07日21時17分=2023年=
中村天風の「天風哲学」
中村天風(てんぷう)という人物をご存知だろうか。1968年に92歳で亡くなっているので、既に半世紀以上経っている。
日清・日露戦争当時は軍事探偵(スパイ)として諜報活動していた。戦後は不治の病であった結核(奔馬性肺結核)にかかるが、人生の真理を求めて欧米を遍歴する。一流の哲学者、宗教家、医者を訪ねて問うが答えを得られず、失意のなかを帰国の途中、途中エジプトのカイロでヨガの指導者カリアッパ師と邂逅。ヒマラヤの麓で指導を受け健康を回復し悟りを得たとされる。日本に帰国後、一時は実業界で成功を収めるが、自身の経験と悟りを伝えるために講演活動を開始。その哲学は「天風哲学」と呼ばれ、東郷平八郎、原敬、北村西望、松下幸之助、本田宗一郎、宇野千代、双葉山、稲盛和夫、広岡達朗、海外ではロックフェラー3世など多くの著名人が教えの心身統一法を学び、影響を受けた。
何冊かを買い込んできたが、最初に読む一冊は「運命を拓く 天風瞑想録」(講談社)という本だ。これで天風哲学の一端を学び、次は心身統一法を学ぼうと思う。

380ページの本を、行ったり戻ったりして、きちんと理解しながら読み進め、気になった言葉を書きとめた。こんなにじっくり、1ページ1ページ本を読んだことはない。人によって、心にズシンとくる言葉は違うはずだ。このメモを参考に、本書を読まれることをお勧めしたい。難しい言葉や哲学が出てくるが、実際に講演などで話した言葉なので、難しいところは言い方を変えて話しているので、哲学書を読むような難しさはない。
この本の前書き部分に「天風会」の杉山彦一会長が、天風の一生のダイジェストを26ページにわたって書いている。ここを読んだだけで、中村天風の波乱万丈の人生が分かる。まさにすごい人だ。
読み終わって、「宇宙とはなにか」「神はいるのか」「生命とは何か」「言葉の重要さ」「心の強さ」などを学んだ。
◆「運命を拓く 天風瞑想録」読書メモ(かっこ内はページ)
◇第1章 生命の力
・心というものは、万物を産み出す宇宙本体の有する無限の力を、自分の生命の中へ受け入れるパイプと同様である、ということである。(48)
・「人間の生命に与えられた生きる力というものは、肉体にあるのではなく、霊魂という気の中にある」(45)
・「人間の健康も、運命も、心一つの置きどころ」(46)
・宇宙エネルギーには建設の法則を行なう力と、破壊の法則を行なう力がある、いわゆるプラスとマイナスである。この建設と破壊の比例配合が常にプラスが勝っているときは建設の作用が現実に行なわれる。あの人は丈夫だ、あの人は運がいいというのは、宇宙エネルギーの受け入れた結果にプラスの多いときである。マイナスの要素が多く働くと、破壊の作用が行われ、運が悪くなり、健康も悪くなる。(47)
・宇宙エネルギーの受け入れ過程は、脳髄から神経系統に受け入れられて、それから肉体に伝えられ、我々が現象界にその命を活かす道具として与えられている肉体を活動させているのである。(48)
・心が積極か、消極かという態度に応じて、宇宙霊はそれに順応して働き出し、その人生を良くも悪くもするのである。(51)
・元気という気が出たときに、人間と宇宙霊とが完全に結び付いたことになるからである。(52)
◇第2章 人生を支配する法則
・自然界と称するところの眼に見える宇宙ができあがるまでには、眼に見えない宇宙が、その以前からすでに厳として存在していたに相違いないのである。これを考えなければいけない。なぜならば無から有は生じないからである。この目に見えないものから、目に見えるものを作った、幽玄微妙な事実こそ、宇宙霊が偉大なる霊智的大生命を持つ証拠である。であるから宇宙の最初は、ただこの宇宙霊のみであったといえる。(74)
・自分というものは、一人でいるのではない。常に宇宙霊というものに包まれていて、しかも宇宙霊は全知全能の力を持っている。それと結びついている生命を自分が持っているのである。(79)
◇第3章 潜在意識とその性能
・異なる意識の領域とは、「潜在意識」と「実在意識」という二つの意識である。(81)
・生まれながらにして宇宙霊から分与されているこの偉大な力は、人間の潜在意識の中に充満しているからこそ、この偉大なる力を発動させて人生を雄大に荘厳に活きねば嘘である。(90)
◇第4章 言葉と人生
・「お前は自分の使っている言葉によって自分の気持ちが駄目にされたり、あるいは非常に鼓舞奨励されたりする直接的な事実を少しも考えていないなあ」(95)
・積極的な言葉を表現した場合には、生命の一切が極めて状態の良い事実になって現れてくる。けれども、万が一、消極的な怒り、悲しみ、悶え、迷い、そして悩みが遠慮なく口から出されるという場合には、もう恐ろしい結果を神経系統の生活機能に与えてしまうのである。(99)
・常に言葉に慎重な注意を払い、いかなる時にも積極的以外の言葉を使わぬように心がけることである。…期せずして健康も運命も完全になる。(101)
・言葉は、人生を左右する力のある哲学であり、科学であるということがいえる。(111)
・何とか銭を貯めて、老後を楽にしよう、なんて考え方をしようとすると、造物主は、苦労しないで楽が出来るように、すぐ墓場に持っていってしまうよ!(113)
◇第五章 大いなる悟り
・真剣に気づかねばならないことは、人間の心の大きさある。果てしない大宇宙よりも、人間の心の方が偉大であるということである。(119)
・造物主の無限の力を正しく自覚し、同時にその無限の力を、心の働きと力で、人の命の中へ受け入れ、万物の霊長たる資格を完全に発揮し、同時に、造物主主心持ちである進化向上に順応し、人という人の間を睦まじく、造り上げていくために、こうした偉大な心が与えられているのである。(121)
・哲学的にいうなら、あなた方の自我の中には、造物主の無限の属性が、宿っている。(122)
・人間として考えなければならない一番必要なことは、どんな場合があろうとこの、造物主との自分の生命との結び目を堅固に確保することである。この結び目を堅固に保たないと、病が出たり不運が来たりするのである。(123)
・健康が悪くなるのも、運命が悪くなるのも、もとは自分にあるのだ。天に向って唾したのが降りかかってきたのだ。(127)
・病になったならば、病をむしろ忘れるくらいな気持ちになりなさい。(130)
・自分の心の持ち方さえ積極的であれば、その心の中にいただいた生命の力というものは逃げやしない。消極的になったら水を入れた桶に穴を開けたと同じようになってしまう。(130)
◇第6章 「人生と運命」
・運命には二種類あることを知らないのだ。すなわち天命と宿命というものがある。天命は絶対で、宿命は相対的なものである。もっと判りやすくいうなら、天命というものはどうすることも出来ない。しかし、宿命というのは、人間の力で打ち開いて行くことが出来るものである。(136)
・文化の世の中に、いまだに易がどうだ、占いがどうだ、拝み屋がどうだ、八卦がどうだ……と、バカバカしく下らないことをいっている者が、なんと多いことか。(139)
・一年が約三百六十五日四分の一、それだけかかって、太陽を中心に廻っている地球に、日がいいとか悪いとかあるわけがない。(140)
・良い運命の主人公として活きていきたかったら、何を措いてもまず、心を積極的にすることに注意深くし、始終自分の心を監督して行かなくてはならない。(147)
・宿命統制にもう一つ必要なことがある。それは常に、心の中に感謝と歓喜の感情を、もたせるよう心がけることである。(147)
・卑劣な気持ち、弱い気持ち、憎み、妬み、悔みの気持ちや、また怒り、悲しみ、怖れ、という気持ちや言葉は、その人々の血液に毒素を生じ、生理的な不調和をきたす。(149)
・たとえどんな病があろうと生きているということは何とありがたいことじゃないか。(151)
・こうして生きていることに対する歓喜の気持ちをもとう。ただし歓喜といっても厳密にいうと、二種類ある。肉体的歓喜と精神的歓喜である。…肉体的歓喜も人生に必要なものではあるが、本質的に比較すると精神的歓喜の方が遥かに高い価値をもつ。(153)
・「人生は心一つの置きどころ」(135)
・私は毎晩の寝がけに「今日一日、本当にありがとうございました。本当に嬉しく、ありがたく、これからやすませていただきます」。鏡を前に置いて、顔を写して、じいっと顔を見て、「お前は信念が、強くなる!」と一言いって、床の中に入る。(139)
・ふたたびは 来らんものを 今日の日は
ただ ほがらかに 活きてぞ たのし
悲しくば あす悲しまめ 今日の日は
光うるおしく 吾れを 照らすを(160)
◇第七章 「人間の生命の本来の面目」
・いくつになっても、いかなる場合も、自己向上を怠らないようにすること、これが自分の生命の本来の理想的な活き方なのだ。そういう気持ちを持っていると、いつまで年老いても、極めて壮健で元気よく、人並み以上の若さと溌剌さに満たされ、その生命というものは、活躍してくれるのである。(175)
・自己向上の意欲の薄くなった人は、どうしても老衰を早める。そうなる理由は、造物主から与えられる。生命を支える活力を受け入れる口をわざわざ自分で塞いでいるからだ。(176)
・この世の中に造糞器は要らない。(178)
・学生なんかは、「いやだなあ。試験のために、しょっちゅう勉強しなければならない」というが、試験を受けるために勉強しているんじゃない。自己を向上させるために、勉強するんだから、試験は楽しいものでなくてはいけない。試験がなければ、自分が進歩したかどうかわからないじゃないか。(182)
◇第八章 「人生の羅針盤」
・理解と自覚とはまったく違う。理解というのは、ただわかったというだけであり、自覚というのは、本当に自分の魂に受け入れたということなのである。(188)
・迷信は文化民族の恥辱である。それは信念がなく、心が消極的になっているから、そのような迷信などに走るのだ。(202)
・信念、それは人生を動かす羅針盤のごとき尊いものである。(206)
◇第九章 「第一義的な活き方」
・凡人というものは、環境をやたらに呪い、運命をやたらに悲観することのみを人生の毎日にしている人が多くはないか。そういう人間は、たとえどんなに金が出来ようが、どんなに境遇がよくなろうが、そんなに自分が高まろうが本当の幸福は感じない。(219)
・自分の心が幸福を呼ばなければ、幸福は来やしない(219)
・金魚を見ろ。金魚は鉢の中に飼われて自由は利かない。そして不平不満をいわない。(221)
・生きていることを、ただありがたく感謝しなさい!(224)
・歓喜の世界に悲哀はなく、感謝の世界には不満はない。(226)
・たとい身に病があっても、心まで病ますまい。たとえ運命に非なるものがあっても、心まで悩ますまい。(239)
・一切の苦しみをも、なお楽しみとなすの強きを心にもたせよう。(240)
◇第十章 「恐怖への戒め」
・人事世事一切の出来事に対して、物を怖れるという気持ちくらい、価値のない結果を人生にもたらすものはない。(244)
◇第十一章 「勇気と不幸福撃退」
・第一に必要なことは、何事にもやたらに悲観したり心配したりして、すべてのことを消極的に思ったり考えたりすることを止めることである。(258)
・この大宇宙の中には精気というものがあって、その精気の中には、積極の気と消極の気が入り混って、遍満している。その気が人間の心の中の気分と常に同化的に働いている。積極的なことを考えればプラス(正)の気が入ってくるし、消極的の気分になればマイナス(負)の気が入ってくる。(262)
・人生には特に病が生じたり、運命が悪くなったときは、ひとしおその生命の力をより強くする必要があるときなのである。何でもないときは、さもあらばあれ、病や運命が悪くなったときには、そのときこそ、生命を守る戦いを開始しなければならないのだ。(263)
・人間の生命の本体というものは、形ある肉体ではない。ちょっと考えると、形のある肉体であるかのごとく見えるが、実は形の見えない気の中にあるのである。(265)
・頑健な肉体を持たず、見るからに弱々しい体であっても、相当に長生きし、世の中のために仕事をなしている人が、昔から随分といる。イマヌエル・カントや、ヘレン・ケラーや平田篤胤、貝原益軒というような人は、その代表的な人達だ。(261)
◇第十二章 「理想と想像」
・理想というものは立派な“宗教”である。(276)
・だから、立派な理想を持つ人は、神や仏という目標を定めて、信仰なんかする必要はない。(277)
・現代人の信仰なるものは、いつもいうとおり、第二義的なものばかりであるといっても決して言い過ぎではないような、神や仏にすがりつき、依頼するというな、実に横着で、打算的な態度で信仰している。神詣でや仏参りをしても、まず頼むことは自分のことである。「どうか丈夫でありますように。商売繁盛するように」と。無事息災、家内安全、商売繁盛……他人のことなんかちっとも考えやしない。神詣でや仏参りに、自分を捨てて、他の人の幸福を希求するような祈りをしている人は、ほとんどいやしない。)278)
・神や仏の前で、もし頼むことがあるとすれば、「この世の中の多くの人々が、もっともっと幸福に活きられるように見守って下さい」ということ。これ以外は頼むことはない。(278)
◇第十三章 「一念不動」
・折あるごとに、自分の希望するところ、求むるところのものを「実現する!実現する」と繰り返して自分自身にいう。すでに、その求むるところのものを、半ば以上、自分のものにしたのと同様の道筋に入ったのである。そしてその後は、ひたすらに信念を堅固にし、これを繰り返していると、宇宙霊は、自然的な経路で、自動的にその求むることを実現してくるのである。(228)
今日の
最低気温2.0度、最高気温11.2度。晴れ。
↓良寛牛乳ソフト

○……良寛牛乳を製造販売している出雲崎町の「良寛」が事業を停止したという。上越地方のスーパーでも販売されている。昨年8月に「出雲崎ストリートジャズ」を聴きに出雲崎天領の里に行った際、良寛牛乳を使った名物の「良寛コーヒーソフトクリーム」(450円)を食べた。1日600個も売れるヒット商品になったのに、牛乳が供給されなくなれば販売できなくなるかも。
ストリートジャズの近くで開かれていた「こだわり出雲崎産フェア」で、良寛牛乳の“きき牛乳”が行われていた。最初に良寛牛乳を飲み、次に良寛牛乳を含む3種類の牛乳を飲んで、どれが良寛牛乳か当てるもの。良寛牛乳は特有の甘さと後味があり、かなり自信をもって「これです」と言ったら、「大当たり」だったのを思い出す。
上越でも、塚田牛乳が平成19年(2007年)、廃業してしている。コーヒー牛乳の味は忘れられない(新潟市の塚田牛乳とは違う会社)。
日清・日露戦争当時は軍事探偵(スパイ)として諜報活動していた。戦後は不治の病であった結核(奔馬性肺結核)にかかるが、人生の真理を求めて欧米を遍歴する。一流の哲学者、宗教家、医者を訪ねて問うが答えを得られず、失意のなかを帰国の途中、途中エジプトのカイロでヨガの指導者カリアッパ師と邂逅。ヒマラヤの麓で指導を受け健康を回復し悟りを得たとされる。日本に帰国後、一時は実業界で成功を収めるが、自身の経験と悟りを伝えるために講演活動を開始。その哲学は「天風哲学」と呼ばれ、東郷平八郎、原敬、北村西望、松下幸之助、本田宗一郎、宇野千代、双葉山、稲盛和夫、広岡達朗、海外ではロックフェラー3世など多くの著名人が教えの心身統一法を学び、影響を受けた。
何冊かを買い込んできたが、最初に読む一冊は「運命を拓く 天風瞑想録」(講談社)という本だ。これで天風哲学の一端を学び、次は心身統一法を学ぼうと思う。

380ページの本を、行ったり戻ったりして、きちんと理解しながら読み進め、気になった言葉を書きとめた。こんなにじっくり、1ページ1ページ本を読んだことはない。人によって、心にズシンとくる言葉は違うはずだ。このメモを参考に、本書を読まれることをお勧めしたい。難しい言葉や哲学が出てくるが、実際に講演などで話した言葉なので、難しいところは言い方を変えて話しているので、哲学書を読むような難しさはない。
この本の前書き部分に「天風会」の杉山彦一会長が、天風の一生のダイジェストを26ページにわたって書いている。ここを読んだだけで、中村天風の波乱万丈の人生が分かる。まさにすごい人だ。
読み終わって、「宇宙とはなにか」「神はいるのか」「生命とは何か」「言葉の重要さ」「心の強さ」などを学んだ。
◆「運命を拓く 天風瞑想録」読書メモ(かっこ内はページ)
◇第1章 生命の力
・心というものは、万物を産み出す宇宙本体の有する無限の力を、自分の生命の中へ受け入れるパイプと同様である、ということである。(48)
・「人間の生命に与えられた生きる力というものは、肉体にあるのではなく、霊魂という気の中にある」(45)
・「人間の健康も、運命も、心一つの置きどころ」(46)
・宇宙エネルギーには建設の法則を行なう力と、破壊の法則を行なう力がある、いわゆるプラスとマイナスである。この建設と破壊の比例配合が常にプラスが勝っているときは建設の作用が現実に行なわれる。あの人は丈夫だ、あの人は運がいいというのは、宇宙エネルギーの受け入れた結果にプラスの多いときである。マイナスの要素が多く働くと、破壊の作用が行われ、運が悪くなり、健康も悪くなる。(47)
・宇宙エネルギーの受け入れ過程は、脳髄から神経系統に受け入れられて、それから肉体に伝えられ、我々が現象界にその命を活かす道具として与えられている肉体を活動させているのである。(48)
・心が積極か、消極かという態度に応じて、宇宙霊はそれに順応して働き出し、その人生を良くも悪くもするのである。(51)
・元気という気が出たときに、人間と宇宙霊とが完全に結び付いたことになるからである。(52)
◇第2章 人生を支配する法則
・自然界と称するところの眼に見える宇宙ができあがるまでには、眼に見えない宇宙が、その以前からすでに厳として存在していたに相違いないのである。これを考えなければいけない。なぜならば無から有は生じないからである。この目に見えないものから、目に見えるものを作った、幽玄微妙な事実こそ、宇宙霊が偉大なる霊智的大生命を持つ証拠である。であるから宇宙の最初は、ただこの宇宙霊のみであったといえる。(74)
・自分というものは、一人でいるのではない。常に宇宙霊というものに包まれていて、しかも宇宙霊は全知全能の力を持っている。それと結びついている生命を自分が持っているのである。(79)
◇第3章 潜在意識とその性能
・異なる意識の領域とは、「潜在意識」と「実在意識」という二つの意識である。(81)
・生まれながらにして宇宙霊から分与されているこの偉大な力は、人間の潜在意識の中に充満しているからこそ、この偉大なる力を発動させて人生を雄大に荘厳に活きねば嘘である。(90)
◇第4章 言葉と人生
・「お前は自分の使っている言葉によって自分の気持ちが駄目にされたり、あるいは非常に鼓舞奨励されたりする直接的な事実を少しも考えていないなあ」(95)
・積極的な言葉を表現した場合には、生命の一切が極めて状態の良い事実になって現れてくる。けれども、万が一、消極的な怒り、悲しみ、悶え、迷い、そして悩みが遠慮なく口から出されるという場合には、もう恐ろしい結果を神経系統の生活機能に与えてしまうのである。(99)
・常に言葉に慎重な注意を払い、いかなる時にも積極的以外の言葉を使わぬように心がけることである。…期せずして健康も運命も完全になる。(101)
・言葉は、人生を左右する力のある哲学であり、科学であるということがいえる。(111)
・何とか銭を貯めて、老後を楽にしよう、なんて考え方をしようとすると、造物主は、苦労しないで楽が出来るように、すぐ墓場に持っていってしまうよ!(113)
◇第五章 大いなる悟り
・真剣に気づかねばならないことは、人間の心の大きさある。果てしない大宇宙よりも、人間の心の方が偉大であるということである。(119)
・造物主の無限の力を正しく自覚し、同時にその無限の力を、心の働きと力で、人の命の中へ受け入れ、万物の霊長たる資格を完全に発揮し、同時に、造物主主心持ちである進化向上に順応し、人という人の間を睦まじく、造り上げていくために、こうした偉大な心が与えられているのである。(121)
・哲学的にいうなら、あなた方の自我の中には、造物主の無限の属性が、宿っている。(122)
・人間として考えなければならない一番必要なことは、どんな場合があろうとこの、造物主との自分の生命との結び目を堅固に確保することである。この結び目を堅固に保たないと、病が出たり不運が来たりするのである。(123)
・健康が悪くなるのも、運命が悪くなるのも、もとは自分にあるのだ。天に向って唾したのが降りかかってきたのだ。(127)
・病になったならば、病をむしろ忘れるくらいな気持ちになりなさい。(130)
・自分の心の持ち方さえ積極的であれば、その心の中にいただいた生命の力というものは逃げやしない。消極的になったら水を入れた桶に穴を開けたと同じようになってしまう。(130)
◇第6章 「人生と運命」
・運命には二種類あることを知らないのだ。すなわち天命と宿命というものがある。天命は絶対で、宿命は相対的なものである。もっと判りやすくいうなら、天命というものはどうすることも出来ない。しかし、宿命というのは、人間の力で打ち開いて行くことが出来るものである。(136)
・文化の世の中に、いまだに易がどうだ、占いがどうだ、拝み屋がどうだ、八卦がどうだ……と、バカバカしく下らないことをいっている者が、なんと多いことか。(139)
・一年が約三百六十五日四分の一、それだけかかって、太陽を中心に廻っている地球に、日がいいとか悪いとかあるわけがない。(140)
・良い運命の主人公として活きていきたかったら、何を措いてもまず、心を積極的にすることに注意深くし、始終自分の心を監督して行かなくてはならない。(147)
・宿命統制にもう一つ必要なことがある。それは常に、心の中に感謝と歓喜の感情を、もたせるよう心がけることである。(147)
・卑劣な気持ち、弱い気持ち、憎み、妬み、悔みの気持ちや、また怒り、悲しみ、怖れ、という気持ちや言葉は、その人々の血液に毒素を生じ、生理的な不調和をきたす。(149)
・たとえどんな病があろうと生きているということは何とありがたいことじゃないか。(151)
・こうして生きていることに対する歓喜の気持ちをもとう。ただし歓喜といっても厳密にいうと、二種類ある。肉体的歓喜と精神的歓喜である。…肉体的歓喜も人生に必要なものではあるが、本質的に比較すると精神的歓喜の方が遥かに高い価値をもつ。(153)
・「人生は心一つの置きどころ」(135)
・私は毎晩の寝がけに「今日一日、本当にありがとうございました。本当に嬉しく、ありがたく、これからやすませていただきます」。鏡を前に置いて、顔を写して、じいっと顔を見て、「お前は信念が、強くなる!」と一言いって、床の中に入る。(139)
・ふたたびは 来らんものを 今日の日は
ただ ほがらかに 活きてぞ たのし
悲しくば あす悲しまめ 今日の日は
光うるおしく 吾れを 照らすを(160)
◇第七章 「人間の生命の本来の面目」
・いくつになっても、いかなる場合も、自己向上を怠らないようにすること、これが自分の生命の本来の理想的な活き方なのだ。そういう気持ちを持っていると、いつまで年老いても、極めて壮健で元気よく、人並み以上の若さと溌剌さに満たされ、その生命というものは、活躍してくれるのである。(175)
・自己向上の意欲の薄くなった人は、どうしても老衰を早める。そうなる理由は、造物主から与えられる。生命を支える活力を受け入れる口をわざわざ自分で塞いでいるからだ。(176)
・この世の中に造糞器は要らない。(178)
・学生なんかは、「いやだなあ。試験のために、しょっちゅう勉強しなければならない」というが、試験を受けるために勉強しているんじゃない。自己を向上させるために、勉強するんだから、試験は楽しいものでなくてはいけない。試験がなければ、自分が進歩したかどうかわからないじゃないか。(182)
◇第八章 「人生の羅針盤」
・理解と自覚とはまったく違う。理解というのは、ただわかったというだけであり、自覚というのは、本当に自分の魂に受け入れたということなのである。(188)
・迷信は文化民族の恥辱である。それは信念がなく、心が消極的になっているから、そのような迷信などに走るのだ。(202)
・信念、それは人生を動かす羅針盤のごとき尊いものである。(206)
◇第九章 「第一義的な活き方」
・凡人というものは、環境をやたらに呪い、運命をやたらに悲観することのみを人生の毎日にしている人が多くはないか。そういう人間は、たとえどんなに金が出来ようが、どんなに境遇がよくなろうが、そんなに自分が高まろうが本当の幸福は感じない。(219)
・自分の心が幸福を呼ばなければ、幸福は来やしない(219)
・金魚を見ろ。金魚は鉢の中に飼われて自由は利かない。そして不平不満をいわない。(221)
・生きていることを、ただありがたく感謝しなさい!(224)
・歓喜の世界に悲哀はなく、感謝の世界には不満はない。(226)
・たとい身に病があっても、心まで病ますまい。たとえ運命に非なるものがあっても、心まで悩ますまい。(239)
・一切の苦しみをも、なお楽しみとなすの強きを心にもたせよう。(240)
◇第十章 「恐怖への戒め」
・人事世事一切の出来事に対して、物を怖れるという気持ちくらい、価値のない結果を人生にもたらすものはない。(244)
◇第十一章 「勇気と不幸福撃退」
・第一に必要なことは、何事にもやたらに悲観したり心配したりして、すべてのことを消極的に思ったり考えたりすることを止めることである。(258)
・この大宇宙の中には精気というものがあって、その精気の中には、積極の気と消極の気が入り混って、遍満している。その気が人間の心の中の気分と常に同化的に働いている。積極的なことを考えればプラス(正)の気が入ってくるし、消極的の気分になればマイナス(負)の気が入ってくる。(262)
・人生には特に病が生じたり、運命が悪くなったときは、ひとしおその生命の力をより強くする必要があるときなのである。何でもないときは、さもあらばあれ、病や運命が悪くなったときには、そのときこそ、生命を守る戦いを開始しなければならないのだ。(263)
・人間の生命の本体というものは、形ある肉体ではない。ちょっと考えると、形のある肉体であるかのごとく見えるが、実は形の見えない気の中にあるのである。(265)
・頑健な肉体を持たず、見るからに弱々しい体であっても、相当に長生きし、世の中のために仕事をなしている人が、昔から随分といる。イマヌエル・カントや、ヘレン・ケラーや平田篤胤、貝原益軒というような人は、その代表的な人達だ。(261)
◇第十二章 「理想と想像」
・理想というものは立派な“宗教”である。(276)
・だから、立派な理想を持つ人は、神や仏という目標を定めて、信仰なんかする必要はない。(277)
・現代人の信仰なるものは、いつもいうとおり、第二義的なものばかりであるといっても決して言い過ぎではないような、神や仏にすがりつき、依頼するというな、実に横着で、打算的な態度で信仰している。神詣でや仏参りをしても、まず頼むことは自分のことである。「どうか丈夫でありますように。商売繁盛するように」と。無事息災、家内安全、商売繁盛……他人のことなんかちっとも考えやしない。神詣でや仏参りに、自分を捨てて、他の人の幸福を希求するような祈りをしている人は、ほとんどいやしない。)278)
・神や仏の前で、もし頼むことがあるとすれば、「この世の中の多くの人々が、もっともっと幸福に活きられるように見守って下さい」ということ。これ以外は頼むことはない。(278)
◇第十三章 「一念不動」
・折あるごとに、自分の希望するところ、求むるところのものを「実現する!実現する」と繰り返して自分自身にいう。すでに、その求むるところのものを、半ば以上、自分のものにしたのと同様の道筋に入ったのである。そしてその後は、ひたすらに信念を堅固にし、これを繰り返していると、宇宙霊は、自然的な経路で、自動的にその求むることを実現してくるのである。(228)
今日の足跡
最低気温2.0度、最高気温11.2度。晴れ。
↓良寛牛乳ソフト

○……良寛牛乳を製造販売している出雲崎町の「良寛」が事業を停止したという。上越地方のスーパーでも販売されている。昨年8月に「出雲崎ストリートジャズ」を聴きに出雲崎天領の里に行った際、良寛牛乳を使った名物の「良寛コーヒーソフトクリーム」(450円)を食べた。1日600個も売れるヒット商品になったのに、牛乳が供給されなくなれば販売できなくなるかも。
ストリートジャズの近くで開かれていた「こだわり出雲崎産フェア」で、良寛牛乳の“きき牛乳”が行われていた。最初に良寛牛乳を飲み、次に良寛牛乳を含む3種類の牛乳を飲んで、どれが良寛牛乳か当てるもの。良寛牛乳は特有の甘さと後味があり、かなり自信をもって「これです」と言ったら、「大当たり」だったのを思い出す。
上越でも、塚田牛乳が平成19年(2007年)、廃業してしている。コーヒー牛乳の味は忘れられない(新潟市の塚田牛乳とは違う会社)。
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Comment
いつもながらのことですが、ことし古稀を迎えるかたとは思えぬエネルギッシュさに感服するほかありません。10年後の自分もあやかれることなら、あやかりたいです。
コメントありがとうございます。励みにさせていただきます。
私は特にエネルギッシュというわけではないですね。周囲からもそう見られることはないです。
好奇心が強いというか、何でも首を突っ込んでしまう性格で、その好奇心に引っ張られて行動することが多いです。
体は好奇心に引っ張られて、仕方なく付いていく感じです。
私は特にエネルギッシュというわけではないですね。周囲からもそう見られることはないです。
好奇心が強いというか、何でも首を突っ込んでしまう性格で、その好奇心に引っ張られて行動することが多いです。
体は好奇心に引っ張られて、仕方なく付いていく感じです。