27日21時38分=2021年=
「レルヒ少佐と高田の友人たち」展
歴史博物館で開かれている日本スキー発祥110年記念の展覧会「レルヒ少佐と高田の友人たち」の会期が9月5日までと迫ってきたので、終わらないうちに見てきた。

レルヒ少佐は1914年(明治44年)から1年あまりしか高田にいなかったのに、スキーの講習だけではなく、多くのものを高田に残した。
その功績には、多くの高田の友人との交友があった。まずはプロペラひげの長岡外史、岡倉天心の長男の岡倉一雄、画家の片桐文邦など多くのつながりが生まれた。
だから、レルヒがオーストリアに帰還し、生活苦に陥った際、高田の友人たちが中心になってカンパを募った美談につながる。その御礼に送った富士山の絵が展示されていた。レルヒの人柄がしのばれる。
展示物にはレルヒの手帳、ペーパーナイフ、ポシェット、名刺などを始め、都々逸の一節をローマ字で記した書などがあった。
レルヒは、日露戦争に勝った日本の実態をを偵察する任務があったのにもかかわらず、スキーを教えたり、日本の美術品を収集したり、地元の人と交流を深めることに夢中になっていた。ユニークな人である。
今日の
最低気温23.8度、最高気温30.1度。
○……今日は上越市で5人、妙高市で2人が感染。そろそろお盆の帰省から2週間が経つので減ってきてもいいはず。ワクチン接種が進んでいない若者が多いのが気になる。県内は136人。
○……ヘッドホンが壊れてしまったので、ヤマダ電機でSONY製品を買ってきた。安いのを買ってきたので、低音が物足りない。失敗したかな。

レルヒ少佐は1914年(明治44年)から1年あまりしか高田にいなかったのに、スキーの講習だけではなく、多くのものを高田に残した。
その功績には、多くの高田の友人との交友があった。まずはプロペラひげの長岡外史、岡倉天心の長男の岡倉一雄、画家の片桐文邦など多くのつながりが生まれた。
だから、レルヒがオーストリアに帰還し、生活苦に陥った際、高田の友人たちが中心になってカンパを募った美談につながる。その御礼に送った富士山の絵が展示されていた。レルヒの人柄がしのばれる。
展示物にはレルヒの手帳、ペーパーナイフ、ポシェット、名刺などを始め、都々逸の一節をローマ字で記した書などがあった。
レルヒは、日露戦争に勝った日本の実態をを偵察する任務があったのにもかかわらず、スキーを教えたり、日本の美術品を収集したり、地元の人と交流を深めることに夢中になっていた。ユニークな人である。
今日の足跡
最低気温23.8度、最高気温30.1度。
○……今日は上越市で5人、妙高市で2人が感染。そろそろお盆の帰省から2週間が経つので減ってきてもいいはず。ワクチン接種が進んでいない若者が多いのが気になる。県内は136人。
○……ヘッドホンが壊れてしまったので、ヤマダ電機でSONY製品を買ってきた。安いのを買ってきたので、低音が物足りない。失敗したかな。
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