24日21時33分=2023年=
「四国・山陽の旅」⑨ ~子規博物館、瀬戸内海しまなみ海道~
俳人正岡子規は愛媛県松山市で、松山藩市の長男として生まれた。結核菌が脊椎を冒す脊椎カリエスのため、34歳で亡くなるが、生涯に2万4000句を残した。ちなみに俳聖松尾芭蕉は1000句、多作で知られた小林一茶は65歳の生涯で2万1000句である。非常に濃い人生を歩んだ子規博物館に入った。
↓子規博物館

↓子規の句碑「松山や秋より高き天主閣」

↓子規の歌碑「足なへの病いゆとふ伊豫の湯に飛びても行かな鷺にあらませば」


俳句だけではなく、短歌、新体詩、小説、評論、随筆など多方面にわたり創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした。俳句分類や与謝蕪村などの研究もあり、俳句の世界に大きく貢献した。
↓松岡子規像

芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」について、「静けさということを言わずに(静けさを)表現した」と評した。これだけ簡潔に、この句を正確に評価したのは見事である。
その上で、昔の俳句は徒弟制度により無個性となり、使い古された単語が多く、パターン化されていると批判し、絵画の技法である「写生」を重んじた。
芭蕉の「五月雨をあつめて早し最上川」と蕪村の「五月雨や大河を前に家二軒」を比べ、「写生では蕪村のほうが優れていると評した。蕪村の句はまるで動画を見ているようだ。大きなものと小さなものを対比させながら、大雨の恐怖を表現している。
確かに蕪村の句は絵画的だし、動画的だ。「菜の花や月は東に日は西に」は超ワイドの広角レンズで180度の大パノラマを描いているようだ。いや、ワイドレンズでは表現が不可能かもしれない。
正岡子規の蕪村評価は「俳人蕪村」にまとめられ、芭蕉と並び立つべき偉大な俳人として位置づけ直したのである。蕪村の句の「客観的美」についての評価は素晴らしいものだった。
子規博物館内は一部を除いて写真撮影不可なので、紹介することはできないのが残念。
↓愚陀佛庵の20分の1の復元模型


↓濡れ縁に腰掛け、文学論を交わす正岡子規(右)と夏目漱石
写真撮影ができたのは、愚陀佛庵の20分の1の復元模型。この模型は夏目漱石が英語教師として愛媛県尋常中学校に赴任した際の下宿(愚陀佛庵)を復元したもの。子規はこの家の中で夏目漱石と52日間共に過ごし、俳句づくりや俳句の指導に没頭したという。「愚陀佛庵」という名称は漱石の俳号「愚陀佛」にちなんだという。この建物は戦災で1945年に焼失したという。
↓松岡子規の臨終前日に「絶筆三句」を書く模型

もう一つは、正岡子規の臨終場面の模型。子規は亡くなる前日、母の八重や妹の律、門人の河東碧悟桐(かわひがし・へきごとう)らに見守られながら、辞世の句「絶筆三句」をしたためたという。
「をとといの へちまの水も 取らざりき」
「糸瓜咲きて痰のつまりし仏かな」
「痰一寸糸瓜の水にも間に合はず」
病床で書かれた日記『仰臥漫録』の原本はこの博物館が所蔵しているという。
↓今治市から「しまなみ海道」へ

↓瀬戸内海の島々が見えるしまなみ海道。自転車道なども見える


子規博物館を最後に四国からお別れ。愛媛県今治市から「瀬戸内しまなみ海道」を通って、広島県尾道市までの全長約60kmの自動車専用道路である。瀬戸内海に浮かぶ芸予諸島の島々を橋で結び、原動機付き自転車道や自転車・歩行者専用の道路が整備されている。サイクリングをしている人も多かった。
尾道で林芙美子記念館へ向かったが、カーナビでうまく表示されない。道を訪ねながら行ったら、連絡船乗り場に行ってしまった。近所の人に場所を聞くと対岸に記念館があり、向こう岸には駐車場がないので、船で行った方がいいという。
↓しまなみ海道のフェリー


船のことを「連絡船」と言ったら、「懐かしい言葉を聴いた。一応、ここではフェリーと呼んでいるんだが」という。たしかに、車を積んで走っていた。フェリーは向こう岸と頻繁に往復していて、人間は1人100円だという。思いがけず、フェリーに乗って、林芙美子記念館に行くことになった。しまなみ海道には、住民の足であるフェリー航路がたくさんある。なかなか情緒があるものだ。
フェリーは前後にスクリューがついているので、車を載せて降りる際、車を回転させずにスッと出ることができる優れものだ。
尾道市は、大林宣彦監督の故郷であり、「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」の尾道三部作の舞台でもある。
御袖天満宮の55段(ここから転げ落ちる)の参道も行ってみたかったし、千光寺にも行ってみたかったが、今回はパスした。
今日の
最低気温26.4度、最高気温37.3度。晴れのち曇り。
↓水面が低くなった笹ヶ峰ダム

○……笹ケ峰ダムの有効貯水量がゼロに近づいているそうで、ダムまで行ってみた。ダムの係員に聞いてみると、まだ貯水量は1~2割程度あるという。
大渇水だった平成6年のときは、ダムの中に昔のダムの跡が見えたが、まだ見えない。「あと2mほど水位が下がると見えてくるのではないか」と話していた。
ともあれ、一番水が必要な出穂の時期は過ぎたので、用水は足りるのではないか。天水田は別だ。
↓子規博物館

↓子規の句碑「松山や秋より高き天主閣」

↓子規の歌碑「足なへの病いゆとふ伊豫の湯に飛びても行かな鷺にあらませば」


俳句だけではなく、短歌、新体詩、小説、評論、随筆など多方面にわたり創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした。俳句分類や与謝蕪村などの研究もあり、俳句の世界に大きく貢献した。
↓松岡子規像

芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」について、「静けさということを言わずに(静けさを)表現した」と評した。これだけ簡潔に、この句を正確に評価したのは見事である。
その上で、昔の俳句は徒弟制度により無個性となり、使い古された単語が多く、パターン化されていると批判し、絵画の技法である「写生」を重んじた。
芭蕉の「五月雨をあつめて早し最上川」と蕪村の「五月雨や大河を前に家二軒」を比べ、「写生では蕪村のほうが優れていると評した。蕪村の句はまるで動画を見ているようだ。大きなものと小さなものを対比させながら、大雨の恐怖を表現している。
確かに蕪村の句は絵画的だし、動画的だ。「菜の花や月は東に日は西に」は超ワイドの広角レンズで180度の大パノラマを描いているようだ。いや、ワイドレンズでは表現が不可能かもしれない。
正岡子規の蕪村評価は「俳人蕪村」にまとめられ、芭蕉と並び立つべき偉大な俳人として位置づけ直したのである。蕪村の句の「客観的美」についての評価は素晴らしいものだった。
子規博物館内は一部を除いて写真撮影不可なので、紹介することはできないのが残念。
↓愚陀佛庵の20分の1の復元模型


↓濡れ縁に腰掛け、文学論を交わす正岡子規(右)と夏目漱石
写真撮影ができたのは、愚陀佛庵の20分の1の復元模型。この模型は夏目漱石が英語教師として愛媛県尋常中学校に赴任した際の下宿(愚陀佛庵)を復元したもの。子規はこの家の中で夏目漱石と52日間共に過ごし、俳句づくりや俳句の指導に没頭したという。「愚陀佛庵」という名称は漱石の俳号「愚陀佛」にちなんだという。この建物は戦災で1945年に焼失したという。
↓松岡子規の臨終前日に「絶筆三句」を書く模型

もう一つは、正岡子規の臨終場面の模型。子規は亡くなる前日、母の八重や妹の律、門人の河東碧悟桐(かわひがし・へきごとう)らに見守られながら、辞世の句「絶筆三句」をしたためたという。
「をとといの へちまの水も 取らざりき」
「糸瓜咲きて痰のつまりし仏かな」
「痰一寸糸瓜の水にも間に合はず」
病床で書かれた日記『仰臥漫録』の原本はこの博物館が所蔵しているという。
↓今治市から「しまなみ海道」へ

↓瀬戸内海の島々が見えるしまなみ海道。自転車道なども見える


子規博物館を最後に四国からお別れ。愛媛県今治市から「瀬戸内しまなみ海道」を通って、広島県尾道市までの全長約60kmの自動車専用道路である。瀬戸内海に浮かぶ芸予諸島の島々を橋で結び、原動機付き自転車道や自転車・歩行者専用の道路が整備されている。サイクリングをしている人も多かった。
尾道で林芙美子記念館へ向かったが、カーナビでうまく表示されない。道を訪ねながら行ったら、連絡船乗り場に行ってしまった。近所の人に場所を聞くと対岸に記念館があり、向こう岸には駐車場がないので、船で行った方がいいという。
↓しまなみ海道のフェリー


船のことを「連絡船」と言ったら、「懐かしい言葉を聴いた。一応、ここではフェリーと呼んでいるんだが」という。たしかに、車を積んで走っていた。フェリーは向こう岸と頻繁に往復していて、人間は1人100円だという。思いがけず、フェリーに乗って、林芙美子記念館に行くことになった。しまなみ海道には、住民の足であるフェリー航路がたくさんある。なかなか情緒があるものだ。
フェリーは前後にスクリューがついているので、車を載せて降りる際、車を回転させずにスッと出ることができる優れものだ。
尾道市は、大林宣彦監督の故郷であり、「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」の尾道三部作の舞台でもある。
御袖天満宮の55段(ここから転げ落ちる)の参道も行ってみたかったし、千光寺にも行ってみたかったが、今回はパスした。
今日の足跡
最低気温26.4度、最高気温37.3度。晴れのち曇り。
↓水面が低くなった笹ヶ峰ダム

○……笹ケ峰ダムの有効貯水量がゼロに近づいているそうで、ダムまで行ってみた。ダムの係員に聞いてみると、まだ貯水量は1~2割程度あるという。
大渇水だった平成6年のときは、ダムの中に昔のダムの跡が見えたが、まだ見えない。「あと2mほど水位が下がると見えてくるのではないか」と話していた。
ともあれ、一番水が必要な出穂の時期は過ぎたので、用水は足りるのではないか。天水田は別だ。
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