28日22時40分=2023年=
新潟市で坂口安吾の碑を巡る
小学校の修学旅行は新潟市だった。電車で行ったのか、バスなのかも分からない。小林デパートに立ち寄った以外、あまり覚えていない。だが、一つだけ鮮明に覚えているのが、砂山を歩いてたどりついた坂口安吾の石碑。先日、新潟市に行った際、寄居浜の護国神社へ行って久しぶりに碑と対面してきた。
↓安吾碑

「ふるさとは語ることなし」安吾
と書かれたおむすび形の石碑は子供の頃に見たイメージよりやや小さい。というより、私が大きくなったので、相対的に碑が小さく見えたのだ。それでも、碑としては大きい。小学生の頃は周囲が砂山だったが、今は緑が多くなり、雰囲気がすごく変わった。
碑の裏側を見ると、「坂口安吾が少年の日の夢をうづめたこの丘に彼を記念するための碑を建てる」昭和三十二年春 発起人代表 尾崎士郎
と書かれている。少年時代の安吾は手のつけられない暴れん坊で、旧制新潟中学校時代は授業に出席せず寄居浜で空を眺めていたという。
↓北原白秋の「砂山の碑」

近くの「砂山の碑」も見てきた。ここも修学旅行で立ち寄った記憶がある。なぜか、すべてひらがなで書かれ、それも活字であるのが不思議だ。
「砂山の碑」は北原白秋が新潟の砂浜をうたったもので、白秋の代表的な童謡となっている。
↓安吾生誕の地の碑

続いて、砂丘を少し下った新潟大神宮へ向かった。この西大畑町で安吾が生まれたのだ。生誕碑は坂口安吾の生誕100年にあたる2006年(平成18年)10月20日に建立された。
碑は高さ約2m、幅1m65cm、奥行き1m30cm。安吾の自伝的小説「石の思ひ」の中のふるさとへの思いを書いた一説が刻まれている。
「私のふるさとの家は空と、海と、砂と、松林であった。そして吹く風であり、風の音であった。」 坂口安吾生誕の地
今日の
最低気温22.4度、最高気温31.0度。雨ときどき曇り。湿度が高く蒸し暑い。

○……上越市塩屋新田のベーカリーの「しましま」。このパンはパンダの顔をかたどったもの。この店のパンは何を食べてもおいしい。
この店の近くには「ブルックリン」「フォーンドール」「MIMI」など、おしゃれでおいしいパン店がたくさん集まっている。老舗バラパン安江店もおいしいけど。
↓安吾碑

「ふるさとは語ることなし」安吾
と書かれたおむすび形の石碑は子供の頃に見たイメージよりやや小さい。というより、私が大きくなったので、相対的に碑が小さく見えたのだ。それでも、碑としては大きい。小学生の頃は周囲が砂山だったが、今は緑が多くなり、雰囲気がすごく変わった。
碑の裏側を見ると、「坂口安吾が少年の日の夢をうづめたこの丘に彼を記念するための碑を建てる」昭和三十二年春 発起人代表 尾崎士郎
と書かれている。少年時代の安吾は手のつけられない暴れん坊で、旧制新潟中学校時代は授業に出席せず寄居浜で空を眺めていたという。
↓北原白秋の「砂山の碑」

近くの「砂山の碑」も見てきた。ここも修学旅行で立ち寄った記憶がある。なぜか、すべてひらがなで書かれ、それも活字であるのが不思議だ。
「砂山の碑」は北原白秋が新潟の砂浜をうたったもので、白秋の代表的な童謡となっている。
↓安吾生誕の地の碑

続いて、砂丘を少し下った新潟大神宮へ向かった。この西大畑町で安吾が生まれたのだ。生誕碑は坂口安吾の生誕100年にあたる2006年(平成18年)10月20日に建立された。
碑は高さ約2m、幅1m65cm、奥行き1m30cm。安吾の自伝的小説「石の思ひ」の中のふるさとへの思いを書いた一説が刻まれている。
「私のふるさとの家は空と、海と、砂と、松林であった。そして吹く風であり、風の音であった。」 坂口安吾生誕の地
今日の足跡
最低気温22.4度、最高気温31.0度。雨ときどき曇り。湿度が高く蒸し暑い。

○……上越市塩屋新田のベーカリーの「しましま」。このパンはパンダの顔をかたどったもの。この店のパンは何を食べてもおいしい。
この店の近くには「ブルックリン」「フォーンドール」「MIMI」など、おしゃれでおいしいパン店がたくさん集まっている。老舗バラパン安江店もおいしいけど。
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Comment
「空ひびき土ひびきして吹雪する 寂しき国ぞわが生まれぐに」。雪国新潟は旧堀之内町(現魚沼市)出身の宮柊二。昭和を代表する歌人と安吾に交流する機会があったかどうかは知る由もありません。
いつもコメントありがとうございます。
坂口安吾は北原白秋を愛読していたので、宮柊二の師である白秋とのつながりで交流があったかもしれません。
数年前に宮柊二記念館に行ったことがあるのですが、「空ひびき土ひびきして吹雪する 寂しき国ぞわが生まれぐに」の歌は、どうも記憶にありません。この短歌のような心境は雪国の人しか分からないでしょうね。
坂口安吾は北原白秋を愛読していたので、宮柊二の師である白秋とのつながりで交流があったかもしれません。
数年前に宮柊二記念館に行ったことがあるのですが、「空ひびき土ひびきして吹雪する 寂しき国ぞわが生まれぐに」の歌は、どうも記憶にありません。この短歌のような心境は雪国の人しか分からないでしょうね。