10日21時27分=2022年=
リニューアルした「風味爽快ニシテ」
サッポロビールの新潟限定ビール「風味爽快ニシテ」が5月10日にリニューアルした。ネームの通り、“風味爽快”な飲み口。ラベルも爽やかな感じになった。

缶の裏側に「サッポロビールの生みの親は、新潟県人だった」とのタイトルで、与板町(現・長岡市)出身の中川清兵衛が、日本人で初めて本場ドイツで醸造技術を学び、明治9年に開業した開拓使麦酒醸造所(サッポロビールの前身)でビールを完成させたと書いてあった。

同じ新潟県人で、新発田市生まれの大倉喜八郎も設立に尽力した。大倉喜八郎といえば、大倉財閥の設立者で、大河ドラマになった渋沢栄一らと共に、鹿鳴館、帝国劇場、帝国ホテル、ホテルオークラなどを設立している。
「ビールを発明した奴は素晴らしい男だ」と言ったのはプラトンだった。村上春樹もビールは偉大な発明(?)というようなことを言っていた。
そのビールが新潟人の働きで日本で醸造され、飲まれるようになったことは誇らしい。
今日の
最低気温14.7度、最高気温25.2度。曇り一時晴れ。

○……頸城区の坂口記念館の庭に、坂口謹一郎博士が育てたユキツバキが植えられているが、その園内に歌碑がある。博士が愛した酒と同様に、味のある字である。
「こしのくにのしるしのはなの ゆきつばき ともかきこそりて うえみてませり」
と書かれている。「ともかきこそりて」は「ともがきこぞりて」と読む。

缶の裏側に「サッポロビールの生みの親は、新潟県人だった」とのタイトルで、与板町(現・長岡市)出身の中川清兵衛が、日本人で初めて本場ドイツで醸造技術を学び、明治9年に開業した開拓使麦酒醸造所(サッポロビールの前身)でビールを完成させたと書いてあった。

同じ新潟県人で、新発田市生まれの大倉喜八郎も設立に尽力した。大倉喜八郎といえば、大倉財閥の設立者で、大河ドラマになった渋沢栄一らと共に、鹿鳴館、帝国劇場、帝国ホテル、ホテルオークラなどを設立している。
「ビールを発明した奴は素晴らしい男だ」と言ったのはプラトンだった。村上春樹もビールは偉大な発明(?)というようなことを言っていた。
そのビールが新潟人の働きで日本で醸造され、飲まれるようになったことは誇らしい。
今日の足跡
最低気温14.7度、最高気温25.2度。曇り一時晴れ。

○……頸城区の坂口記念館の庭に、坂口謹一郎博士が育てたユキツバキが植えられているが、その園内に歌碑がある。博士が愛した酒と同様に、味のある字である。
「こしのくにのしるしのはなの ゆきつばき ともかきこそりて うえみてませり」
と書かれている。「ともかきこそりて」は「ともがきこぞりて」と読む。
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Comment
毎日楽しんで読んでいます。
毎日これだけの情報を発信し続けるエネルギーに敬服しています。
大倉喜八郎は大成建設の創業者でもあります。
大成は喜八郎の戒名です。
「うみがたり」は大成建設が作ったと思います。
毎日これだけの情報を発信し続けるエネルギーに敬服しています。
大倉喜八郎は大成建設の創業者でもあります。
大成は喜八郎の戒名です。
「うみがたり」は大成建設が作ったと思います。
yasuさん、茶丸さんそれぞれおっしゃるとおりです。僭越ながらyasuさんの教養あふれる隙のない文章には感服するへかありません。余談ですが、「風味爽快ニシテ」が世に出たのは確か2006年か2007年。上越に滞在するときにスーパーで買うのは「風味爽快ニシテ」に決めています。大倉喜八郎は東京経済大学の創始者だったかと(まちがっていたらご海恕を)。
前述の「感服するへかありません」は正しくは「感服するほかありません」の誤りでした。編集機能で改めようとしたところ、パスワードが判然とせず、できなかったものですから。
ウィキペディアを見たら、大倉土木(現大成建設)の設立に関わったと書いてありました。
「うみがたり」は大成建設が作ったというのは知りませんでした。
いま「大蔵喜八郎の豪快なる生涯」(砂川幸雄著)を読んでいるところですが、破天荒ぶりと桁違いの大金持ちぶりが面白いです。
鉄砲を売って大儲けしたと批判されることもありますが、命をかけて商売していますし、人をだまして利益を得ることはしていません。まっとうな商売人です。
コメントありがとうございました。
「うみがたり」は大成建設が作ったというのは知りませんでした。
いま「大蔵喜八郎の豪快なる生涯」(砂川幸雄著)を読んでいるところですが、破天荒ぶりと桁違いの大金持ちぶりが面白いです。
鉄砲を売って大儲けしたと批判されることもありますが、命をかけて商売していますし、人をだまして利益を得ることはしていません。まっとうな商売人です。
コメントありがとうございました。
「大倉喜八郎は東京経済大学の創始者だった」とありましたが、ウィキペディアにも書いてありました。元は大倉商業学校という校名だったようです。
大倉喜八郎の手掛けた事業は数え切れません。渋沢栄一にも決して劣らない偉業だと思います。
ブログで書き忘れましたが、妙高市の赤倉観光ホテルは大倉喜八郎の息子の大倉喜七郎が手掛けたホテルです。大したものです。
コメントありがとうございました。
大倉喜八郎の手掛けた事業は数え切れません。渋沢栄一にも決して劣らない偉業だと思います。
ブログで書き忘れましたが、妙高市の赤倉観光ホテルは大倉喜八郎の息子の大倉喜七郎が手掛けたホテルです。大したものです。
コメントありがとうございました。