19日20時37分=2022年=
「乗り放題パス」旅行記③ 石川啄木の故郷盛岡へ
「乗り放題パス」を使っての気ままな一人旅。2日目は6時に起床し、ホテルを早めにチェックアウト。石川啄木の故郷、盛岡へ向かった。
仙台で牛タンを食べたいのだが、約1時間で仙台に着いてしまう。午前9時ではまだ店は開いていない。そのため、仙台の牛タンを後回しにし、盛岡に向かった。普通の旅行なら同じ鉄道を戻ることはありえないが、乗り降り自由な乗り放題パスだから心配いらない。
・ 6:53宇都宮駅→仙台7:58仙台 東北・北海道新幹線 やまびこ51号盛岡行
・ 8:05仙台駅→盛岡駅8:44 東北・北海道新幹線 はやぶさ1号 新函館北斗行
↓やまびこ51号

↓はやぶさ1号

というわけで、2時間弱で盛岡駅に到着した。前夜にホテルで下調べをして分かったことだが、なんと(!)東北・北海道新幹線は全席指定だった!北陸新幹線のように自由席がないのだった。これは大変だ。
早めに宇都宮駅のみどりの窓口へ行き、指定席を取った。係の人が機械を使って指定席を確保する方法を教えてくれた。やってみると簡単だ。乗る直前でも大丈夫。これで万全だ。
東京-盛岡間では10両編成の「はやぶさ」と併結される秋田新幹線も同様なので、気をつけないといけない。
↓盛岡駅

↓盛岡駅前広場にある石川啄木歌碑

盛岡では石川啄木と宮沢賢治の足跡を巡る計画だ。まずは盛岡駅前広場にある石川啄木歌碑からスタート。この歌は東京朝日新聞に勤めていた時代に詠んだもの。立派な歌碑だった。
「ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」
第一歌集『一握の砂』に収められた有名な歌である。自分は都会にいながら、遠くの故郷の様子を思いやる歌となっている。「ふるさとの山」は、岩手県の最高峰、岩手山(2038m)だとされる。上越地方での妙高山のようなものだ。
この日は新幹線の窓からは霧に覆われた町が見えた。残念ながら岩手山は見えなかった。
さて、次は「啄木新婚の家」「岩手公園の歌碑(宮沢賢治と石川啄木)」「もりおか啄木・賢治青春館」の3か所を巡る。歩いて回ろうと思っていたが、駅前をうろうろしていたら市内循環バスがあることが分かった。
↓市街地循環バス「でんでんむし」

市街地循環バスは「でんでんむし」と呼ばれていて、右回りと左回りの2コースがある。どこから乗っても1回120円である。Suicaも使える。
「啄木新婚の家口」というバス停があるのが分かったので、左回りのバスに乗りこんだ。バス停を降りるとすぐ近くに「啄木新婚の家」があった。午前9時開館なのでちょうど良かった。
↓石川啄木新婚の家

↓啄木と節子の新婚の部屋

石川啄木が堀合節子との新婚生活を始めた家である。両親や、妹の光子も一緒である。元武家屋敷だという。この家で随筆「閑天地」を岩手日報の紙上をにぎわしたという。「閑天地」の中の「我が四畳半」に新婚の情景が描かれている。それにしても、新婚夫婦の部屋と、親や妹の部屋がふすま一枚。これでは新婚気分もあったものではないだろう。
そんな理由なのかどうかは分からないが、啄木一家が住んだのはわずか3週間だった。盛岡市内で啄木の遺跡(?)と言えるのはこの「啄木新婚の家」だけである。
↓間取り

↓新婚の啄木と節子

啄木は玄関に近い4畳半の部屋で新婚生活を過ごした。炉があって、鉄瓶が下がっていた。妻節子愛用の琴が展示されていた。
↓もりおか啄木・賢治青春館

↓内部はパネルと本が主体


次も再び右回りの「でんでんむし」に乗って、盛岡バスセンター下車。「もりおか啄木・賢治青春館」へ向かった。同じ岩手県出身の石川啄木・宮沢賢治と、彼らが中学生時代を過ごした盛岡の地をメインテーマとしている。
優美な外観の建物だが、地元資本による盛岡初の銀行として明治11年(1878)に誕生した「第九十銀行」跡である。近くに鮮やかな赤レンガ造りの岩手銀行があるが、第九十銀行は約5か月早く竣工したそうだ。
↓近くある岩手銀行。赤レンガ造りで美しい


展示物は2人を解説したパネルと、著作、映像が中心で、遺品などはなかったと思う。カフェやミュージアムショップを併設していて、おしゃれな施設となっている。
↓盛岡城跡公園(岩手公園)

最後は、賢治や啄木がいこいの場として訪れていた「盛岡城跡公園」へ。青春館から中津川の毘沙門橋を渡ってすぐである。「城跡」は「じょうあと」と読むそうだ。城跡の立派な石垣が残っている。一般的には「岩手公園」と呼ばれる。公園としての開設は1906年(明治39年)と古い。
↓石川啄木の歌碑

ここには2人の石碑がある。啄木の有名な「不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心」の歌碑は、二の丸にあった。金田一京助の書である。
↓宮沢賢治の碑

賢治の碑には、なにやら難しい文語の詩が刻まれていた。「岩手公園」とタイトルが付いていた。
さて、岩手公園から駅までは腹をすかせるために徒歩にした。20分以上あっただろうか。昼食は仙台で牛タンを食べることに決めていたので、「じゃじゃ麺」「わんこそば」「盛岡冷麺」の店を横目に通り過ぎた。どの店もおいしそうで、心が動かされた。
↓盛岡じゃじゃ麺 あきを

↓わんこそば 東家

↓盛岡冷麺 寿々苑

今日の
最低気温8.2度、最高気温18.1度。晴れ。この秋の最低気温となった。

○……火打山が初雪で白くなったのが麓から見て分かった。妙高山は厚い雲に隠れて分からなかった。もう初雪の季節になった。この冬はまた大雪の予報。いやになる。
仙台で牛タンを食べたいのだが、約1時間で仙台に着いてしまう。午前9時ではまだ店は開いていない。そのため、仙台の牛タンを後回しにし、盛岡に向かった。普通の旅行なら同じ鉄道を戻ることはありえないが、乗り降り自由な乗り放題パスだから心配いらない。
・ 6:53宇都宮駅→仙台7:58仙台 東北・北海道新幹線 やまびこ51号盛岡行
・ 8:05仙台駅→盛岡駅8:44 東北・北海道新幹線 はやぶさ1号 新函館北斗行
↓やまびこ51号

↓はやぶさ1号

というわけで、2時間弱で盛岡駅に到着した。前夜にホテルで下調べをして分かったことだが、なんと(!)東北・北海道新幹線は全席指定だった!北陸新幹線のように自由席がないのだった。これは大変だ。
早めに宇都宮駅のみどりの窓口へ行き、指定席を取った。係の人が機械を使って指定席を確保する方法を教えてくれた。やってみると簡単だ。乗る直前でも大丈夫。これで万全だ。
東京-盛岡間では10両編成の「はやぶさ」と併結される秋田新幹線も同様なので、気をつけないといけない。
↓盛岡駅

↓盛岡駅前広場にある石川啄木歌碑

盛岡では石川啄木と宮沢賢治の足跡を巡る計画だ。まずは盛岡駅前広場にある石川啄木歌碑からスタート。この歌は東京朝日新聞に勤めていた時代に詠んだもの。立派な歌碑だった。
「ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」
第一歌集『一握の砂』に収められた有名な歌である。自分は都会にいながら、遠くの故郷の様子を思いやる歌となっている。「ふるさとの山」は、岩手県の最高峰、岩手山(2038m)だとされる。上越地方での妙高山のようなものだ。
この日は新幹線の窓からは霧に覆われた町が見えた。残念ながら岩手山は見えなかった。
さて、次は「啄木新婚の家」「岩手公園の歌碑(宮沢賢治と石川啄木)」「もりおか啄木・賢治青春館」の3か所を巡る。歩いて回ろうと思っていたが、駅前をうろうろしていたら市内循環バスがあることが分かった。
↓市街地循環バス「でんでんむし」

市街地循環バスは「でんでんむし」と呼ばれていて、右回りと左回りの2コースがある。どこから乗っても1回120円である。Suicaも使える。
「啄木新婚の家口」というバス停があるのが分かったので、左回りのバスに乗りこんだ。バス停を降りるとすぐ近くに「啄木新婚の家」があった。午前9時開館なのでちょうど良かった。
↓石川啄木新婚の家

↓啄木と節子の新婚の部屋

石川啄木が堀合節子との新婚生活を始めた家である。両親や、妹の光子も一緒である。元武家屋敷だという。この家で随筆「閑天地」を岩手日報の紙上をにぎわしたという。「閑天地」の中の「我が四畳半」に新婚の情景が描かれている。それにしても、新婚夫婦の部屋と、親や妹の部屋がふすま一枚。これでは新婚気分もあったものではないだろう。
そんな理由なのかどうかは分からないが、啄木一家が住んだのはわずか3週間だった。盛岡市内で啄木の遺跡(?)と言えるのはこの「啄木新婚の家」だけである。
↓間取り

↓新婚の啄木と節子

啄木は玄関に近い4畳半の部屋で新婚生活を過ごした。炉があって、鉄瓶が下がっていた。妻節子愛用の琴が展示されていた。
↓もりおか啄木・賢治青春館

↓内部はパネルと本が主体


次も再び右回りの「でんでんむし」に乗って、盛岡バスセンター下車。「もりおか啄木・賢治青春館」へ向かった。同じ岩手県出身の石川啄木・宮沢賢治と、彼らが中学生時代を過ごした盛岡の地をメインテーマとしている。
優美な外観の建物だが、地元資本による盛岡初の銀行として明治11年(1878)に誕生した「第九十銀行」跡である。近くに鮮やかな赤レンガ造りの岩手銀行があるが、第九十銀行は約5か月早く竣工したそうだ。
↓近くある岩手銀行。赤レンガ造りで美しい


展示物は2人を解説したパネルと、著作、映像が中心で、遺品などはなかったと思う。カフェやミュージアムショップを併設していて、おしゃれな施設となっている。
↓盛岡城跡公園(岩手公園)

最後は、賢治や啄木がいこいの場として訪れていた「盛岡城跡公園」へ。青春館から中津川の毘沙門橋を渡ってすぐである。「城跡」は「じょうあと」と読むそうだ。城跡の立派な石垣が残っている。一般的には「岩手公園」と呼ばれる。公園としての開設は1906年(明治39年)と古い。
↓石川啄木の歌碑

ここには2人の石碑がある。啄木の有名な「不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心」の歌碑は、二の丸にあった。金田一京助の書である。
↓宮沢賢治の碑

賢治の碑には、なにやら難しい文語の詩が刻まれていた。「岩手公園」とタイトルが付いていた。
さて、岩手公園から駅までは腹をすかせるために徒歩にした。20分以上あっただろうか。昼食は仙台で牛タンを食べることに決めていたので、「じゃじゃ麺」「わんこそば」「盛岡冷麺」の店を横目に通り過ぎた。どの店もおいしそうで、心が動かされた。
↓盛岡じゃじゃ麺 あきを

↓わんこそば 東家

↓盛岡冷麺 寿々苑

今日の足跡
最低気温8.2度、最高気温18.1度。晴れ。この秋の最低気温となった。

○……火打山が初雪で白くなったのが麓から見て分かった。妙高山は厚い雲に隠れて分からなかった。もう初雪の季節になった。この冬はまた大雪の予報。いやになる。
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