17日15時28分=2023年=
伊藤左千夫の「野菊の墓」の文学碑
伊藤左千夫の「野菊の墓」は、15歳の少年・斎藤政夫と2歳年上の従姉・戸村民子との淡い恋を描いた小説。1906年に雑誌に発表され、夏目漱石が絶賛したことでも知られる。今月9日、寅さんの故郷、葛飾柴又へ行った際、矢切の渡しで対岸の千葉県松戸市へ行き、「野菊の墓」の舞台の地、文学碑などを見てきた。
この作品の舞台となったのは千葉県松戸市矢切付近。伊藤左千夫の門人である土屋文明の筆による「野菊の墓文学碑」が1965年(昭和40年)5月に完成した。矢切の渡しで江戸川を渡り、そこから20分以上歩かないと行けない。また、矢切の渡しは、政夫と民子の最後の別れの場となった所である。
↓喜之助圭介監督の名画「野菊の如き君なりき」

↓松田聖子主演の「野菊の墓」

映画では木下恵介監督の「野菊の如き君なりき」(1955年)や、松田聖子が民子役をやった澤井信一郎監督「野菊の墓」(1981年)が知られる。ほかに、舞台やテレビドラマでも度々原作になっている。
小説では後半の4分の1ほどに、矢切の渡しが出てくる。「船で河から市川へ出るつもりだから、十七日の朝、小雨の降るのに、一切の持物をカバン一個につめ込み民子とお増に送られて矢切の渡へ降りた。村の者の荷船に便乗する訣でもう船は来て居る。」とある。また、最後の民子が亡くなる前、「茄子畑の事や棉畑の事や、十三日の晩の淋しい風や、また矢切の渡で別れた時の事やを、繰返し繰返し考えては独り慰めて居った。民子の事さえ考えればいつでも気分がよくなる。勿論悲しい心持になることがしばしばあるけれど、さんざん涙を出せばやはり跡は気分がよくなる。民子の事を思って居ればかえって学課の成績も悪くないのである。これらも不思議の一つで、如何なる理由か知らねど、僕は実際そうであった。」と書いてある。
この小説は高校生の時に読み、いたく感動した。矢切の渡しの向こう(千葉県側)の野菊苑に文学碑があると知って、行くことを決めた。
↓「野菊の墓」の碑

↓矢切橋に施された矢切の渡しと野菊のレリーフ

しばらく歩くと、矢切橋の橋詰に「野菊の墓」の一節をしるした碑があった。2007年5月に松戸東ライオンズクラブが25周年を記念して設置したものだ。この橋の欄干には矢切の渡しと野菊のレリーフが施されていた。

途中から「野菊のこみち」があり、それに従って歩いて行ったが、雨上がりで道はぐちゃぐちゃだし、草ぼうぼうで、行くのをやめようかと思ったほど。
途中で道を間違えたこともあり、「野菊苑」まで片道30分かかった。
↓野菊苑入り口

↓野菊苑

↓野菊苑からの眺め

「野菊の墓文学碑」は、西蓮寺(松戸市下矢切261)にある。左千夫の門人である土屋文明の筆になるもので、小説『野菊の墓』の一節が刻まれている。
↓「野菊の墓」文学碑

「僕の家というのは、松戸から二里ばかり下って、矢切の渡を東へ渡り、小高い丘の上でやはり矢切村と云ってる所。・・・・・・」などと書かれている。
「野菊苑」は西蓮寺の向かい側の崖上の小さな公園で「野菊の墓」の舞台とされるところ。政夫が民子を待った大きな銀杏の木は西蓮寺の入口にかつてはあったという。
文学碑にたどり着けてよかったものの、スニーカーは水が染み込み、靴下は濡れてしまった。ズボンには泥はねもあって、ショック。着替えを余分に持ってきておいてよかった。
今日の
最低気温24.2度、最高気温35.5度。晴れ。久しぶりの猛暑日だ。
○……10月からビール系飲料の酒税が変わり、「第3のビール」が1缶(350ml)あたり、37.8円から46.99円に上がる。1缶約10円の値上げである。
逆にビールは70円から63.35円に下がる。発泡酒は46.99円で変わらない。
値上げ前に買いだめしようとドラッグストアに行ったら、いつも飲んでいる発泡酒は変わらないことがわかった。第3のビールはおいしくないし、結局いつもの発泡酒を1箱買ってきた。
クリアアサヒ、本麒麟、金麦、麦とホップなど、第3のビールを飲んでいる人は、今のうちに少し買いだめしておいた方がいいと思う。
2026年にはビール系飲料の税は、54.25円に統一されるという。
この作品の舞台となったのは千葉県松戸市矢切付近。伊藤左千夫の門人である土屋文明の筆による「野菊の墓文学碑」が1965年(昭和40年)5月に完成した。矢切の渡しで江戸川を渡り、そこから20分以上歩かないと行けない。また、矢切の渡しは、政夫と民子の最後の別れの場となった所である。
↓喜之助圭介監督の名画「野菊の如き君なりき」

↓松田聖子主演の「野菊の墓」

映画では木下恵介監督の「野菊の如き君なりき」(1955年)や、松田聖子が民子役をやった澤井信一郎監督「野菊の墓」(1981年)が知られる。ほかに、舞台やテレビドラマでも度々原作になっている。
小説では後半の4分の1ほどに、矢切の渡しが出てくる。「船で河から市川へ出るつもりだから、十七日の朝、小雨の降るのに、一切の持物をカバン一個につめ込み民子とお増に送られて矢切の渡へ降りた。村の者の荷船に便乗する訣でもう船は来て居る。」とある。また、最後の民子が亡くなる前、「茄子畑の事や棉畑の事や、十三日の晩の淋しい風や、また矢切の渡で別れた時の事やを、繰返し繰返し考えては独り慰めて居った。民子の事さえ考えればいつでも気分がよくなる。勿論悲しい心持になることがしばしばあるけれど、さんざん涙を出せばやはり跡は気分がよくなる。民子の事を思って居ればかえって学課の成績も悪くないのである。これらも不思議の一つで、如何なる理由か知らねど、僕は実際そうであった。」と書いてある。
この小説は高校生の時に読み、いたく感動した。矢切の渡しの向こう(千葉県側)の野菊苑に文学碑があると知って、行くことを決めた。
↓「野菊の墓」の碑

↓矢切橋に施された矢切の渡しと野菊のレリーフ

しばらく歩くと、矢切橋の橋詰に「野菊の墓」の一節をしるした碑があった。2007年5月に松戸東ライオンズクラブが25周年を記念して設置したものだ。この橋の欄干には矢切の渡しと野菊のレリーフが施されていた。

途中から「野菊のこみち」があり、それに従って歩いて行ったが、雨上がりで道はぐちゃぐちゃだし、草ぼうぼうで、行くのをやめようかと思ったほど。
途中で道を間違えたこともあり、「野菊苑」まで片道30分かかった。
↓野菊苑入り口

↓野菊苑

↓野菊苑からの眺め

「野菊の墓文学碑」は、西蓮寺(松戸市下矢切261)にある。左千夫の門人である土屋文明の筆になるもので、小説『野菊の墓』の一節が刻まれている。
↓「野菊の墓」文学碑

「僕の家というのは、松戸から二里ばかり下って、矢切の渡を東へ渡り、小高い丘の上でやはり矢切村と云ってる所。・・・・・・」などと書かれている。
「野菊苑」は西蓮寺の向かい側の崖上の小さな公園で「野菊の墓」の舞台とされるところ。政夫が民子を待った大きな銀杏の木は西蓮寺の入口にかつてはあったという。
文学碑にたどり着けてよかったものの、スニーカーは水が染み込み、靴下は濡れてしまった。ズボンには泥はねもあって、ショック。着替えを余分に持ってきておいてよかった。
今日の足跡
最低気温24.2度、最高気温35.5度。晴れ。久しぶりの猛暑日だ。
○……10月からビール系飲料の酒税が変わり、「第3のビール」が1缶(350ml)あたり、37.8円から46.99円に上がる。1缶約10円の値上げである。
逆にビールは70円から63.35円に下がる。発泡酒は46.99円で変わらない。
値上げ前に買いだめしようとドラッグストアに行ったら、いつも飲んでいる発泡酒は変わらないことがわかった。第3のビールはおいしくないし、結局いつもの発泡酒を1箱買ってきた。
クリアアサヒ、本麒麟、金麦、麦とホップなど、第3のビールを飲んでいる人は、今のうちに少し買いだめしておいた方がいいと思う。
2026年にはビール系飲料の税は、54.25円に統一されるという。
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