14日22時26分=2022年=
北向観音にあった「善光寺地震の絵馬」
先日、上田市の「つけば」へハヤを食べに行ったドライブの続き。ハヤを味わったあと、“信州の鎌倉”別所温泉へ向かった。北向観音堂と、その本坊である常楽寺や、安楽寺の国宝八角三重塔を拝観してきた。
↓別所温泉の北向観音

北向観音堂は、スマホの方位磁石で見て確認したところ、まさに北向きに建てられていた。南向きの善光寺本堂と相対していることで知られる。善光寺が来世の利益、北向観音が現世の利益をもたらすという。善光寺と北向観音の「両参り」をするとご利益があるが、「片参り」ではだめだという。
善光寺には御開帳前の3月に行ってきたから、これで「両参り」したことになるけれど。そんな迷信は信じない。
↓善光寺地震の絵馬

北向観音は初めてではないが、ここに「善光寺地震の絵馬」があることに気付いた。
善光寺地震とは、1847年5月8日(弘化4年3月24日)、信州の善光寺平を震源とした直下型地震である。マグニチュードは7.4と推定される大地震で、遠く離れた高田城下でも誘発地震で多大な被害が出た。
ちょうどその時、善光寺は7年に一度の御開帳という大不運。夜8時を過ぎても人通りが絶えないところに大地震が発生した。満員だった旅籠は倒壊して出火。全戸に近い2000戸以上が3日間も延焼し、多くの参詣客が焼死したとされる。善光寺以外にも、松代藩、松本藩などでも大きな被害が出たが、善光寺周辺の被害が特に悲惨だったため、「善光寺地震」と呼ばれるようになった。
奉納されたという絵馬がこの写真。その説明が絵馬の下に書かれていた。簡単に説明しよう。
尾張の市之助が同郷の15人と、善光寺御開帳の旅に出た。信心の厚い市之助が上田宿で仲間と別れ、北向観音で厄除けの札を受けた後、再び一行と落ち合い、善光寺に到着した。
地震はその夜に起こり、火災による焼死者が1万5000人も出た。同行者はみな行方不明になったが、市之助は傷一つ受けずに逃れた。市之助の懐にあった御札は2つにちぎれて難を防いだという。絵馬はその御礼に奉納したようだ。
「片参り」ではだめだという理由がこれで分かった。でも、善光寺御開帳に来たために1万5000人も亡くなったのだから、そのうちの1人が助かったといっても、素直に喜べるものなのか。結果として御開帳に行かなかった大多数の信心深くない人のほうに、功徳があったわけなのに。
↓常楽寺

↓五船ノ松

次は北向観音の本坊(住職が住む所)である常楽寺。別所の三楽寺「常楽寺」「安楽寺」「長楽寺(焼失)」の一寺である。階段を上って最初に目に飛び込んでくるのが茅葺きの本堂だ。実に美しい。庭にあった「五船ノ松」という樹齢350年の松の枝ぶりも見事。
↓安楽寺の八角三重塔


最後は三楽寺のもう一つ、安楽寺。ここで国宝の「八角三重塔」を拝観してきた。入場料300円也。
パッと見たら四重塔に見える。だが、説明書きによると、下の屋根は「裳階」という「ひさし」の一種なので、数えないのだという。
八角塔は、奈良や京都にもあったが、既に失われ、この塔が我が国で唯一残ったものらしい。「三重塔は仰いでお参りすること。山の上から見下ろしてはいけない」などと書いてあった。屋根の下の木組みが見事で、さすが国宝だ。
今日の
最低気温14.9度、最高気温25.3度。曇り。
○……新潟県を含む北陸地方が梅雨入りした。
正岡子規の〈紫陽花や 昨日の誠 今日の嘘〉の句がおもしろい。アジサイの色が人の心のようにうつろいやすいからだろうか。
今年はどこへアジサイを見に行こうかな。
↓別所温泉の北向観音

北向観音堂は、スマホの方位磁石で見て確認したところ、まさに北向きに建てられていた。南向きの善光寺本堂と相対していることで知られる。善光寺が来世の利益、北向観音が現世の利益をもたらすという。善光寺と北向観音の「両参り」をするとご利益があるが、「片参り」ではだめだという。
善光寺には御開帳前の3月に行ってきたから、これで「両参り」したことになるけれど。そんな迷信は信じない。
↓善光寺地震の絵馬

北向観音は初めてではないが、ここに「善光寺地震の絵馬」があることに気付いた。
善光寺地震とは、1847年5月8日(弘化4年3月24日)、信州の善光寺平を震源とした直下型地震である。マグニチュードは7.4と推定される大地震で、遠く離れた高田城下でも誘発地震で多大な被害が出た。
ちょうどその時、善光寺は7年に一度の御開帳という大不運。夜8時を過ぎても人通りが絶えないところに大地震が発生した。満員だった旅籠は倒壊して出火。全戸に近い2000戸以上が3日間も延焼し、多くの参詣客が焼死したとされる。善光寺以外にも、松代藩、松本藩などでも大きな被害が出たが、善光寺周辺の被害が特に悲惨だったため、「善光寺地震」と呼ばれるようになった。
奉納されたという絵馬がこの写真。その説明が絵馬の下に書かれていた。簡単に説明しよう。
尾張の市之助が同郷の15人と、善光寺御開帳の旅に出た。信心の厚い市之助が上田宿で仲間と別れ、北向観音で厄除けの札を受けた後、再び一行と落ち合い、善光寺に到着した。
地震はその夜に起こり、火災による焼死者が1万5000人も出た。同行者はみな行方不明になったが、市之助は傷一つ受けずに逃れた。市之助の懐にあった御札は2つにちぎれて難を防いだという。絵馬はその御礼に奉納したようだ。
「片参り」ではだめだという理由がこれで分かった。でも、善光寺御開帳に来たために1万5000人も亡くなったのだから、そのうちの1人が助かったといっても、素直に喜べるものなのか。結果として御開帳に行かなかった大多数の信心深くない人のほうに、功徳があったわけなのに。
↓常楽寺

↓五船ノ松

次は北向観音の本坊(住職が住む所)である常楽寺。別所の三楽寺「常楽寺」「安楽寺」「長楽寺(焼失)」の一寺である。階段を上って最初に目に飛び込んでくるのが茅葺きの本堂だ。実に美しい。庭にあった「五船ノ松」という樹齢350年の松の枝ぶりも見事。
↓安楽寺の八角三重塔


最後は三楽寺のもう一つ、安楽寺。ここで国宝の「八角三重塔」を拝観してきた。入場料300円也。
パッと見たら四重塔に見える。だが、説明書きによると、下の屋根は「裳階」という「ひさし」の一種なので、数えないのだという。
八角塔は、奈良や京都にもあったが、既に失われ、この塔が我が国で唯一残ったものらしい。「三重塔は仰いでお参りすること。山の上から見下ろしてはいけない」などと書いてあった。屋根の下の木組みが見事で、さすが国宝だ。
今日の足跡
最低気温14.9度、最高気温25.3度。曇り。
○……新潟県を含む北陸地方が梅雨入りした。
正岡子規の〈紫陽花や 昨日の誠 今日の嘘〉の句がおもしろい。アジサイの色が人の心のようにうつろいやすいからだろうか。
今年はどこへアジサイを見に行こうかな。
- 関連記事
-
- 「桜桃忌」に太宰治を訪ねて (2022/06/21)
- もしかしてピラミッド!?「岩井堂山」 (2022/06/15)
- 北向観音にあった「善光寺地震の絵馬」 (2022/06/14)
- 七味温泉で「じょんのび」 (2022/06/13)
- 新しくなったビジターセンターといもり池のミズバショウ (2022/05/04)
スポンサーサイト