25日21時26分=2021年=
川端康成「雪国」を巡る文学散歩(1) 高半に泊まる
ノーベル賞作家、川端康成の小説「雪国」の舞台であり、執筆した部屋が今も残る湯沢町のホテル「高半」に泊まってきた。小説だけではなく、豊田四郎監督の映画「雪国」のファンであり、今回念願を叶えた。
↓高半内のかすみの間。部屋の中は昭和10年代の調度品が並んでいる

↓映画「雪国」のかすみの間(池部良と岸恵子)

ホテル内に移築された「かすみの間」(執筆した部屋)を含む文学資料室があり、有料で一般の人も見ることができる。だが、宿泊者には解説が付く。係の人が40分わたり、丁寧に解説してくれた。
かすみの間は、川端康成だけではなく、与謝野鉄幹・昌子夫妻、北原白秋などが宿泊した部屋である。しかし、消防法が改正され、木造の部屋にはスプリンクラーが設置できなかったという。
改築工事を始めたのは川端が亡くなった年(1972年)と同じだった。そのため、当主が急遽、工事を止め「かすみの間」を移築して残すことにした。
(湯沢の温泉は)江戸時代は繁栄していたが、明治時代に一時途絶える。明治政府は鉄道を各地に走らせるが、ここには通らなかった。初めて入ったのが上越線。大正14年に長岡からここまで通じた。昭和6年に清水トンネルが開通し、関東から近くなってきた。それまで信越線経由で8時間かかったが、4時間ぐらいでこちらに来られるようになった。
川端は上越線が通じた後の昭和9年6月に来館。それまでは上毛高原付近で執筆していたが、泊まった宿の亭主から「トンネルの向こうにひなびた温泉があるよ」と紹介された。非常にアルカリ度が高い温泉だという情報を得ていたという。
最初は1週間の滞在で、2か月後にもう一度来るが、その時、芸者の松栄と運命の出会いがある。川端が35歳、松栄が19歳。2人は意気投合し、松栄が湯沢近辺を案内して雪の状況などを教える。それらはすべて「雪国」に反映されている。小説の最後に火事の場面があるが、川端は実際に見たという。
↓映画には実際の「高半旅館」が出てくる

小説には「湯沢」という地名、「高半」という宿名は一切出てこない。それを地元の人が「湯沢のことだ」と言うようになった。
高半の初代は930年以上前の高橋半六。2代目が半左衛門。その半左衛門の名を代々踏襲して、当代で36代目だという。
↓高半の文学資料室

↓「雪国」初版本(左)、映画の台本(中)。「雪国」は38か国に翻訳されている

ショーケースの中にあった小説「雪国」初版本は、昭和12年刊。だが、序章から最終までここでいっぺんに書かれたものではない。昭和10年ぐらいから短編として世に出していた。それを一冊にした。有名な「国境(くにざかい)の長いトンネルを抜けると…」の文は、1冊になって初めて冒頭に来る。
↓駒子のモデル、松栄

「雪国」が世に出て、川端は初版本を初めて松栄という芸者に送る。読んで初めて、自分と先生のことが書かれていると知った。そして4年近くも話をしていたのに教えてくれなかったことを怒る。そして、本に赤線を引いて送り返したという。
↓初代が川端に送った別離の手紙

川端の初恋の人、伊藤初代はカフェ・エランに勤めていた。彼女は15歳。婚約まで行くが、結婚に至らなかった。その別れの手紙が展示されていた。「私にはある非常があるのです」という言葉を使い、のっぴきならない理由で結婚できないということが書かれている。その理由を話すのは死ぬより辛いと書いてあった。
想像がつくと思うけれど、初代の身体に重大な辛いことがあったのだ。気になる人は調べてみてほしい。
映画化されたとき、英語版の翻訳者、サイデンステッカーを連れて、川端が来館した写真が8枚あった。その時に招かれた松栄の姿もあった。
↓川端の色紙

↓映画「雪国」のロケ風景

今日の
最低気温6.9度、最高気温14.8度。曇りときどき雨。
↓ヒメオドリコソウ

○……庭や道端などに雑草に混じって、紫の小さな花を咲かせる植物がある。庭にも出ていて、雑草と一緒に引き抜いているが、植物辞典で調べて驚いた。「ヒメオドリコソウ」というかわいい名前が付いているではないか。でも、花というには少々地味だ。
↓高半内のかすみの間。部屋の中は昭和10年代の調度品が並んでいる

↓映画「雪国」のかすみの間(池部良と岸恵子)

ホテル内に移築された「かすみの間」(執筆した部屋)を含む文学資料室があり、有料で一般の人も見ることができる。だが、宿泊者には解説が付く。係の人が40分わたり、丁寧に解説してくれた。
かすみの間は、川端康成だけではなく、与謝野鉄幹・昌子夫妻、北原白秋などが宿泊した部屋である。しかし、消防法が改正され、木造の部屋にはスプリンクラーが設置できなかったという。
改築工事を始めたのは川端が亡くなった年(1972年)と同じだった。そのため、当主が急遽、工事を止め「かすみの間」を移築して残すことにした。
(湯沢の温泉は)江戸時代は繁栄していたが、明治時代に一時途絶える。明治政府は鉄道を各地に走らせるが、ここには通らなかった。初めて入ったのが上越線。大正14年に長岡からここまで通じた。昭和6年に清水トンネルが開通し、関東から近くなってきた。それまで信越線経由で8時間かかったが、4時間ぐらいでこちらに来られるようになった。
川端は上越線が通じた後の昭和9年6月に来館。それまでは上毛高原付近で執筆していたが、泊まった宿の亭主から「トンネルの向こうにひなびた温泉があるよ」と紹介された。非常にアルカリ度が高い温泉だという情報を得ていたという。
最初は1週間の滞在で、2か月後にもう一度来るが、その時、芸者の松栄と運命の出会いがある。川端が35歳、松栄が19歳。2人は意気投合し、松栄が湯沢近辺を案内して雪の状況などを教える。それらはすべて「雪国」に反映されている。小説の最後に火事の場面があるが、川端は実際に見たという。
↓映画には実際の「高半旅館」が出てくる

小説には「湯沢」という地名、「高半」という宿名は一切出てこない。それを地元の人が「湯沢のことだ」と言うようになった。
高半の初代は930年以上前の高橋半六。2代目が半左衛門。その半左衛門の名を代々踏襲して、当代で36代目だという。
↓高半の文学資料室

↓「雪国」初版本(左)、映画の台本(中)。「雪国」は38か国に翻訳されている

ショーケースの中にあった小説「雪国」初版本は、昭和12年刊。だが、序章から最終までここでいっぺんに書かれたものではない。昭和10年ぐらいから短編として世に出していた。それを一冊にした。有名な「国境(くにざかい)の長いトンネルを抜けると…」の文は、1冊になって初めて冒頭に来る。
↓駒子のモデル、松栄

「雪国」が世に出て、川端は初版本を初めて松栄という芸者に送る。読んで初めて、自分と先生のことが書かれていると知った。そして4年近くも話をしていたのに教えてくれなかったことを怒る。そして、本に赤線を引いて送り返したという。
↓初代が川端に送った別離の手紙

川端の初恋の人、伊藤初代はカフェ・エランに勤めていた。彼女は15歳。婚約まで行くが、結婚に至らなかった。その別れの手紙が展示されていた。「私にはある非常があるのです」という言葉を使い、のっぴきならない理由で結婚できないということが書かれている。その理由を話すのは死ぬより辛いと書いてあった。
想像がつくと思うけれど、初代の身体に重大な辛いことがあったのだ。気になる人は調べてみてほしい。
映画化されたとき、英語版の翻訳者、サイデンステッカーを連れて、川端が来館した写真が8枚あった。その時に招かれた松栄の姿もあった。
↓川端の色紙

↓映画「雪国」のロケ風景

今日の足跡
最低気温6.9度、最高気温14.8度。曇りときどき雨。
↓ヒメオドリコソウ

○……庭や道端などに雑草に混じって、紫の小さな花を咲かせる植物がある。庭にも出ていて、雑草と一緒に引き抜いているが、植物辞典で調べて驚いた。「ヒメオドリコソウ」というかわいい名前が付いているではないか。でも、花というには少々地味だ。
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