27日23時18分=2023年=
三遊亭白鳥さんが前島密の創作落語?
上越市出身の落語家、三遊亭白鳥さんが、前島密を題材にした新作落語を披露するというので22日の日曜日、SAKEまつりの会場から高田駅へ行き、電車に乗って上越文化会館に行って聴いてきた。十分にクラフトビールを味わったし、ちょうどいい電車があったので、予定を変更してでかけた。

今年は白鳥さんの落語を聴くのは2回目。三遊亭にいがた(新型)だった二つ目の頃から応援していたが、その若手落語家も今年で還暦だという。
7月15日に高田世界館でやった独演会では「おばさん自衛隊」「ギンギラボーイ」「富久(とみきゅう)」の新作3席を聴くことができた。
白鳥さんの新作落語は東京では大人気なのだが、地元上越ではイマイチ。1回だけ「笑点」に出ただけではだめなのか。昨年12月12日の「謙武祭」での独演会は可哀想なほどガラガラだった。
今回も広い上越文化会館を見渡すと、想像していた通り客はまばらだった。酒臭くて迷惑になるかと思い、隅の方へ行って聴いた。酔っ払ってメモをしたので、かなりはしょってあり、正確ではないことをお断りしておく。
白鳥さんはまず、新作落語について説明を始めた。「日本で一番新作落語を作っているのは三遊亭白鳥だ」と言い、「グーグルで、〈落語〉〈ダウンロード配信〉で検索してみて。最初に三遊亭白鳥が出てきますから」という。帰ってからやってみたら確かに、白鳥さんが最初に出たし、配信数も圧倒的に多い。自分で収録した落語ライブもあって、今度聴いてみようかなと思った。
そして、いよいよ前島密の本題に入ったが、「なぜ市役所が春日山にあるのか」と切り出し、「高田と直江津の商店街が引っ張り合いをして、しょうがないから何もない春日山にできたんです。そしたらそこにヤマダ電機ができて、七福の湯ができて、J-MAXシアターができて、回転する富寿しができて…そしたら駐車場がタダだからお客さんがたくさん来て、高田と直江津の商店街がさびれた」。上越市の中川市長が「直江津に商店街はない」と失言したことが思い出される。公人である市長が言うと失言になるが、落語家は本音が言えるのだ。
三遊亭白鳥さんの実家は本町通りの「藤田模型店」で、「米久」や「春陽館」の向かい。両親が施設に入っていて、今はシャッターが下りている。「私は本町の店がどんどんつぶれていくのを目の当たりにした」と話す。
今日では東京から上越妙高駅まで新幹線で2時間になった。白鳥さんの時代でも、それまでは6時間かかった。その分、東京へのあこがれが強かった。前島密の時代はなおさらだった。「上越市で生まれた人間でしか言えないことを言えないか」というのが本日のテーマ。
前島密は江戸時代、下池部の豪農、上野助右衛門の二男として生まれた。母のていは、榊原家の大目付の娘というエリート中のエリート。榊原家は元々兵庫の譜代大名だったが、なぜ高田に来たのか。八代将軍徳川吉宗が、倹約令を出した。しかし、榊原政岑は吉原の遊女「高尾太夫」に入れあげて、一日に千両も二千両も使った。「吉宗が怒って、日本で一番の僻地に飛ばしてやると言って、来たのが高田なんです」。
父の助右衛門がまもなく亡くなり、母が内職をして一人で密を育てた。そして、幼い密は雪下ろしなど雪国の苦労を目の当たりにした。密の苦労に、白鳥さんが子供の頃、雪下ろしをさせられた辛さを重ね、「死んでも東京へ行くぞ」と決意して高田高校に入るために猛勉強したという。
前島密は雪国の厳しい自然を見て、「ここに居てはだめだ。東京に行って名を成さなくては」と思った。
密少年は、雪下ろしをしなくていい静岡県清水市に生まれなかったか、と思ったはず。中学生の頃、清水交歓会というのがあって、「交歓生が来るから、かまくらを作れ」と先生に言われ、吹雪の中、体操着でスコップを持って作った。どんなに清水交歓をうらんだことか。
密少年はここからどうにか出たいと思っていたところ、母方の叔父、糸魚川藩医相沢文仲に「来い」と言われた。居候をして手伝ったら「自分も医者になろう」と思った。田舎は知識人に知識人が寄ってくるけど、バカにはバカが寄ってくる。相沢先生は知識人なので俳句の会なども催した。密少年がそのとき詠んだ句がある。5歳ぐらいのとき「夕鴉 しょんぼりとまる 冬木立」という句を詠んだら、周りの大人が「すごい。天才だ」とほめる。喜んだ密少年が母に報告したら、母は「子供のうちから天才だ、神童だと言われて、その後は凡庸な人になった人がいっぱいいる。調子に乗るんじゃないよ」とたしなめられた。密少年は生涯の訓戒にしたという。
知識が増えれば増えるほど「ここにいちゃだめだ。江戸に出なくてはだめだ」と思うようになる。母は「男は一度志したら行きなさい」と突き放した。密少年が江戸に出たのは小学校6年生。電車がない時代、野宿しながら江戸に行った。「やっと雪国から離れられる。世界を見てやろう」と思ったはず。
密少年は江戸で、医者を訪ねて「住む所と食べ物をもらえれば、タダでいいから働かせてください」と頼んだ。オランダ語も英語もそうやって行動して学んだ。
高校生の頃、離れに住んでいて、大雪のときに雪下ろしをしなかったら、夜中にミシッという音がした。「このままでは家がつぶれて死ぬ」と恐怖を覚え、夜中の1時にアノラックを着て長靴をはいて雪下ろしをしたことを例に挙げ、「雪国では面倒くさいからといって雪下ろしをしないと死ぬ」ことを身をもって体験したことを話した。前島密の行動力の原点はそこにある。
日本は島国なので四方八方から攻められる。密先生は「じゃあ、日本全国の海を見てまわろう」と行動したのが素晴らしい。オランダ語を習うのには漢字を知らなければならない。オランダ語ができると医学書や科学、風俗などを翻訳した。西洋の知識を翻訳することを通じて知った。書けば覚えるし、コピー機がなかったので同じことを何度もやると覚える。それには雪国のじっと耐える精神が役立った。
知識と経験というのは大事だとして、自身の落語人生と重ねて語った。そして、歩くことで知識と経験が一緒になり、アイデアが生まれる。ダーウィンは1日4回散歩をした。密先生は日本中を歩くことで、いろんなアイデアが生まれた。
前島密は“郵政の父”と言われているけれど、それだけではない。電話、日本通運、宅配便、盲学校も密さんが始めた。田中角栄よりもすごい。坂本龍馬や勝海舟よりも上だ。
なぜ、こんなに知られていないか。これは前島密の座右の銘に、「雪泥鴻爪(せつでいこうそう)」というのがある。雪の跡に残した大きな鳥の爪跡も春になったら解ける。どんな業績も時が経てば消えてなくなる。そんなことを威張っちゃだめだと。みんなが幸せになれば俺なんかいい。縁の下の力持ちになることを厭わない。「威張るんじゃないよ」と。だから知られていない。
最後に小話を披露した。「密先生、立派な業績ありがとうございます」「いいんだ。自慢することではない。日本の役に立ってくれればいいんだ」「若い時はクラシック音楽や小説が好きだったんですか」「私は講談、浪曲が好きでね。特に広沢虎造の“清水の次郎長伝”が好きだった」「ヤクザが出てくる任侠ものですよね」「私は郵政の父。切って(切手)張ったが大好き」。
前島密を題材にした新作落語を披露するという前宣伝だったが、長いマクラというか、落語というより講演に近い。市の主催で、文化庁の助成を受けている催しなので、前島密をおちょくる内容にはできない。白鳥さんの得意な展開に持っていくことができず、講演的なものになったのだと思う。
今日の
最低気温12.1度、最高気温21.7度。晴れのち曇り。午後から一時小雨。
○……昨日、インフルエンザの予防接種をした。来月には、新型コロナワクチンの接種もある。今回はファイザー社のオミクロン株対応ワクチンだというので、11月10日に市で実施する接種を受けることにした。



○……今日は午後8時から、大谷翔平がア・リーグホームラン王を獲得したことを分析するタモリ・ステーションの特別番組に見入ってしまった。とても面白かった。
大谷のノーステップ打法は、バントをホームランにする感覚という例えとか、世界のホームラン王の王さんとWBCの栗山監督の対談が面白かった。一本足打法とノーステップ打法は意外にも共通点があった。トミー・ジョン手術についてや、移籍先がどうなるのかを追っていた。タモリさんは「彼はまるでフィクションの世界のようだ」と述べていた。

今年は白鳥さんの落語を聴くのは2回目。三遊亭にいがた(新型)だった二つ目の頃から応援していたが、その若手落語家も今年で還暦だという。
7月15日に高田世界館でやった独演会では「おばさん自衛隊」「ギンギラボーイ」「富久(とみきゅう)」の新作3席を聴くことができた。
白鳥さんの新作落語は東京では大人気なのだが、地元上越ではイマイチ。1回だけ「笑点」に出ただけではだめなのか。昨年12月12日の「謙武祭」での独演会は可哀想なほどガラガラだった。
今回も広い上越文化会館を見渡すと、想像していた通り客はまばらだった。酒臭くて迷惑になるかと思い、隅の方へ行って聴いた。酔っ払ってメモをしたので、かなりはしょってあり、正確ではないことをお断りしておく。
白鳥さんはまず、新作落語について説明を始めた。「日本で一番新作落語を作っているのは三遊亭白鳥だ」と言い、「グーグルで、〈落語〉〈ダウンロード配信〉で検索してみて。最初に三遊亭白鳥が出てきますから」という。帰ってからやってみたら確かに、白鳥さんが最初に出たし、配信数も圧倒的に多い。自分で収録した落語ライブもあって、今度聴いてみようかなと思った。
そして、いよいよ前島密の本題に入ったが、「なぜ市役所が春日山にあるのか」と切り出し、「高田と直江津の商店街が引っ張り合いをして、しょうがないから何もない春日山にできたんです。そしたらそこにヤマダ電機ができて、七福の湯ができて、J-MAXシアターができて、回転する富寿しができて…そしたら駐車場がタダだからお客さんがたくさん来て、高田と直江津の商店街がさびれた」。上越市の中川市長が「直江津に商店街はない」と失言したことが思い出される。公人である市長が言うと失言になるが、落語家は本音が言えるのだ。
三遊亭白鳥さんの実家は本町通りの「藤田模型店」で、「米久」や「春陽館」の向かい。両親が施設に入っていて、今はシャッターが下りている。「私は本町の店がどんどんつぶれていくのを目の当たりにした」と話す。
今日では東京から上越妙高駅まで新幹線で2時間になった。白鳥さんの時代でも、それまでは6時間かかった。その分、東京へのあこがれが強かった。前島密の時代はなおさらだった。「上越市で生まれた人間でしか言えないことを言えないか」というのが本日のテーマ。
前島密は江戸時代、下池部の豪農、上野助右衛門の二男として生まれた。母のていは、榊原家の大目付の娘というエリート中のエリート。榊原家は元々兵庫の譜代大名だったが、なぜ高田に来たのか。八代将軍徳川吉宗が、倹約令を出した。しかし、榊原政岑は吉原の遊女「高尾太夫」に入れあげて、一日に千両も二千両も使った。「吉宗が怒って、日本で一番の僻地に飛ばしてやると言って、来たのが高田なんです」。
父の助右衛門がまもなく亡くなり、母が内職をして一人で密を育てた。そして、幼い密は雪下ろしなど雪国の苦労を目の当たりにした。密の苦労に、白鳥さんが子供の頃、雪下ろしをさせられた辛さを重ね、「死んでも東京へ行くぞ」と決意して高田高校に入るために猛勉強したという。
前島密は雪国の厳しい自然を見て、「ここに居てはだめだ。東京に行って名を成さなくては」と思った。
密少年は、雪下ろしをしなくていい静岡県清水市に生まれなかったか、と思ったはず。中学生の頃、清水交歓会というのがあって、「交歓生が来るから、かまくらを作れ」と先生に言われ、吹雪の中、体操着でスコップを持って作った。どんなに清水交歓をうらんだことか。
密少年はここからどうにか出たいと思っていたところ、母方の叔父、糸魚川藩医相沢文仲に「来い」と言われた。居候をして手伝ったら「自分も医者になろう」と思った。田舎は知識人に知識人が寄ってくるけど、バカにはバカが寄ってくる。相沢先生は知識人なので俳句の会なども催した。密少年がそのとき詠んだ句がある。5歳ぐらいのとき「夕鴉 しょんぼりとまる 冬木立」という句を詠んだら、周りの大人が「すごい。天才だ」とほめる。喜んだ密少年が母に報告したら、母は「子供のうちから天才だ、神童だと言われて、その後は凡庸な人になった人がいっぱいいる。調子に乗るんじゃないよ」とたしなめられた。密少年は生涯の訓戒にしたという。
知識が増えれば増えるほど「ここにいちゃだめだ。江戸に出なくてはだめだ」と思うようになる。母は「男は一度志したら行きなさい」と突き放した。密少年が江戸に出たのは小学校6年生。電車がない時代、野宿しながら江戸に行った。「やっと雪国から離れられる。世界を見てやろう」と思ったはず。
密少年は江戸で、医者を訪ねて「住む所と食べ物をもらえれば、タダでいいから働かせてください」と頼んだ。オランダ語も英語もそうやって行動して学んだ。
高校生の頃、離れに住んでいて、大雪のときに雪下ろしをしなかったら、夜中にミシッという音がした。「このままでは家がつぶれて死ぬ」と恐怖を覚え、夜中の1時にアノラックを着て長靴をはいて雪下ろしをしたことを例に挙げ、「雪国では面倒くさいからといって雪下ろしをしないと死ぬ」ことを身をもって体験したことを話した。前島密の行動力の原点はそこにある。
日本は島国なので四方八方から攻められる。密先生は「じゃあ、日本全国の海を見てまわろう」と行動したのが素晴らしい。オランダ語を習うのには漢字を知らなければならない。オランダ語ができると医学書や科学、風俗などを翻訳した。西洋の知識を翻訳することを通じて知った。書けば覚えるし、コピー機がなかったので同じことを何度もやると覚える。それには雪国のじっと耐える精神が役立った。
知識と経験というのは大事だとして、自身の落語人生と重ねて語った。そして、歩くことで知識と経験が一緒になり、アイデアが生まれる。ダーウィンは1日4回散歩をした。密先生は日本中を歩くことで、いろんなアイデアが生まれた。
前島密は“郵政の父”と言われているけれど、それだけではない。電話、日本通運、宅配便、盲学校も密さんが始めた。田中角栄よりもすごい。坂本龍馬や勝海舟よりも上だ。
なぜ、こんなに知られていないか。これは前島密の座右の銘に、「雪泥鴻爪(せつでいこうそう)」というのがある。雪の跡に残した大きな鳥の爪跡も春になったら解ける。どんな業績も時が経てば消えてなくなる。そんなことを威張っちゃだめだと。みんなが幸せになれば俺なんかいい。縁の下の力持ちになることを厭わない。「威張るんじゃないよ」と。だから知られていない。
最後に小話を披露した。「密先生、立派な業績ありがとうございます」「いいんだ。自慢することではない。日本の役に立ってくれればいいんだ」「若い時はクラシック音楽や小説が好きだったんですか」「私は講談、浪曲が好きでね。特に広沢虎造の“清水の次郎長伝”が好きだった」「ヤクザが出てくる任侠ものですよね」「私は郵政の父。切って(切手)張ったが大好き」。
前島密を題材にした新作落語を披露するという前宣伝だったが、長いマクラというか、落語というより講演に近い。市の主催で、文化庁の助成を受けている催しなので、前島密をおちょくる内容にはできない。白鳥さんの得意な展開に持っていくことができず、講演的なものになったのだと思う。
今日の足跡
最低気温12.1度、最高気温21.7度。晴れのち曇り。午後から一時小雨。
○……昨日、インフルエンザの予防接種をした。来月には、新型コロナワクチンの接種もある。今回はファイザー社のオミクロン株対応ワクチンだというので、11月10日に市で実施する接種を受けることにした。



○……今日は午後8時から、大谷翔平がア・リーグホームラン王を獲得したことを分析するタモリ・ステーションの特別番組に見入ってしまった。とても面白かった。
大谷のノーステップ打法は、バントをホームランにする感覚という例えとか、世界のホームラン王の王さんとWBCの栗山監督の対談が面白かった。一本足打法とノーステップ打法は意外にも共通点があった。トミー・ジョン手術についてや、移籍先がどうなるのかを追っていた。タモリさんは「彼はまるでフィクションの世界のようだ」と述べていた。
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Comment
前島密の偉大さを知らないまま馬齢を重ねた者にとって、たいへん勉強になる内容で、厚く御礼もうしあげます。
>知識と経験というのは大事だとして、自身の落語人生と重ねて語った。そして、歩くことで知識と経験が一緒になり、アイデアが生まれる。
↑
「我が意を得たり」と膝を打ちました。外山滋比古著「思考の整理学」を課題図書にしたオンライン読書会でのこと。「どうしたら創造的なアイデアを生み出せると考えるか」と問われて、「自分のなかに蓄えた価値ある知識と価値ある経験を見極め、両者を掛け合わせる」と答えたばかりだったからです。こんな自慢げな述懐、それこそ前島密なら胸の奥にしまったままにするのでしょうが。前島密も取り上げられていた大河ドラマ史上の傑作にほかならない「青天を衝け」を久しぶりに思い出しました。徳川慶喜の側近で非業の死を遂げた平岡円四郎とともに。近く、円四郎ゆかりの湯島聖堂を再訪することにいたします。
>知識と経験というのは大事だとして、自身の落語人生と重ねて語った。そして、歩くことで知識と経験が一緒になり、アイデアが生まれる。
↑
「我が意を得たり」と膝を打ちました。外山滋比古著「思考の整理学」を課題図書にしたオンライン読書会でのこと。「どうしたら創造的なアイデアを生み出せると考えるか」と問われて、「自分のなかに蓄えた価値ある知識と価値ある経験を見極め、両者を掛け合わせる」と答えたばかりだったからです。こんな自慢げな述懐、それこそ前島密なら胸の奥にしまったままにするのでしょうが。前島密も取り上げられていた大河ドラマ史上の傑作にほかならない「青天を衝け」を久しぶりに思い出しました。徳川慶喜の側近で非業の死を遂げた平岡円四郎とともに。近く、円四郎ゆかりの湯島聖堂を再訪することにいたします。
「青天を衝け」では、前島密は少ししか出てこのかったのが残念でした。
前島密は大河ドラマや、朝ドラのモデルにもなれる人物だと思いますが、女性関係のトラブルなどがなく、目立ったことをしないので、ドラマとしては面白くないのだと思います。
「縁の下の力持ち」こそが前島密のポリシーだったので、華々しさ、派手さなどがなく、地味すぎるのです。
「1円切手」こそが前島密の人生を象徴しているのかもしれません。
前島密は大河ドラマや、朝ドラのモデルにもなれる人物だと思いますが、女性関係のトラブルなどがなく、目立ったことをしないので、ドラマとしては面白くないのだと思います。
「縁の下の力持ち」こそが前島密のポリシーだったので、華々しさ、派手さなどがなく、地味すぎるのです。
「1円切手」こそが前島密の人生を象徴しているのかもしれません。
”壱圓を積み重ねて満圓に至る”と言う言葉は無いでしょうが、知識と経験を社会に役立てる。
自身のの名声・地位や蓄財に囚われない(成すべき事の為の資金は蓄えたり調達するが)
コツコツ努力を惜しまずに知識と経験を蓄えて社会の為に尽くす人を偉人と言うのでしょうね。
郷土の偉人の事をもっと良く知らなければと反省しています。
PS:白鳥さんの事もね。
自身のの名声・地位や蓄財に囚われない(成すべき事の為の資金は蓄えたり調達するが)
コツコツ努力を惜しまずに知識と経験を蓄えて社会の為に尽くす人を偉人と言うのでしょうね。
郷土の偉人の事をもっと良く知らなければと反省しています。
PS:白鳥さんの事もね。
コメントありがとうございます。
郵便の父・前島密といい、「大日本地名辞書」を編纂した吉田東伍といい、「大漢和辞典」15巻を著した諸橋轍次といい、30年の年月をかけて粘り強く「北越雪譜」の出版にこぎつけた鈴木牧之といい、ワインぶどうの育種に全財産をつぎ込んだ川上善兵衛といい、新潟県には粘り強く仕事をして素晴らしいことを成し遂げた人が多いです。
それは雪国であったからこそだと思います。
郵便の父・前島密といい、「大日本地名辞書」を編纂した吉田東伍といい、「大漢和辞典」15巻を著した諸橋轍次といい、30年の年月をかけて粘り強く「北越雪譜」の出版にこぎつけた鈴木牧之といい、ワインぶどうの育種に全財産をつぎ込んだ川上善兵衛といい、新潟県には粘り強く仕事をして素晴らしいことを成し遂げた人が多いです。
それは雪国であったからこそだと思います。
コメントありがとうございます
郷土の偉人のことをきちんと教えることは大事だと思います。
最近は小・中学校で地元の人を講師に頼んで、話を聴くという授業もあるようですね。
でも、昔は粘り強さ、辛抱強さがあった新潟県人も、道路除雪が整い、消雪パイプができてから、だんだん薄れてきた気がします。
郷土の偉人のことをきちんと教えることは大事だと思います。
最近は小・中学校で地元の人を講師に頼んで、話を聴くという授業もあるようですね。
でも、昔は粘り強さ、辛抱強さがあった新潟県人も、道路除雪が整い、消雪パイプができてから、だんだん薄れてきた気がします。