21日21時42分=2023年=
完全版「ビルマ 絶望の戦場」
1944年7月、太平洋戦争で「史上最悪の作戦」「もっとも無謀な作戦」といわれた日本軍のインパール作戦は3万人もの戦死者を出し、将兵が行き倒れた道は“白骨街道”と呼ばれた。しかし、この戦いのあと、終戦までの1年間でさらに10万人以上の命が失われていたのはあまり知られていない。2022年10月16日放送のBS1スペシャル「完全版 ビルマ 絶望の戦場」は、8月のNHKスペシャルの放送後に寄せられた証言などを加えた100分版。2月16日には再放送された。NHKならではの力作番組だった。
番組の内容は、ざっと次のようなものである。
日本は、欧米の植民地支配下にあったアジア諸国を解放して、大東亜共栄圏という日本中心のアジア経済圏を作ろうという構想を掲げていた。

太平洋戦争の開戦当初の1942年3月。ビルマ(現在のミャンマー)では、日本軍はラングーン(現在のヤンゴン)に侵攻し、イギリスが植民地支配していたビルマを日本の占領下に置いた。日本軍に全面的に従う密約のもと、名ばかりの独立をさせ、日本企業も商社ばかりではなく、料亭まで進出した。
このときのビルマの将軍はアウン・サンで、ビルマが1948年に独立を果たした立役者の一人。その娘がアウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相。同国の民主化の象徴で、ノーベル平和賞も受賞しているが、現在も国軍によって身柄が拘束されている。
日本軍は、ミッドウェー海戦の敗退を契機に2年とたたずに敗色が濃厚となっていった。イギリスの植民地であったインドを独立させ、イギリスの勢力を一掃させようと、ビルマから山々を越えてイギリス軍の拠点であるインパールまで470kmの無謀な行軍を挙行する。これがインパール作戦である。食料の補給を度外視した無謀な作戦は大失敗に終わった。
だが、インパール作戦の中止のあと、さらに10万人以上もの命が失われていたとは、どういうことなのか。
半年後の1945年。日本軍は、ミャンマー中部を流れるイラワジ河に防衛ラインを設定。ラングーン(現在のヤンゴン)の奪還を目指すイギリス軍を迎え撃った。
イギリス軍は500機もの戦闘機を持ち、陸上兵力は26万人。迎え撃つ日本軍はインパール作戦で疲弊したわずか3万人の兵士だった。戦力の差を考えない上層部の命令で、前線の士気は著しく低下し、死にそうな兵士のものを盗むようになっていた。この戦いも無謀なもので、多くの死者を出した。
日本の防衛ラインを突破したイギリス軍は、首都ラングーンを一気に目指した。そういった中で、日本軍の高級将校は料亭で毎晩のように芸者遊びに興じており、兵士の間に軍への失望が広がった。
そんな中、日本と協力関係にあったはずのビルマ国軍が、日本軍に反乱して蜂起した。すると、日本の司令部が陥落の危機が迫ったラングーンから飛行機でタイ方面へと逃げたのだ。一方で、置き去りにした将兵や民間人に、「ラングーンを死守すべし」との命令を下した。司令部は将兵らを見捨てたのである。

密林でイギリス軍とビルマ国軍に包囲されていた将兵らは、雨季で増水して川幅が200mを超えているシッタン河を渡るしか生き残る道はなかった。マラリアや飢餓、衰弱し自決する兵士も相次いだ。川を渡ると、ビルマ兵に撃たれたり、溺れて多くが死んだ。

イギリス軍の司令官は日本軍の司令部を「自分たちが間違いを犯したこと、計画の練り直しが必要なことを認める勇気がない」「道徳的勇気の欠如」と分析していた。
これが今も、柏崎原発の再稼働をめぐる東京電力の態度などに残る日本人特有の体質かもしれない。最近の軍備増強の進め方なども同様の体質を感じる。
今回の「完全版」は、8月のNHKスペシャルの放送後に寄せられた証言などを加えた100分版。番組の最後の方で、長崎に住む濵脇忠博さんから番組の取材班に届いた1通のはがきが紹介された。102歳の父親(廣さん)が、ビルマでの戦争を良く覚えているという。
廣さんは「アメーバ赤痢で便は垂れ流し、ほとんどの兵隊が骸骨」と証言する。



ビルマ(ミャンマー)からも知らせがあった。登場する女性の父親が、かつてビルマで戦った日本兵だという。それは、野戦病院に置き去りにされた歩兵第16連隊の北村作之丞元上等兵である。逃げた負い目から日本に帰ることができず、僧侶となって逃亡を続け、ミャンマー人として戦後を生きた。祖国の地を踏む願いはかなわず、82歳で死んだという。
昔見た市川崑監督の名作「ビルマの竪琴」を思い出した。似たような話である。
番組は以下のサイト(Dailymotion)で見ることができる。「J:COMオンデマンド」でも110円でレンタル中。
↓完全版 ビルマ 絶望の戦場(2022年10月16日放送)
https://dai.ly/x8ep8vx
今日の
最低気温-1.0度、最高気温2.7度。曇り。上越市高田の積雪42cm、妙高市新井の積雪71cm。
○……最近はステマ(ステルスマーケティング)やサクラレビューが問題になっているが、Amazonで購入前にチェックする「サクラチェッカー」というサイトがある。
Amazonと同じ方法で検索するだけでいい。異常な値引き率や、レビューの急激な悪化、不自然なレビュー分布、レビュー本文の怪しさ、公式サイトの有無などを判定基準にして、評価を出している。
Amazonで買う前に、まずはここでチェックした方がいい。粗悪品を掴まされる確率が減ると思う。
↓サクラチェッカー
https://sakura-checker.jp/
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このときのビルマの将軍はアウン・サンで、ビルマが1948年に独立を果たした立役者の一人。その娘がアウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相。同国の民主化の象徴で、ノーベル平和賞も受賞しているが、現在も国軍によって身柄が拘束されている。
日本軍は、ミッドウェー海戦の敗退を契機に2年とたたずに敗色が濃厚となっていった。イギリスの植民地であったインドを独立させ、イギリスの勢力を一掃させようと、ビルマから山々を越えてイギリス軍の拠点であるインパールまで470kmの無謀な行軍を挙行する。これがインパール作戦である。食料の補給を度外視した無謀な作戦は大失敗に終わった。
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密林でイギリス軍とビルマ国軍に包囲されていた将兵らは、雨季で増水して川幅が200mを超えているシッタン河を渡るしか生き残る道はなかった。マラリアや飢餓、衰弱し自決する兵士も相次いだ。川を渡ると、ビルマ兵に撃たれたり、溺れて多くが死んだ。

イギリス軍の司令官は日本軍の司令部を「自分たちが間違いを犯したこと、計画の練り直しが必要なことを認める勇気がない」「道徳的勇気の欠如」と分析していた。
これが今も、柏崎原発の再稼働をめぐる東京電力の態度などに残る日本人特有の体質かもしれない。最近の軍備増強の進め方なども同様の体質を感じる。
今回の「完全版」は、8月のNHKスペシャルの放送後に寄せられた証言などを加えた100分版。番組の最後の方で、長崎に住む濵脇忠博さんから番組の取材班に届いた1通のはがきが紹介された。102歳の父親(廣さん)が、ビルマでの戦争を良く覚えているという。
廣さんは「アメーバ赤痢で便は垂れ流し、ほとんどの兵隊が骸骨」と証言する。



ビルマ(ミャンマー)からも知らせがあった。登場する女性の父親が、かつてビルマで戦った日本兵だという。それは、野戦病院に置き去りにされた歩兵第16連隊の北村作之丞元上等兵である。逃げた負い目から日本に帰ることができず、僧侶となって逃亡を続け、ミャンマー人として戦後を生きた。祖国の地を踏む願いはかなわず、82歳で死んだという。
昔見た市川崑監督の名作「ビルマの竪琴」を思い出した。似たような話である。
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Comment
この番組をよくぞ取り上げて下さいました。素晴らし要約ですね。
「道徳的勇気の欠如」について、日本の現状に言及された箇所は全く同感です。
北村さんの魂はトンボになって日本に帰って来たと信じています。
「道徳的勇気の欠如」について、日本の現状に言及された箇所は全く同感です。
北村さんの魂はトンボになって日本に帰って来たと信じています。
高級将校、高級幹部の退廃ぶり無責任ぶりを知るにつけ、浮かばれない一兵卒への同情を禁じ得ません。あわせて、こうも思います。ビルマ戦線はもとよりガ島、沖縄戦、ヒロシマ、ナガサキを経て完膚なきまでに敗れて払わされた多大なる犠牲と、それに伴う「戦争はもう懲り懲りだ」という感覚の広範な共有があったからこそ、78年の長きにわたって戦火を交えずにきたのではないかと。
いつもコメントありがとうございます。
先日、高田文化協会で4冊もの日記を見させてもらいました。
見た映画など細かく書いてあり、その時代が良くわかる貴重な資料だと思います。
日記をまとめたご努力にも敬意を表します。
先日、高田文化協会で4冊もの日記を見させてもらいました。
見た映画など細かく書いてあり、その時代が良くわかる貴重な資料だと思います。
日記をまとめたご努力にも敬意を表します。
日本軍の将校、幹部らの退廃ぶり、頭の悪さ、他人に責任をなすりつける人間性の欠如などが、これまで日本の映画やドラマではあまり描かれて来なかったことが良く分かった番組でした。
「二十四の瞳」のように、結果としての悲惨さを、お涙頂戴の映画として描いたものが多かったと思います。正面から日本人の戦争責任を描いた映画は少ないことを、改めて実感しました。
「二十四の瞳」のように、結果としての悲惨さを、お涙頂戴の映画として描いたものが多かったと思います。正面から日本人の戦争責任を描いた映画は少ないことを、改めて実感しました。
比較相対でいうと、こうした視点から日本人の戦争を報じる点でNHKはアタマ一つ抜けている印象を受けます。「失敗」の「歴史」「経験」を直視して繰り返さないための教訓をくむという視点では、きのう新シリーズが始まりました。1回目は「雪印乳業」を取り上げました。