24日20時28分=2022年=
魚沼市小出でぶらぶら
11月19日、只見線の旅に向かう途中、小出で3時間ほど待ち時間ができた。昼食を食べた後、小出公園まで歩いた。
↓渡辺謙が揮毫した駅名銘板

小出駅に到着してから、まずは駅名銘板へ。見るのはこれで2回目になるが、俳優の渡辺謙さんが揮毫したもの。謙さんは広神村の生まれ。父(実家は堀之内)が教諭のため住居を入広瀬村、守門村に転居。小学校4年から中学1年までの間は、上越市内にある母親の実家で過ごしたため、大手町小学校を卒業し、城南中学校に入学した。中学の途中で小出町に転居し、小出高校に通い、上京するまで過ごしている。魚沼市に関わりが深いこともあり、名誉市民になっている。
↓小出橋から望む越後三山

小出駅の周辺はにぎわいがなく、魚野川に架かる小出橋を渡ってから商店街がある。小出橋からは、「越後三山」が見えた。駒ヶ岳 (2003m) 、中ノ岳 (2085m) 、八海山 (1778m) の三山である。渡りきった小出橋の東詰には「流雪溝発祥の地」の石碑と、「良寛と貞心尼」の歌碑があった。
↓流雪溝発祥の地の牌

↓小出の流雪溝

流雪溝が小出で昭和初期から使われていたとは知らなかった。この地方では古くから製糸業が盛んで,その動力である水車を動かすために,街中にホーリッコと呼ばれる水路が引かれていた。1934(昭和9年)年に4m近い豪雪に見舞われ、ホーリッコを利用して雪を流すことを試みたのが始めだという。
↓良寛貞心唱和歌碑

流雪溝発祥の地の碑の反対側には、平成18年に建立された「良寛貞心唱和歌碑」がある。次のように書かれていた。
これぞこの仏の道に遊びつつ
つくや尽きせぬ御法(みのり)なるらむ (貞心尼)
つきて見よ 一二三四五六七八 九の十
十とおさめてまたはじまるを (良寛)
良寛の愛弟子である貞心尼の石碑は小出公園にも立派なものがあった。昭和36年に建てられたもので、歌集「もしほ草」から選んだ歌が刻まれていた。貞心尼は、漢方医の夫、関長温との結婚生活を小出島(旧小出町本町1)で送ったという。
あるじなき 宿ともしらで ふる里の
庭の秋萩 今や咲くらん
来てみれば 袖ぞ濡れける ふる里の
かきねまばらに 咲ける秋萩
↓山岡荘八の文学碑

小出公園には「徳川家康」を書いた山岡荘八の文学碑もある。山岡荘八も魚沼市の名誉市民である。文学碑は見晴らしが良い場所に建てられており、碑も立派である。「菊ひたしわれは百姓の子なりけり」と書かれていた。この地方は昔から食用菊を食べていたようだ。
↓「そば処 冨永」のへぎそば

時間がたっぷりあったので、喫茶店でコーヒーを飲んだり、名物のへぎそばを食べて過ごした。「そば処 富永」のへぎそばは、太めで色が黒っぽい。十日町や小千谷のへぎそばとは食感が違う。面白いものだ。
今日の
最低気温10.9度、最高気温14.9度。雨で寒い一日。
↓田子倉ダムでの点検補修作業(NHKの番組より)

○……BSの「プロフェッショナル 仕事の流儀」の再放送を見ていたら、ダムの点検補修をロープを使ってぶら下がりながらやるプロフェッショナルが出演していた。そのダムは、19日に只見線に乗った際、窓から見えた福島県の田子倉ダム。5年に1度の点検補修を、高さ145mもあるダムの上からぶら下がって作業をしていたのが、山口宇玄さんである。こういう人が日本のインフラを支えているのだ。
↓渡辺謙が揮毫した駅名銘板

小出駅に到着してから、まずは駅名銘板へ。見るのはこれで2回目になるが、俳優の渡辺謙さんが揮毫したもの。謙さんは広神村の生まれ。父(実家は堀之内)が教諭のため住居を入広瀬村、守門村に転居。小学校4年から中学1年までの間は、上越市内にある母親の実家で過ごしたため、大手町小学校を卒業し、城南中学校に入学した。中学の途中で小出町に転居し、小出高校に通い、上京するまで過ごしている。魚沼市に関わりが深いこともあり、名誉市民になっている。
↓小出橋から望む越後三山

小出駅の周辺はにぎわいがなく、魚野川に架かる小出橋を渡ってから商店街がある。小出橋からは、「越後三山」が見えた。駒ヶ岳 (2003m) 、中ノ岳 (2085m) 、八海山 (1778m) の三山である。渡りきった小出橋の東詰には「流雪溝発祥の地」の石碑と、「良寛と貞心尼」の歌碑があった。
↓流雪溝発祥の地の牌

↓小出の流雪溝

流雪溝が小出で昭和初期から使われていたとは知らなかった。この地方では古くから製糸業が盛んで,その動力である水車を動かすために,街中にホーリッコと呼ばれる水路が引かれていた。1934(昭和9年)年に4m近い豪雪に見舞われ、ホーリッコを利用して雪を流すことを試みたのが始めだという。
↓良寛貞心唱和歌碑

流雪溝発祥の地の碑の反対側には、平成18年に建立された「良寛貞心唱和歌碑」がある。次のように書かれていた。
これぞこの仏の道に遊びつつ
つくや尽きせぬ御法(みのり)なるらむ (貞心尼)
つきて見よ 一二三四五六七八 九の十
十とおさめてまたはじまるを (良寛)
良寛の愛弟子である貞心尼の石碑は小出公園にも立派なものがあった。昭和36年に建てられたもので、歌集「もしほ草」から選んだ歌が刻まれていた。貞心尼は、漢方医の夫、関長温との結婚生活を小出島(旧小出町本町1)で送ったという。
あるじなき 宿ともしらで ふる里の
庭の秋萩 今や咲くらん
来てみれば 袖ぞ濡れける ふる里の
かきねまばらに 咲ける秋萩
↓山岡荘八の文学碑

小出公園には「徳川家康」を書いた山岡荘八の文学碑もある。山岡荘八も魚沼市の名誉市民である。文学碑は見晴らしが良い場所に建てられており、碑も立派である。「菊ひたしわれは百姓の子なりけり」と書かれていた。この地方は昔から食用菊を食べていたようだ。
↓「そば処 冨永」のへぎそば

時間がたっぷりあったので、喫茶店でコーヒーを飲んだり、名物のへぎそばを食べて過ごした。「そば処 富永」のへぎそばは、太めで色が黒っぽい。十日町や小千谷のへぎそばとは食感が違う。面白いものだ。
今日の足跡
最低気温10.9度、最高気温14.9度。雨で寒い一日。
↓田子倉ダムでの点検補修作業(NHKの番組より)

○……BSの「プロフェッショナル 仕事の流儀」の再放送を見ていたら、ダムの点検補修をロープを使ってぶら下がりながらやるプロフェッショナルが出演していた。そのダムは、19日に只見線に乗った際、窓から見えた福島県の田子倉ダム。5年に1度の点検補修を、高さ145mもあるダムの上からぶら下がって作業をしていたのが、山口宇玄さんである。こういう人が日本のインフラを支えているのだ。
- 関連記事
スポンサーサイト