05日21時17分=2023年=
「ブラタモリ」で“不死鳥の町”長岡市が紹介
9月2日放送の「ブラタモリ」は長岡市へ。お題は「"花火の町"は不死鳥の町⁉」である。どんな切り口で長岡市を見せてくれるか楽しみにしていた。

↓三尺玉を打ち上げる筒

↓長岡駅の当たりが長岡城本丸だった

↓石碑

長岡の町は度重なる戦争や地震などで壊滅的な被害を受け、その度に不死鳥のように蘇ったという。まずは長岡駅前の三尺玉の打ち上げ筒のモニュメントからスタート。大正15年に初めて三尺玉を打ち上げた際のものだという。長岡駅は長岡城の跡に建てられていたとは知らなかった。今度行ったとき駅前の記念碑を見ておこうと思う。アオーレ長岡内には二の丸跡がある。
長岡市の河川敷にはいろいろな石がごろごろ転がっている。これは何本もある信濃川の支流が運んできた石だ。長岡市は川からの荷揚げ、荷下げがしやすく、舟運で栄えてきたのだ。
しかし旧幕府軍と新政府軍が戦った内戦、戊辰戦争(1868年~1869年)で、旧幕府軍についた長岡藩は破れ、町は焼け野原になった。
それから復興したのは、1878年(明治11年)の明治天皇の北陸巡幸だった。このときは、高田や新井にも来ている。道路が立派になり、復興の原動力となった。和菓子の越乃雪本舗「大和屋」の和三盆で作った菓子はこぞって購入したという。そして1879年(明治12年)に花火大会が始まった。
だが、明治に入り鉄道が敷設されると、衰退していった。それを救ったのが石油産業。丘陵地帯である長岡は石油が産出したのだ。明治20年代から盛んになった石油で長岡は大きく変貌した。関連する鉄工業なども発達し、町の隆盛により花火大会のスポンサーにも石油会社の名が並んだ。
↓長岡空襲の火災跡が残っている平潟神社

しかし、大正時代には石油が枯渇してしまった。そして長岡の町を襲った空襲。1945年(昭和20年)8月1日、B29による焼夷弾の爆撃が行われ、長岡の町は市街地の8割が焼け野原となって多くの人命が失われた。平潟神社は最も空襲で死者が集中したところで、境内には空襲の痕跡が残り、長岡空襲犠牲者慰霊塔がある。
そして2004年10月の中越地震。長岡市を含む中越地方に甚大な被害をもたらしたが、それからも復興した。それを象徴するのが、震災復興祈願花火の「フェニックス」であり、鎮魂の花火「白菊」であった。
今日の
最低気温25.2度、最高気温34.0度。曇りで夕方になって一時雨。
○……午後4時前だろうか。雨がポツポツ降り出して、一時強く降った。降水量はわずか8ミリだったが、久しぶりのお湿りになった。それでも畑をやっている人には恵みの雨だっただろう。
↓嬬恋村のキャベツ畑

○……2年前の9月、群馬県の嬬恋村(つまごいむら)に友人たちとドライブに行った。雄大な浅間山を臨む高原にはキャベツ畑が広がっていた。夏から秋のキャベツ出荷量が全国1位で、7⽉から10⽉末にかけて約1億5000万個ものキャベツが嬬恋村で作られているそうだ。
そこに行くと、「愛の鐘」があり、それを鳴らして「愛を叫ぶ」ことができる叫び台がある。
ここを「愛妻の丘」といい、夫婦やカップルの人気スポットになっているらしい。愛を伝えるイベント「キャベツ畑の中心で妻に愛を叫ぶ2023」は9月3日に行われたという。
キャベツ畑があまりに見事だったので、写真を撮ろうとしたら、イノシシやシカ、クマ対策として張り巡らされた電気柵に触れてしまい、感電してしまった。けっこうビリビリして強烈だった。これは強烈な思い出。
◇所在地:群馬県吾妻郡(あがつまぐん)嬬恋村田代
◇開設期間:4月~11月

↓三尺玉を打ち上げる筒

↓長岡駅の当たりが長岡城本丸だった

↓石碑

長岡の町は度重なる戦争や地震などで壊滅的な被害を受け、その度に不死鳥のように蘇ったという。まずは長岡駅前の三尺玉の打ち上げ筒のモニュメントからスタート。大正15年に初めて三尺玉を打ち上げた際のものだという。長岡駅は長岡城の跡に建てられていたとは知らなかった。今度行ったとき駅前の記念碑を見ておこうと思う。アオーレ長岡内には二の丸跡がある。
長岡市の河川敷にはいろいろな石がごろごろ転がっている。これは何本もある信濃川の支流が運んできた石だ。長岡市は川からの荷揚げ、荷下げがしやすく、舟運で栄えてきたのだ。
しかし旧幕府軍と新政府軍が戦った内戦、戊辰戦争(1868年~1869年)で、旧幕府軍についた長岡藩は破れ、町は焼け野原になった。
それから復興したのは、1878年(明治11年)の明治天皇の北陸巡幸だった。このときは、高田や新井にも来ている。道路が立派になり、復興の原動力となった。和菓子の越乃雪本舗「大和屋」の和三盆で作った菓子はこぞって購入したという。そして1879年(明治12年)に花火大会が始まった。
だが、明治に入り鉄道が敷設されると、衰退していった。それを救ったのが石油産業。丘陵地帯である長岡は石油が産出したのだ。明治20年代から盛んになった石油で長岡は大きく変貌した。関連する鉄工業なども発達し、町の隆盛により花火大会のスポンサーにも石油会社の名が並んだ。
↓長岡空襲の火災跡が残っている平潟神社

しかし、大正時代には石油が枯渇してしまった。そして長岡の町を襲った空襲。1945年(昭和20年)8月1日、B29による焼夷弾の爆撃が行われ、長岡の町は市街地の8割が焼け野原となって多くの人命が失われた。平潟神社は最も空襲で死者が集中したところで、境内には空襲の痕跡が残り、長岡空襲犠牲者慰霊塔がある。
そして2004年10月の中越地震。長岡市を含む中越地方に甚大な被害をもたらしたが、それからも復興した。それを象徴するのが、震災復興祈願花火の「フェニックス」であり、鎮魂の花火「白菊」であった。
今日の足跡
最低気温25.2度、最高気温34.0度。曇りで夕方になって一時雨。
○……午後4時前だろうか。雨がポツポツ降り出して、一時強く降った。降水量はわずか8ミリだったが、久しぶりのお湿りになった。それでも畑をやっている人には恵みの雨だっただろう。
↓嬬恋村のキャベツ畑

○……2年前の9月、群馬県の嬬恋村(つまごいむら)に友人たちとドライブに行った。雄大な浅間山を臨む高原にはキャベツ畑が広がっていた。夏から秋のキャベツ出荷量が全国1位で、7⽉から10⽉末にかけて約1億5000万個ものキャベツが嬬恋村で作られているそうだ。
そこに行くと、「愛の鐘」があり、それを鳴らして「愛を叫ぶ」ことができる叫び台がある。
ここを「愛妻の丘」といい、夫婦やカップルの人気スポットになっているらしい。愛を伝えるイベント「キャベツ畑の中心で妻に愛を叫ぶ2023」は9月3日に行われたという。
キャベツ畑があまりに見事だったので、写真を撮ろうとしたら、イノシシやシカ、クマ対策として張り巡らされた電気柵に触れてしまい、感電してしまった。けっこうビリビリして強烈だった。これは強烈な思い出。
◇所在地:群馬県吾妻郡(あがつまぐん)嬬恋村田代
◇開設期間:4月~11月
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