11日23時48分=2023年=
寅さんの故郷「葛飾柴又」探訪記①
40年ぶりに寅さんの故郷「葛飾柴又」へ行ってきた。寅さん記念館、山田洋次ミュージアム、寅さん&さくら像などができて、ずいぶん変わった。でも、昭和の雰囲気たっぷりの心やすらぐ雰囲気は昔のままだ。
東京の道路を車で走るのは苦手なので、今回は電車を使った1人旅である。
6:24新井発の電車に乗り、7:20上越妙高発の北陸新幹線はくたか552に乗った。上野に9:14着。ここからの乗り換えが面倒で、アプリの「乗換案内」を使わないと無理。JR上野駅から京成本線の京成上野駅まで5分ぐらい歩く。京成上野駅の場所が分からないので、グーグルマップをカーナビ代わりにしてたどり着いた。西郷さんの銅像の近くに駅はあった。田舎者は困るね。
9:36京成上野発の電車に飛び乗り、10:01に京成高砂駅へ。京成高砂駅を10:07発の京成金町線の各停に乗り、10:10にようやく柴又駅に到着した。乗り換えは3回あり、約3時間半かかって到着した。
↓駅名表示にも寅さんが

↓柴又ロケの写真パネル




↓柴又駅

葛飾柴又駅に到着すると駅のホームは「寅さん」一色。駅名看板にも寅さんのシルエットと「男はつらいよ」のタイトルが入っていた。それからホームに寅さんのロケ中の写真とか、寅さんが発した言葉などが入ったパネルがずらりと並んでいた。ここで10分ほどじっくり見させてもらった。まさに駅構内の「寅さん」博物館だ。特にロケの写真が貴重だ。
↓実物大の寅さん像

↓さくら像

駅前広場に出ると、すぐ目の前に寅さんとさくらさんの銅像があった。「フーテンの寅」像は1999年8月の作で、台座には山田洋次監督による寅次郎の故郷への思いが刻まれている。地元商店会が中心となって募金活動を行い建てたという。像はほぼ等身大だという。
さくら像は、渥美清没後の2017年(平成29年)3月25日に除幕。さくら像の完成により、トランクを抱えて旅立とうとする「寅さん」が、妹さくらに呼び止められ、名残惜しそうに故郷を振り返る姿で佇んでいる様子が一対となって完成している。さくらも実物大で、華奢な感じの女性だ。2体を一緒に入れた写真を撮るのを忘れた。というより、記念撮影する人が多く、人を入れずに撮るのは困難だった状況もあった。
写真を撮っていると、緑色のベストを着けた観光ボランティア「かつしか語り隊」の男性が寅さん像について説明していた。「いっしょに聞いていいですか」というと、「あそこにも観光ボランティアの人がいますよ」という。女性に声をかけてみると、柴又のいろいろな所を歩いて説明してくれるという。土、日曜は無料で案内しているようだ。
この日は台風の影響で雨がぽつりぽつりと降っていた。すぐに止んだが、ボランティアの人によると、コロナの影響というより、今日は雨の影響ではないかという(午後には人が多くなった)。柴又もコロナの影響を大きく受け、江戸時代後期の寛政年間に創業し220余年という一番の老舗川魚料理店「川甚」が2021年1月に閉店したという。第1作「男はつらいよ」で、さくらと博の結婚式場として使われた店だ。夏目漱石の「彼岸過迄」、 尾崎士郎の「人生劇場」にも登場した老舗なのに残念なことだ。ここでうな重を食べたかった。
↓商店街

↓こんな店もあった

↓帝釈天参道

庚申の日(縁日)は非常に賑わうそうだ。そういえば、第1作は庚申の日でにぎわう様子が描かれていた。参道の両側には名物の草だんごや塩せんべいを売る店、川魚料理店などが軒を連ねている。参道は明治末期から大正にかけて京成されたもので、今も当時と変わらない町並みが残っている。まるで映画のセットのようだ。昼食はまだ早いのでお店は帰りに立ち寄ることにして、矢切の渡しまで、案内してもらうことにした。
↓山田監督による「男はつらいよ」のセリフが書かれた碑文

↓渥美清さんが寄進した常夜灯

柴又帝釈天(正式には日蓮宗題経寺)の参道を入ってすぐに、山田洋次監督の直筆による「映画の碑」があった。良くみると、映画フィルムをかたどった碑である。映画の冒頭の寅さんのセリフ「私、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯をつかい、 姓は車、名は寅次郎、人呼んで フーテンの寅"と発します」が刻まれていた。寅さんが使った産湯というのは帝釈天に湧いている御神水のことであり、今も湧き続けている。
↓寅さんが帝釈天の産湯につかった「御神水」

↓彫刻がすばらしい二天門


↓日蓮聖人が彫られている彫刻

参道に向かって総欅造りの二天門(1896年建立)がそびえ建ち、参拝者を迎えてくれる。寅さんシリーズでは、この門の前で「源公」(佐藤蛾次郎)が掃除をしたり、さくらと「御前様」(笠智衆)と寅さんのことを話したりしていた。
正面に帝釈堂、右に祖師堂(旧本堂)、その右手前に釈迦堂(開山堂)、本堂裏手に大客殿などが建つ。境内はさほど広くない。二天門、帝釈堂の彫刻は彩色を施さない素木造のため一見地味だが、細部には精巧な装飾彫刻が施されている。帝釈天や二天門に施された彫刻は仏教説話をモチーフにしたものだ。
二天門には、有名な彫刻師「波の伊八」の四代目がかかわったというが、どれが伊八が彫った部分か分からないという(チームとしてやっているのだろう)。
↓瑞龍の松

帝釈堂の手前の左側にある松は「瑞龍(ずいりゅう)の松」として有名だ。帝釈堂を守るかのように伸びている。それは龍のように見えるからだという。

帝釈天の屋根の先には雷のマークがあった。「帝釈天参道」の門にも付いていたラーメンの丼模様のようなマークだ。これは「雷紋(らいもん)」といって、帝釈天の家紋である。鬼瓦にも雷紋がデザインされていた。商店街で土産物を買うと包んでくれる包装紙にも雷紋が入っている。
↓記念館前広場

↓上越ロケがあった第47作もあった

寅さん記念館も、山田洋次ギャラリーも見るのは帰りにして、記念館前広場に寅さんシリーズ48作の全作品のロケ地が紹介してあった。上越ロケの作品は第47作の「男はつらいよ 拝啓車寅次郎様」(1994年12月公開)である。探したらロケ地として、「新潟県上越市」とあった。ただし、冒頭の夢の中に出てくるだけで、本編には出ていないのが残念。
続きは明日。
今日の
最低気温24.2度、最高気温32.5度。曇り。
○……今回は1泊2日で、主に寅さんの故郷「葛飾柴又」と、渋沢栄一の故郷「埼玉県深谷市」を巡ってきた。電車の乗り継ぎが大変だったが、それよりも歩き疲れた。1日目は距離で約15km、歩数で2万3000歩。2日目は距離で約10km、歩数で1万5000歩と、随分歩いた。
1日目の夜、ホテルで狭い風呂に浸かっていたら、右足がつってしまった。痛くて痛くてしばらく動けなかった。3日目の今日もまだ痛い。2万3000歩といっても、荷物を入れたリュックサックを背負って歩いたので、負荷はかなり強かったのではないだろうか。電車の乗り換えが頻繁にあり、階段の上り下りも足の負担になったかもしれない。
東京の道路を車で走るのは苦手なので、今回は電車を使った1人旅である。
6:24新井発の電車に乗り、7:20上越妙高発の北陸新幹線はくたか552に乗った。上野に9:14着。ここからの乗り換えが面倒で、アプリの「乗換案内」を使わないと無理。JR上野駅から京成本線の京成上野駅まで5分ぐらい歩く。京成上野駅の場所が分からないので、グーグルマップをカーナビ代わりにしてたどり着いた。西郷さんの銅像の近くに駅はあった。田舎者は困るね。
9:36京成上野発の電車に飛び乗り、10:01に京成高砂駅へ。京成高砂駅を10:07発の京成金町線の各停に乗り、10:10にようやく柴又駅に到着した。乗り換えは3回あり、約3時間半かかって到着した。
↓駅名表示にも寅さんが

↓柴又ロケの写真パネル




↓柴又駅

葛飾柴又駅に到着すると駅のホームは「寅さん」一色。駅名看板にも寅さんのシルエットと「男はつらいよ」のタイトルが入っていた。それからホームに寅さんのロケ中の写真とか、寅さんが発した言葉などが入ったパネルがずらりと並んでいた。ここで10分ほどじっくり見させてもらった。まさに駅構内の「寅さん」博物館だ。特にロケの写真が貴重だ。
↓実物大の寅さん像

↓さくら像

駅前広場に出ると、すぐ目の前に寅さんとさくらさんの銅像があった。「フーテンの寅」像は1999年8月の作で、台座には山田洋次監督による寅次郎の故郷への思いが刻まれている。地元商店会が中心となって募金活動を行い建てたという。像はほぼ等身大だという。
さくら像は、渥美清没後の2017年(平成29年)3月25日に除幕。さくら像の完成により、トランクを抱えて旅立とうとする「寅さん」が、妹さくらに呼び止められ、名残惜しそうに故郷を振り返る姿で佇んでいる様子が一対となって完成している。さくらも実物大で、華奢な感じの女性だ。2体を一緒に入れた写真を撮るのを忘れた。というより、記念撮影する人が多く、人を入れずに撮るのは困難だった状況もあった。
写真を撮っていると、緑色のベストを着けた観光ボランティア「かつしか語り隊」の男性が寅さん像について説明していた。「いっしょに聞いていいですか」というと、「あそこにも観光ボランティアの人がいますよ」という。女性に声をかけてみると、柴又のいろいろな所を歩いて説明してくれるという。土、日曜は無料で案内しているようだ。
この日は台風の影響で雨がぽつりぽつりと降っていた。すぐに止んだが、ボランティアの人によると、コロナの影響というより、今日は雨の影響ではないかという(午後には人が多くなった)。柴又もコロナの影響を大きく受け、江戸時代後期の寛政年間に創業し220余年という一番の老舗川魚料理店「川甚」が2021年1月に閉店したという。第1作「男はつらいよ」で、さくらと博の結婚式場として使われた店だ。夏目漱石の「彼岸過迄」、 尾崎士郎の「人生劇場」にも登場した老舗なのに残念なことだ。ここでうな重を食べたかった。
↓商店街

↓こんな店もあった

↓帝釈天参道

庚申の日(縁日)は非常に賑わうそうだ。そういえば、第1作は庚申の日でにぎわう様子が描かれていた。参道の両側には名物の草だんごや塩せんべいを売る店、川魚料理店などが軒を連ねている。参道は明治末期から大正にかけて京成されたもので、今も当時と変わらない町並みが残っている。まるで映画のセットのようだ。昼食はまだ早いのでお店は帰りに立ち寄ることにして、矢切の渡しまで、案内してもらうことにした。
↓山田監督による「男はつらいよ」のセリフが書かれた碑文

↓渥美清さんが寄進した常夜灯

柴又帝釈天(正式には日蓮宗題経寺)の参道を入ってすぐに、山田洋次監督の直筆による「映画の碑」があった。良くみると、映画フィルムをかたどった碑である。映画の冒頭の寅さんのセリフ「私、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯をつかい、 姓は車、名は寅次郎、人呼んで フーテンの寅"と発します」が刻まれていた。寅さんが使った産湯というのは帝釈天に湧いている御神水のことであり、今も湧き続けている。
↓寅さんが帝釈天の産湯につかった「御神水」

↓彫刻がすばらしい二天門


↓日蓮聖人が彫られている彫刻

参道に向かって総欅造りの二天門(1896年建立)がそびえ建ち、参拝者を迎えてくれる。寅さんシリーズでは、この門の前で「源公」(佐藤蛾次郎)が掃除をしたり、さくらと「御前様」(笠智衆)と寅さんのことを話したりしていた。
正面に帝釈堂、右に祖師堂(旧本堂)、その右手前に釈迦堂(開山堂)、本堂裏手に大客殿などが建つ。境内はさほど広くない。二天門、帝釈堂の彫刻は彩色を施さない素木造のため一見地味だが、細部には精巧な装飾彫刻が施されている。帝釈天や二天門に施された彫刻は仏教説話をモチーフにしたものだ。
二天門には、有名な彫刻師「波の伊八」の四代目がかかわったというが、どれが伊八が彫った部分か分からないという(チームとしてやっているのだろう)。
↓瑞龍の松

帝釈堂の手前の左側にある松は「瑞龍(ずいりゅう)の松」として有名だ。帝釈堂を守るかのように伸びている。それは龍のように見えるからだという。

帝釈天の屋根の先には雷のマークがあった。「帝釈天参道」の門にも付いていたラーメンの丼模様のようなマークだ。これは「雷紋(らいもん)」といって、帝釈天の家紋である。鬼瓦にも雷紋がデザインされていた。商店街で土産物を買うと包んでくれる包装紙にも雷紋が入っている。
↓記念館前広場

↓上越ロケがあった第47作もあった

寅さん記念館も、山田洋次ギャラリーも見るのは帰りにして、記念館前広場に寅さんシリーズ48作の全作品のロケ地が紹介してあった。上越ロケの作品は第47作の「男はつらいよ 拝啓車寅次郎様」(1994年12月公開)である。探したらロケ地として、「新潟県上越市」とあった。ただし、冒頭の夢の中に出てくるだけで、本編には出ていないのが残念。
続きは明日。
今日の足跡
最低気温24.2度、最高気温32.5度。曇り。
○……今回は1泊2日で、主に寅さんの故郷「葛飾柴又」と、渋沢栄一の故郷「埼玉県深谷市」を巡ってきた。電車の乗り継ぎが大変だったが、それよりも歩き疲れた。1日目は距離で約15km、歩数で2万3000歩。2日目は距離で約10km、歩数で1万5000歩と、随分歩いた。
1日目の夜、ホテルで狭い風呂に浸かっていたら、右足がつってしまった。痛くて痛くてしばらく動けなかった。3日目の今日もまだ痛い。2万3000歩といっても、荷物を入れたリュックサックを背負って歩いたので、負荷はかなり強かったのではないだろうか。電車の乗り換えが頻繁にあり、階段の上り下りも足の負担になったかもしれない。
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