22日17時27分=2022年=
「乗り放題パス」旅行記⑥ 青森市内の太宰治
12年前の青森への旅では、五所川原の太宰像、斜陽館、「津軽」の舞台の竜飛岬などを巡った。その際、宮沢賢治の故郷・岩手県花巻市巡りも果たし、「雨ニモマケズ」の詩碑、イギリス海岸、宮沢賢治記念館とイーハトーブ館などを巡った。今回の旅では、それを補完する形で、盛岡の啄木・賢治青春館、盛岡城跡公園の詩碑などを巡った。そして、最終日は青森市内にある太宰治の痕跡を追った。
まずは、赤い絲モニュメント「ふたり」へ行った。海沿いにある素敵な海浜公園「青い海公園」の中にあるという。散歩を兼ねて、日が沈みかけた公園を歩いて探した。

↓「ふたり」の像

モニュメント「ふたり」は、2009年に青森市と函館市のツインシティ(双子都市)提携20周年を記念して設置されたもので、両市にモニュメントがあり、津軽海峡を経て向かい合っている。彫刻家、峯田義郎さんの作品だという。峯田さんは上越教育大学の名誉教授で、上越妙高駅にある謙信公像は峯田さんの作品だ。オーレンプラザや高田まちかど交流館にも作品がある。
「ふたり」は、旧制中学時代を青森市で過ごした太宰治が小説「思ひ出」の中で、弟の礼治と青森港桟橋から海峡を渡る連絡船を眺めながら、運命の女性と結ばれる“赤い絲”について語り合った話を基に創作した。いつしか像の足元に赤い絲が巻き付けられるようになったという。これが俗にいう「赤い糸」の伝説である。
既に暗くなっていてお腹も空いたので、ホテルに一旦チェックインしてから居酒屋を探した。青森の郷土食がある店を探して4、5軒を巡ったが、どの店も「満席」だと断られた。土曜の夜なので仕方がないが、席が空いていても一人客は迷惑なのだろう。
↓この店に入りたかったのだが

↓昭和のムードいっぱいの居酒屋

↓店内

仕方なく、郷土料理とは無関係の居酒屋に入った。昭和の映画ポスターや看板が飾られ、懐かしの歌声が流れていた。「高原列車は行く」「おーい中村くん」「ここに幸あれ」など、子供の頃に良く聴いた歌だった。飲んで食べて約2000円と格安だった。
ホテルで十分休み、翌朝は午前7時頃、ホテルを出発した。まずは太宰治の学生時代の下宿跡へ。ホテルのすぐ近くにあった。
↓太宰治の下宿地


↓常光寺

太宰は青森中学時代、金木からは遠くて通えないため、青森市寺町にあった叔母・きゑの後夫常吉の実家である呉服店・豊田太左衛門方に下宿した。隣接する常光寺は、棟方志功の菩提寺で、太宰は青森中学校時代、体を鍛えるため、寺の境内で100mダッシュを繰り返したといわれる。下宿跡には説明板があるだけである。
続いて太宰治の文学碑がある「文芸のこみち」へ。旧国鉄の操車場跡だという。ホテルから20分ほど歩いた。スマホの地図アプリの通りに歩くだけなので、探す手間はかからない。
↓太宰治の「津軽」の一節が書かれた石碑

碑には「津軽」の一節が刻まれていた。「さらば読者よ 命あらばまた他日 元気で行こう 絶望するな では、失敬」と。多くの文学者の碑があったが、太宰以外は知らなかった。
↓棟方志功の出生の地

↓棟方志功の育ての場

棟方志功記念館に行きたかったが、調べたら月曜休館であった。昨日午後に行けば良かった。今回の一番の失敗だった。仕方なく、「棟方志功の出生の地」と、「棟方志功育ての場」を巡ってきた。説明板があるだけだ。
↓歩道と自転車道が分かれた道路

↓脱皮したプラタナス

↓青森市のデザインマンホール

青森駅前通りは広く、歩道と自転車道が区別され、その間に自転車置き場があった。電線は地下埋設であり、素晴らしい都市環境である。デザインマンホールの絵柄は、「ねぶた」「跳人(ハネト)」だという。街路樹はプラタナスが多く、脱皮してまだら模様になっていた。青森駅に早く着いたので、新青森駅まで早めに行って、そこで昼食を食べることにした。
↓新鮮市場

新青森駅近くに「新鮮市場」という海産物を扱う大きな市場があり、市民の台所だというので、入ってみた。魚店などがたくさん入っていて、魚介類が新鮮で安い。飲食店もあったので、せんべい汁を食べられるかと思ったら、まだ準備が整わないという(午前9時30分だった)。
奥に進むと、「めぇ」という食堂があった。「うまい」という意味だろう。中に入ったら、なんと太宰治の写真や原稿、絵などが壁一面にコラージュされていた。太宰をテーマにした店なのか。メニューをみると、「太宰の昼めし」(1850円)や、「太宰丼」(700円)、「太宰らぅめん」(920円)など、太宰の名が付いた食べ物があった。
↓太宰治をコラージュした壁(めぇの店内)

↓太宰の昼めし

↓太宰らぅめん

↓丼に書かれた「津軽」の一節



それほど空腹ではなかったので、「太宰らぅめん」を注文した。太宰の好物、若竹汁をアレンジしたもののようだ。若竹というのは根曲がり竹なのだろうか。ワカメがたっぷり入っていて、とてもおいしかった。
驚いたのは麺を食べ、スープを飲むにつれて現れてきた丼の内側の文字。「さらば旅人よ 命あらばまた他日 元気でいこう 絶望するな では、失敬」。先程、「文芸のこみち」の文学碑にあった『津軽』の一節がそこに書いてあった。
そして「汝を愛し 汝を憎む」「私には、又別の専門科目がある 他人は仮にその科目を 愛と呼んでいる」とも書いてあった。いずれも『津軽』の一節である。「太宰らぅめん」だけのために特注した丼だろうか。太宰治とこんな所で出会うとは。
↓新青森駅とシンボルツリー

いよいよ青森ともお別れ。新青森駅はガラス張りの近代的な駅舎である。駅前にシンボルツリー「青森ヒバ」の大木があり、現代的なモニュメントもあった。正午前後に新青森を出て、新井駅に着いたのは午後5時頃。わずか5時間の速さであった。3日間、JR東日本管内乗り放題の旅は、天候にも恵まれ、とても楽しかった。今度は、どこへ鉄道の旅に出かけようか。
・11:52新青森駅→14:39大宮駅 東北・北海道新幹線 はやぶさ22号東京行
・14:49大宮駅→16:15上越妙高駅 北陸新幹線はくたか567号金沢行
・16:49上越妙高駅→16:56新井駅 えちごトキめき鉄道 はねうまライン
今日の
最低気温11.4度、最高気温21.4度。雲り。


○……青森市内を歩いていて、へんな店名を2軒見つけた。中でも「リンゴの次」は何を売る店なのだろう。2階の看板は「ンパ」。「カンパ」の「カ」が取れたのではないし。
「お陽さまが見てるよ」はイタリア料理とワインの店のようだ。何かを良心に訴えているようだ。食い逃げ防止策ではあるまいね。
○……今日は上越市の高田商店街で3年ぶりの「越後謙信SAKEまつり」の1日目。コロナ前より人出も、店の数も少なかったが、酒や食べ物が充実していて楽しめた。くわしくは明日のブログで。
まずは、赤い絲モニュメント「ふたり」へ行った。海沿いにある素敵な海浜公園「青い海公園」の中にあるという。散歩を兼ねて、日が沈みかけた公園を歩いて探した。

↓「ふたり」の像

モニュメント「ふたり」は、2009年に青森市と函館市のツインシティ(双子都市)提携20周年を記念して設置されたもので、両市にモニュメントがあり、津軽海峡を経て向かい合っている。彫刻家、峯田義郎さんの作品だという。峯田さんは上越教育大学の名誉教授で、上越妙高駅にある謙信公像は峯田さんの作品だ。オーレンプラザや高田まちかど交流館にも作品がある。
「ふたり」は、旧制中学時代を青森市で過ごした太宰治が小説「思ひ出」の中で、弟の礼治と青森港桟橋から海峡を渡る連絡船を眺めながら、運命の女性と結ばれる“赤い絲”について語り合った話を基に創作した。いつしか像の足元に赤い絲が巻き付けられるようになったという。これが俗にいう「赤い糸」の伝説である。
既に暗くなっていてお腹も空いたので、ホテルに一旦チェックインしてから居酒屋を探した。青森の郷土食がある店を探して4、5軒を巡ったが、どの店も「満席」だと断られた。土曜の夜なので仕方がないが、席が空いていても一人客は迷惑なのだろう。
↓この店に入りたかったのだが

↓昭和のムードいっぱいの居酒屋

↓店内

仕方なく、郷土料理とは無関係の居酒屋に入った。昭和の映画ポスターや看板が飾られ、懐かしの歌声が流れていた。「高原列車は行く」「おーい中村くん」「ここに幸あれ」など、子供の頃に良く聴いた歌だった。飲んで食べて約2000円と格安だった。
ホテルで十分休み、翌朝は午前7時頃、ホテルを出発した。まずは太宰治の学生時代の下宿跡へ。ホテルのすぐ近くにあった。
↓太宰治の下宿地


↓常光寺

太宰は青森中学時代、金木からは遠くて通えないため、青森市寺町にあった叔母・きゑの後夫常吉の実家である呉服店・豊田太左衛門方に下宿した。隣接する常光寺は、棟方志功の菩提寺で、太宰は青森中学校時代、体を鍛えるため、寺の境内で100mダッシュを繰り返したといわれる。下宿跡には説明板があるだけである。
続いて太宰治の文学碑がある「文芸のこみち」へ。旧国鉄の操車場跡だという。ホテルから20分ほど歩いた。スマホの地図アプリの通りに歩くだけなので、探す手間はかからない。
↓太宰治の「津軽」の一節が書かれた石碑

碑には「津軽」の一節が刻まれていた。「さらば読者よ 命あらばまた他日 元気で行こう 絶望するな では、失敬」と。多くの文学者の碑があったが、太宰以外は知らなかった。
↓棟方志功の出生の地

↓棟方志功の育ての場

棟方志功記念館に行きたかったが、調べたら月曜休館であった。昨日午後に行けば良かった。今回の一番の失敗だった。仕方なく、「棟方志功の出生の地」と、「棟方志功育ての場」を巡ってきた。説明板があるだけだ。
↓歩道と自転車道が分かれた道路

↓脱皮したプラタナス

↓青森市のデザインマンホール

青森駅前通りは広く、歩道と自転車道が区別され、その間に自転車置き場があった。電線は地下埋設であり、素晴らしい都市環境である。デザインマンホールの絵柄は、「ねぶた」「跳人(ハネト)」だという。街路樹はプラタナスが多く、脱皮してまだら模様になっていた。青森駅に早く着いたので、新青森駅まで早めに行って、そこで昼食を食べることにした。
↓新鮮市場

新青森駅近くに「新鮮市場」という海産物を扱う大きな市場があり、市民の台所だというので、入ってみた。魚店などがたくさん入っていて、魚介類が新鮮で安い。飲食店もあったので、せんべい汁を食べられるかと思ったら、まだ準備が整わないという(午前9時30分だった)。
奥に進むと、「めぇ」という食堂があった。「うまい」という意味だろう。中に入ったら、なんと太宰治の写真や原稿、絵などが壁一面にコラージュされていた。太宰をテーマにした店なのか。メニューをみると、「太宰の昼めし」(1850円)や、「太宰丼」(700円)、「太宰らぅめん」(920円)など、太宰の名が付いた食べ物があった。
↓太宰治をコラージュした壁(めぇの店内)

↓太宰の昼めし

↓太宰らぅめん

↓丼に書かれた「津軽」の一節



それほど空腹ではなかったので、「太宰らぅめん」を注文した。太宰の好物、若竹汁をアレンジしたもののようだ。若竹というのは根曲がり竹なのだろうか。ワカメがたっぷり入っていて、とてもおいしかった。
驚いたのは麺を食べ、スープを飲むにつれて現れてきた丼の内側の文字。「さらば旅人よ 命あらばまた他日 元気でいこう 絶望するな では、失敬」。先程、「文芸のこみち」の文学碑にあった『津軽』の一節がそこに書いてあった。
そして「汝を愛し 汝を憎む」「私には、又別の専門科目がある 他人は仮にその科目を 愛と呼んでいる」とも書いてあった。いずれも『津軽』の一節である。「太宰らぅめん」だけのために特注した丼だろうか。太宰治とこんな所で出会うとは。
↓新青森駅とシンボルツリー

いよいよ青森ともお別れ。新青森駅はガラス張りの近代的な駅舎である。駅前にシンボルツリー「青森ヒバ」の大木があり、現代的なモニュメントもあった。正午前後に新青森を出て、新井駅に着いたのは午後5時頃。わずか5時間の速さであった。3日間、JR東日本管内乗り放題の旅は、天候にも恵まれ、とても楽しかった。今度は、どこへ鉄道の旅に出かけようか。
・11:52新青森駅→14:39大宮駅 東北・北海道新幹線 はやぶさ22号東京行
・14:49大宮駅→16:15上越妙高駅 北陸新幹線はくたか567号金沢行
・16:49上越妙高駅→16:56新井駅 えちごトキめき鉄道 はねうまライン
今日の足跡
最低気温11.4度、最高気温21.4度。雲り。


○……青森市内を歩いていて、へんな店名を2軒見つけた。中でも「リンゴの次」は何を売る店なのだろう。2階の看板は「ンパ」。「カンパ」の「カ」が取れたのではないし。
「お陽さまが見てるよ」はイタリア料理とワインの店のようだ。何かを良心に訴えているようだ。食い逃げ防止策ではあるまいね。
○……今日は上越市の高田商店街で3年ぶりの「越後謙信SAKEまつり」の1日目。コロナ前より人出も、店の数も少なかったが、酒や食べ物が充実していて楽しめた。くわしくは明日のブログで。
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