23日21時49分=2023年=
柳田國男の『遠野物語』の世界⑧〈再び民話の語り〉
10月8日(遠野2日目)にホテルへ戻ったときには、すっかり暗くなっていた。泊まったホテル「あえりあ遠野」は、ずいぶん立派な建物で、1泊1万円(朝食付き)とは思えないほど内装や設備もいい。その上、囲炉裏のある和室「語り部ホール」で午後6時から、民話の語り(無料)があるという。宿泊客が20人以上集まり、囲炉裏のまわりに車座になって、昔話を聞いた。
↓語り部の高橋ノブさん


なんと、語り部は前日「とおの物語の館」で語った高橋ノブさんだった。語り部が10人もいるというのに、同じ人に出会うとは。でも、上手な人の話を聞くのは悪くない。You Tubeを探すと、現代語で語る人がいるが、高橋さんは遠野の方言を交えて話す貴重な話者だと思う。本来の遠野弁を聞くことができて良かった。
最初は早めに集まってきた客と世間話。私が「遠野では怖いことを、方言でおっかないといいますよね。新潟と同じです」と言うと、高橋さんはうなづいて、「疲れることを、こちらではこわいといいます」と言った。私は「新潟でもこわいといいますし、関西方言のしんのい(しんどい)とも、くたびんたとも言いますよ」などと話した。
それから「かかとのことを何といいますか」と聞くと、高橋さんは「あくと」だという。東北では「あくと」なのだ(関西はきびす)。こんな方言談義をして楽しかった。
方言が良く分からないところもあり、ざっとしたあらすじを書いたが、正確なものではないことをお断りしておく。『遠野物語』も参照したが、語り部の話は違うところも多い。あらすじなので、かなり端折って短くしてある。
↓カッパ淵

1話は「カッパ淵」。「村人が川に馬を洗いに連れていったが、目を離した隙に、河童が馬を淵へ引き込もうとしたんだと。河童は馬の尻尾を離さなかったので厩まで引きずってこられ、かいば桶の中に閉じ込められたと。村人に捕まって“殺してまえ”といわれた河童は、“もう二度と悪さはしない”といって謝ったので、村人は可哀想になって河童を放してやった。その後河童は山の渕に移ってしまい、悪戯をしなくなったと。どんとはれ」という話。「カッパ淵」は周遊バスで回って見てきた場所だ。
2話目は「サルとカニのもちつき」という話。サルとカニが餅つきをしたって。サルは餅を独り占めしようと、臼を持って言ってしまったと。餅は途中の木にひっかかり、あとから付いていった蟹が見つけたと。それを見た猿が「俺にもよこせ」と叫ぶので、蟹は熱い餅を猿の顔に投げつけた。猿は餅を取ろうとしたら面の皮まではがれ、それから猿の顔は赤くなったんだと。どんとはれ」。
↓オシラサマ

3話目は「オシラサマ」。「昔、両親と暮らす美しい娘がいた。器量もいいのに、縁談を断り続け、厩で馬と話しばかりしていた。あるとき、父親がその理由を聞いたら、娘は「おらぁ、うちの馬と夫婦になるとも」と言い出した。そこで父親は馬を引きずり出して、桑の木に吊るして馬の皮をはいだので、馬は死んでしまった。すると、馬の皮が飛んできて、娘を包んで天に昇っていった。父も母も毎晩泣いて暮らしたが、ある晩、娘が夢枕に立って、『来年の3月14日、庭の臼の中を見てくれ。黒い虫がいっぱいいるから、馬を殺した桑の葉をとって食わせろ。30日も経てば繭になるから、その糸で機を織って町へ持っていってけろ』といったと。その通りにしたら、暮らしが立つようになったんだと。これも娘と馬のおかげだと思って、桑の木の枝に、娘の顔と馬の頭を彫ってまつったのがオシラサマだと。どんとはれ」。「遠野物語第69話」にある。なんとも不思議な話だ。オシラサマは「遠野市立博物館」にいろいろ展示されている。
↓卯子酉さん

4話目は「卯子酉(うねどり)さん」。カッパ淵も、オシラサマも、卯子酉さんも、遠野に来て実際に見て回ってみた所ばかりだった。高橋ノブさんは、1日目に聞いた話と全部違う話をしてくれたのでとてもラッキーだった。「聞いておくれんせ。昔あったともな」から始まる語りは、民話の世界にぐいぐい引き込んでいく呪文のようなものだろうな。
「一帯は沼や池で“主”がいたと。一軒の百姓屋があって、美しい娘がいたっと。池の主はその娘っ子を嬶に欲しくなったんだと。あるとき、百姓屋に大きな蛇が出てきて、持っていた箒ではいたんだと。そしたら、蛇がころっと死んでしまったんだと。そしたらその家の人がみんな死んでしまったんだと。それでイタッコ(イタコ)に聞いたら、“お前、たいへんなことしたな。お前、神様の使いを殺したな”というので、蛇のことを話すと、“それだな。沼の主が娘っ子ほしくて、使いによこした”と言ったと。娘っ子は沼の主が嬶にくれと言ってもなりたくなくて、すっかりやせ細ってしまい、死んでしまったと。娘の死骸を沼のほとりに埋めて来たが次の朝、死骸を掘りにいったら、死骸はなかったんだと。それからというもの、沼のほとりには片葉の葦が生えた。それは沼の主の片思いの葦だったと。そして卯子酉神社は縁結びの神様となったんだと。相手の名前を左手で書いて、左手で結べばどんな縁も結ばるんだと。どんとはれ」。なお、いまは片葉の葦は生えていない。
最後の話、「まよいが」は、「遠野物語」にある話で、山中に突然現れる無人の屋敷、あるいはその屋敷を訪れた者についての伝承である。
「むかし、あったどもな。あるところさ、ある山里に正直な姉っこ(女房)がおったと。ある年の春先、フキを採りに普段は行かない山奥へ出かけた。疲れて休んでいると立派な黒塗りの門構えの屋敷があったと。広い庭では鶏が餌を食っていて、見たこともない美しい花っこがいっぱい咲いていたんだと。誘われるように中へ入っていくと牛や馬がたくさんいたっと。玄関から「申す~」と声をかけたが誰も出てこない。中へ入ってみると、広い座敷には御膳にご馳走が並べられている。次の座敷へ行くと火鉢の鉄瓶に湯がわいていた。ここは山男の家かなと思って怖くなり、山道をころがるようにようやく家にたどり着いたと。その後、出来事を旦那にしゃべって聞かせたんだと。旦那は山じゅうさがしたが、どこにも屋敷はなかったと。しばらくして、女房が川で洗濯をしていると、川上からきれいな椀が流れて来たっと。女房が拾って米を計る枡に使ったと。このお椀を使うようになってから、家の米や麦ははあまり減らなくなり、その家にはいいことが続くようになったと」。
遠野あたりでは、このような山の中の不思議な家を“まよいが”と言い、屋敷の中の物を何か一つ持ち帰ってもいいんという。「この姉っ子は欲もなく、何も持って帰らなかったから、お椀の方から流れて来て福が授かったのだろうと言われたんだと。どんとはれ」
高橋ノブさんの無形文化財といってもいい昔ながらの語り口や方言、アクセントを聴いただけでも、遠野まで片道7時間もかけてやってきた価値があった。もう数十年もすると、遠野でも方言を交えて語れない人が多くなるだろうな。
8回にわたって書いてきた「遠野物語」の故郷、遠野巡りは8回目の今回でおしまい。けっこう大変だったが、あとで読み返すと良い思い出になる。どんとはれ。
今日の
最低気温10.5度、最高気温22.3度。曇り一時晴れ。最低気温が10度ぐらいになると、平地でも木々の紅葉が少しずつ始まってくる。暑い夏から一気に冷え込んできた。今年の紅葉はどうだろう。
○……セイタカアワダチソウが咲く今頃は、ブタクサも最盛期。朝起きると、秋の花粉症で鼻水が止まらず、目がかゆい。起きてから30分程度で症状は止まるので、仕事や家事、犬の散歩に差し支えはない。
今朝はトイレに入ったとたんに鼻水が止まらなくなり、トイレットペーパーで何回か鼻をかんで便器に捨てた。便器から腰を上げてみると、トイレットペーパーに真っ赤な血が付いていた。「もしかして下血か、切れ痔か」と一瞬慌てた。もう一度鼻をかむと、トイレットペーパーに血が付いていた。鼻をかみすぎて、鼻血が出たのだった。どんとはれ。
↓語り部の高橋ノブさん


なんと、語り部は前日「とおの物語の館」で語った高橋ノブさんだった。語り部が10人もいるというのに、同じ人に出会うとは。でも、上手な人の話を聞くのは悪くない。You Tubeを探すと、現代語で語る人がいるが、高橋さんは遠野の方言を交えて話す貴重な話者だと思う。本来の遠野弁を聞くことができて良かった。
最初は早めに集まってきた客と世間話。私が「遠野では怖いことを、方言でおっかないといいますよね。新潟と同じです」と言うと、高橋さんはうなづいて、「疲れることを、こちらではこわいといいます」と言った。私は「新潟でもこわいといいますし、関西方言のしんのい(しんどい)とも、くたびんたとも言いますよ」などと話した。
それから「かかとのことを何といいますか」と聞くと、高橋さんは「あくと」だという。東北では「あくと」なのだ(関西はきびす)。こんな方言談義をして楽しかった。
方言が良く分からないところもあり、ざっとしたあらすじを書いたが、正確なものではないことをお断りしておく。『遠野物語』も参照したが、語り部の話は違うところも多い。あらすじなので、かなり端折って短くしてある。
↓カッパ淵

1話は「カッパ淵」。「村人が川に馬を洗いに連れていったが、目を離した隙に、河童が馬を淵へ引き込もうとしたんだと。河童は馬の尻尾を離さなかったので厩まで引きずってこられ、かいば桶の中に閉じ込められたと。村人に捕まって“殺してまえ”といわれた河童は、“もう二度と悪さはしない”といって謝ったので、村人は可哀想になって河童を放してやった。その後河童は山の渕に移ってしまい、悪戯をしなくなったと。どんとはれ」という話。「カッパ淵」は周遊バスで回って見てきた場所だ。
2話目は「サルとカニのもちつき」という話。サルとカニが餅つきをしたって。サルは餅を独り占めしようと、臼を持って言ってしまったと。餅は途中の木にひっかかり、あとから付いていった蟹が見つけたと。それを見た猿が「俺にもよこせ」と叫ぶので、蟹は熱い餅を猿の顔に投げつけた。猿は餅を取ろうとしたら面の皮まではがれ、それから猿の顔は赤くなったんだと。どんとはれ」。
↓オシラサマ

3話目は「オシラサマ」。「昔、両親と暮らす美しい娘がいた。器量もいいのに、縁談を断り続け、厩で馬と話しばかりしていた。あるとき、父親がその理由を聞いたら、娘は「おらぁ、うちの馬と夫婦になるとも」と言い出した。そこで父親は馬を引きずり出して、桑の木に吊るして馬の皮をはいだので、馬は死んでしまった。すると、馬の皮が飛んできて、娘を包んで天に昇っていった。父も母も毎晩泣いて暮らしたが、ある晩、娘が夢枕に立って、『来年の3月14日、庭の臼の中を見てくれ。黒い虫がいっぱいいるから、馬を殺した桑の葉をとって食わせろ。30日も経てば繭になるから、その糸で機を織って町へ持っていってけろ』といったと。その通りにしたら、暮らしが立つようになったんだと。これも娘と馬のおかげだと思って、桑の木の枝に、娘の顔と馬の頭を彫ってまつったのがオシラサマだと。どんとはれ」。「遠野物語第69話」にある。なんとも不思議な話だ。オシラサマは「遠野市立博物館」にいろいろ展示されている。
↓卯子酉さん

4話目は「卯子酉(うねどり)さん」。カッパ淵も、オシラサマも、卯子酉さんも、遠野に来て実際に見て回ってみた所ばかりだった。高橋ノブさんは、1日目に聞いた話と全部違う話をしてくれたのでとてもラッキーだった。「聞いておくれんせ。昔あったともな」から始まる語りは、民話の世界にぐいぐい引き込んでいく呪文のようなものだろうな。
「一帯は沼や池で“主”がいたと。一軒の百姓屋があって、美しい娘がいたっと。池の主はその娘っ子を嬶に欲しくなったんだと。あるとき、百姓屋に大きな蛇が出てきて、持っていた箒ではいたんだと。そしたら、蛇がころっと死んでしまったんだと。そしたらその家の人がみんな死んでしまったんだと。それでイタッコ(イタコ)に聞いたら、“お前、たいへんなことしたな。お前、神様の使いを殺したな”というので、蛇のことを話すと、“それだな。沼の主が娘っ子ほしくて、使いによこした”と言ったと。娘っ子は沼の主が嬶にくれと言ってもなりたくなくて、すっかりやせ細ってしまい、死んでしまったと。娘の死骸を沼のほとりに埋めて来たが次の朝、死骸を掘りにいったら、死骸はなかったんだと。それからというもの、沼のほとりには片葉の葦が生えた。それは沼の主の片思いの葦だったと。そして卯子酉神社は縁結びの神様となったんだと。相手の名前を左手で書いて、左手で結べばどんな縁も結ばるんだと。どんとはれ」。なお、いまは片葉の葦は生えていない。
最後の話、「まよいが」は、「遠野物語」にある話で、山中に突然現れる無人の屋敷、あるいはその屋敷を訪れた者についての伝承である。
「むかし、あったどもな。あるところさ、ある山里に正直な姉っこ(女房)がおったと。ある年の春先、フキを採りに普段は行かない山奥へ出かけた。疲れて休んでいると立派な黒塗りの門構えの屋敷があったと。広い庭では鶏が餌を食っていて、見たこともない美しい花っこがいっぱい咲いていたんだと。誘われるように中へ入っていくと牛や馬がたくさんいたっと。玄関から「申す~」と声をかけたが誰も出てこない。中へ入ってみると、広い座敷には御膳にご馳走が並べられている。次の座敷へ行くと火鉢の鉄瓶に湯がわいていた。ここは山男の家かなと思って怖くなり、山道をころがるようにようやく家にたどり着いたと。その後、出来事を旦那にしゃべって聞かせたんだと。旦那は山じゅうさがしたが、どこにも屋敷はなかったと。しばらくして、女房が川で洗濯をしていると、川上からきれいな椀が流れて来たっと。女房が拾って米を計る枡に使ったと。このお椀を使うようになってから、家の米や麦ははあまり減らなくなり、その家にはいいことが続くようになったと」。
遠野あたりでは、このような山の中の不思議な家を“まよいが”と言い、屋敷の中の物を何か一つ持ち帰ってもいいんという。「この姉っ子は欲もなく、何も持って帰らなかったから、お椀の方から流れて来て福が授かったのだろうと言われたんだと。どんとはれ」
高橋ノブさんの無形文化財といってもいい昔ながらの語り口や方言、アクセントを聴いただけでも、遠野まで片道7時間もかけてやってきた価値があった。もう数十年もすると、遠野でも方言を交えて語れない人が多くなるだろうな。
8回にわたって書いてきた「遠野物語」の故郷、遠野巡りは8回目の今回でおしまい。けっこう大変だったが、あとで読み返すと良い思い出になる。どんとはれ。
今日の足跡
最低気温10.5度、最高気温22.3度。曇り一時晴れ。最低気温が10度ぐらいになると、平地でも木々の紅葉が少しずつ始まってくる。暑い夏から一気に冷え込んできた。今年の紅葉はどうだろう。
○……セイタカアワダチソウが咲く今頃は、ブタクサも最盛期。朝起きると、秋の花粉症で鼻水が止まらず、目がかゆい。起きてから30分程度で症状は止まるので、仕事や家事、犬の散歩に差し支えはない。
今朝はトイレに入ったとたんに鼻水が止まらなくなり、トイレットペーパーで何回か鼻をかんで便器に捨てた。便器から腰を上げてみると、トイレットペーパーに真っ赤な血が付いていた。「もしかして下血か、切れ痔か」と一瞬慌てた。もう一度鼻をかむと、トイレットペーパーに血が付いていた。鼻をかみすぎて、鼻血が出たのだった。どんとはれ。
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