25日19時00分=2021年=
岩宿遺跡を訪ねて
友人に誘われ、今月上旬、群馬県みどり市の岩宿遺跡へ行ってきた。岩宿遺跡は在野の考古学者、相沢忠洋さんによって発見された。それまで日本では旧石器時代に人類の文化は存在していないというのが定説だったが、相沢さんが1946年、人が住めない時代だとされていた関東ローム層の赤土の中から初めて打製石器を発見した。岩宿博物館や岩宿ドームを見学したほか、故相沢さんの奥さん、千恵子さんにも会うことができた。
↓相澤記念館


岩宿については学生時代、相沢さんの著書「『岩宿』の発見」を読んでいたので知っていた。相沢さんは1989年に62歳で死去していたので、奥さんが存命とは驚いた。千恵子さんは夫と10歳違いで、現在は84歳だという。頭脳明晰でとてもお若い。
千恵子さんは、桐生市にある「相澤忠洋記念館」の館長でもある。記念館は通常は閉館しているが、電話をすれば開けてくれる。ただし、主な展示物はみどり市の「岩宿博物館」に貸し出してある。
「相澤忠洋記念館」は、相沢さんが晩年、前期旧石器時代遺跡の夏井戸遺跡を研究していた終焉の地にある。現在は休館中だが、事前に連絡して開けてもらった。

◇「相澤忠洋記念館」公式サイト
https://www.aizawa-tadahiro.com/
◇「岩宿博物館」公式サイト
https://www.city.midori.gunma.jp/iwajuku/
記念館には、その大発見の象徴である槍先形尖頭器の巨大なモニュメントが置かれていた。重要な展示物は貸出中のため、写真パネルなどがあるのみだった。
著書「『岩宿』の発見」を持っていったので、千恵子館長からサインを頂いた。本は昭和48年刊の初版本だが、現在は39刷のロングセラーだという。約50年前に読んだ本が、このような巡り合わせになるとは奇縁である。
館内では岩波映画社作製の「太古への夢、岩宿遺跡」のVTRを見ることができた。生前の相沢さんの姿が偲ばれる。青年学校が最終学歴で、研究者としては異端。学閥が支配する学会で発表することもできず、発見後、世間に周知されるまで10年もかかったという。在野の研究者である苦労がしのばれる。
千恵子さんは「結婚は親戚や友人など全員から反対されました」と話していた。研究者を支えてきた奥さんの苦労は並大抵ではなかっただろう。
↓岩宿博物館

次にみどり市の「岩宿博物館」に向かった。まずは、石器が発見された遺跡へ。石積みの遺跡があり、ガイダンス施設の「岩宿ドーム」を見学した。
↓相澤さんの胸像

そこには平成13年に作られた相澤さんの胸像があった。石器を両手で持ってうつむきながら眺めている姿である。
↓岩宿博物館

「岩宿博物館」では、ようやく槍先形尖頭器を見ることができた。長さ6.9センチの石ヤリ部分で、やや透明な黒曜石で作られている。道具もない1万年以上前の時代、どうやって作ったのだろうか。非常にきれいな造形で、芸術品のようだ。
ほかに、調査に使ったオートバイ(スーパーカブ)や、納豆売りをしながら研究をしていたときに使っていた自転車が展示されていた。いずれも撮影不可だったのが残念だった。
今日の
最低気温23.5度、最高気温32.8度。晴れ。
↓ぽっぽ焼き新デザイン

↓ぽっぽ焼き旧デザイン

○……ヤマザキの「ぽっぽ焼き風蒸しパン」のパッケージがリニューアルした。今までより屋台風のデザインになった。
↓相澤記念館


岩宿については学生時代、相沢さんの著書「『岩宿』の発見」を読んでいたので知っていた。相沢さんは1989年に62歳で死去していたので、奥さんが存命とは驚いた。千恵子さんは夫と10歳違いで、現在は84歳だという。頭脳明晰でとてもお若い。
千恵子さんは、桐生市にある「相澤忠洋記念館」の館長でもある。記念館は通常は閉館しているが、電話をすれば開けてくれる。ただし、主な展示物はみどり市の「岩宿博物館」に貸し出してある。
「相澤忠洋記念館」は、相沢さんが晩年、前期旧石器時代遺跡の夏井戸遺跡を研究していた終焉の地にある。現在は休館中だが、事前に連絡して開けてもらった。

◇「相澤忠洋記念館」公式サイト
https://www.aizawa-tadahiro.com/
◇「岩宿博物館」公式サイト
https://www.city.midori.gunma.jp/iwajuku/
記念館には、その大発見の象徴である槍先形尖頭器の巨大なモニュメントが置かれていた。重要な展示物は貸出中のため、写真パネルなどがあるのみだった。
著書「『岩宿』の発見」を持っていったので、千恵子館長からサインを頂いた。本は昭和48年刊の初版本だが、現在は39刷のロングセラーだという。約50年前に読んだ本が、このような巡り合わせになるとは奇縁である。
館内では岩波映画社作製の「太古への夢、岩宿遺跡」のVTRを見ることができた。生前の相沢さんの姿が偲ばれる。青年学校が最終学歴で、研究者としては異端。学閥が支配する学会で発表することもできず、発見後、世間に周知されるまで10年もかかったという。在野の研究者である苦労がしのばれる。
千恵子さんは「結婚は親戚や友人など全員から反対されました」と話していた。研究者を支えてきた奥さんの苦労は並大抵ではなかっただろう。
↓岩宿博物館

次にみどり市の「岩宿博物館」に向かった。まずは、石器が発見された遺跡へ。石積みの遺跡があり、ガイダンス施設の「岩宿ドーム」を見学した。
↓相澤さんの胸像

そこには平成13年に作られた相澤さんの胸像があった。石器を両手で持ってうつむきながら眺めている姿である。
↓岩宿博物館

「岩宿博物館」では、ようやく槍先形尖頭器を見ることができた。長さ6.9センチの石ヤリ部分で、やや透明な黒曜石で作られている。道具もない1万年以上前の時代、どうやって作ったのだろうか。非常にきれいな造形で、芸術品のようだ。
ほかに、調査に使ったオートバイ(スーパーカブ)や、納豆売りをしながら研究をしていたときに使っていた自転車が展示されていた。いずれも撮影不可だったのが残念だった。
今日の足跡
最低気温23.5度、最高気温32.8度。晴れ。
↓ぽっぽ焼き新デザイン

↓ぽっぽ焼き旧デザイン

○……ヤマザキの「ぽっぽ焼き風蒸しパン」のパッケージがリニューアルした。今までより屋台風のデザインになった。
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