03日22時07分=2023年=
「らんまん」ロス
NHKの朝ドラ「らんまん」が9月29日で終わってしまった。次のドラマ「ブギウギ」が始まったが、まだ「らんまん」ロスが続いている。
最終回は、竹雄(志尊淳)と綾(佐久間由衣)が新酒をもって槙野家を訪問し、綾の酒造りの理想を貫いて造った酒を酌み交わし、喜び合う。縁側では万太郎(神木隆之介)に病身の寿恵子がもたれかかり、出来上がったばかりの図鑑を2人で見る。万太郎は、図鑑の完成直前に発見した新種の笹を「スエコザサ」と名付け、図鑑の最後のページに寿恵子(浜辺美波)の名を刻んだことを話し、喜び合う。
↓「らんまん」最終回のクライマックス

↓スエコザサ

以下のセリフは、NHKプラスを見て書き出した「らんまん」最後の場面。まさに夫婦「えんまん」だった
スエコザサのページを示しながら万太郎は「寿恵ちゃんの名前じゃ」と説明。寿恵子は「じゃあ、私、万ちゃんと永久に一緒にいれるんですね」とほほ笑む。万太郎は「寿恵ちゃんはわしを照らしてくれた。寿恵ちゃんがわしの命そのものじゃ」と感謝を述べる。寿恵子も「万ちゃんこそ、私のお日様でした」と話す。
寿恵子は「でも、約束ね。私がいなくなったら…いつまでも泣いてちゃ駄目ですからね。草花にまた会いに行ってね。そしたら…私もそこにいますから。草花と一緒に…私もそこで待ってますから」と伝える。
万太郎は寿恵子を抱きしめ、「愛しちゅう…愛しちゅう…。わしら…ずっと一緒じゃ」。最後は純粋な夫婦愛の場面と、寿恵子の死を暗示するシーンで終わった。
万太郎は牧野富太郎をモデルにしたものだが、実際の牧野博士の自叙伝や年譜を見ると、事実関係がかなり違っている。
↓練馬区の「牧野富太郎記念庭園」。博士の胸像の周囲にスエコザサが植えてあった

↓高知では博士の短歌碑の周囲にスエコザサが植えてあった

牧野が東京帝国大学から理学博士を受けたのは1927年(昭和2年)4月。65歳になってからだった。その年に見つけた新種の笹に、妻の名をとって「スエコザサ」と名付けた。翌1928年(昭和3年)、寿恵子(本当は寿衛子)は子宮癌で亡くなる。だが、研究の集大成である「牧野日本植物図鑑」初版を刊行したのは、寿衛子が他界してから12年後である(これが一致しない)。さらには、実物の「牧野日本植物図鑑」に、スエコザサは載っていない。
ドラマなので仕方がないが、このドラマを見て、牧野博士の自叙伝、植物随筆など3冊の本を読み、晩年から、94歳で亡くなるまでの30年間を過ごした練馬区の「牧野富太郎記念庭園」に行ったり、郷里、高知県の「牧野富太郎植物園」を訪れた。また、長岡市の市立科学博物館で開かれた企画展「牧野富太郎博士が見た新潟の植物」や、新津の県立植物園で開かれた「牧野富太郎展」も見た。それだけに、ドラマが終わったのは残念だった。
↓新津で開かれた牧野富太郎展

↓長岡市の科学博物館で開かれた企画展「牧野富太郎博士が見た新潟の植物」

【牧野博士について巡った場所や企画展】
◇「四国・山陽の旅」⑤ ~高知県立牧野富太郎植物園~(2023年8月20日)
http://8446.blog79.fc2.com/blog-entry-5812.html
◇朝ドラの主人公、牧野富太郎の記念庭園へ(2023年4月18日)
http://8446.blog79.fc2.com/blog-entry-5693.html
◇企画展「牧野富太郎博士が見た新潟の植物」(2023年6月11日)
http://8446.blog79.fc2.com/blog-entry-5748.html
◇牧野富太郎展(2023年7月13日)
http://8446.blog79.fc2.com/blog-entry-5778.html
↓「牧野日本植物図鑑」インターネット版(無料)
http://www.hokuryukan-ns.co.jp/makino/index.php
練馬の牧野富太郎の記念庭園では、自分の胸像の周囲にスエコザサが植えてあったし、高知県の記念庭園には妻に捧げた歌を刻んだ石碑があった。「家守りし妻の恵やわが学び 世の中のあらん限りやスエコ笹」と書いてあり、周囲にスエコザサが植えてあった。
↓マキノジン

そして今日、牧野博士の名を冠した高知県初のクラフトジン「マキノジン」を飲んでみた。土産に買ってきたもので、亡き妻・壽衛子の名をつけたスエコザサなどを原料にし、2021年に発売したものだという。
飲んでみたら、さわやかな笹の香りがした。博士の妻・壽衛子を演じた浜辺美波。和服姿が良く似合って、可愛らしかった。
今日の
最低気温15.0度、最高気温24.2度。晴れのち曇り。
○……妙高市から新型コロナワクチン接種の案内文書が来ていて、すっかり忘れていた。
接種はファイザー社製であるため、市の接種を受けることにした。11月中旬に旅行を予定しているので、その前に接種しておきたい。ネットで申し込もうとログインしたら、希望の日時は2人分しか空いていなかった。明日にしようかと思ったが、「思い立ったが吉日」である。または、「今日なし得ることは明日に延ばすな」「善は急げ」……。昔の人はいいことを言うなぁ。
最終回は、竹雄(志尊淳)と綾(佐久間由衣)が新酒をもって槙野家を訪問し、綾の酒造りの理想を貫いて造った酒を酌み交わし、喜び合う。縁側では万太郎(神木隆之介)に病身の寿恵子がもたれかかり、出来上がったばかりの図鑑を2人で見る。万太郎は、図鑑の完成直前に発見した新種の笹を「スエコザサ」と名付け、図鑑の最後のページに寿恵子(浜辺美波)の名を刻んだことを話し、喜び合う。
↓「らんまん」最終回のクライマックス

↓スエコザサ

以下のセリフは、NHKプラスを見て書き出した「らんまん」最後の場面。まさに夫婦「えんまん」だった
スエコザサのページを示しながら万太郎は「寿恵ちゃんの名前じゃ」と説明。寿恵子は「じゃあ、私、万ちゃんと永久に一緒にいれるんですね」とほほ笑む。万太郎は「寿恵ちゃんはわしを照らしてくれた。寿恵ちゃんがわしの命そのものじゃ」と感謝を述べる。寿恵子も「万ちゃんこそ、私のお日様でした」と話す。
寿恵子は「でも、約束ね。私がいなくなったら…いつまでも泣いてちゃ駄目ですからね。草花にまた会いに行ってね。そしたら…私もそこにいますから。草花と一緒に…私もそこで待ってますから」と伝える。
万太郎は寿恵子を抱きしめ、「愛しちゅう…愛しちゅう…。わしら…ずっと一緒じゃ」。最後は純粋な夫婦愛の場面と、寿恵子の死を暗示するシーンで終わった。
万太郎は牧野富太郎をモデルにしたものだが、実際の牧野博士の自叙伝や年譜を見ると、事実関係がかなり違っている。
↓練馬区の「牧野富太郎記念庭園」。博士の胸像の周囲にスエコザサが植えてあった

↓高知では博士の短歌碑の周囲にスエコザサが植えてあった

牧野が東京帝国大学から理学博士を受けたのは1927年(昭和2年)4月。65歳になってからだった。その年に見つけた新種の笹に、妻の名をとって「スエコザサ」と名付けた。翌1928年(昭和3年)、寿恵子(本当は寿衛子)は子宮癌で亡くなる。だが、研究の集大成である「牧野日本植物図鑑」初版を刊行したのは、寿衛子が他界してから12年後である(これが一致しない)。さらには、実物の「牧野日本植物図鑑」に、スエコザサは載っていない。
ドラマなので仕方がないが、このドラマを見て、牧野博士の自叙伝、植物随筆など3冊の本を読み、晩年から、94歳で亡くなるまでの30年間を過ごした練馬区の「牧野富太郎記念庭園」に行ったり、郷里、高知県の「牧野富太郎植物園」を訪れた。また、長岡市の市立科学博物館で開かれた企画展「牧野富太郎博士が見た新潟の植物」や、新津の県立植物園で開かれた「牧野富太郎展」も見た。それだけに、ドラマが終わったのは残念だった。
↓新津で開かれた牧野富太郎展

↓長岡市の科学博物館で開かれた企画展「牧野富太郎博士が見た新潟の植物」

【牧野博士について巡った場所や企画展】
◇「四国・山陽の旅」⑤ ~高知県立牧野富太郎植物園~(2023年8月20日)
http://8446.blog79.fc2.com/blog-entry-5812.html
◇朝ドラの主人公、牧野富太郎の記念庭園へ(2023年4月18日)
http://8446.blog79.fc2.com/blog-entry-5693.html
◇企画展「牧野富太郎博士が見た新潟の植物」(2023年6月11日)
http://8446.blog79.fc2.com/blog-entry-5748.html
◇牧野富太郎展(2023年7月13日)
http://8446.blog79.fc2.com/blog-entry-5778.html
↓「牧野日本植物図鑑」インターネット版(無料)
http://www.hokuryukan-ns.co.jp/makino/index.php
練馬の牧野富太郎の記念庭園では、自分の胸像の周囲にスエコザサが植えてあったし、高知県の記念庭園には妻に捧げた歌を刻んだ石碑があった。「家守りし妻の恵やわが学び 世の中のあらん限りやスエコ笹」と書いてあり、周囲にスエコザサが植えてあった。
↓マキノジン

そして今日、牧野博士の名を冠した高知県初のクラフトジン「マキノジン」を飲んでみた。土産に買ってきたもので、亡き妻・壽衛子の名をつけたスエコザサなどを原料にし、2021年に発売したものだという。
飲んでみたら、さわやかな笹の香りがした。博士の妻・壽衛子を演じた浜辺美波。和服姿が良く似合って、可愛らしかった。
今日の足跡
最低気温15.0度、最高気温24.2度。晴れのち曇り。
○……妙高市から新型コロナワクチン接種の案内文書が来ていて、すっかり忘れていた。
接種はファイザー社製であるため、市の接種を受けることにした。11月中旬に旅行を予定しているので、その前に接種しておきたい。ネットで申し込もうとログインしたら、希望の日時は2人分しか空いていなかった。明日にしようかと思ったが、「思い立ったが吉日」である。または、「今日なし得ることは明日に延ばすな」「善は急げ」……。昔の人はいいことを言うなぁ。
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