェリーに乗って、林芙美子記念館に行くことになった。しまなみ海道には、住民の足であるフェリー航路がたくさんある。なかなか情緒があるものだ。
フェリーは前後にスクリューがついているので、車を載せて降りる際、車を回転させずにスッと出ることができる優れものだ。
尾道市は、大林宣彦監督の故郷であり、「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」の尾道三部作の舞台でもある。
御袖天満宮の55段(ここから転げ落ちる)の参道も行ってみたかったし、千光寺にも行ってみたかったが、今回はパスした。
今日の
最低気温26.4度、最高気温37.3度。晴れのち曇り。
↓水面が低くなった笹ヶ峰ダム

○……笹ケ峰ダムの有効貯水量がゼロに近づいているそうで、ダムまで行ってみた。ダムの係員に聞いてみると、まだ貯水量は1~2割程度あるという。
大渇水だった平成6年のときは、ダムの中に昔のダムの跡が見えたが、まだ見えない。「あと2mほど水位が下がると見えてくるのではないか」と話していた。
ともあれ、一番水が必要な出穂の時期は過ぎたので、用水は足りるのではないか。天水田は別だ。
↓子規博物館

↓子規の句碑「松山や秋より高き天主閣」

↓子規の歌碑「足なへの病いゆとふ伊豫の湯に飛びても行かな鷺にあらませば」


俳句だけではなく、短歌、新体詩、小説、評論、随筆など多方面にわたり創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした。俳句分類や与謝蕪村などの研究もあり、俳句の世界に大きく貢献した。
↓松岡子規像

芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」について、「静けさということを言わずに(静けさを)表現した」と評した。これだけ簡潔に、この句を正確に評価したのは見事である。
その上で、昔の俳句は徒弟制度により無個性となり、使い古された単語が多く、パターン化されていると批判し、絵画の技法である「写生」を重んじた。
芭蕉の「五月雨をあつめて早し最上川」と蕪村の「五月雨や大河を前に家二軒」を比べ、「写生では蕪村のほうが優れていると評した。蕪村の句はまるで動画を見ているようだ。大きなものと小さなものを対比させながら、大雨の恐怖を表現している。
確かに蕪村の句は絵画的だし、動画的だ。「菜の花や月は東に日は西に」は超ワイドの広角レンズで180度の大パノラマを描いているようだ。いや、ワイドレンズでは表現が不可能かもしれない。
正岡子規の蕪村評価は「俳人蕪村」にまとめられ、芭蕉と並び立つべき偉大な俳人として位置づけ直したのである。蕪村の句の「客観的美」についての評価は素晴らしいものだった。
子規博物館内は一部を除いて写真撮影不可なので、紹介することはできないのが残念。
↓愚陀佛庵の20分の1の復元模型


↓濡れ縁に腰掛け、文学論を交わす正岡子規(右)と夏目漱石
写真撮影ができたのは、愚陀佛庵の20分の1の復元模型。この模型は夏目漱石が英語教師として愛媛県尋常中学校に赴任した際の下宿(愚陀佛庵)を復元したもの。子規はこの家の中で夏目漱石と52日間共に過ごし、俳句づくりや俳句の指導に没頭したという。「愚陀佛庵」という名称は漱石の俳号「愚陀佛」にちなんだという。この建物は戦災で1945年に焼失したという。
↓松岡子規の臨終前日に「絶筆三句」を書く模型

もう一つは、正岡子規の臨終場面の模型。子規は亡くなる前日、母の八重や妹の律、門人の河東碧悟桐(かわひがし・へきごとう)らに見守られながら、辞世の句「絶筆三句」をしたためたという。
「をとといの へちまの水も 取らざりき」
「糸瓜咲きて痰のつまりし仏かな」
「痰一寸糸瓜の水にも間に合はず」
病床で書かれた日記『仰臥漫録』の原本はこの博物館が所蔵しているという。
↓今治市から「しまなみ海道」へ

↓瀬戸内海の島々が見えるしまなみ海道。自転車道なども見える


子規博物館を最後に四国からお別れ。愛媛県今治市から「瀬戸内しまなみ海道」を通って、広島県尾道市までの全長約60kmの自動車専用道路である。瀬戸内海に浮かぶ芸予諸島の島々を橋で結び、原動機付き自転車道や自転車・歩行者専用の道路が整備されている。サイクリングをしている人も多かった。
尾道で林芙美子記念館へ向かったが、カーナビでうまく表示されない。道を訪ねながら行ったら、連絡船乗り場に行ってしまった。近所の人に場所を聞くと対岸に記念館があり、向こう岸には駐車場がないので、船で行った方がいいという。
↓しまなみ海道のフェリー


船のことを「連絡船」と言ったら、「懐かしい言葉を聴いた。一応、ここではフェリーと呼んでいるんだが」という。たしかに、車を積んで走っていた。フェリーは向こう岸と頻繁に往復していて、人間は1人100円だという。思いがけず、フェリーに乗って、林芙美子記念館に行くことになった。しまなみ海道には、住民の足であるフェリー航路がたくさんある。なかなか情緒があるものだ。
フェリーは前後にスクリューがついているので、車を載せて降りる際、車を回転させずにスッと出ることができる優れものだ。
尾道市は、大林宣彦監督の故郷であり、「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」の尾道三部作の舞台でもある。
御袖天満宮の55段(ここから転げ落ちる)の参道も行ってみたかったし、千光寺にも行ってみたかったが、今回はパスした。
今日の足跡
最低気温26.4度、最高気温37.3度。晴れのち曇り。
↓水面が低くなった笹ヶ峰ダム

○……笹ケ峰ダムの有効貯水量がゼロに近づいているそうで、ダムまで行ってみた。ダムの係員に聞いてみると、まだ貯水量は1~2割程度あるという。
大渇水だった平成6年のときは、ダムの中に昔のダムの跡が見えたが、まだ見えない。「あと2mほど水位が下がると見えてくるのではないか」と話していた。
ともあれ、一番水が必要な出穂の時期は過ぎたので、用水は足りるのではないか。天水田は別だ。
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- 「四国・山陽の旅」⑦ ~高知城~ (2023/08/22)
23日20時54分=2023年=
「四国・山陽の旅」⑧ ~道後温泉・松山城~
四国・山陽の旅も3日目に突入(8月14日)。この日は午前6時30分にホテルを出発し、夏目漱石の小説「坊っちゃん」や、宮崎駿監督の映画「千と千尋の神隠し」の舞台となった「道後温泉」を目指した。
足を傷つけてしまった白鷺がお湯で怪我を治す様子から人の世に広まったという伝説がある「道後温泉」は、3000年もの長い歴史を誇る。『古事記』や『日本書紀』には、「伊予の湯(道後温泉)」、「有馬の湯(有馬温泉)」、「牟婁(むろ)の湯(白浜温泉)」についての話が書かれており、「日本三古湯」として有名だ。
1895(明治28)年、松山市の旧制松山中学に英語教師として赴任した夏目漱石。当時はまだ新築で木の香り漂う道後温泉本館に、友人の正岡子規や高浜虚子と連れ立って来ていたという。漱石は毎日のようにここに通い、「坊っちゃん」の中では“住田の温泉”として登場させている。
「おれはここへ来てから、毎日住田の温泉へ行くことに極(き)めている。ほかの所は何を見ても東京の足元にも及ばないが温泉だけは立派なものだ」「温泉は三階の新築で上等は浴衣をかして、流しをつけて八銭で済む。その上に女が天目へ茶を載せて出す。おれはいつでも上等へ這入った。(中略)湯壺は花崗石(みかげいし)を畳み上げて、十五畳敷位の広さに仕切ってある。大抵は十三四人漬ってるがたまには誰も居ないことがある。深さは立って乳の辺まであるから、運動のために、湯の中を泳ぐのは中々愉快だ。おれは人の居ないのを見済しては十五畳の湯壺を泳ぎ巡って喜んでいた」(「坊っちゃん」より)」
↓工事中の道後温泉本館

↓別館の湯「飛鳥乃湯泉」

国の重要文化財で「十五畳の湯壺」がある道後温泉本館に入りたかったのだが、現在工事中で、裏側は派手派手なカバーが掛けられている。正面に回ると、昔ながらの部分がかなり見えている。中には漱石ゆかりの部屋である「坊ちゃんの間」が見学できるので、早めに出てきたのだが、残念ながら予約制になっていた。7時に受け付けて、入れるのは11時だという。残念ながら諦めて、別館の湯「飛鳥乃湯泉」に入ってきた。
泉質はアルカリ性単純泉で、臭いやくせがなく、柔らかい湯である。源泉をかけながしにして使用しているそうだ。開放的な大浴場と、本館にはない露天風呂がある。
浴室には伊予の高峰・霊峰石鎚山を描いたタイル絵があった。
◇道後温泉本館
・所在地:愛媛県松山市道後湯之町5-6
・営業時間:6:00〜23:00
・料金:大人420円
◇飛鳥乃湯泉
・所在地:愛媛県松山市道後湯之町19-22
・営業時間:6:00~23:00
・料金:大人610円
さっぱりしたところで、平山城である松山城を目指した。ホテルから見た松山城はとても小さく、おもちゃのように見えたので、あまり期待はしていなかった。
だが、現存12天守のうちの一つ。備中松山城(岡山県高梁市)に対する場合は、「伊予松山城」と呼び分ける。城跡の主要部分が公園として整備され、大天守を含む21棟の現存建造物が国の重要文化財に、城郭遺構が国の史跡に指定されている。そのほか、連立式天守群の小天守以下5棟をはじめとする22棟(塀を含む)が木造で復元されている。日本100名城(81番)に選定。
松山市の中心部、勝山(城山)山頂に本丸、西南麓に二之丸と三之丸を構える。金色の亀が住んでいたという伝説から「金亀城」とも呼ばれる。
↓ロープウェイに乗車

↓ロープウェイで山の上へ

歩いても行けるが、この日は猛暑日でもあり、体力温存のためロープウェイかリフトを利用することにした。ロープウェイを降りてからも随分歩かなくてはいけない。
↓高さ17mの高石垣は見事

途中、石垣の素晴らしさに目を奪われた。高さ17mの高石垣は素晴らしかった。
↓松山城のマスコット「よしあきくん」

いよいよ天守である。天守は三重三階地下一階で、天守広場からの高さは約20m。加工された石が隙間なく積まれ(切込ハギ)、4.1mの高さがある。平山城なので眺望は良い。
↓松山城天守

↓松山城を築城した加藤嘉明

↓天守からの眺め

◇松山城
・営業時間:ロープウェイ8時30分~18時、リフト8時30分~17時、天守9時~17時30分
・駐車場:愛媛県松山市喜与町1丁目6-12(420円)
・天守観覧料金:大人520円
・ロープウェイ・リフト料金:往復520円4
今日の
最低気温26.9度、最高気温36.9度。晴れのち曇り。
○……道後温泉の土産に「坊っちゃん団子」を買ってきた。創業100年以上の老舗「白鷺堂」のものが有名だが、売っていなかった。別の菓子店のものを買った。
「坊っちゃん」の中に「二皿食べて七銭払った」と登場するつぼや菓子舗の「湯晒(ゆざらし)団子も欲しかったが、手に入らなかった。朝早いため開いている土産物店が少なかったこともあるのだろう。
↓伊予柑かき氷

○……松山城の売店で販売していたかき氷。名物の伊予柑のシロップをかけたもの。値段なんと900円。これまでに食べたかき氷で一番高い気がする。甘すぎず、さっぱり感があっておいしかった。熱中症予防にもなったと思う。
足を傷つけてしまった白鷺がお湯で怪我を治す様子から人の世に広まったという伝説がある「道後温泉」は、3000年もの長い歴史を誇る。『古事記』や『日本書紀』には、「伊予の湯(道後温泉)」、「有馬の湯(有馬温泉)」、「牟婁(むろ)の湯(白浜温泉)」についての話が書かれており、「日本三古湯」として有名だ。
1895(明治28)年、松山市の旧制松山中学に英語教師として赴任した夏目漱石。当時はまだ新築で木の香り漂う道後温泉本館に、友人の正岡子規や高浜虚子と連れ立って来ていたという。漱石は毎日のようにここに通い、「坊っちゃん」の中では“住田の温泉”として登場させている。
「おれはここへ来てから、毎日住田の温泉へ行くことに極(き)めている。ほかの所は何を見ても東京の足元にも及ばないが温泉だけは立派なものだ」「温泉は三階の新築で上等は浴衣をかして、流しをつけて八銭で済む。その上に女が天目へ茶を載せて出す。おれはいつでも上等へ這入った。(中略)湯壺は花崗石(みかげいし)を畳み上げて、十五畳敷位の広さに仕切ってある。大抵は十三四人漬ってるがたまには誰も居ないことがある。深さは立って乳の辺まであるから、運動のために、湯の中を泳ぐのは中々愉快だ。おれは人の居ないのを見済しては十五畳の湯壺を泳ぎ巡って喜んでいた」(「坊っちゃん」より)」
↓工事中の道後温泉本館

↓別館の湯「飛鳥乃湯泉」

国の重要文化財で「十五畳の湯壺」がある道後温泉本館に入りたかったのだが、現在工事中で、裏側は派手派手なカバーが掛けられている。正面に回ると、昔ながらの部分がかなり見えている。中には漱石ゆかりの部屋である「坊ちゃんの間」が見学できるので、早めに出てきたのだが、残念ながら予約制になっていた。7時に受け付けて、入れるのは11時だという。残念ながら諦めて、別館の湯「飛鳥乃湯泉」に入ってきた。
泉質はアルカリ性単純泉で、臭いやくせがなく、柔らかい湯である。源泉をかけながしにして使用しているそうだ。開放的な大浴場と、本館にはない露天風呂がある。
浴室には伊予の高峰・霊峰石鎚山を描いたタイル絵があった。
◇道後温泉本館
・所在地:愛媛県松山市道後湯之町5-6
・営業時間:6:00〜23:00
・料金:大人420円
◇飛鳥乃湯泉
・所在地:愛媛県松山市道後湯之町19-22
・営業時間:6:00~23:00
・料金:大人610円
さっぱりしたところで、平山城である松山城を目指した。ホテルから見た松山城はとても小さく、おもちゃのように見えたので、あまり期待はしていなかった。
だが、現存12天守のうちの一つ。備中松山城(岡山県高梁市)に対する場合は、「伊予松山城」と呼び分ける。城跡の主要部分が公園として整備され、大天守を含む21棟の現存建造物が国の重要文化財に、城郭遺構が国の史跡に指定されている。そのほか、連立式天守群の小天守以下5棟をはじめとする22棟(塀を含む)が木造で復元されている。日本100名城(81番)に選定。
松山市の中心部、勝山(城山)山頂に本丸、西南麓に二之丸と三之丸を構える。金色の亀が住んでいたという伝説から「金亀城」とも呼ばれる。
↓ロープウェイに乗車

↓ロープウェイで山の上へ

歩いても行けるが、この日は猛暑日でもあり、体力温存のためロープウェイかリフトを利用することにした。ロープウェイを降りてからも随分歩かなくてはいけない。
↓高さ17mの高石垣は見事

途中、石垣の素晴らしさに目を奪われた。高さ17mの高石垣は素晴らしかった。
↓松山城のマスコット「よしあきくん」

いよいよ天守である。天守は三重三階地下一階で、天守広場からの高さは約20m。加工された石が隙間なく積まれ(切込ハギ)、4.1mの高さがある。平山城なので眺望は良い。
↓松山城天守

↓松山城を築城した加藤嘉明

↓天守からの眺め

◇松山城
・営業時間:ロープウェイ8時30分~18時、リフト8時30分~17時、天守9時~17時30分
・駐車場:愛媛県松山市喜与町1丁目6-12(420円)
・天守観覧料金:大人520円
・ロープウェイ・リフト料金:往復520円4
今日の足跡
最低気温26.9度、最高気温36.9度。晴れのち曇り。
○……道後温泉の土産に「坊っちゃん団子」を買ってきた。創業100年以上の老舗「白鷺堂」のものが有名だが、売っていなかった。別の菓子店のものを買った。
「坊っちゃん」の中に「二皿食べて七銭払った」と登場するつぼや菓子舗の「湯晒(ゆざらし)団子も欲しかったが、手に入らなかった。朝早いため開いている土産物店が少なかったこともあるのだろう。
↓伊予柑かき氷

○……松山城の売店で販売していたかき氷。名物の伊予柑のシロップをかけたもの。値段なんと900円。これまでに食べたかき氷で一番高い気がする。甘すぎず、さっぱり感があっておいしかった。熱中症予防にもなったと思う。
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22日21時22分=2023年=
「四国・山陽の旅」⑦ ~高知城~
2日目の夜は松山城が見えるホテルに宿泊するため、ゆとりがある。時間があれば松山城に上るし、なければ翌日回しだ。午後4時40分頃に高知城に到着したので、一気に制覇してきた。
↓高知城の説明板

高知城は、高知県高知市にある平山城で、瓦や壁の色が鷹の羽の色に似ているとして、鷹城(たかじょう)の別名がある。江戸時代に築かれた天守が残る現存天守十二城の一つであるほか、本丸御殿や追手門などが現存する貴重な城である。人力と天然の資材のみで作ったからこそ価値がある。追手門と天守はいずれも重要文化財。また、日本100名城の一つ。
↓鉄門を登り、詰門付近から眺める天守

↓杉ノ段へ登る階段横にある石樋は城内で一番大きい。排水用に16か所あり

↓高知城は石垣のほとんどが、自然石をのせた野面(のづら)積み

関ヶ原の戦いの功績により徳川家康から土佐一国を拝領した山内一豊は、慶長6年(1601)大高坂山に新城の築城工事を始め、慶長8年(1603)に本丸と二ノ丸が完成、入城した。享保12年(1727)城下町の大火で追手門以外の城郭のほとんどを焼失したが、宝暦3年(1753)までに創建当時の姿のまま再建された。石垣も立派である。
↓高知城天守入り口(入館料420円)

↓おそらく明治時代の写真。今と同じだ

↓2006年に放映された大河ドラマで仲間由紀恵が着た衣装

↓御殿内部は最高の格式を持つ書院造り

↓高知城の模型

↓天守からの眺め

明治はじめの廃城令や、太平洋戦争での高知大空襲からも奇跡的に免れ、「南海道随一の名城」と呼ばれる優美な姿をした建物を今に残している。
↓山ノ内一豊の妻、千代の銅像

↓山内一豊の銅像

また、城内には山内一豊と妻の千代(見性院)の銅像がある。もちろん、妻の方が上部に建っていて「女性上位」である。並んで建てられていないのがおもしろい。
↓板垣退助像

↓「板垣死すとも…」の碑

高知城下で生まれた板垣退助の銅像も立派で、「板垣死すとも自由は死せず」の碑もあった。
◇高知城
・所在地:高知市丸ノ内1丁目2番1号
・電話:088-824-5701
・入館料:420円
・休館日:年末年始
・公式サイト:https://kochipark.jp/kochijyo/
今日の
最低気温25.1度、最高気温36.5度。晴れ。熱帯夜で猛暑日。まだまだ暑さは続く。
↓高知県安芸市で見かけた津波避難タワー

○……高知県の海沿いの町を車で走っていると、至るところに津波が発生したときに逃げ込める「津波避難タワー」があった。
高知県内の津波避難タワーは21年度末までに117基がつくられ、24年度までに126基になる見通し。全国で静岡県に次いで2番目に多いという。南海トラフ地震が起きると、太平洋沿岸では広い範囲で10メートル超の大津波が襲う。高知県黒潮町では国内最大級の18mの津波高が想定されるという。
カツオの一本釣り漁の拠点として知られる黒潮町には、国内最大級の高さ22メートルの津波避難タワーがあるそうだ。
↓高知城の説明板

高知城は、高知県高知市にある平山城で、瓦や壁の色が鷹の羽の色に似ているとして、鷹城(たかじょう)の別名がある。江戸時代に築かれた天守が残る現存天守十二城の一つであるほか、本丸御殿や追手門などが現存する貴重な城である。人力と天然の資材のみで作ったからこそ価値がある。追手門と天守はいずれも重要文化財。また、日本100名城の一つ。
↓鉄門を登り、詰門付近から眺める天守

↓杉ノ段へ登る階段横にある石樋は城内で一番大きい。排水用に16か所あり

↓高知城は石垣のほとんどが、自然石をのせた野面(のづら)積み

関ヶ原の戦いの功績により徳川家康から土佐一国を拝領した山内一豊は、慶長6年(1601)大高坂山に新城の築城工事を始め、慶長8年(1603)に本丸と二ノ丸が完成、入城した。享保12年(1727)城下町の大火で追手門以外の城郭のほとんどを焼失したが、宝暦3年(1753)までに創建当時の姿のまま再建された。石垣も立派である。
↓高知城天守入り口(入館料420円)

↓おそらく明治時代の写真。今と同じだ

↓2006年に放映された大河ドラマで仲間由紀恵が着た衣装

↓御殿内部は最高の格式を持つ書院造り

↓高知城の模型

↓天守からの眺め

明治はじめの廃城令や、太平洋戦争での高知大空襲からも奇跡的に免れ、「南海道随一の名城」と呼ばれる優美な姿をした建物を今に残している。
↓山ノ内一豊の妻、千代の銅像

↓山内一豊の銅像

また、城内には山内一豊と妻の千代(見性院)の銅像がある。もちろん、妻の方が上部に建っていて「女性上位」である。並んで建てられていないのがおもしろい。
↓板垣退助像

↓「板垣死すとも…」の碑

高知城下で生まれた板垣退助の銅像も立派で、「板垣死すとも自由は死せず」の碑もあった。
◇高知城
・所在地:高知市丸ノ内1丁目2番1号
・電話:088-824-5701
・入館料:420円
・休館日:年末年始
・公式サイト:https://kochipark.jp/kochijyo/
今日の足跡
最低気温25.1度、最高気温36.5度。晴れ。熱帯夜で猛暑日。まだまだ暑さは続く。
↓高知県安芸市で見かけた津波避難タワー

○……高知県の海沿いの町を車で走っていると、至るところに津波が発生したときに逃げ込める「津波避難タワー」があった。
高知県内の津波避難タワーは21年度末までに117基がつくられ、24年度までに126基になる見通し。全国で静岡県に次いで2番目に多いという。南海トラフ地震が起きると、太平洋沿岸では広い範囲で10メートル超の大津波が襲う。高知県黒潮町では国内最大級の18mの津波高が想定されるという。
カツオの一本釣り漁の拠点として知られる黒潮町には、国内最大級の高さ22メートルの津波避難タワーがあるそうだ。