29日22時49分=2017年=
“洗濯屋けんちゃん”のルーツ 上越市高田生まれの五十嵐健治


五十嵐健治といっても知らない人が多いかもしれない。上越市高田(鴨島)生まれの人で、1906年(明治39年)3月に日本橋呉服町で日本初のドライクリーニングの白洋舍を創設した。ドライクリーニング業界の最大手の会社だが、白洋舎は新潟県にないし、新潟県で活躍した人ではないので、知らない人が多いわけだ。まさに“洗濯屋けんちゃん”のルーツである。(^o^)



五十嵐健治については、日本で初めてドライクリーニングを始めた上越出身者、という認識程度しかなかったが、先日3月25日の昼ごろ、「和風総本家」という番組で、五十嵐健治の半生をドラマ仕立てで放送していた。
スペシャル番組で「日本を支えるスゴイ機械」というタイトル。健治は両親が離婚したので、養子に出されてしまったんだな。家計を助けるために13歳で長野の玩具店に丁稚奉公に出るのだ。その後、いろいろな職業につくが、18歳の時に函館の洗濯店で働き、運命が決まった。



29歳で日本橋に洗濯店を開業。当時は洗濯は家庭でするのが一般的で、洗濯屋に頼むのは富裕層だ。だが、ドレスなどは洗濯できず、クリーニングのために外国へ服を送っているのを知った。健治は安く洗濯を請け負う方法を模索するなかで、ドライクリーニングのことを知る。しかし、日本には溶剤がなく海外から輸入するしかなかった。健治は洗濯店を閉め溶剤の開発を始め、明治40年にようやく溶剤を完成させた。そしてドライクリーニングができる機械の製作に入った。明治40年に洗濯機を開発するが、溶剤が引火する危険性があり、大やけどを負いながら改善し、完成したという。
昭和に入り安全なドライクリーニングの設備が完成した。白洋舎では今もオリジナルのクリーニング機を使用している。
白洋舍創業者、五十嵐健治の半生は三浦綾子の「夕あり朝あり」に記されているそうだ。今度読んでみたい。


今日の足跡
最低気温3.2度、最高気温12.8度。晴れ。

○……上越市大貫の山麓線沿いに、ナルス高田西店が3月25日にオープンした。翌26日に、初めて入ってみた。通路がゆったりしているし、総菜が充実していた。目玉品のバナナがすごかった。17本の房が付いていて、なんと198円。1本につき12円弱だ。いったい、どうやったらこんな値段で売ることができるのだろう。
↓ナルス

↓7月オープンのツタヤ


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