26日00時05分=2016年=
クリスマスに教会での礼拝
↓説教する早津牧師


早津牧師の誠実で控えめな人柄が素晴らしく、妙高市柳井田にある新井聖書教会の公式ブログを手伝っている。毎週日曜の礼拝で行われる説教の音源をブログにアップしたり、教会の週報に書かれたエッセーをアップしたりしている。
カトリックの教会も訪ねたことがあるが、カトリックに比べてプロテスタントって、儀式など、形式的なことや派手なことはせず、聖書に書かれたことを基本に活動していると感じる。カトリックの組織はピラミッド形で、偉い人のことは絶対的だが、プロテスタントは逆。牧師は「先生」と呼ばれ、食事の世話もやる身近な存在だ。カトリックの神父とは違い、結婚もOKだ。近寄りがたい感じはまったくない。信徒全員が平等という感じ。
教会も巨大な聖堂やパイプオルガン、聖母マリアなどはなにもなく、とてもシンプル。偶像を崇拝しないということなのだろう。反面、たくさん祈る。
教会の礼拝に行く一番の目的はキリスト教やその文化について知りたいため。特に「一神教」については興味がある。これまでに気がついたのは「一神教は信じなければ始まらない」ということだ。旧約聖書の冒頭にある「創世記」を読んで、神が天地を創造したことを信じられなければ、そこで終わり。信じた人だけが、次に進める。
「永遠」「絶対」という一神教は日本人にはあまり広がらなかった。なぜかというと、日本は「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」(方丈記)であって、あらゆるものは変化して、絶対的なものはないという思想だ。日本は昔から災害が多く、地震、大火災、水害などで町や村が壊滅する被害が多かった。砂漠のように、毎日何も変わらないという地域なら、「永遠」「絶対」という思想が育っただろうが、日本では無理だった。
日本でのキリスト教徒の比率が1%前後と低いのも、「一神教」を理解できないからだろう。
↓2人の洗礼式

↓教会内に水槽があり、牧師の導きと祈りによって全身(頭の先まで)水につかる

今日は礼拝が終わった後に、洗礼式があり、2人の洗礼を見ることができた。カトリックでは産まれてすぐの子供に洗礼を施す。「洗礼を受けずに死ぬと地獄に落ちる」ということで、できるだけ早く子供を救うため、このような習慣が生まれたという。プロテスタントではこれをルターが批判したため、洗礼を受けるにはしっかりとした意思判断がなくてはならない。今日、洗礼を受けた男性は、「早く洗礼を受けたかったが、先生がさせてくれなかった」と話していた。聖書についてもしっかり勉強しないと、洗礼はさせてもらえないという。
↓手作りの料理

↓熊の肉の煮物。初めて食べた。脂っぽかったが柔らかかった

その後の食事会は、信徒手作りの料理で、とてもおいしかった。料理はバイキング形式だったが、牧師さんよりも早く皿に取って食べることができたのは一番年配の「70代、80代の人」。牧師といえども、一般信者と順番待ちは同じというのは、プロテスタントらしいと思った。
最低気温1.1度、最高気温9.3度。晴れのち曇り。
↓最近のヒット商品「みそカツえんがわロール」。これで100円

孫たちと一緒に、回転寿司で食事会。タッチパネルでの注文は、2人なら便利だが、3人以上になると選ぶのに時間がかかって面倒になる。スマホは音声入力があるけれど、タッチパネルも音声入力ができないものだろうか。
「マグロとイカとエンガワを1枚ずつ」なんてね。
皿を取った後にタッチパネルのボタンを押すのも面倒。センサーを使って自動化できないものだろうか。
「魚べい」は3段の高速レーンになっていて、下から覗いてみた。寿司は新幹線型の乗物で運ばれてくるが、車輪がついていないんだな。動力はなんだろうか。目の前でピタッと止まるのにはなにかセンサーがあるのだろうか。いろいろ疑問点は多い。

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早津牧師の誠実で控えめな人柄が素晴らしく、妙高市柳井田にある新井聖書教会の公式ブログを手伝っている。毎週日曜の礼拝で行われる説教の音源をブログにアップしたり、教会の週報に書かれたエッセーをアップしたりしている。
カトリックの教会も訪ねたことがあるが、カトリックに比べてプロテスタントって、儀式など、形式的なことや派手なことはせず、聖書に書かれたことを基本に活動していると感じる。カトリックの組織はピラミッド形で、偉い人のことは絶対的だが、プロテスタントは逆。牧師は「先生」と呼ばれ、食事の世話もやる身近な存在だ。カトリックの神父とは違い、結婚もOKだ。近寄りがたい感じはまったくない。信徒全員が平等という感じ。
教会も巨大な聖堂やパイプオルガン、聖母マリアなどはなにもなく、とてもシンプル。偶像を崇拝しないということなのだろう。反面、たくさん祈る。
教会の礼拝に行く一番の目的はキリスト教やその文化について知りたいため。特に「一神教」については興味がある。これまでに気がついたのは「一神教は信じなければ始まらない」ということだ。旧約聖書の冒頭にある「創世記」を読んで、神が天地を創造したことを信じられなければ、そこで終わり。信じた人だけが、次に進める。
「永遠」「絶対」という一神教は日本人にはあまり広がらなかった。なぜかというと、日本は「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」(方丈記)であって、あらゆるものは変化して、絶対的なものはないという思想だ。日本は昔から災害が多く、地震、大火災、水害などで町や村が壊滅する被害が多かった。砂漠のように、毎日何も変わらないという地域なら、「永遠」「絶対」という思想が育っただろうが、日本では無理だった。
日本でのキリスト教徒の比率が1%前後と低いのも、「一神教」を理解できないからだろう。
↓2人の洗礼式

↓教会内に水槽があり、牧師の導きと祈りによって全身(頭の先まで)水につかる

今日は礼拝が終わった後に、洗礼式があり、2人の洗礼を見ることができた。カトリックでは産まれてすぐの子供に洗礼を施す。「洗礼を受けずに死ぬと地獄に落ちる」ということで、できるだけ早く子供を救うため、このような習慣が生まれたという。プロテスタントではこれをルターが批判したため、洗礼を受けるにはしっかりとした意思判断がなくてはならない。今日、洗礼を受けた男性は、「早く洗礼を受けたかったが、先生がさせてくれなかった」と話していた。聖書についてもしっかり勉強しないと、洗礼はさせてもらえないという。
↓手作りの料理

↓熊の肉の煮物。初めて食べた。脂っぽかったが柔らかかった

その後の食事会は、信徒手作りの料理で、とてもおいしかった。料理はバイキング形式だったが、牧師さんよりも早く皿に取って食べることができたのは一番年配の「70代、80代の人」。牧師といえども、一般信者と順番待ちは同じというのは、プロテスタントらしいと思った。
最低気温1.1度、最高気温9.3度。晴れのち曇り。
↓最近のヒット商品「みそカツえんがわロール」。これで100円

孫たちと一緒に、回転寿司で食事会。タッチパネルでの注文は、2人なら便利だが、3人以上になると選ぶのに時間がかかって面倒になる。スマホは音声入力があるけれど、タッチパネルも音声入力ができないものだろうか。
「マグロとイカとエンガワを1枚ずつ」なんてね。
皿を取った後にタッチパネルのボタンを押すのも面倒。センサーを使って自動化できないものだろうか。
「魚べい」は3段の高速レーンになっていて、下から覗いてみた。寿司は新幹線型の乗物で運ばれてくるが、車輪がついていないんだな。動力はなんだろうか。目の前でピタッと止まるのにはなにかセンサーがあるのだろうか。いろいろ疑問点は多い。

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