20日22時49分=2017年=
上越映画鑑賞会 結成40周年記念パーティー
1976年結成 例会はもうすぐ200回に
上越映画鑑賞会の結成40周年の記念祝賀パーティーが昨日19日、上越市の高田ターミナルホテルで開かれた。確か、20周年と25周年記念の記憶があるが、今回は40周年である。なんと、ゲストに上越ロケの映画「ふみ子の海」の近藤明男監督と、この映画に出演した女優の高橋惠子さんが駆けつけたのだ。
↓入場する高橋惠子さんと近藤明男監督

さて、上越映画鑑賞会は結成した1976年10月に「若者たち/若者はゆく」を厚生南会館で初上映したのが最初の例会。そして、3月19日に高田世界館で上映する「妻への家路」で、例会は192回目になる。節目の200回目は来年迎える。
↓増村会長のあいさつ

最初に増村俊一会長があいさつに立ち、第2回例会で上映した映画「アルジェの戦い」(1966年)のほか、「死刑台のメロディ」や「サンチャゴに雨が降る」などの反体制映画を例に上げた。そして「映画は評価が高かったものの、当時は首都圏でしかロードショー公開されず、地方の映画ファンは指をくわえて見ているしかなかった。その時代に全国で自主上映団体が生まれてきた」と、自主上映が全国に広がった時代背景を説明した。
私はその頃は関東にいたので、状況は分からない。だが、その肌感覚は分かる。
美しかった62歳の高橋惠子さん
↓近藤監督の祝辞

↓高橋惠子さんの祝辞


パーティでは近藤明男監督や、高橋惠子さんが祝辞を述べた。増村会長はあいさつの中で、高橋さんのことを旧姓の関根さんと呼んでいたが、私もまだ「関根恵子」の印象が強い。高校生の頃に見た「おさな妻」(1970年)はティーンのセックスを描いていて強烈だった。デビュー作の「高校生ブルース」は、見たのか見ないのか、覚えていないけれど。70年から71年の2年間だけで7本に主演している。その印象が強烈すぎるのだ。

「おさな妻」は、17歳の高校生が、31歳の一児の父と結婚し、初夜を経て、妻として、母として、そして高校生としての3役をこなすのだ。それを、当時まだ15歳だった彼女が演じて話題となった。そのダイナミックな肢体を惜しげもなく銀幕にさらしたのは強烈だった。高校生当時のドキドキ感が懐かしい。
映画では日本人離れした肉体のように感じたが、現在の彼女は身長162cmで、ワンピースが似合う華奢な体つきである。スタイルをそのまま維持しているのはさすが女優だが、小柄だったので少々驚いた。
デビュー作の「高校生ブルース」(1970年)、「おさな妻」(1970年)、「新・高校生ブルース」(1970年)、「高校生心中 純愛」(1971年)の大映東京作品のほか、日活ロマンポルノに出た「ラブレター」(1981年)をもう一度見てみたい。
↓関根惠子さんの祝辞(一部)
アトラクションとして、山崎美矢子さん、はるかさん親子がフルートとキーボードで「ダニー・ボーイ」「ニュー・シネマ・パラダイス」などの映画音楽を演奏した。音楽を聞いていると、映画の場面が目に浮かぶ。音楽の力は偉大だ。

今日の足跡
最低気温1.9度、最高気温13.2度。晴れ。


○……「時は待ってくれない アーティスト 小田和正」というインタビュー番組が今日、午後10時から1時間半にわたって、NHKのBSプレミアムで放送された。インタビューした阿部渉アナが、かなりの小田ファンで、突っ込んだ話を展開していて、おもしろかった。
一つ目のテーマは「苦難をどう乗り越えてきたか」。1998年の自動車事故で鎖骨、肋骨3本を折る「九死に一生」の重傷。その時、ファンから「生きているだけで良かった」という手紙をもらって感動したという。そして、どうしたらお客さんに喜んでもらえるかを考える中で、ファンに近づきたいと「花道」が生まれた。「昔だったら照れくさい。それが素直に手を降っちゃって。昔は手を振るのはあり得なかった。素直になれたんだね」。
二つ目は、昔の小田さんの素顔。中学、高校と野球部。キャプテンもやった。そして当時流行していたフォークソングにのめり込み、仲間とブラザース・フォーのコピー(これがすごくうまい)。大学に入っても続け、最後にヤマハライトミュージックコンテストに「優勝してやめよう」と挑戦したが、「赤い鳥」が1位となり、2位に甘んじた。それがやめるにやめられずプロに入ったきっかけ。
三つ目は、曲作り。(循環)コードを弾くとメロディーが決まってしまう。コードに流されず、メロディーを考えるのが大事。小田さんのメロディーは、コード先行ではなく、メロディー先行だった。そして、歌詞が後に付く。これは予想していた通り。
四つ目は、音楽へ向き合う姿勢。2011年の東日本大震災と向き合ったこと。「音楽なんか、何の助けにもならない」「嗜好品みたいなレベルという気持ち」だったが、「素直な気持ちでできることをやる」という心境になった。また、「音楽は妥協点を探すのではない。同じ方向へ向かうこと」「(音楽は)共通した喜びを分かちあったときに楽しい」ということをきっぱり言った。
五つ目は、引退時期。阿部渉アナはズバリ迫ったが、引退のイメージについては「へへへ」。でも、その前に、はっきり言った。「オリジナルのキーで歌えなくなったら、潔く身を引く」と。
最後に言った言葉がジーンときた。「心からやりたいことがあるなら、時は必ず待ってくれる」。

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