06日21時57分=2014年=
新井まつりの「大綱かつぎ」の由来は作り話なのだ
8月3日付の某地域新聞の1面に、あらいまつりの大綱かつぎのニュースが乗っていて、記事の中に大綱かつぎの由来(縁起)が、本文の半分にわたって紹介されていた。しかし史実にはないことだし、後世の人がこの新聞を見て、それを史実だと思い込むことは良くないと思う。それでここに書くことにした。ネットで検索すれば、ひっかかってくれるだろう。
新聞には次のように書かれていた。
「大綱の由来は、新井の地に肥沃な土壌をもたらす一方、暴れ川としても知られる矢代川・関川に対する命綱と、頸城の山々に住むという大蛇伝説。若者たちが大綱を担ぎ、右へ左へと暴れることで川と大蛇を鎮め、五穀豊穣を祈願するという」
去年は別の新聞に大綱の由来について「昔から暴れ川に苦しめられてきたことから洪水時に大綱を対岸に渡し、命綱として使用したことから祭りのシンボルとして担いでいる」との記事が出た。
しかしこれらは史実でもなければ、こんな伝説もない。確かに矢代川は「暴れ川」で度々氾濫したが、氾濫している最中に大綱を対岸に渡せるわけもない。大綱の由来は「新井市史」をはじめあらゆる文献には出ていない。さらには大蛇伝説も頸城地方には存在しない。こんなことは1時間も調べれば分かることだ。
第一、あらいまつりには「神様」がいない。新井市が市制施行20周年を迎えた昭和49年に、「市民ぐるみで気軽に楽しもう」と新しく始めた祭りで、主催は池田正晴市長を名誉会長とする実行委員会である。核になる伝統行事があったわけではない。
その祭りの目玉として「大綱かつぎ」が企画され、初代の大綱は同年7月18日に製作された。大きさは長さ80m、直径30cm、重さ3トンで、9代目の現在の大綱より10m長い。当時、実行委員会では「日本一の大綱」とピーアールしていた。
水害の際の「命綱」という物語は、当時の実行委員を務めていた I さん(現在79歳)が、まつりのちらしに使うため、約40年前に創作したものだ。その物語の出来が良かったため、その後もこのストーリーが使われ、いつの間にか定着してしまったのだという。その I さんは、大蛇伝説について「いつから始まったのだろう。自分は大蛇伝説についてはやっていない」と話していた。
元の物語にいろいろ尾ひれがついて、壮大な物語になっていったようだ。今回の記事も、あらいまつりの事務局の人が、よくわからずに取材に応じてしまったのだろう。いいかげんな情報提供はやめてほしい。
上越地方には「旱魃で苦しんでいる村を訪れた弘法大師が杖で突いた所から水が湧きでたのが○○清水の由来」などという伝説が数多くあるが、おそらくこのようにして生まれたのだろう。
最低気温25.7度、最高気温33.5度。曇り、午後一時強い雨。
午後2時ごろだろうか、大雨洪水警報が妙高市に出て、すごく強い雨が降って驚いた。
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