04日23時03分=2017年=
芸術性高く今でも新鮮「愛のコリーダ」
41年前の映画とは驚き

「愛のコリーダ」は、私が学生時代に公開された映画だ。公開と同時に見たが、もう41年前なので細部を思い出すことはできない。とにかく、日本初の本格ポルノとして話題を集めた。同級生などはほぼ全員見たんじゃないかな。だが、大幅カットされ、修正され、かなりの部分を想像力で補いながら見ざるを得なかった。それでも、「性的シーンはすべて本番」ということで、たいへん興奮して見たものだ。

「週刊ポスト」6月23日号に「あの『愛のコリーダ』が無修正エロ映画でモロに見られる」というとじ込み付録があり、ネット動画では、「エマニエル夫人」や「ディープ・スロート」なども、ぼかしや修正なしで見ることができると書いてあった。
ちなみに、無修正であっても、見るだけなら合法。例えば、恋人同士が行為をビデオで撮影して2人で見ても、なんら問題ないと同じ。それを所持していても合法だ。それを人に見せたり、販売したら罰せられる。ダウンロードするのもだめである。
まあ、海外版がアマゾンで買えちゃうし、ネット上で見れちゃうのだから、見るのは全然難しくない。
日本では不完全な公開
前置きが長くなったけれど、無修正の「愛のコリーダ」は、ヘアも解禁されていなかった時代の映画だ。それなのに「芸術か、わいせつか」という“性表現の限界”に真正面から挑んだ大島監督はもちろん、セイキ(世紀?)の本番撮影に挑んだ藤竜也と松岡暎子もすごい。
撮影は日本で行ったが、フィルムを現像すれば国内のわいせつ法にひっかかる。なので、現像していないフィルムをフランスへ送り、編集もフランスで行うという荒技で完成させた。
フランスではオリジナル無修正の映像が公開されて大ヒットし、わざわざ見に行った人がいたという噂があった。日本では原型をとどめないほどズタズタに切り刻まれ、ぼかしをかけた“不完全版”が公開された。不完全なものに金を払ったわけで、今からでも「金を返せ」と言いたいほどだ。
おおらかな日本人の性
そんなことは別にして、作品としての素晴らしさに感服した。過激だけれど、究極の愛を描いていた。わいせつというより、芸術性の方を強く感じた。阿部定が生きた時代は昭和に入ったばかりで、まだ赤線があった頃だ。その頃まで、日本は性に対してあけっぴろげで、おおらかだった。
行為の最中に女中が入ってきたり、それを知らん顔して続けたり……。新婚の床入りを人に見せたり……。おそらく、映画を見たフランス人も驚いたことだろう。声は筒抜けだし、鍵もかかっていない。のぞき見もやり放題。全然プライバシーがないのだから。そんなおおらかな性文化を持っていた日本が、今も性表現をゆがめままなのだから、不思議である。
阿部定を体当たりで演じた松田英子は、2011年に58歳で亡くなっている。大島渚監督も2013年に亡くなっている。
この映画の革新性、芸術性は不滅だ。いつになったら、日本の映画館で上映できる日が来るのだろうか。
今日の足跡
最低気温22.1度、最高気温24.7度。雨。ランニングできず。
↓儀明川。かなり濁流だ

○……今日は恐れていたような大雨にならなかった。けたたましいエリアメールの音を聞かなくて良かった。
↓参加賞

○……7月16日に小布施町で行われる「見にマラソン」のゼッケンと参加賞のTシャツ、マルチターバン、プログラムが送られてきた。あと2週間を切った。完走が目標で、楽しく走ってきたい。

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